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剣客伝  作者: 支援BIS
3/7

果たし合い

 1


「ではアリアシア殿。

 道場にてお会いいたそう」

「うむ」

 アリアシア・コンクルドは不機嫌な表情を隠そうともせず、同門の先輩三人を家から送り出した。

 三人を見送ったあと門を閉めると、アリアシアは美しく引き締まった眉宇をくしゃりとゆがめ、ため息をついた。

「はあ。

 どうしてこんなことに」

 三人の剣士がなぜわざわざアリアシアの自宅を訪ねたかというと、一度道場に顔を出すようにという説得のためだ。

 アリアシアは非常に熱心な道場生だった。

 当然である。

 道場主のイウェド・ガイナルンは、もともとキスト州の州都で鎮台に勤務していた。イウェドが職を辞して故郷のパンデル街区に道場を開くや、アリアシアははるばるパンデル街区までイウェドを追いかけてきて、道場に入門した。

 アリアシアは父の部下であったイウェドから剣を習っていたが、ようやく剣の道の何たるかが分かりかけてきたところであり、どうしても引き続きイウェドの指導を受けたかったのだ。

 アリアシアが親元を離れたがった別の事情もあるが、それは今はおいておく。

 とにかく、アリアシアはイウェドに私淑しており、その道場に通うためにパンデル街区に隣接するルマノ街区にわざわざ一軒家を借りたのである。毎日道場に通い詰め、修行に明け暮れた。そればかりでなく、掃除や片付け物や諸事雑用なども進んでこなした。

 しかし、イウェドは死んでしまった。

 その葬儀には献身的に奉仕したが、もう道場と自分との縁は切れたと思っていた。

 道場の後継者を決める会議にも欠席したし、葬儀のあとには一度も道場に顔を出していない。

 道場の後継者となったのは、案の定ゴープス・オイラーである。

 腕に不足はない。到底アリアシアなど及ばない剣技の持ち主である。

 また、大方の道場生はイウェドがパンデル街区に道場を開いてからの弟子であるが、ゴープスはイウェドが若いころにも教えを受けたことがあるとかで、年功という点からも問題ない。

 だが、アリアシアは、ゴープスが嫌いである。

 油じみた顔も、その油じみた顔にぽつぽつと浮かぶ吹き出物も嫌いだ。

 声もしゃべり方も嫌いだし、持って回ったような言い回しも嫌いだ。

 息の臭いことはぞっとするほどで、そのためゴープスと稽古をするときは、遠間からの打ち込みに撤する。

 何よりも、ふと目線を感じて振り返ったときの、あのからみつくような視線が嫌いだ。

 要するにアリアシアは、生理的にゴープス・オイラーという剣士を受け付けないのである。

 イウェドが死ぬ間際に体調を崩したときには、しばらくゴープスの指導を受けたが、このときの体験がアリアシアのゴープス嫌いを決定的なものにした。

 そのゴープスが、今はイウェド・ガイナルンが建てたガイナルン道場のあるじである。

 あんな男が仕切っているガイナルン道場になど行く気はなかった。

 ところがガイナルン道場の側では、というよりゴープスのほうでは、それでは済まなかった。

 道場主となったゴープスは、自分に次ぐ腕の剣士二名を副師範に任じたが、今日アリアシアの家を訪ねてきた三人に、その副師範たちは含まれていない。

 腕からいえば道場で五番目ほどにあたる、アリアシアより十歳ほど年上の剣士と、あと二名はアリアシアと同年代で腕ではアリアシアに劣る青年二名である。つまり道場側の意向というより、道場生有志の代表としてやって来た格好である。

