入門志願者たち
1
「いったい、この始末はどうつけてくださるのですか、ゴープス先生」
「む、む」
ゴープス・オイラーは答えに窮していた。
ここはパンデル街区にある剣商オズツの店である。屋号をユスルという。ゴープスの目の前にいるのは店のあるじオズツである。
この店に乗り込んだのは、わずか十タールほど前のことであり、そのときにはゴープスの鼻息は荒かった。オズツを出せと店番に詰め寄り、奥の部屋に通され、オズツが出てくるなり、剣の残骸を突き付け、
「とんだまがい物をつかませてくれたな。この始末はどうつけてくれるのだ!」
と怒鳴りつけたものである。
剣の残骸を見せられたオズツは顔色を真っ青にした。
「あ、あなたさまは。あなたさまは、まさかこの剣を実戦にお使いになられましたか」
「使うたがどうした」
「な、なんということを。決して振り回したりなさらないよう、まして物に当てたりなさらないよう、あれほど念を押しておりましたのに」
「使わざる得ぬ場面になったのだ。致し方あるまい」
「何を馬鹿な」
「馬鹿とは何事かっ。無礼にもほどがある。そもそもこの剣が本物の初代ヴァンプーサとまったく同じように作られた逸品で、剣の品質だけでは絶対に模造品と鑑定できないと請け負ったのは、おぬしではないか!」
「あなたさまは。あなたさまは。本当に人の言うことを聞かないおかただ。だから申し上げたでしょう。儀式剣だと」
「なにっ?」
「儀式剣なのです。宝剣なのです。〈赤髪王〉陛下の命により初代ヴァンプーサが生涯にただ一振りだけ鍛えた儀式剣の、これはその写しなのです。本物はもちろん、王府サマルカの王宮の府庫に秘蔵されてございます。王位継承の儀式のときにだけ府庫から出されるのです」
「な、な」
「実戦用の剣ではないのです。神々のその美しさを捧げるための剣なのです。これほど美しい剣は、もう二度と作れないというのに。いったいこの責任はどう取っていただけるのですか」
「いや。む、む」
そう言われれば、そんな説明を受けたような気もする。だが宝剣の輝きに、ゴープスはすっかり夢中になっていたのだ。
そもそもイウェド・ガイナルンが存命のうちから、ユスル屋からは練習剣などを納品してもらっており、師範代だったゴープスはたびたび店にも足を運んでいた。
ガイナルン道場は大きいものではないが、門弟の数は六十人あまりあり、この地方としてはそれなりの規模だったから、ユスル屋としてもつながりを持っておきたかったようだ。
それにイウェド・ガイナルンの剣名は隠れもないものであったから、剣商としては損得を抜きにイウェドに便宜を図ってくれていた。その代わりイウェドのほうも、何度か推薦状や品質鑑定書のようなものを書いていたようである。
イウェドが急死すると門弟に動揺が広がり、道場をやめたいと言い出す者も出てきた。何とか門弟たちを引き留めたいと考えたゴープスが思い出したのが、ユスル屋で見せてもらった宝剣のことだった。
——あんな美しい剣は見たこともない。
一目見たときから、その剣の輝きはゴープスの心に焼き付いていた。あの剣をひそかに借り受け、道場をやめたいという者にこっそり見せたらどうだろう。
「これは前道場主秘蔵の銘剣である。当道場はこれほどの銘剣を受け継ぐほどに格式の高い道場なのだ」
そう言い聞かせれば、当面の離脱者は防ぐことができるのではないか、とゴープスは考えた。そこでユスル屋オズツに頭を下げ、おおっぴらには公開しないし、振り回したり傷を付けたりしないと約束して、半年のあいだ借り受けたのだ。
その効果はゴープスの狙い通りだった。いや、狙い以上だった。
初代ヴァンプーサという伝説的な剣匠の剣を見せられた門弟たちは、ひどく興奮し、道場に残っていっそう剣技を磨くことを誓った。それだけでなく、ガイナルン道場には初代ヴァンプーサがあるという噂をひそかに流させたところ、新規入門者が次々と現れ、今や門人は八十人を数える。
うまくいっていたのだ。あの決闘までは。
2
どうしてあんな決闘をしてしまったのだろう。ゴープスはつくづく後悔していた。アリアシアがからむと、どうしても勢い込んで妙なことをしてしまう。その結果アリアシアにはいっそう嫌われてしまう。ずっとその悪循環だった。
