無題
6畳半の角部屋に、アラサーが一匹。私は泣いていた。私は捨てられた、1匹の犬。
たぶんずっとわかっていた。でも、知らないふりをしていた。少し冷めて生ぬるいココアに、「誰か」のために焼いたであろう、紅茶のクッキー。嗚咽を漏らしながら、食べたクッキーはなんだかちょっとパサついている気がして。その所為か知らないけれど、のどが詰まったような感覚に襲われる。
何があったかなんて、思い出したくもない_。
でも、それなりに良い職に就き、それなりに人間関係もうまくいっているアラサーが一人家でむせび泣く理由は(少なくとも、私に思いつく限りは)恋愛関係だけであろう。28歳で彼氏がいなくなる、というのがどういうことかはそれなりに理解しているつもりだ。
それなりに気持ちも落ち着き、冷たくなってしまったココアを胃に流し込んだころには、もう電柱に蛾が群れる時間帯であった。ゴミ箱に溜まったティッシュの量と、電話の履歴にあるたくさんの「応答なし」。明日が休日でよかったなあ、と心底思う。いつまでも落ち込んでいるわけにもいかないというより、いくらでも落ち込んでしまえるからこそ私は部屋の掃除を始めた。
最初は、現実逃避に使った酒の空き缶をかたずけるところからだった。
ゴミ袋に入ったあきかんがカランと音を立てる。あの人もこのお酒が好きだった。未練たらしいな、と自分でも思う。次に、ほこりを掃除機で吸った。最近は最低限の掃除しかしていなかったから。掃除機に誇りがたまっていく様子は私の晴れない心に酷似していた。
だめだ。考えないために、掃除を始めたというのに。
片付けるために見回した部屋はどこを見ても、あなたを思い起こさせるものしかなくて。
時刻を確認するために開いたスマホの光が私の目をつんざいた。
どこにも居場所がないように思えて、アポもなしに友達の家に駆けこんでいた。
連絡を一通も入れずに押し掛けた私を、温かく迎えてくれた友達は、ずいぶんあきれたような顔をしていた。怒らせたと思い、ポケットの中にあった、なけなしの紅茶クッキー(勿論未開封のものだから、安心してほしい。)を渡そうと思ったが、そっとクッキーを手で押しかえして彼女がぽつりと呟く。人に伝えようとしているのか怪しいくらいの声量だった。
「全部わかっていた、そうでしょ」
彼女自身に言い聞かせているようにも感じたし、少々の怒気をはらんでもいたと思う。
その後ろについていたのが読点で何か言いたいことがあったのか。もしくはクエスチョンマーク。私に聞いているのか?どちらにせよ、漠然とした怒りを抱いているのは容易にくみ取れた。普段所作が丁寧な彼女は、コップを置いた時の少しの力加減の違いでわかるくらいにひどく感情が動いていた。私とすべて同じだった。
「私が傷ついているのも。あなたが怒っているのも。たった一人のせいだというのに。なんでまだあたしは。」
「…。私はもう、一通り掃除が済んだから、手伝うよ?」
会話になっていないけど、十分ふたりの間では意味が通じていた。
結局10分もたたずに、自分の家へ帰ってしまった。彼女は私が入れた紅茶を飲んで、すごくまずい。と言った顔をした。それしかなかったんだって。そういったときには二人ともすこし笑みを浮かべられていたと思う。アッサムティーのにおい。恋する乙女のにおい。あなたが、女から女へ横流しにした葉のにおい。いくらでも言い換えようのある香りが部屋中に充満する。
写真たても、君のための、服も、化粧品も。すべててすててしまおうか。
彼女はもう一通り断捨離は終わったみたいだからと
散らかった部屋と、その反対の私を置いて部屋を去った。
彼女が言った意味を理解したのは少し後だったけれど。
それでも、不倫男とその浮気相手であった女たちがそれぞれの道を歩んでいくには十分すぎる時間と変化があったのは、きっと間違いがない。