「イウェド先生が亡くなられて気落ちするのも分かるが、そろそろ稽古に復帰してはどうか」

 と年長の剣士が言えば、

「アリアシア殿の姿がないとさびしくていけません」

「みな、どうしておられるのかと心配しています」

 などと若い剣士たちが言う。

 アリアシアにいわせれば、自分はイウェド先生の弟子なのであって、イウェド先生が亡くなられた以上、道場に足を運ぶ理由もない、ということになる。

 しかし、年長の剣士にいわせれば、経緯はどうあれアリアシアも道場生の一人には違いなく、今していることは道場の無断欠席である、ということになる。

 しばらく押し問答をしたすえに、道場での稽古を続けるにせよやめるにせよ、道場主を継いだゴープスに一度面談してきちんとけじめをつけてのことだ、ということになった。

 相手のいうことにも一応の理屈は通っているので、むげにはねつけるわけにいかず、二、三日中に道場に行く、という言質を取られてしまったのだった。

 だが、どうにも気が重い。

 こんなときには練習に限る。

 アリアシアは急いで身支度を調え、二人の使用人に帰りは夕刻になると言い置いて出かけた。





 2


 オルド街区のはずれにあるリー=ウェンの家に着いたアリアシアは、まず玄関と台所の掃除をして、それから庭の掃除をした。寝室にはまだ入ることを許されていないが、玄関と台所には入ることを許されているのだ。

 鼻歌交じりの上機嫌である。

 この場所はアリアシアにとって天国だった。

 ここではしがらみも何もかも忘れて、ただ剣の稽古に励むことができる。アリアシアが新たに師と仰ぐリー=ウェンの剣技たるや、まったく底のみえないほどのものであって、そのまねをして剣を振るだけで、日に日におのれが強く確かなものになっていくのが実感できるのである。楽しくないわけがなかった。

 一通り掃除を終えると、アリアシアは木剣を取り出して素振りを始めた。

 昨日見たリー=ウェンの練習の太刀筋を思い返しながら、それをなぞるのである。

 といってもリー=ウェンの流れるような練習は演舞というにも近く、そのすべてをまねすることなどできない。ごく一部分を思い返しながら、目に焼き付いた剣筋をおのれで再現すべく努めるのだ。

 天気は穏やかで風は柔らかだ。アリアシアが生まれ育った州都と違い、ここは木々に覆われ緑ゆたかである。アリアシアは自由を満喫しながら練習に没頭した。

 練習を続けるうち、急に空腹を覚えた。腹、というのは不思議なもので、食事時間になるとそれを思い出させてくれる。

 アリアシアは庭の石に腰掛けると、弁当を取り出して食べ始めた。

「どうして家の中でたべないのですか」

 急に話しかけられたのだが、あまりに意外でその言葉はいったんアリアシアの耳を素通りした。

 しばらくして自分が話しかけられたのだと気付き、辺りを見回すと、川を渡った小さな橋のたもとに少年が立っている。つまり今まさにアリアシアが剣の練習をしていたその庭の端である。

 次の瞬間、アリアシアは自己嫌悪に襲われた。

——なんということだ。人が近づいた気配にも気付かないとは。こんなことでは武人失格だ。

 アリアシアが反省しているあいだにも、くだんの少年は柔らかな笑みを浮かべてアリアシアのほうを見ている。返事を待っているのだ。

「い、いや。この家は先生の個人宅だ。勝手にその中で食事などできるものではない」

 少年はアリアシアより見るからに年下であるから、それなりの言葉遣いになった。

「でも見事な剣筋でした。あなたはリー=ウェンのお弟子なのでしょう。先ほどの技は確かにリー=ウェンの手でした。お弟子なら、家の中で食事をしても許されると思いますよ」

 少年の言葉をアリアシアは全部は聞いていなかった。最初の「でも見事な剣筋でした」という部分で食べた物を吹き出してしまったのである。

 見られていた。この少年はずっと前からこっそり近づいて、ずっとアリアシアの練習を見物していたのだ。そんなにも長い間人が近くに来ていたのに気付かなかったという不覚と、美しい少年に乙女の秘密を見られたという恥辱から、アリアシアの頬は紅く染まり、かあっと頭に血が上った。