初めてアリアシアを見てから、ゴープスはその虜となった。どうしてもこの女を手に入れたいと思った。
しかしアリアシアに近づきたい、アリアシアの好意を得たいと思っても、そのための努力はことごとく裏目に出た。
アリアシアに近づきたいといっても、不器用なゴープスにできることは練習の相手にアリアシアを選び、自分の剣技をみせつけることぐらいしかなかった。
だがアリアシアと相対すると、目はくらくらし、鼻息は荒くなって、いつもの剣の冴えは失われ、ただ力任せにたたき付けるような戦い方になった。
師範代であるゴープスが指名すれば、アリアシアは相手をしないわけにいかないが、明らかにアリアシアはゴープスの相手を嫌がっていた。
師イウェド・ガイナルンからも言われたことがある。
「ゴープス。気負うな。自分の心から距離を置け。さもなければ相手の心は離れてゆくばかりだぞ」
アリアシアのことを言われているのだと、すぐに分かった。分かったからといって、どうしようもない。アリアシアが道場に現れれば、どうしてもその姿を目で追ってしまう。アリアシアの声が聞こえれば、そちらを向いてしまう。
イウェドの死去はゴープスにとっても衝撃であり痛恨事だった。だがそのいっぽう、心の片隅で、
——これで俺がガイナルン道場を継げば、イウェド師に向けられたアリアシア殿の尊敬のまなざしの幾分かは、俺に向くのではないか。
という期待があったことも事実である。
葬儀を取り進めるなかで、ゴープスは門弟たちを指揮したが、アリアシアが、まっすぐにゴープスの目を見つめて、「はい」「はい」と返事するたびに、ぞくぞくするような喜びを感じた。その喜びは、これからずっと続くものなのだと信じた。
だがもちろん、そんなことはなかった。アリアシアは師イウェドの葬儀が終わったとたん、ぱたりと道場に姿を見せなくなったのだ。
ゴープスは焦った。毎日毎日、アリアシアを待ち焦がれた。いっそ自分で迎えに行こうかとさえ思ったが、もちろんそんなことはできない。今のゴープスは道場主である。道場主が門下生を家に訪ねて道場に来るように説得するなどという、そんなぶざまなまねはできなかった。
忍耐の切れたゴープスは、道場の門弟をアリアシアのもとに差し向けた。その結果アリアシアはとにかく一度道場に来ると約束したのである。
約束を守って道場に来たアリアシアに、ゴープスは宝剣を見せた。だがこのときゴープスは勘違いをしていた。
一つには、アリアシアの身分である。詳しい身分は知らなかったが、ルマノ街区に住んでいて、年寄りの使用人二人を使っていることは知っていた。アリアシアの父のワジシン・コンクルドは州府を支える重役の一人で、その名はゴープスも耳にしたことがあったのだが、アリアシア自身は自分の出自を語らなかったので、コンクルドの名をワジシンと結びつけて考えることはなかったのだ。アリアシア自身は働いているようでもないのに金に困っている様子はない。しかしその暮らしぶりは質素なようである。そこからゴープスは、アリアシアがいわく付きの身分なのだろうと推測していた。あまり裕福ではない貴族の隠し子か何かなのだろうと。
二つには、アリアシアと師イウェドの関係についてである。アリアシアが、師イウェドが州府キストにいたときの弟子であることは、師自身からもアリアシアからも聞いていた。しかしイウェドはキスト鎮台に勤務していたのであるから、その片手間で教えていた程度の関係だろうと思っていたのである。実際には、イウェドはアリアシアの父ワジシンの部下であり、その武具の購入や手入れは多くワジシンのつてを頼ったものであったから、アリアシアはイウェドがどんな武具を持っているかをよく知っていたのである。
一つ目の勘違いは、ゴープスがアリアシアにとって魅力的な結婚相手に映るはずだ、という誤解を生んだ。
二つ目の勘違いは、アリアシアにはイウェドが初代ヴァンプーサなど所有していなかったことは分からないだろう、という誤解を生んだ。
