姉が笑う理由
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わたしは『鷹宮』をずっと捨てたかった。
嫌悪さえしていたのに、結局この場に居続けるのは、わたしが弱いからだ。卒業したら自分の力で歩いてやると思ったこともあったけれど、わたしのバックには鷹宮が付いて回るだろう。名を捨てた処で逃げられない。わたしは駒なのだから。
嵐のようなパーティもなんとか終わり、自室に戻ったわたしの部屋をノックしたのは、予想外の人物だった。
「入ってもよろしくて?」
輝かんばかりの美貌は年を重ねても衰えることなく、むしろ女盛りの今、むせ返るような色気を纏った彼女は、二番目の姉だ。頼りなげな眉に目尻の垂れた大きな目。泣き黒子が感心するほどよく似合う。
「どうしましたか?」
姉と話すのはいつ振りだろう、とぼんやり思う。
「なんでもありませんわ。ただ、貴女と会話をしてませんでしたから」
ふふ、と笑う姉。非常に嘘くさい笑みだった。ああ、多分憂さ晴らしだろうな、と思うくらいには。
詳細は簡潔にするが、今夜のパーティは本当に嵐のようだった。
姉も巻き込まれたひとり。
パーティも終わった頃、姉のフィアンセがある女性を伴い家族の集まる部屋へやってきた。曰く、その女性が身篭ったらしい。フィアンセの子だと。婚約破棄して欲しいと。
あの凍りつくような場でそれでも背筋を伸ばしていたフィアンセと相手の女性は見事だと思った。
フィアンセも鷹宮の傘下の会社に居るというのに、将来に慌てた様子はなかった。むしろ独立すると言い放った。
姉は一瞬だけ眼差しで殺せそうな破壊力抜群の目の色に変えたけれど、それでも、口元に手をやり「まぁ…」と儚く呟いた。流石大和撫子だ。
姉には姉のドラマがあったのだ。
帰り際、お相手の女性が姉に小さく「ざまぁ」と言ったのが印象的だった。その後、わたしに見せた笑みは晴れやかで。
ああ、彼女は、学生時代の姉に彼氏をとられた女生徒さん。
そう思ったけれど、同時に、ざまぁ?と首を傾げたくなった。
「…馬鹿な男ですね」
わたしは小さく呟く。姉はまた、小さく笑った。
「そうねぇ、見目は美しいから気に入っていたのだけど、余所に尻尾を振るような駄犬はいらないわ」
あの、正統派の美形でいて俺様な強引さを持つ姉のフィアンセを駄犬、とさっぱり言い切った姉は、やはり、ざまぁとやらをさせられた空気はない。
そもそも、あの場でか弱い大和撫子の仮面が剥がれなかった時点で姉は気持ちを切り替えている。もしくは元々フィアンセとの関係が冷めたものだったのかもしれないけど。
「慰謝料いくらにしようかしらぁ。ふふ、彼女も物好きですわね。復讐したい程憎い女のお古を欲しがるなんて。だけど、あの目は良かったですわ。思わず頬ずりしたいくらい!」
ああ、変態。
姉は基本的にいつも優しく微笑んでいる。穏やかで嫋やかな印象を与えるけれど、今この時のように目を爛々とさせ皮肉気に口を歪め頬を紅潮させた表情はそれと真逆だ。
どちらも姉だけれど、こちらの方が人間くさくて凄絶に美しいし、良いと思う。
「義兄殿はよろしいのですか」
外面的には仲の良い二人だったと記憶している。
「あの方?すぐに戻ってまいりますわ。そういう風に躾けましたから。まあ、受け入れはしませんけど。あの方はね、偉そうにしていますけれど時々虐げられないと駄目ですの。彼女ではきっと駄目よ。目新しくて惹かれたのでしょうけどすぐに飽きますわ」
本当に馬鹿な男、と微笑む姉。成る程、前言撤回。冷めた関係ではなかったのか。むしろ熱すぎた?……ああ彼女には是非頑張って欲しい。
「だけど、あの娘。随分垢抜けましたわねぇ。学校を辞められた後どうしていたのか気になってましたの。誰かさんの差し金かしら?」
流し目を送る姉はゾッとする程美しかった。うちの姉達は二人に関わった誰かをいちいち覚えておく程、マメではない。とすると彼女に姉は少なからず興味を抱いていたらしい。
わたしは「知りません」とだけ言っておいた。
あの学園では珍しく一般家庭だった彼女にわたしは、留学先を提案しただけだ。その先の人生など知る由もないが、この件で姉に気に入られたのは不幸だとしか言いようがない。
「良いですわ。貴女のその形容し難い視線は嫌いではないですの。昔、貴女で散々遊びましたから、貴女はわたくしを嫌いでしょうけどね」
姉は相変わらず貼り付けたような優しい笑みを浮かべたまま、席を立つ。
「ところで紅子さん、貴女こそあの人で良かったんですの?」
扉に手をかけて、姉は可愛らしくコテンと首を傾げてから、皮肉気に笑った。