「き、きさま! 見ていたな。見ていたんだな。こっそりと近寄って、じっと私の剣さばきを見ていたんだな」

「ええ。見とれていました。とても奇麗でした」

 今度こそアリアシアの顔は沸騰した。つまりそれ以上赤い色はないというほどの赤色になった。

 思わずアリアシアは弁当を横に置き、木剣を持って少年に斬り掛かった。

 少年の立つ位置までアリアシアの歩幅で五歩である。走り寄ると位置を合わせて剣を左から右に素早く振った。

 剣が少年の胸をえぐった、と見えたのは錯覚で、ふわりと跳び上がった少年は、端の向こう側の地面に着地した。

 つまりまったく後ろを見もせずに、四歩か五歩ほどあるこの川を飛び越えてみせたのである。

 こうなると、恥辱もさることながら、攻撃意識が刺激され、アリアシアは次の一撃を放つべく橋を渡ろうとした。

 そのとき、道の向こうにリー=ウェンの姿が見えた。

 アリアシアは攻撃姿勢のまま、ぴたりと動きを止めた。

 少年も振り返ってリー=ウェンのほうを見ている。

「人の家の庭で決闘などするな。よそでやれ」

 というのが帰り着いたリー=ウェンの第一声だった。






 3


「父上。女性に屋外で食事をさせるなど、感心しません。家の中で食べる許しをあげたらどうですか」

「知らん。こいつが勝手に来ているんだ」

「でも、お弟子なのでしょう」

「弟子なんかではない。俺の練習を見ることを許しているだけだ」

「それはすでに弟子です」

 男二人のやり取りを耳にしながら、アリアシアの頭は最初に聞いたひと言を理解しかねて堂々巡りしていた。

——父上?

——ちち?

——親?

——父親っ? 父親だと!

 このときまで、アリアシアはリー=ウェンの年齢は二十代の後半だと思っていた。つまり自分と十も違わないと思っていたのだ。だがこれは少し考えれば分かることで、二十代の若さで王府サマルカのバーカリエド道場の筆頭弟子になれるわけがない。

 アリアシアはなし崩しに家の中に入り、勧められるまま椅子に座って、父と子が自分のことを話し合うのを、遠い世界の出来事のように見つめていた。

 ふと気が付けば、男二人の話題はすでにアリアシアのことから離れていた。

「いつこっちに来たんだ」

「三日前です。昨日コルドに案内されてここに来てみたのですが、お留守のようなので出直してきたのです」

「店の跡継ぎになったんじゃないのか。その格好はどうしたんだ」

「店の跡継ぎになったんじゃないのか、とはまたごあいさつですね。本人には内緒で息子を売り飛ばしておいて。いやまあそのことはいいんです」

 その格好というのは、少年のいでたちのことだろうか。白い上下に革のベルトを着け、細剣を佩いている。つまり騎士の格好だ。

「売り飛ばしたとは人聞きが悪いな。お前は店主の孫なんだから、店の跡取りになるのに何の問題もない。何の問題もないどころか、そうすることで八方丸く治まる。十八歳というのは、商売を覚えるには少し遅いくらいの年だ。剣などすっぱり捨てて商売の勉強に励め」

「剣以外何も教えてくれなかった人に言われたくありません。いや。商売は嫌いではないのです。しかしあの叔母上が」

「いじめるのか」

「かわいがり過ぎるんです、私を。やたら構ってきて、うっとうしいことこのうえありません。しかも、自分を母と呼べとうるさくて」

「ああ……ご愁傷さまだな」

「だから父上には言われたくありません」

 十八?

 十八歳だと?

 この少年が。

 アリアシアの頭は、この新しい情報に混乱していた。

 十五歳ぐらいだと思っていた。とても優しくて柔らかい顔立ちをしているからだ。

 だが実際に近寄ってみると、十九歳のアリアシアと身長は変わらない。いや、ほんの少し少年のほうが高い。いや、少年ではない。青年だ。アリアシアとほとんど同じ年なのだ。

「少しよその土地の水も飲んでおいたほうがよいだろうというので、コルドの所に来させてもらったのですよ。コルドの店で勉強です。幸い、叔母はここに父上がおられるとは知りませんからね。いやいやながら賛成してくれました」