さらに計算違いだったことは、アリアシアが高級武具を見慣れていたということである。何しろアリアシアの父は、王国第二の州キストの鎮台で、交武番頭の要職にある。つまり鎮台で使われる武具一切を取り仕切る立場にあるのだ。自宅にも優れた武具が山のように収蔵されているし、鎮台で使う武具や高位貴族が手入れを頼んだ武具などが始終目の前を飛び交っている。アリアシアは幼いころから武具に異様な興味を示したので、父もおもしろがってよい武具が手元に来るとアリアシアに見せていた。つまりアリアシアは、恐ろしく武具に目の肥えた娘だったのである。それこそゴープスなどよりもはるかに。
その結果、アリアシアの心がつかめるだろうと自信満々で見せつけた宝剣は、アリアシアの気持ちを完全に冷めさせた。アリアシアの目から期待の光が消え、残念そうな表情が浮かぶに及んで、ゴープスは大いに焦ったが、アリアシアの失望のわけは分からなかった。
焦る気持ちが、ゴープスに、自分でも思ってもいなかった言葉をはかせた。
「アリアシア殿。師の剣を見た以上、道場をやめるということはできぬぞ」
口にした瞬間、しまった、と思った。
アリアシアの勝ち気な性格は知っている。こんな言い方をしたのでは反発を招くだけだ。だが口にした言葉を喉の奥に戻すことはできない。
案の定、アリアシアの顔は、怒りのあまり朱に染まった。
「私の新たな師も初代ヴァンプーサを所持しておられる。しかもモルダイト鋼製だ」
アリアシアが叫ぶように放った言葉は、ゴープスの心の臓をまともに貫いた。
新たな師だと?
そいつが初代ヴァンプーサを持っているだと?
しかもモルダイト鋼製だと?
騙されている。騙されているのだ、アリアシアは。初代ヴァンプーサなど、よほどの貴族、それこそ州公クラスの貴族でなければ持てはしない。絶対に偽物だ。しかもモルダイト鋼製の初代ヴァンプーサなど、国中を探しても片手の数ほどしかないはずだ。この世間知らずの娘はたちの悪い男に騙されているのだ。
「アリアシア殿。モルダイト鋼製の初代ヴァンプーサを受け継ぐほどの剣士なら、貴殿をお任せするにやぶさかでない。だが、こんな街に初代ヴァンプーサが二振りもあったとは、何かの因縁。わがヴァンプーサとその方のヴァンプーサとで試合をいたし、お互い真のヴァンプーサたることを神々に示そうではないか」
アリアシアを悪い男の手から救わねばならないという使命感は、ゴープスの言葉に落ち着きを与えていた。
アリアシアの頭の回転は鈍くない。ゴープスの言葉は、裏を返せば「お前の師のヴァンプーサとやらが偽物であることを、俺が試合で暴いてやる」という意味だとただちに気付いたようで、
「ゴープス殿の剣はともかく、師の剣が真のヴァンプーサであることは疑いもない。ゴープス殿、決闘状をしたためられよ」
と低く沈んだ声でゴープスに言った。
ここまでくればもはやゴープスも引き下がれない。
「アリアシア殿の新たな師なるかたのご尊名をうかがおうか」
腹を据えてそう訊いたのである。
3
ヴァンプーサで決闘をする、とアリアシアに言ってしまった。またその言葉は同席した門弟たちにも聞かれた。
であるから、決闘には借り物の初代ヴァンプーサを持っていくしかない。だが、ゴープスは実戦でヴァンプーサを使わないという約束を破るつもりはなかった。
しょせん相手は田舎剣士である。しかも初代ヴァンプーサを持っているなどという低級な嘘をつく人間である。相手の剣を奪い取って石にたたき付け、砕け散るさまを見せて相手の剣が偽物だと証明すればよい、と考えた。
むしろこれは好機だと考えることにした。そこで、新入門の者を中心に三十人ほどの門弟を決闘に同席させた。ゴープスが鮮やかに勝つ場面を見せつけることで、彼らの道場への愛着が増し、道場のいっそうの繁栄につながる。また、相手の醜態を衆目にふれされることで、あとで言いわけができなくなる。
当日決闘の相手を見ても、強敵だなどとは感じなかった。
相手がバーカリエド道場の出身だと宣言するのを聞いて、ますます軽蔑する気持ちがふくらんだ。この剣士はオルド街区に住んでいるという。まともにバーカリエド道場で剣を修めたような剣士が、そんな田舎でくすぶっているわけがない。
そこそこ筋肉は付いているようだが、そう体格がよいとはいえない。むしろひょろっとした体型だ。だが顔立ちは役者のように整っている。
——その顔でアリアシア殿を騙したのか。
だが、相手が剣を抜いて構えたとき、怒りも侮りもどこかに霧散した。
——これは!
