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第二話:流産~性転換の代償

>>薫

 妊娠期間が7ヶ月目に入り、明らかに妊婦だと判る位お腹が大きくなった頃、僕は5回目の検診を行う為に、近所にある坂上産婦人科を訪れていた。

 体重測定や尿検査などをいつも通り順調に終え、最後に先生による問診とお楽しみのドップラー検査を残すのみとなった。ドップラー検査では、普段超音波検査で見られる赤ん坊の映像以外に、子供の心音まで聞く事が出来ると聞いていたので、心弾ませながら僕は医師のいる診察室の扉を開けた。


 お腹の中にいる子供が男の子だと発覚してから、僕の周囲の環境は大きく変わりつつあった。

 夫の和樹には、以前何所かで書いたように、元樹という5つばかり年が離れた実兄と、同い年の洋子という伴侶、僕から見たら義兄と義姉に当たる身内がおり、二人の間には綺羅羅という名前の、今年確か4歳になる娘が居る事には居るのだが、義理の両親にとっては初孫に当たるその娘を、義父も義母も余り可愛がっていない、という愚痴を義姉から度々聞かされる事があった。

 と云うのも、新しく興った方の家の割には義父も義母も古い考えを持っている人らしく、跡取りは自分の家の男児で無ければいけない、と頑なに考えていて、会社の跡取りである義兄の妻である義姉に、早く男の子を産め、と再三催促し、その為に義実家で義理の両親と同居している義姉には相当大きな精神的な負荷が伸し掛かっている様で、お義姉さんからそう云う愚痴を電話で聞かされる度に、大変だなあ、と他人事の様に僕は聞き流していた。

 ところが、僕の胎内にいる子供が男の子だと判った途端、今まで然程接点を取らずに距離を置いていた義実家に夫と共に頻繁に呼び出され、却って不信感を募らせてしまう位夫婦揃って歓待される事が増え、怖くなる位義両親からお腹の子供と我が身を気遣われるようになった。

 逆に義父や義母は義兄夫婦に興味が失せた様に関わりを持たなくなり、かなりぞんざいに扱う事が多くなっている様だった。

 要するに、義両親が望む男の子を僕が身籠った事で、義実家の中での僕ら夫婦と義兄夫婦の立場が180度大逆転してしまったようなのだ。

 これは僕にとっては相当大きな誤算だった。いや、勿論義理の両親はとても喜んで良くしてくれるし、和樹の方も、本来の後継者である兄を抑えて出世が出来るチャンスが巡って来た所為か、非常に機嫌が良いのは結構な事なのだが、本来長男夫婦に巡るべき家を背負うという精神的な負担と責任が肩の上に伸し掛かってきて、何の為に次男坊と結婚したのか分からないような状況になってきたり、たかがその程度の事で足元を掬われる苦境に立たされつつある義兄一家に陰から恨み辛みを囁かれたりと、却って以前よりも心労が増えたような気がして、このところずっと落ち着けないでいた。


 だからという訳では無いが、マタニティー関連の雑誌等を読みながら子供が生まれた後の生活を夢想してみたり、何週間かに一度定期的に通う妊娠検診を受ける度にお腹の中の胎児が順調にすくすくと育っている事を実感したりする事がここ最近の数少ない僕の楽しみになっていた。

 勿論、お腹が大きくなるにつれて体も重くなって動き辛くなり、車の運転もやり難くなる等日常生活に多少の不便も感じてはいたが、胎内で小さな命を育てる感覚なんて男の時には絶対に味わえない事であるだけに、たまに赤ん坊が胎盤の中で動くだけでも、とても新鮮な体験で興味深く思えた。


 そしてこの時も、今回はどの位大きく育ったのか、と楽しみにしながら僕は坂上先生の前にある患者用の白い布が張られたガス圧式の丸い椅子に腰掛けると、

「先生、今日も宜しくお願いします。」

と言って頭を下げた。

 坂上先生はここの産科の院長であり、少しメタボで頭が禿げていて眼鏡を掛けているどこか憎めない風貌と患者の意見をよく聞いてくれる気さくな性格、同業者の父親に言わせればかなり的確な助言をしてくれる事から、僕はこの先生に信頼を寄せていたし、この時も何の問題も無く臨月・出産に向けての相談をして頂き、受付で会計の序に次回の検診の予約を入れる心算だった。

