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第一話

その薬、不老化医薬品『エターナ』が差し出されたとき、私の指先は微かに震えていた。


研究施設の白い部屋は、外の眩しい冬の光を反射して、どこか現実味を欠いていた。 隣に座るトモカズは、迷いのない筆致で署名を終え、まるで午後の会議にでも向かうような軽やかさで別室へと消えていった。


私は、ユウタの横顔を見た。 彼はペンを置いたまま、動かずにいた。


「……やっぱり、飲む?」


私の問いに、ユウタは少しだけ視線を彷徨わせたあと、静かに首を振った。


私が不老を選んだ理由は、トモカズのような「効率」への渇望ではなかった。 もっと卑近で、泥臭い理由――恐怖だった。


季節が巡り、肌が枯れ、できることが消えていく。 その「喪失のプロセス」に耐えられるほど、私は強くなかったのだ。


永遠という名の「停滞」の中に身を置けば、少なくとも何かを失う恐怖からは逃げられる。 そう信じていた。


「行ってくるね」


「うん」


それが、私たちの時間が二つに分かたれた瞬間だった。


私は冷たい錠剤を飲み込み、ユウタはただ、窓の外に広がる冬の空を見つめていた。 あの時、彼が何を見ていたのか、当時の私には知る由もなかった。


最初の数年は、何も変わらないように見えた。 私たちは同じ施設で働き、同じように笑い、仕事帰りに冷めたスープを啜った。


けれど、五年が過ぎた頃から、鏡の中の私と彼の間に「ノイズ」が混じり始めた。


私の肌は、あの日から一分たりとも進んでいない。 一方で、ユウタの目尻には細かな皺が刻まれ、笑うたびにそれは確かな影となって残るようになった。


私は、その皺を見るのが怖かった。 それは私に「時間は本来、過ぎ去るものである」という当たり前の事実を突きつけてくるからだ。


「ユウタ、疲れてない?」


ある日、残業帰りの駅のホームで、私はたまらずに聞いた。 ユウタは少し白髪が混じり始めた髪をかき上げ、穏やかに笑った。


「疲れてるよ。でも、この疲れも『今日を生きた証拠』だと思えば、悪くない」


理解できなかった。 疲れは効率を下げる負債であり、老いは可能性を奪う減退でしかないはずだ。


トモカズが言っていたように、不老であれば、私たちは永遠に「全盛期」のままでいられる。 それなのに、ユウタは自分の機能が損なわれていくことを、どこか楽しんでいるようにさえ見えた。


十年、二十年と歳月が流れるにつれ、私たちの「速度差」は決定的なものになった。


トモカズは海外へ渡り、若々しい姿のまま組織の頂点へと駆け上がっていった。 私はといえば、変わらぬ姿のまま研究を続けていたが、周囲の視線は少しずつ変化していった。


「変わらないミナさん」は、いつしか職場において、敬意よりも畏怖、あるいは一種の標本のような存在として扱われ始めた。


一方のユウタは、役職を退き、後輩たちに慕われながら、静かに「枯れて」いった。


ある夕暮れ、私たちは昔のように公園のベンチに座っていた。 ユウタの腰はわずかに曲がり、歩幅は私の半分ほどになっていた。


「ねえ、ユウタ。あなたは……後悔してる?」


私がずっと胸に秘めていた問いを投げかけると、彼は沈みゆく夕日を見つめたまま答えた。


「後悔は、してるよ。若い頃のようには動けないし、忘れてしまうことも増えたからね」


「だったら」


「でもさ、納得はしてるんだ」


納得。その言葉が、私の胸に冷たく刺さった。


「納得って何? 測れるものなの?」


「測らなくていいんだよ、ミナ。それは、積み上がっていくものだから。失っていく代わりに、自分の中にだけ溜まっていく重みのようなものだ」


その時のユウタの顔は、燃えるような夕焼けの橙色に染まって、神々しいほどに美しかった。

不老の私が持っている「永遠の若さ」などよりも、ずっと深い輝きを放っているように見えた。




全3話でお届けします。

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