構えの隙のなさ。静かな気迫。その剣先は何気なく構えられているようだが、こちらの出方次第でどのようにも変化するだろう。これは本物の剣客だ。
その瞬間、ゴープスの脳裏からは、何のために決闘しようとしていたかなどということは消え去っていた。ただただ、この強敵とどう戦うか、そのことのみが心を支配していた。自らが構えている剣が、決して相手の剣に打ち当ててはいけない剣であるというような些細な事実など、もはや意識の片隅にもなかった。
ゴープスは攻撃を仕掛けた。
右上から左下へ、そして左上から右下へと左右の袈裟懸けを立て続けに放った。いずれもゴープス自慢の強撃である。
相手はそれを見事にかわした。大きくかわすのではなく、当たると思わせておいて体のわずかなひねりでかわしきる、見事な見切りだ。
——なんたる凄まじい見切りか。
感嘆しながら、いっそうの強撃を放つため、剣を右上段に引き上げた。
その引き上げつつある剣に敵は剣を打ち当ててきた。
一瞬のうちに間合いに飛び込んで来たその速度に対応しきることはできなかった。いわばこちらの剣が逃げていくのを相手が追撃した格好である。
そのとき、ゴープスの剣は砕け散った。
到底鋼の剣ならあり得ないような砕け方である。鋼ではなかったのだ。それどころか、剣でさえなかった。これはまったくのまがい物だったのだ。初代ヴァンプーサなどと、恥知らずにもほどがある。偽物だったのは相手ではなく、こちらのほうだったのだ。
ゴープスが呆然と立ち尽くしているのに礼をして相手は去った。そのあとをアリアシアが追って行ったが、引き留める気も起きなかった。
振り返れば、観戦していた道場生の半分ほどがいない。
激しい怒りがゴープスの全身に湧き上がった。それは本来自分自身にぶつけられるべき怒りであったが、ゴープスの気性のゆえか、自分にみじめな敗北を背負わせ、素晴らしい戦いを奇天烈な形で終結させた剣とその剣を貸した相手に向かった。
——ユスル屋め! 真っ赤な偽物をつかませおった。ただでは済まさん!
その怒りのまま、ゴープスはパンデル街区に戻り、ユスル屋に乗り込んだのだった。
だがそのあげく、儀式剣を決闘に使うという愚かしいまねをしたゴープス自身に、つけが回ってきた。
総額五十ガスリンという大金を返さねばならない。二ガスリンあれば人一人が一年間充分生活できるのである。五十ガスリンといえば、ほそぼそと道場を営むゴープスにとっては途方もない大金である。しかしそれでも、宝剣本来の価値からすれば破格の安値であるらしい。
ユスル屋もゴープスの懐具合には見当がついたらしく、ため息をつきながら、
「月に五百ガスパーで結構です。利子も要りません。何とかお返しを願います」
と、持ちかけてきた。
月に五百ガスパーということは年に五ガスリンということである。つまり五十ガスリンの十年月賦ということになる。ユスル屋としては最大限の好意なのだろう。だがゴープスにとっては目の前が真っ暗になるような借金だった。
4
「断る」
「そ、そこを何とか、先生。お願いいたします」
「お願い申し上げます」
リー=ウェンはため息をついて、目の前で頭を下げている六人を見た。
一番前で一番深々と頭を下げているのはアリアシアである。その後ろでは五人の若者が頭を下げている。一番年かさの者でも二十歳にはまだ間があるだろう。一番若い者は十五歳かそこらだ。
この若者たちは、いずれもガイナルン道場にいた者たちである。
くだんの珍妙な決闘のあと、ゴープスの剣を砕いた剣士はアリアシアの新しい師匠だという噂が流れたらしい。さっそく一人の若者がアリアシアを訪ね、自分もアリアシアの先生の門下生になりたいので口を利いてほしい、と頼み込んだ。
アリアシアは困惑した。自分自身がいまだ正式の弟子とはいいがたい扱いなのである。このうえ新たな弟子を紹介しようものなら、リー=ウェンが嫌な顔をするのは目に見えていた。
ところが若者は諦めず、アリアシアのもとに日参した。するとそれに追随する者が二人現れた。この三人は早々にガイナルン道場をやめてしまい、アリアシアに紹介を頼み続けたのである。
