第3話「海水浴」
真夏の光が、静かな海面にきらめいていた。
フレデリック・ショパンは、白いパラソルの下で、どこか困ったように海を見つめている。繊細な指先に砂がつくのが気になるのか、なかなか一歩を踏み出せない。
その隣で、長身のセルゲイ・ラフマニノフは、すでに靴を脱ぎ、波打ち際へと進んでいた。
「ショパン、来ないのかい?」
低く響く声に、ショパンは少しだけ眉をひそめる。
「……海は、少々荒々しすぎる気がするのです。私の音楽には、もっと……静けさが必要でして」
ラフマニノフはくすりと笑った。
「なら、その静けさを探しに来ればいい。波の奥には、案外やさしいリズムがある」
そう言って、彼は手を差し出す。大きく、しっかりとした手だった。
しばらくためらった後、ショパンはその手を取る。指先に伝わる温もりに、ほんの少しだけ安心したように微笑んだ。
波がふたりの足元をさらう。
ひやりとした感触に、ショパンは思わず息を呑む。
「……これは、まるで低音のアルペジオのようですね」
「だろう?」ラフマニノフは頷く。「そして、あの遠くの波は——」
彼が指さした先で、大きな波がゆっくりと崩れた。
「フォルティッシモだ」
ショパンはくすっと笑う。
「あなたらしい表現ですね」
やがて、ふたりは浜辺に並んで腰を下ろした。濡れた足を砂に埋めながら、ただ波の音に耳を澄ます。
言葉はもう、いらなかった。
静かな旋律と、深い和音。
まるでふたりの音楽そのもののように、海は広がっていた。
その日、誰も知らない場所で、ひとつの小さな“共演”が生まれていた。