 坂上医師は検診の途中経過を書いた電子カルテを一瞥してから、

「う~~~~ん…………今までのところ、今回の検診も赤ちゃんにもお母さんにも問題があるところは無さそうですね!それでは問診と浮腫検査を始めますね。……それではお腹を見せて下さい。」

と、いつも通りの診断を始めたので、僕も服を捲って大きな腹を先生の方へ見せた。

 先生は軽く触診をして、

「よし!オッケー!」

と言うと、今度は聴診器をボテ腹に当て、

「は――い。今日も赤ちゃんは元気かな?」

と、腹の中の子に笑顔で語り掛けながら胎児の様子を調べ始めた。が、すぐに、

「うん?」

と言って突然笑顔が曇り、真剣な表情になり、電子カルテを時々覗き込みつつ深刻そうに僕の腹の彼方此方を触ると、何かを確信したのか急に立ち上がると、

「榊君!榊君!」

と検査室の方に大声を掛けて中にいた若い女性の検査技師を呼び出すと、彼女の耳に何か囁いた。

 耳打ちされた検査技師は一瞬驚いたように瞳を大きくして院長の顔を覗き見たが、すぐに笑顔に戻って僕の方へ振り向くと、

「お待たせしました。それではドップラー検査を行いますので、このまま検査室の方へお越しください。」

と言って、検査室の方へ行ってしまった。

 慌てて立ち上がって検査を受けに検査室へ向かうと、何故か彼女は子供の心音を聞かせてくれはしなかった。

 腑に落ちないまま診察室に戻ると、鬱屈とした感じでカルテに目を通していた坂上医師から、

「急な事で申し訳ないが、少し厄介な問題を抱えているらしい疑いが出てきたかも知れないから、念の為に詳しい検査結果が分るまで入院して下さい。」

と、一方的に命じられ、全く事態が飲み込めない内に着の身着のままで入院させられる羽目になってしまった。


 CTとか、遺伝子検査とか、色んな検査を受けさせられてへとへとになった上に、急な入院で何も用意していなかったから、

「お仕事が終わった後で構いませんから、下着とかの着替えを幾つか持って来て頂けませんか。あと、申し訳ないのですけれど、家に帰れそうにないから当分は家の事もお願いします。」

と、頼んだだけなのに、

「お前の所為で、今日飲みに行く約束を取り止めなきゃいけなくなったじゃないか!」

と夫にも切れられて、泣き面に蜂というか、個人的に散々な目にあった翌日、病室のベッドに横たわっていた僕の前に、やはり深刻そうな面持ちを崩していない坂上院長が現れ、

「富士之宮さん、検査結果が判りました。」

と伝えた。

 先刻からの周りの医師や看護婦の態度や行動から、不穏な気配をビンビンに感じていたので、恐らく僕にとって良い知らせでは無いだろう、と直感して僕は固唾を呑んで院長の次の言葉を待った。

 余程言い難い事なのか、院長は目を泳がせながら厳しい表情で口籠っていたが、真剣な眼差しで彼を見据えた僕の様子を見て覚悟を決めたのか、躊躇いながらも口を開いた。

「富士之宮さん……。私達としても大変申し上げ難いのですが……、残念ながらお腹の赤ちゃんは亡くなっています。」

「…………っ?!」

 突然の死亡宣告に思考が追い付いていけず、僕は頭の中が真っ白になった。

「原因は今のところ判りませんが、精密検査の結果、あなたの胎児に生存反応が無い事は明白です。」

 突き付けられた事実を到底信じる事が出来ず、

「そ…そんな……。う、嘘!嘘ですよね?!……先生!」

と、僕は必死に院長に縋り付いた。だが無情にも、何かを答える代りに、院長は自身が持っていた電子カルテがモニターに映ったタブレット型の電子機器を僕の目の前に差し出し、無言のままカルテを見るように促した。そして、検査結果の数値を示したりCT画像や心電図を見せたりしながら、これらからどうやって赤ん坊が死んでいると結論付けたのか、素人にも良く理解出来る様に懇切丁寧に解説してくれた。

「ですから、赤ちゃんが死んでいると判った以上、このままの状態だと母体にも悪影響が出る可能性があります。」

 そして、坂上医師はそこで言葉を切り、大きく息を吸い込むと、

「堕胎しましょう。」

と、非情にも僕にそう宣告した。


 為すがまま分娩台の上に寝かされた後左腕に子宮収縮剤を点滴され、激しく躍動する子宮と強引にこじ開けて広げられた子宮口や性器の所為で下腹部に走る例え様がない程酷い激痛に、耐えきれずに無様な位泣き喚いて暴れながら、僕は赤ん坊の遺体をひり出した。