「お前、コルドの店で修行するといっても、全然そんな姿をしていないじゃないか」

「商売そのものの勉強をするとは言ってません。社会勉強です。しばらくのんびりさせてもらいます。でも体がなまるのはいやですからね。ここに修行に来させてもらいますよ」

「来るな。俺は静かに暮らしたいんだ」

「ずいぶん変わったものですね。でもお弟子は取っているではないですか」

「だからこの女は弟子などではない」

「そんなことはともかく、久しぶりに剣を見せてください」

 少年が、いや青年が伸ばした手に、リー=ウェンは自分の剣を取って鞘ごと渡した。

 青年は剣を鞘から抜くと、物も言わず、じっと見つめた。

 ずいぶん長いこと、沈黙のまま剣を見つめると、やがて鞘に収めてリー=ウェンに返した。

「ふうー。やはり素晴らしいですね。初代ヴァンプーサは。実にいい。この前も店に初代ヴァンプーサの剣というのが入ったので見せてもらったのですが、全然これとは格が違いました。まあモルダイトではなく普通の鋼でしたが、それより何より剣としての気品がまるで違いました」

「そうか。まあ俺はほかのヴァンプーサなんて知らんがな。この剣は気に入ってる。そんなにこの剣が気に入ったのなら、俺が死んだあとこの剣はお前に譲ることにするよ」

「それは楽しみです」

「ヴァンプーサですって? しかも初代ヴァンプーサ? アムエル・ヴァンプーサの剣なのですかっ?」

 急にアリアシアが会話に参加した。何しろ、名工を輩出したヴァンプーサ工房の中でも、初代アムエルの名は格別だ。アムエルが鍛えたというだけで、その剣には途方もない値が付く。所有できるとしたら州公や大貴族ぐらいだ。こんな所にあるはずがない。あるはずはないのだが。

「そうだ。アムエル・ヴァンプーサが鍛えた剣だ。お前毎日俺が振るのを見ていたじゃないか」

「ちょ、ちょっと。私にも見せてください」

 リー=ウェンは、少しいやそうな顔をしながらも、鞘ごと剣をアリアシアに渡した。アリアシアは震える手でそれを抜いて、目の近くにかざした。

「あ、こら。息を吹きかけるんじゃない。鼻息が荒いぞ」

 リー=ウェンが注意する声も耳に入らない。

 素晴らしい。

 素晴らしい剣だ。

 アリアシアの父ワジシン・コンクルドはキスト鎮台で交武番頭の要職を務める騎士である。つまり国家第二の軍事施設で武具の管理をする部門の責任者なのである。当然、アリアシアも小さいころから良い武具を見慣れている。

 そのアリアシアにして、これほどの剣はあまり記憶にない。

 何とも美しい細剣だ。

 いや。

 細剣というには幅も厚みもある。

 この剣ならあるいは鉄の鎧さえ切り裂けるのかもしれない。

「ところで父上。こちらのお弟子さんの名は何といわれるのですか」

「名前だと。……あれ?」

 リー=ウェンは考え込んだが、アリアシアの名を思い出せないようだ。アリアシアにはこれがこの日一番の衝撃だった。





 4


 その翌日である。

 アリアシアはガイナルン道場に足を運んだ。

 昨日は楽しかった。リー=ウェン親子の会話に巻き込まれ、そのうち腹が減ったとリー=ウェンが言いだし、三人でハルバスに店に行ったのだ。ハルバスの店は安くてうまい。客も気持ちのよい人ばかりだ。下街の階層の人間ばかりではあるが。

 リー=ウェンの息子はキーリン・エスパンタ・クエストという名であった。エスパンタという家名はリー=ウェンの妻の実家のものである。商家だというのに家名を許されているのだから、相当の豪商なのだろう。

 リー=ウェンの妻というのはもう死んでいるようだ。妻の実家にはもともと男の子がいたのだが、成人する直前に死んでしまった。それで跡継ぎにキーリンを迎えた、というような事情であるらしい。

