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第二話

ユウタが療養施設に入り、人生の最終回を迎えようとしていた時、世界はかつてないほど「効率」に満ち溢れていた。


トモカズが作り上げたシステムによって、人々の生活から無駄は削ぎ落とされ、不老こそが正解であるという価値観が定着していた。


けれど、施設の一室でユウタの手を握っている時、私はその効率的な世界から完全に切り離されていた。 ユウタの手はカサカサに乾き、血管が浮き出て、驚くほど軽かった。


「ミナ、見てごらん」


ユウタが窓の外を指差した。 そこには、あの日、食堂の窓から見たのと同じような、けれど二度と同じではない夕焼けが広がっていた。


「僕はね、この景色を見るたびに、君と過ごした時間を思い出す。あの日、君が薬を飲むと決めた時の震える指先も、五年後に再会した時の戸惑った顔も……全部、この皺の中に刻まれているんだ」


ユウタはゆっくりと息を吐き、微笑んだ。


「老いるってさ、失うことだと思ってたけど、増えていくことでもあったんだよ。思い出とか、納得とか……ね」


その数日後、ユウタは静かに息を引き取った。


季節は春。 窓の外では、散りゆく桜が新しい葉に命を譲ろうとしていた。


彼を見送った後、私は一人で街を歩いた。


不老の私は、相変わらず若く、美しいままだ。 けれど、私の中には何も積み上がっていないことに気づいた。


私の時間は、あの日、シリンダーの中の錠剤を飲み込んだ瞬間に凍りついてしまったのだ。


私にあるのは、終わりのない「今」だけ。 ユウタが言った、積み重なる「重み」も「納得」も、この滑らかな肌の上を滑り落ちていくだけで、決して私の一部にはなってくれない。


トモカズも、同じ孤独の中にいるのだろうか。


私は、自分の手のひらを見つめた。 そこには、ユウタが最後に握ってくれた温もりの記憶があるはずなのに、私の体はそれを「無駄な情報」として処理し、すぐに元の冷たさへと戻ってしまう。


「……ずるいよ、ユウタ」


私は独り言を呟いた。


彼が辿り着いたあの美しい「納得」の境地に、私はこのままでは一生辿り着けない。


もし、不老が「停滞」であるならば、老いとは「継承」ではないか。 過去の自分から今の自分へ、そして今の自分から未来の誰かへと、時間を繋いでいく行為そのものではないか。


私は決意した。


彼の言ったことが本当かどうか、私自身の体で証明しなくてはならない。 ユウタが愛したこの移ろいゆく世界を、私も「同じ速度」で歩み、そしていつか、彼と同じ景色を見るために。


私は、長い間放置していた『エターナ』の解毒剤――時間を再び動かすための鍵を、カバンの中から取り出した。


解毒剤を飲み込んだ瞬間、世界が劇的に変わるわけではなかった。


劇薬による魔法が解けるように、一瞬で皺が増えるわけでも、髪が白くなるわけでもない。 ただ、胸の奥でずっと止まっていた砂時計の、たった一粒の砂が「さらり」と落ちたような、静かな予感だけがあった。


それからの一年は、ある種の「観察」の日々だった。


私は毎朝、鏡の前に立ち、自分の顔を精査した。 数ヶ月が経った頃、ようやく見つけた。


目尻の、以前はなかったはずの、髪の毛一本分ほどの微かな筋。


私はそれに指先で触れ、震えるような喜びを感じた。 トモカズが見れば「機能の劣化」と断じるであろうその一本の筋は、私にとっては、ようやく取り戻した「ユウタと同じ時間」への入場券だった。


私は研究施設を辞めた。 永遠に終わらないプロジェクト、永遠に若い同僚たち。 その中に、今の私はもう居場所を感じられなかった。


私はユウタが生前に愛した海沿いの町へ移り住んだ。 そこは潮風が強く、建物の壁は剥げ、木々は風に吹かれて歪んでいた。


すべてが等しく、時間に晒されて摩耗している。 その光景が、今の私にはこの上なく心地よかった。


体力の衰えは、想像していたよりも早く、そして容赦なくやってきた。


坂道を上るだけで息が切れ、重い荷物を持つと翌日まで肩が重い。 眠りは浅くなり、朝、関節の節々が軋む音で目が覚める。 不老の時には決して知ることのなかった「肉体という檻」の感触。


けれど、不思議だった。 体が不自由になればなるほど、私の意識は外の世界へと開かれていった。


今日咲いている花が、明日には散っているかもしれない。 今、目の前で光っている夕焼けが、一生に一度きりの色をしている。


時間が有限であると知ったとき、情報の断片に過ぎなかった「景色」が、血の通った「経験」へと変わっていった。 私は、ユウタが言っていた「今日を終わらせるための時間」の意味を、骨の髄から理解し始めていた。




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