 瞼の中いっぱいに溜まった涙で霞んでよく分からなかったが、産み落とした時、腐臭が漂って来そうな赤紫色に染まったおぞましい肉塊が視界の端にぼんやりと見えた。


 分娩室から病室のベッドに戻されて全てが終わった時、僕は喪失感のあまり廃人の様に我を失い、泣く気力すら起こらずに、平たくなってしまった自分の腹の辺りをただぼんやりと見つめていた。

 そこへ追い討ちを掛けるとでも云うかのように、ハンドバッグの中の自分の携帯が鳴り出した。

 病院で携帯の着メロが鳴り響いている事に抵抗感があったが、幸い個室で僕以外の人間は部屋の中に居なかったし、電子制御に異常が起きて困る様な治療を受けている訳でもないので、少し位なら……と思いながら僕はバッグから携帯を取り出して誰が掛けて来たのかを確かめた。電話の相手は葵姉ちゃんだった。

 葵姉ちゃんの事だ……こういう事を素直に言うと、物凄く心配して針小棒大に騒ぎ立てるところがあるから、今は大げさに構われるよりも心の整理が一段落着くまでそっとして欲しかった僕は電話を取ると、

「もしもし、葵姉ちゃん?」

と、努めて明るく振舞いながらマイクに向かって話し始めた。

「もしもし!クーちゃん。ちょっと聞いて、聞いて!」

と、電話の向こうの葵姉ちゃんは、普段は落ち着いた姉御肌の彼女にしては珍しく、余程嬉しい事があったのか、まるで庭先を走り回る仔犬の様なテンションで此方に話し掛けて来た。

「どないしたん?お姉ちゃん。そない浮かれて……何か良い事でもあったん?」

と、久し振りにお国言葉を使いながら僕は従姉に尋ねた。


 葵姉ちゃんは、彼女の性格的に有り得無さそうだったので当時知った時はとてつもない衝撃を受けたが、地元の横浜の大学に通っていた時知り合った佐藤 誠という同学年の男性と、大学3年の時に学生結婚をし、今はこっちの籍に入って祖父の家の会社の社員となり、彼女の実父で、僕から見れば母の実姉の夫、つまり伯父の下で働いている誠さんと共に横浜にあるマンションの一室に暮らしていて、僕が見る限り自分達夫婦よりも精神衛生的に幸せそうな暮らしを送っている風に思えた。


 この時も、誠さんが伯父や祖父に認められたのか、それともまたこの夫婦の惚気話を一方的に聞かされるのかと思ったが、葵姉ちゃんは思いも寄らぬ事を口にした。

「わたしもね。赤ちゃんが出来たみたいなのよ。」

「え………………?」

 なんて返事をすればいいのか判らなかった。いや、勿論ここは常識的に考えてお祝いの言葉を送らなければいけない事は分かっていた。だが頭の中では理解出来ていても、心の中でそうする事を僕は躊躇した。

「どうしたの?」

と、不思議そうな感じで葵姉ちゃんが尋ねて来たので、僕は慌てて、

「え?…ううん、何でもないわ。良かったね、お姉ちゃん。おめでとう!」

と、精一杯取り繕いながら答えた。


 でも、ここまでが限界だった。その次に葵姉ちゃんから発せられた、

「ええ、クーちゃんも。2人で一緒に元気な赤ちゃん、産もうね。」

と云う言葉が耳に入って来た途端、まるで突然決壊したダムのように両の目尻から涙があふれ、堪え切れずに嗚咽を漏らしながら、僕は病衣や掛け布団の上に大きな染みを作りつつ人目も憚らずに泣き出してしまった。

「葵姉ちゃん……あのね。……赤ちゃんが……赤ちゃんが…………。」

 最後まで言い切る事は全然出来なかったが、葵姉ちゃんは賢い人だから、僕の普通じゃない様子から全てを悟ったのか、

「クーちゃん…………。」

と、戸惑いながら言いつつも、

「そう……そうなの……。ごめんね。知らなかったとはいえ、わたし…こんな話をしてしまって……。」

と謝った。

「ううん……いいの……お姉ちゃんの所為じゃないもの…………。でも…わたし……どうしたら…………。」

「うんうん……辛かったでしょう?辛かったよね……。このお姉ちゃんが受け止めて上げるから、今日は思い切り泣きなさい。たくさん泣いてスッキリすれば、時が解決してくれる事もあるから……。」