 キーリンに勧められて少し酒も飲んだ。キーリンは話題が豊富で、しかも剣の技に詳しい。幼いころからリー=ウェンに仕込まれてきたというのだから、それも当然である。

 あんなに心ゆくまで剣談義ができたのは初めての気がする。とにかく楽しかった。店主の娘サーシアの冷たい視線も気にならないほどに。

 その勢いに乗って、今日は道場にやって来たのだ。嫌なことはとっとと済ませてしまうに限る。

 練習が終わるころを選んだ。練習に参加し、ゴープスの指導を受けてしまえば、門下生であるという形ができてしまう。それでは縁を切る話がしにくい。

 この日、ゴープスはひどく低姿勢だった。

 練習が終わったあと、アリアシアを奥の客室に招いて、茶と菓子を出したのである。

 やがて練習の汗を落としたゴープスが客室に来た。副師範二名も一緒である。

「やはりアリアシア殿がいると、稽古場の華やかさが違うな」

「さよう、さよう。皆もよいところを見せようと、ずいぶん頑張っていた。稽古の能率も違いますな」

「まったくその通り」

 三人で口裏でも合わせているかのように、アリアシアを持ち上げている。

「いや、これは冗談ではない。アリアシア殿と一緒に稽古ができるということを励みにしている者も多いのだ」

 どうも話の流れがよくないと思ったアリアシアは、一気に本題に入ることにした。

「ゴープス殿。道場主に選ばれたとのこと、お祝い申し上げます。私はイウェド先生に私淑して道場に通っていた者ですから、もう今後はこの道場に足を運ぶこともありませんが、遠くから道場の繁栄をお祈りしております」

「なんと、それは残念。しかし剣をやめるつもりではあるまい」

「剣の修行はやめません。ようやく本当の面白さが分かりかけてきたような気がするのです」

「そうであろう。そうであろう。ならば縁を切るとはいわず、時々はこの道場でわれらと剣を交えてはどうかな」

 もう次の師匠を見つけたのだと言いかけて、アリアシアは思いとどまった。ひとつには、まだ正式の弟子になったわけではないからである。もうひとつには、まさかとう思うが、ゴープスたちがリー=ウェンにいやがらせをすることもありはしないか、と危惧したからである。

「アリアシア殿。実はあなたに提案がある。どうだろう。当道場の副師範になってはくれまいか」

 これには驚いた。アリアシアは、体力勝負の乱闘ならいざしらず、技の冴えだけでいえば、道場でぎりぎり八本の指に入るかもしれない、と自己を評価していた。だが、今目の前にいる三人は物が違う。この三人にはまったく歯が立たない。それなのに副師範にというのだから、これは不審に思って当然である。

「いや。体力や勝負強さということでいえば、失礼ながらアリアシア殿は二人の副師範と肩を並べるには至らない。しかしアリアシア殿は、亡きイウェド師との付き合いが長い。もっともよくその技を継いでいる。また、師の剣についての考え方、指導の言葉などを語ってもらえれば、この道場のよき財産となり、門下生たちのためにもなると思うのだ」

 なるほどそうかと喜んでよいような申し出である。しかしアリアシアは、心の中で眉をしかめた。

 うさんくさいのである。とにかくゴープスの声もしゃべり方も、うさんくさい。この言葉はゴープスの本音ではない、と直感が教えた。

「とても私には務まりません。私ごときが、イウェド先生がこうおっしゃったとか、こう指導されたとか口にするのは不遜の極みです。それに私は人に教えるような段階ではありません。まだまだこれから一修行生として剣を精進してゆきたいのです」

「ふむ。剣の修行は続けたいのに、この道場とは縁を切るという。アリアシア殿。新しい師匠を見つけたか」

 こう正面から訊かれては、ごまかすこともできない。

 アリアシアは、はい、と答えた。

「アリアシア殿。これを見るがいい」

 ゴープスは立ち上がって、部屋の飾り棚から袋に入った剣を取った。

 仰々しく飾ってあるので、あれは何かと気にはなっていたのだ。

「これはイウェド先生の形見だ。聞いて驚くな。ヴァンプーサだ。しかも初代のアムエルの手による銘剣だ」

 嘘だ、とは言わなかった。

 だがアリアシアはそれが嘘だと知っていた。

 イウェドの持っていた剣は何本かあるが、いずれもコンクルド家に出入りの商人から安く買ったものである。

 その中でもクライジン・ソーサーの剣はなかなかの掘り出し物で、イウェドもいたく気に入っていた。

 またイウェドは手持ちの剣を時々研ぎに出したが、これもコンクルド家を介したので、アリアシアはイウェドが持っている剣はすべて知っている。

 道場の箔付けに銘剣を飾る、ということはままある。特にヴァンプーサの剣ともなれば州公や大貴族の持ち物であるから、道場に飾ってあるとすれば、道場主なりその祖先が大きな手柄を立てて拝領したものだということになる。

 だがイウェドの家は代々下級の士分だったはずで、本人もそれを別段卑下してはいなかった。

 それにしても、初代ヴァンプーサとはあまりに虚勢を張りすぎである。話が大きすぎて、逆に真実味がない。

——いったいどうして初代ヴァンプーサなどという……あ!

