kiss, kissy, kissing!
放課後よりも少し後。空が暗くなった頃。
校庭には後片付けのために少しだけ残った部活動の生徒。廊下にはほぼ人はいない、静かな校舎。
そんな静かな場所の、ある空き教室に、二人の影。
重なり合っては、離れる。そんな動きを何度も何度も繰り返してた。
空はオレンジ色なんていう色はもう消えかかり、夜の闇に夕焼けは溶け込んでる、時間。
時折漏れる濡れたような音に鼓動が跳ね上がる。嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちと、切ない気持ちで。
くらくらとしそうな行為に夢中になりながら……最初の言葉を、思い出した。
「なぁ、練習させてくれないか?」
そう、幼馴染みの稔は、ある日唐突に言い出した。
先日彼女ができたと、浮かれ切っていた幼馴染みの、突然のなにかの練習の申し出。
小さな頃―――もう幼稚園からの付き合いだから、十年以上の付き合いだ。
いつだって、なにをしたって一緒だった。高校に上がった今だって一緒。喧嘩なんて数え切れないくらいしたし、喜ぶことも悲しむことも一緒で、家も近いもんだから、並みの兄弟以上に仲良しの親友だった。
彼女ができたらお互いに最初に言おう―――そんな言葉を交わしたのはいつだったか、まさか先に稔に彼女が出来るなんて。
そして同時に、失恋するなんて。
いつからだったか、俺は幼馴染みの男に恋をしていた。
有り得ないと、そう思っていたのに、彼女が出来たと聞いたときは、その場に卒倒しそうなくらくらりと来たものだ。
その日の晩は、ずっと泣いていた気がする。
「なんの練習だよ」
痛む胸を押し込みながら、尋ねる。まだOKは出していない。
「キスの練習」
「…………は?」
あまりに予想外すぎて、ぴたりと思考が止まった。
意味がわからなくて、もしかして聞き間違いじゃないのかと確認したくなった。
「だから、キスの練習」
……どうやら聞き間違いじゃないようだ。鼓動が速まり出す。唇へのキスかどうかもわからないのに、緊張してしまいそうだ。
バレないように深呼吸をして、じっと稔を見据える。
「彼女いるんだろ?」
「だからこそ」
意味がわからない。首を傾げた。
「だーかーらー……初めての彼女で、経験ねーから、練習ってことだよ」
そういうことか……いや理解はしたけど、だからと言ってはいそうですかわかったよどうぞ、なんて言えない。好きな奴に。身代わりとは言えキスなんてされたら……。
「断る。俺は男だぞ」
とりあえず、建前で断る。
「わぁってるよ。風呂だって一緒に入ったじゃねえか」
「なら俺に頼むんじゃねーよ」
なまじ一緒の時間が長すぎるせいか、知らないことなんて、なにもなかった。
近すぎる幼馴染み。近すぎるから、気付くのが遅れた。この気持ちに。
有り得ないと否定をしても、自分の胸が何度も本物の気持ちだと痛みで示してくる。
「頼むよ。お前くらいにしかこんなこと頼めねぇんだって」
「…………」
手を合わせて頼みこんでくる稔。
胸が痛い。他の奴のためにこいつとキスをするなんて、胸が痛くて仕方がなくなる。
でも裏を返せば、きっとこいつとキスをする機会はこれ以外にないだろう。これを皮切にずっと一緒だった俺達の道は別れて、別の道を歩むことになるんだ。
「…………わぁーったよ」
とても長い間のあと、応える。
これは、餞別。
悲しい気持ちをなくすための、離れるための、餞別だ。
―――というのが、三日前の話。
そして今日、それが実行されてる。
「っ、たい……馬鹿っ! へたくそ!」
がしっと歯が当たる。お世辞にも上手とは言いがたいキスだった。お互い初めてだから、それも当たり前なのかもしれない。
「わり……その、つい」
何故か余裕なさげな稔。
「いいけど、よ。……もういいのか?」
まだ数回しかしていないけれど、これ以上は気持ちが高ぶってしまいそうな気がして、正直終わりにしたい。
「ダメだ。全然足りねー」
「んっ……ん、むっ……!」
そんな俺の気持ちを知らず、また稔の唇が重なってくる。けして柔らかいわけじゃない。普通の唇。でも、俺が望んでやまなかったものだ。
「ひゅ、ぇ…………むむぅ……っ……」
少しだけ息が苦しくなって、唇を開く。すると途端、ずるんとぬめった感触が滑りこんできた。それは想像容易く、勿論舌で。
キスの中にはそういうのだってあるというのはわかってる。でもそれもまさか練習のうちに入っているだなんて、思いもしなかった。
「ちょ、まっ……は……んんんーっ……」
拒みたいわけじゃないけど、少しくらい休みたい。というか、本当にこれ以上はまずい―――!