 そうやさしく諭されて、

「うわああああああああああ―――――――――ん…………!」

と、大きな声を上げて布団に顔を埋め込みながら、僕は小一時間泣き続けた。


 そんな事があった翌日、未だに塞ぎ込んでいる僕の所へ院長が回診の為に訪れた。

 病室に入って開口一番、

「この度は…ご愁傷様でした……。」

と口にすると、この前以上に真剣な顔つきになって院長は僕にこう質問してきた。

「ところで…富士之宮さん……。あなた……以前は男性だった…という事はありませんでしたか?」

「…………??!!」

 突然の不意打ち以上に、何故この先生がその事を知っているのかが分からず、僕は身構えて思わず院長を睨み付けた。

「失礼ですけれど、どちらでその事を……?」

と、恐る恐る尋ねると、

「やはりそうですか……。」

と、納得したようにそう言うと、僕の様子など気にする風でもなく話を続けた。

「いや、そう云う事ならいいんです。何分プライベートな事ですからね。ただ、私としては原因が判ってスッキリしました。」

「原因…ですか?」

何の事か判らず、訝しく思いながら僕は院長に尋ねた。

「あなたの赤ちゃんの突然死ですよ。あの後胎児の遺体から採取した細胞をDNA検査に掛けた結果からもしやと思ったのですが、やはりそうだったのですね。やっと納得できましたよ。」

「はあ……。あの……どういう事なのでしょうか?」

「性決定遺伝子が両方ともY遺伝子だったんですよ、あの子。」

「は?……はああああああああああああ?!」

世間話でもするように、あまりにも普通な感じで院長が言ったので言われた瞬間は理解できなかったが、その内容のとんでもなさ加減に気が付いた途端、僕は仰天して大声を上げてしまっていた。

 相同染色体以外の性決定遺伝子の並びがXYでもXYYでもなくてYY?何それ?と、少しでも生物や遺伝子を齧って来た者なら、有り得ないとすぐに一蹴するような馬鹿げた事を大真面目に聞かされて、僕は少なからず面食らった。

「有り得ませんわ、そんなの……。XYYだとかそう云う事ではないのですか?」

「いえ、Xなんてありませんでした。間違いなくYYです。」

「でも、そんな事が……信じられない…………。」

「私も驚きましたよ。長い事医者をやって来ましたが、こんなの初めての事ですからね。……ただ、あなたが元々男性だった、と仮定すれば全て説明を付ける事が出来ます。」

「それで、さっきはあのような事を……。」

と、この期に及んで僕は漸く事情を理解した。


 確かに母親も男だったと仮定すれば、一応の説明をする事も不可能では無いのである。

 卵巣から卵管において行われる卵母細胞の減数分裂で、Y遺伝子を性決定として引き継ぐ二次卵母細胞が卵子として生き残れば、父親由来のY遺伝子を性決定遺伝子として受け継ぐ精子が受精する事で性決定遺伝子の並びがYYとなる個体を生み出す事が出来る。

 ただ、まかり間違えば血友病や色覚異常等、様々な遺伝病を引き起こす原因となる重要な遺伝子領域をカバーしているX染色体と比べ、Y染色体の殆どは遺伝学的に無意味、または制御部位不明の遺伝子砂漠と呼ばれる領域で占められている。普通に考えればまともに生育する事は不可能に違いないだろう。要するにあの子は死ぬべくして死んだのだ。僕は納得しつつも、言い様も無い悲しい気分に包まれた。


 だが、まだ院長の話は終わってはいなかった。

「富士之宮さんは……ひょっとして富士之宮製薬の性転換薬を服用されたのですかね?」

「え、ええ……そうです。」

「だとすれば……、今までもこう云う事があったのでは御座いませんか?」

 そう訊かれて、またしても僕は俯いて沈黙した。事実その通りだったからだ。

 僕の沈黙を肯定したと捉えたのだろう。

「はぁ…っ。」

と深い溜息を吐くと、

「富士之宮さん。あなたの様に、この手の薬を服用して性転換した人にはよくあるんですよ。こう云う事は……。」

と、院長は語り始めた。

「最初の症例は、性転換薬が定期服用型から完全体へと移行して1年経った頃かな……。だから3年程前になりますかね。産婦人科学会の発表会で、確か東大の木村先生の所の研究チームだったかな、性転換薬を服用して女体化した元男性の妊娠と流産の症例における演繹的な考察に基づく分析研究の経過報告と題した研究発表をやりましてね。」