 思い出したことがある。

 一昨年の年始の祝いの席でだったか。弟子たちの中の誰かが、酔った勢いで、

「この道場には飾りとするような銘剣はないのですか」

 とイウェドに訊いた。

 イウェドは笑いながら、

「おお! あるとも。初代ヴァンプーサがある」

 と言い、場は大いに沸いた。

 あの言葉を真に受けたのだろうか。

 そういえばあるのだ。確かに初代ヴァンプーサをイウェドは持っている。

 ただしそれは柄の部分だけなのだ。これはコンクルド家に伝わっていたもので、確かに銘の部分は残っているが、剣身がないのだから何にもならない。

 ところがイウェドは、「この握り心地は素晴らしい」と褒めちぎり、アリアシアの父からその柄を譲り受けてしまった。

 時々握っては、その握り心地を味わっていたという。

 だが初代ヴァンプーサがあるなどと言ったのは座興であり、そもそもイウェドはそんなことで箔付けをするような考えは持たなかった。

「この初代ヴァンプーサに恥じぬよう、これから大いにこの道場を盛り立ててゆきたい。どうだ、アリアシア殿。手伝ってはくれぬか」

 銘剣で道場に箔付けなどするのはばかばかしいことだ。だが時に田舎ではこのばかばかしい箔付けが大いに効果を発揮する。つまり客寄せとしてだ。ゴープスは大いに門弟を集め、金もうけをしたいのだろう。