「……っはぁ……は……ぁ……」
暫くの間されるがままに唇の中を蹂躙されて、離された頃にはくたくたで、なんだか身体がふわふわとするような感覚だった。まともになっている心地がしない……というより、支えられていた。
「ば……か。こんなまでするとか聞いてね……」
「……だって、こうでもしないと……出来ないから」
……え?
今、なにか不思議な言葉が聞こえた気がする。
頭がぼうっとしてて良く聞き取れなかったけど……。
「今……なんて……?」
「だから…………っ……彼女だとか、嘘でもつかねーと、お前とキスなんて出来ないからっ……」
……何故だろう。あまりに頭がぼうっとしすぎてて、既に夢でも見てるんだろうか。いや、疲れているんだろうか?
「オレっ……お前のことが好きなんだっ!」
「……へ……?」
思わず間抜けな声を出してしまう。
有り得ない。有り得るはずのない言葉が聞こえてきたから。
やっぱり、夢なんだろうか。でもさっきの当たった歯の痛みはまだ残ってる。暖かなぬくもりも。ふわふわ浮かびそうな感覚も。
じゃあ、現実……?
「……本気……か?」
自然と声が震えてしまう。夢なんじゃないかって、でも夢ならこのまま覚めないまま眠り続けてもいいってくらいに嬉しい夢だ。
「本気だよ……オレは幼馴染みの男を好きになったんだ」
稔が視線を会わせない。動揺している証だ。長く一緒にいたから、そんな行動や癖がすぐにわかる。嘘なんかじゃ、ない。本気だ。
「……悪い。その、忘れてくれ」
そう俺が色々考えていたら、ぽつりと呟かれた。
「……無理だ」
ぶんぶんと首を振る。忘れない。忘れられるはずがない。
「そ……そっか。うん……だよな。もうこんなことしないから……友達ではいさせ―――っお、わ!?」
なにやら勘違いをしているらしい稔に抱きつく。もちろん、柔らかい身体ではない。俺よりガタイはいい方だし、運動部と言ってもおかしくないくらいだ。お互いずっと帰宅部だけど。
「無理だ……忘れたくない。俺も好きだから」
「………………え?」
恥ずかしさに顔が見られない。顔を稔の肩口に埋めて隠した。
対する稔は意味がわかってないのか、長い長い間のあとに疑問の声をあげただけだった。こんなに俺が恥ずかしい思いをしてまで伝えているのに、ひどい話だ。
でも、稔も同じ気持ちなら。恥ずかしくてもなんでも、伝えたい。
「お前のことが好きなんだ」
少しだけ息を吸って、一気に言い切る。長い言葉じゃない。でも一気に言わないといけないような気がしたから。
「……え……マ……マジで……?」
「……ん」
信じられない、って感じの声が聞こえる。顔は勿論見えない。
それに短く声で応える。意味は通じるだろう。
「マジで…………」
まだ信じてないらしい。ゆっくり信じてもらえばいいんだ。触れ合った温度は暖かくて、これは夢じゃないと、確かに証明してくれてるんだから。
「……こうしたら、信じてくれるか?」
待てばいい……んだけど、今は嬉しいから、なんでもできそうだと思える。というか、なんでもできた。尋ねるとほぼ同時に、唇を奪うなんていう大胆なことが出来るくらいには。
「んっ……! …………信じる」
みるみるうちに稔の顔が赤くなっていく。まるでぬりえをハイスピードでしたかのような速さで。
「…………稔?」
至近距離のまま声をかける。顔を真っ赤にしたまま、稔は硬直していた。
そこまで嬉しかったんだろうか……そりゃ確かに俺も嬉しいけれど。
そう考えていたら、不意になにか呟きが漏れてきた。
「……っ……た」
「え?」
よく聞き取れなくて聞き返す。
「…………勃っちまった」
長い間のあとちらりと視線を下半身に向けて、男ならではの現象の発生は稔は口にした。それに思わず俺まで顔を真っ赤にしてしまう。
こんなに密着した身体のそこが、反応しているだなんて。
「オレ達って、恋人同士……なんだよな?」
少しだけ気まずいような雰囲気の中、不意にぽつりと稔は漏らす。
それの内容に一気にまた顔が熱くなるのを感じながら、小さく頷いた。
多分、そうだ。いや……きっと、そう。成り立ての恋人同士。
「じゃあ……いい、か?」
「いいって……う……」
言いたいことはわかる。でもそんな、今キスをして両思いになったばかりで、順序がおかしいような……いや、そもそも最初の時点でおかしいけど。
「…………ばか」
俯くようにして、呟く。
順序だとか、気にする必要がないくらいに近い俺達なんだ。だったら……拒む理由も、ない。
「ばかとか言うなよ……好きな奴とキスしたら、こうなるのは仕方ないだろ」
「……うん。……じゃあ、責任とる」
「え……それ、って……ま、……っ……」
稔が俺を呼ぶよりも先に、唇を奪う。
どっちが上でもいい。責任取って……満足させてやらなきゃ。
それが恋人としての、責任。