ヘイト中毒者たちの未来。
口から出る言葉は、その人間の呼吸ともいえる。汚い言葉は、内面の汚さを現し、音にすら不快な臭気が漂う。
日がな一日、ヘイトに明け暮れている人々がいる。息の臭い同類が集まり、地獄絵図を作り出す。
いったい、何が楽しいのだろうか?
もしも、日常の何らかの不愉快さから、ヘイトを垂れ流しているのだとすれば、自分自身もまた、「他者にとっての不愉快な存在」になってしまっていることに、そろそろ気付くべきだろう。
何かを楽しみたいのなら、楽しい言葉を口にすべきだ。汚い言葉を吐き続ける人間のそばには、気持ちのいい人間は近寄らない。集まるのは同類だけで、不愉快も加速する。
孤独からヘイトを垂れ流しているのかもしれない。しかし、その孤独もまた、自身の態度を原因とする。家族や友人たちが、貴方とあまり口を聞かなくなった理由も、おそらくそこにある。
相手にヘイトをぶつけ続けていると、自分も相手からのヘイトの対象となる。今は、一方的に「なじれる側」にいるつもりでいても、気付いた頃には後の祭りだ。最悪の未来ほど、非常に高い確率で、貴方の前に並べられる。―― いわゆる因果応報というやつだ。
「仕掛けてきたのはアイツらの方だ!」と、わめく老人がいる。しかし、自分の方が優れた人間だと考えているのなら、手打ちにする責任も、また自分の側にある。
負の連鎖ほど、徒労はない。
何も生み出さないことに執着するくらいなら、たとえ損切りであっても、手打ちにした方が、けっきょく将来的にもプラスとなる。
言葉は、言葉を引き寄せる。
だとすれば、出来るだけポジティブな言葉が自然と出てくるように、大胆な視点の切り替えも必要だ。これ以上、孤独な人生を歩まぬように、とかなんとか。
しかも、言葉は無料である。
「ありがとう」の言葉すらケチる人間は、フトコロだけでなく、心の貧しさまでもアピールしているようなものだ。心くらいは、豊かな人間を振舞ってもかまわないだろう(武士は食わねど、なんとやら)。
「ありがとう」に対し、気分が悪くなる人間はいない。自然と好感も返って来るので、こちらも気分が良くなる。それで十分だろう。