「アリアシア殿。弟子入りの口を利いてほしいとまでは申しません。とにかくそのリー=ウェン先生にお引き合わせください。あとは入門を許されるのも断られるのも、われらとリー=ウェン先生のあいだのことです」
「ゴープス殿の自慢する宝剣を一撃で粉々に砕いたリー=ウェン先生の技に、私はほれ込んだのです。ぜひあの方に剣を教わりたい」
「それにあの見切り。ゴープス殿の剛剣をまったく恐れるそぶりもなく、切られたかと思うような近距離で鮮やかにかわされました。ゴープス殿の得意のあの袈裟懸けを、拙者は一度もかわせたことも受け止められたこともありません。リー=ウェン先生は恐るべき手練れです」
アリアシアは断り続けたのだが、正直リー=ウェンの剣技を褒められるのは、わがことのようで鼻が高かった。元来気の良いところのあるアリアシアは、ついに断り切れなくなり、
「お引き合わせするだけだぞ。あとのことは知らぬ」
と言いながら、三人をリー=ウェンのもとに連れて行ったのである。
案の定リー=ウェンの反応は拒絶一本槍だった。
しかし三人は諦めず、アリアシアがリー=ウェンのもとに行く時間に合わせてリー=ウェンの家を訪ね、入門の許しを乞うた。いつのまにかアリアシアも一緒に入門を頼むようになってしまったのである。
——そもそもアリアシア殿の入門も許してはおらん。
と言いたい気もするリー=ウェンだったが、そうは言わない。この若者たちの前でそう言ってしまうと、何やらアリアシアの顔をつぶしてしまうような気がするからである。リー=ウェンもまた根っこのところではひどくお人よしのところがある。
何日もしないうち、三人は五人に増えた。噂を聞きつけた若いガイナルン道場の門下生が、やはり道場をやめてリー=ウェンに入門を申し込んできたのである。
というわけで、今リー=ウェンは五人の入門志願者に煩わされている。とはいえ、五人は一定時間入門の許しを求める嘆願をしたあと、そのまま立ち去ってゆく。だからリー=ウェンのほうも、拒絶の言葉を告げる以上の厳しい態度には出ていない。
これは、
「必要以上に煩わせると、リー=ウェン先生は本気でお怒りになる。そうすると弟子入りの可能性は消えてしまう。短い時間入門を願い、あとはおとなしく帰るのだ。それを繰り替えすことだけが、入門の許しを得る唯一の道だ」
とアリアシアが厳重に言いつけたからである。
五人があまりにリー=ウェンを怒らせれば、アリアシア自身の入門もなかったことにされかねないので、その点にはきつく釘をさしたのだった。
早く五人を追い返して自分の練習をしたかったので、リー=ウェンはそれ以上言葉も発せず、冷たい目で六人を見つめた。
ところがそのとき厄介な客が来た。
「父上、おはようございます。お弟子が増えたのですね」
リー=ウェンの息子キーリン・エスパンタ・クエストである。今年十八歳になるのだが、ちょっと見たところでは十六歳ぐらいにもみえる。いかにも美少年という顔立ちで、身に着けた簡素な衣服は上品で、腰に吊った剣は一目でなかなかの物と分かるこしらえだ。
「これは、若先生。私はトリトル・クラースと申します」
「初めまして、キーリン様。拙者はパクズ・グリンと申します」
「若様。イリーズ・ソトワでございます」
「若君。エズラート・スクルプです。よしなに」
「キーリン若先生。バンクロス・ティラーエです。よろしくお引き回しのほど」
もちろんこの若者たちは、リー=ウェンの息子キーリンのことは、アリアシアから聞いてよく知っていたのである。
「ああ、皆さん。キーリン・エスパンタ・クエストです。よろしくお願いいたします」
さわやかな顔でキーリンは弟子志願者たちにあいさつをした。
「弟子ではないというのに。入門は断った。それはそうと、キーリン。久しぶりだな」
「しばらくスコリマル街区に行ってました。あ、これ土産です」
「お。すまんな」
スコリマル街区はトルキア川がリスリ海にそそぐ、その河口にできた街である。交易の要所であり非常に繁栄している街だ。街自身の規模も大きい。土産というのはいろいろな魚の干物だった。これは楽しめそうだ、とリー=ウェンは喜んだ。