「…………。」

「そこから早3年、このたった3年の間に全国津々浦々の大学や研究機関、医師達から続々と100件以上、あなたの様な元男性の妊婦さんの症例が報告されているんです。」

「…………。」

「大体はあなたの様に、安定期における原因不明の胎児の突然死及び流産。異常な高確率でのダウン症等の重篤な先天性の遺伝子疾患の発現。無脳症、単眼症、二分脊椎症その他重篤な先天奇形の高確率の発生……まあ、まともに生まれる事が出来た子供なんて殆ど皆無でしょう。」

「…………。」

「ついこの間まで、何故性転換した妊婦においてのみ、ここまで異常な妊娠が続発するのか判らなかったのですが、研究発表を重ねたり議論をしたりする内に最近だんだん事の全貌が見えてきましてね。」

 そこで一旦話を止めて坂上医師は僕に背を向け、病室に1つ付いている窓の外に見える景色に目を向けると、また話を再開した。

「結局、いくら男性器を女性器に変えて、子宮や卵巣を付けて見て呉れだけ取り繕ったところで、根本的に男の体は妊娠して子供を産み出すのに向いていないんですよ。」

「…………。」

「基本的に女性が妊娠すると、本来自分にとっては異物である子供を保護する為に、本能的に免疫力が落ちる現象が起きます。まあ、酷くなると悪阻だとか妊娠中毒を引き起こす原因にもなる訳ですが、兎に角そうなるように体が第二次性徴期の間に出来上がってしまっている訳です。」

「…………。」

「ところがどっこい。一方男の方にはそんな繊細な仕組み等持っていない上に、性転換薬はY遺伝子の性決定領域に作用して女体化を促す、つまり男としてのスペックをそのままに性別だけ女性に変化する訳だから、当然そういう仕組み等持ち合わせてはいない。」

「…………。」

「だから、受精して着床し、胎児になったとしても、母親の体の方の免疫機構が子供の体を自己とは異なる異物…抗原だと認識して攻撃してしまう訳ですね。ここで抗原抗体反応やキラーT細胞やナチュラルキラー細胞の攻撃に晒された結果、子供が命を落として流産する事になったり、悪影響を蒙る事で正常な発生や発育を阻害されて産まれた子供に重大な先天性奇形が発見される事になったりもする訳です。」

「…………。」

「加えて、性転換された方の場合、XとYの両方の性染色体を所持している為に、本来X染色体しか持っていない筈の卵子の中にY染色体を性決定因子としている不安定な物が現れ、それがそのまま受精して着床する事が50%という高確率で起こる事も、問題に輪を掛けて酷くしているようですね。恐らく性決定遺伝子以外の相同遺伝子が制御するDNA領域に関する遺伝病の発現も多いのもこの辺りに起因するのでしょう。」

と、一気に捲し立てると院長は僕の方へ振り返った。

「はっきり言って、一産科医の立場としてあまりこう云う事は言いたくはありませんが、富士之宮さんの場合、セックスによる自然受精及び自然分娩による出産は不可能、とまでは言いませんが、今後も非常に厳しいと思われます。」


 黙したまま院長の話を聞いていると、突然ぬっと院長が僕の方へ顔を近付けて来た。

 ビビって僕が後退ると、にこやかに笑いながら院長は僕にこんな提案をした。

「そこで、どうでしょう?もしもどうしてもお子さんが欲しいのでしたら、どこか大きな総合病院等で不妊治療を行ってみては如何ですか?宜しければ当院でも御相談に乗りますし、なんなら紹介状もお書き致しますよ。」

「ふ…不妊治療……ですか?」

 思わずそう訊き返すと、院長は僕の左側に回り込んでベッドの枕元の近くに座り、タブレット端末の画面をカルテから白いメモ帳に切り替え、タッチペンで色々書き取りながら意気揚揚と説明し始めた。

「まずは、そうですね……。てっとり早く富士之宮さんの卵巣から未授精の卵子を取り出して核を摘出し、富士之宮さんの体細胞から取り出した核を代わりに移植して、時期を見て子宮に戻し、着床させるというのはどうでしょう?」

「それって……わたしのクローンを作るっていう事でしょうか?」

「ま、一言で言えばそう云う事ですね。核もあなたの物、細胞質や細胞膜の組成もあなたの物、ほぼ完全にあなたの細胞と同一の細胞を持つ子供が出来る訳ですから、免疫機構による攻撃や拒否反応は、理論上一切起こらない筈です。手間もそれ程掛からない分、費用の方も安く済ます事が出来ると思いますよ。」