 しかしそれにしても、このヴァンプーサもどきはどうしたのだろう。

 たまたまゴープスが持っていた。いや、そんなことは考えられない。

 買った、ということももちろんあり得ない。家どころか城が建つほどの値になるし、そもそも初代ヴァンプーサを持っている人間が、それを手放そうとするはずがない。

 アリアシアは、急にこの剣の正体に興味が湧いてきた。

「ゴープス殿。このヴァンプーサを抜いてみてもよろしいか」

 アリアシアの申し出に、ゴープスはにやりと笑ってうなずいた。見せるだけの自信があるということだ。

 ゴープスはいかにも仰々しくヴァンプーサをアリアシアに渡した。

 アリアシアは、ヴァンプーサを抜いた。

 鞘から現れた剣身は、光り輝いている。

——なんだ、これは。

 派手だ。

 ただただ派手な剣身だ。

 ぎらぎらときつい光を放っている。

 いっそ見事なほどの輝きだ。

 何かの薬剤でも塗ってあるのだろうか。

 そこには銘剣の持つ落ち着きはない。

 見てくれだけの、こけおどしの輝きがある。

——いや。しかし私も。

 もしも直前に本物のヴァンプーサを見ていたのでなかったら、どうだったか。

 この安っぽいまがい物の輝きに目を奪われはしなかったか。

 ごく幼いころから本物の武具を見て育ったアリアシアにしてそうなのである。

 剣の道に秀でているといっても、よい剣を見慣れているとは限らない。

 おそらくゴープスは、これが相当の銘剣だと思い込んでいるのだ。

 しかし、銘は確かめなかったのだろうか。

 見たに違いない。

 見たうえで初代ヴァンプーサだと信じているのだとしたら、そのように銘が刻んであるということだ。

 つまり完全に偽物ということである。

 騙されているのだろうか。それとも偽物と知っているのだろうか。

 どちらにしてもはっきりしているのは、これはイウェドの残した剣ではないということである。

 そのことをゴープスは百も承知であるくせに、これがイウェドの遺産だなどと言いふらしているということである。

 アリアシアは、何もかもがばかばかしくなってしまった。

 剣を鞘に戻すとゴープスに返した。

 ところがそのとき、ゴープスが言った。

「アリアシア殿。師の剣を見た以上、道場をやめるということはできぬぞ」

 かっ、と血が頭に上るのを感じた。

 思わずアリアシアは言い返していた。

「私の新たな師も初代ヴァンプーサを所持しておられる。しかもモルダイト鋼製だ」





 5


「それでどうして俺がそのゴープスとかいう男と決闘をしなくてはならんのだ」

 ひたすら頭を下げるアリアシアに、リー=ウェンが言葉を投げつける。

「だから父上。どちらのヴァンプーサが本物か決着を付けるためですよ」

「あちらのヴァンプーサが本物だろうが偽物だろうが構わないではないか。由緒ありそうな剣を見せびらかして門弟集めをすることなど、珍しくもない。そうでなくても田舎で道場をやっていくのは厳しいのだ。見逃してやれ」

「そのゴープスという剣士は、アリアシア殿に道場に残ってほしいのです。そのためには、あちらのヴァンプーサが本物でこちらのヴァンプーサが偽物でなくてはならないのですよ」

「それなら鑑定屋を呼べばいい。ちゃんとした鑑定師が訪ねてきたら、俺も剣を見せてやらないでもない」

「それは見栄えの悪い方法ですね。みんなの前で堂々と対決して偽のヴァンプーサとその使い手をたたきつぶしてこそ、門弟たちにも受けるし宣伝効果もあるというものです」

 リー=ウェンは、まじまじと息子を見た。

「そのゴープスとかいう剣士は、俺に勝てると思っているわけか」

「田舎道場で天狗になっているやつなど、そういうものですよ。実際この辺りにはイウェド・ガイナルン師が道場を開くまで、まともな道場はなかったのでしょう」

「いや、そんなことはない。いくつか、小さいがなかなかの道場がある」

「えっ。そうなんですか。あとで教えてください。ところで決闘の申し込みに返事を書かなくちゃいけないんですが、明日の昼にサイサスの河原ということでいいですね」

「こら、勝手に返事を書くな。というか、どうして俺がゴープスというやつと決闘しなくてはならんのだ」

「だから弟子のためでしょ」





6


「ガイナルン道場の道場主、ゴープス・オイラーである」

「バーカリエド道場出身、リー=ウェン・クエストだ」

 リー=ウェンは、不機嫌かつ無気力な状態だった。

 闘志まんまんのゴープスは、それを見てあざ笑った。

 何しろ体格はゴープスのほうが二回りも大きく、筋骨は隆々である。

 しかもリー=ウェンの態度は、いかにも気乗りがしていない様子であり、つまり自信がないのだ、とゴープスは受け止めた。

 バーカリエド道場出身という名乗りも、額面通りには受け取っていないだろう。

「貴公の剣も、初代ヴァンプーサだそうだな。しかもモルダイト鋼製の」

 三十人ほどもいる観客が笑い声を立てた。田舎の貧乏騎士が持っているような剣ではないのであり、つまり誰も本当だとは思っていない。むろん観客はすべてガイナルン道場の門弟たちである。

「それが本当かどうか、確かめて進ぜよう」

 ゴープスは剣を抜いた。

 剛剣である。

 リー=ウェンも剣を抜いた。

 ゴープスの剣と比べれば、はるかに細い。

 長さもかなり短い。

 いきなりゴープスは襲い掛かってきた。

 左上から右下へ、右上から左下へと、息もつかせぬ連続攻撃だ。

 リー=ウェンは後退しながら体をひねって相手の攻撃をかわした。

 そしてゴープスが勢いをつけ直すため、剣を右肩の上に引き上げようとしたとき、リー=ウェンの剣が一閃した。

 鋭く甲高い破砕音が鳴り響き、ゴープスの剣は粉々に砕け散った。

 ゴープスもリー=ウェンも、そしてアリアシアもガイナルン道場の門弟たちも、あっけに取られた。

——ガラス、なのか? ガラスに銀を混ぜ込んだ剣だったのか? 妙な輝きだとは思ったが。

「俺はこれで失礼する」

 リー=ウェンは剣をしまい、ゴープスに一礼すると、きびすを返して歩み去った。

 これで面倒事は終わりならいいのだがな、と思いながら。









(「果たし合い」完)

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