「これはアリアシアさんに。それからこれはブルクさんとチーチェイさんに」
「私にもお土産があるのですか。そのうえ、じいやとばあやにまで。キーリン殿。かたじけない」
キーリンはアリアシアの家で働く下男と下女にまで土産を買ってきたようである。実にまめな男だ。ひょっとしてアリアシアに気があるのだろうか。
そう思いながらリー=ウェンはキーリンの顔をのぞき込んだ。しかし、にこにこするばかりで何を考えているか分からない。まあ、まめなのはこの男の持ち味であり、だからこの男はやたらともてる。いっそアリアシアとくっついて、あまりここに近寄らなくなってくれれば生活が静かになって好都合だ。
「キーリン。スコリマル街区というのは、ここから百トリル以上あるのではないか」
「そうですね。まっすぐに行けばそんなものかもしれませんが、パンデル街区からガルツ街区を経由して大回りしますからね。百四十トリルぐらいはあるんじゃないでしょうか」
オルド街区からスコリマル街区にまっすぐ行こうとすれば、スシリナ山を越えることになる。アファエーラ女神の祠がある山だ。そんな道はよほどのことがなければ通らない。ガルツ街区を経由するのが普通の順路なのである。しかもたぶん、キーリンは馬を使ったはずだ。騎士叙任は受けていないがキーリンの身分は士分であるから、馬に乗って街区のあいだを走ることができるのだ。
「どんな品目がどんな具合に取引されているのかを視察に行ったのですがね。なかなか収穫がありました。ついでにカンター道場をのぞいてきたのですが、こちらは当て外れでした」
カンター道場というのは、剣豪オンドラ・カンターが開いた道場で、今は二代目が跡を継いでいるはずだ。
「カンター道場ですか。とても大きいそうですね」
「ええ、アリアシア殿。建物も立派ですし、門人は二百人を超えるそうです」
「二百人! それは大道場だ」
「しかし中身はひどいものでした。見学していたら中に引っ張り込まれましてね。若い門人を三人ほどあしらったら、師範代なる人物が出て来たんです。勝ってしまったらあとが面倒そうだったので、二、三合打ち合ってから負けを宣言して相手の顔を立てておきました」
にこにこしてキーリンが言う。その笑顔があやしいと、リー=ウェンは思った。絶対にただでは負けていない。何かをしている。
「離れ際に何かをしでかしたんじゃないのか」
「はい、父上」
「何をした」
「右の手首の内側を軽くなでておきました。しばらくたってから痛みだして、一週間ぐらいはまともに剣が握れないでしょう」
いい笑顔を崩さずにキーリンが言う。この性根の悪さは誰に似たのだろう。
話を横で聞いていた若者たちは、天下のカンター道場の師範代を手玉に取ったというこの報告を聞いて目を丸くしている。
「よし。土産は受け取った。帰れ。お前たちも帰れ。俺はこれから練習をする」
「あ、父上。今日は練習を見学していきます」
「好きにしろ」
「私も見学させていただきます」
キーリンとアリアシアは見学する気だ。いつものことなのでリー=ウェンも気にはしない。五人の若者が、それでは私たちはと帰ろうとするところに、キーリンが声をかけた。
「皆さんは見学なさらないのですか」
五人が返事をする前に、覆いかぶせるようにリー=ウェンは言った。
「そいつらは弟子ではない。俺の家で俺の練習を見ることは許さない」
「では川の向こう側から見るのならかまいませんね。橋を渡れば父上の家ではないのですから」
リー=ウェンの借りている家はオルド街区の西南の外れにあり、街区に続く道とは川で隔てられている。とはいえ、長さ五歩に満たない橋を渡ればもう道なのだから、道から庭までは指呼の間である。
五人はすっかり喜んで、橋を渡って道に行儀良く並んでわくわくとこちらを見守っている。
「どこかに行け」
と言いたいところだが、道の上にいる者を追い払う権利があるかといわれればないような気がする。
それにキーリンと口論をすればするほど泥沼にはまる。ここは無視するにかぎる、とリー=ウェンは判断し、練習を始めた。
食い入るように、七人がそれを見つめた。
(「入門志願者たち」完)