「え……ええ――――――……。」


 正直遠慮したいな、と思った。

 そりゃ、自分の子供は欲しいと思ったが、自分の分身が欲しいと思った事は一度も無いし、背格好どころか遺伝子や細胞質レベルでさえ自分と同一な個体なんて、想像しただけで気味が悪いではないか。それに自分自身のクローンであるという事は、必然的にそう遠くない将来、自分と同じ悩みを必然的に抱える危険性があるという事に他ならない。幾ら手っ取り早くてもそう云う方法を取りたくは無かった。


 表情から僕が不満に思っている事を察したのだろうか、院長はメモ書きを消すと、新しくまた何かを書き始めた。

「ん――――……それじゃあ、代理母出産はどうでしょう?誰かに卵子を提供してもらって、旦那さんから採取した精子と受精させ、それを第三者の代理母の子宮に着床させて出産させる。この方法だと卵子提供と受精は兎も角、代理母は国外で募集する事になりますから、その委託費用と卵子や受精卵の冷凍保存や輸送費用、その他諸々の経費によってお値段が跳ね上がりますが、確実に……。」

「お断りしますわ!」

と、僕は怒りに任せて院長に向かってそう叫んでいた。

 冗談じゃない。卵子も僕以外の物、実際に産むのも何処の馬の骨とも分からない女、精子だけ旦那の物だなんて、まるで旦那の隠し子を自分の子として育てる事と変わらないじゃないか。僕の卵子にY遺伝子が入っている可能性が5割もあるから使い様が無いとはいえ、どうして高い金まで払ってそんな罰ゲームの様な事をしなければならないのか意味が解らなかった。


 やれやれ、と頭を掻きながらまた書いた物を消し去ると、

「ですよねえ……。」

と呟きながらまた新しい説明を坂上医師は始めた。

「じゃあ、最後に自然分娩になるべく近い方法を説明しましょう。」

「あるのですか?そう云う物が……。」

 あるのなら最初からそれを説明して欲しかった。どういう方法なのだろう、と期待を胸に抱きながら僕は院長の次の言葉を待った。

「ええ、まずは旦那さんとのセックスに精一杯励んで下さい。」

「…………は?」

と、拍子ぬけて目を丸くしながら僕は坂上医師の顔を覗き見た。だが、先生は相変わらず真剣な顔つきのまま説明を続けていた。

「そして、生理が来ない、これは受精したな、と疑うような事があったらすぐに病院へ妊娠しているかどうか確認する為に受診しに来て下さい。そこから治療開始です。」

「…………?」

「妊娠を確認したら、こちらで薬を処方して人為的にお母さんの免疫機構を低下させ、免疫不全の状況下に強制的に置きます。」

「…………!」

「後は此方の指示に確実に従って生活・通院して貰い、必要なら入院して頂きます。多少費用は掛かるものの、切掛けは自然受精、最終的には帝王切開などの施術を行うにしろ、本来の妊娠に限りなく近い形で進むために費用も掛りませんし、根本的な原因を緩和する為に問題なく出産まで無事に辿り着ける確率が、何もしない時と比べて圧倒的に跳ね上がると思います。」

「…………。」

「ただし、勿論これにも重大な問題、というか欠点がありますよ。必要な処置とはいえ無理矢理免疫不全を引き起こす……つまりHIVに罹患したのと同じ様な状況下に体を置く訳ですから、もし万が一、母体が日和見感染を引き起こし、それが重篤化して合併症も引き起こしてお母さんが危篤状態にでもなった場合、最悪母子共に命を落とす可能性だってグッと高くなります。」


 僕は悩んだ、最後の方法は一見魅力的に思えたが、出産するまでの10ヶ月間そう云う危険に怯えながら精神的にも体力的にも耐えられるのか、はっきり言って自信が無く、僕は心の中で自問自答し、

「すみません。少し考えさせて下さい。」

と言って、結局問題を先送りにした。

 どちらにしろ、僕が子供を産むのは難しいという現実だけはこれでもかと突き付けられたのだ。それだけがはっきりと自覚出来ただけでも大きな収穫じゃないか。

「まあ、治療を行わなくても、ひょっとしたら奇跡的な確率で元気な赤ちゃんを出産する……という可能性が無い訳では無いのですから。……頑張りましょう。」

と言う、坂上医師の慰めとも励ましともつかぬ言葉を聞きながら、僕はそんな事を考え、一人で感傷に浸っていた。

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