第二怪 七種十三郎トイウ男(その6)
海水で濡れた上着。温度を全く感じない冷え切った身体。青く染まり温もりすら感じない顔。苦しんでいたとは思えない穏やかな表情で眠りについた彼女の姿が大海さんの脳裏に甦る。俺とスズメさんは固唾を飲んで話の続きを聞いた。
「俺たちは連絡を受けて真っ先に港へ戻りました。港に着いて現場へ駆け寄った時、俺の目に映ったのはコートを着たままずぶ濡れで息をしていない陽菜の変わり果てた姿でした。警察は波止場から足を踏み外したかそれとも自殺して流されたんだろうって。実を言うと陽菜はカナヅチだったんです。海は好きだけど泳ぎは苦手だって昔、本人から聞きました。なので、いつも夏は浜辺で水をかけ合ったり冬は一緒に海を眺めたりしていました」
「陽菜さんが亡くなった事を知ったご両親は?」
恐る恐る訊ねるスズメさん。
「とても悲しんでいたよ。特にお母さんなんかすごく悲しんでいて陽菜の葬式の時にいろいろと罵倒されたよ。『あんたが結婚を持ちかけたせいで陽菜は死んだ』とか『あんたが陽菜を誘惑して殺したんだ』とか。一番きつかったのは・・・」
記憶の中で今でも響いている陽菜の母親の怒声。
『なんで陽菜が死なくちゃいけなかったの?!陽菜じゃなくてあんたが死ねばよかったのに!!なんで陽菜をたぶらかしたあんたがのうのうと生きているのよ!?娘が死んであんたが生きているなんて不公平だわ!!』
鋭く尖った金切り声が葬式会場に響き渡り家族と参列者の強い視線を肌で感じた。
今も思い出すと心苦しく自責の念が襲いかかって押しつぶされそうになる。
「陽菜の葬式以来、俺は東京には行けなくなってこれ以上、うちの家族にも迷惑かけたくなかったから実家を離れてここ鎌倉に引っ越してきたんです」
今でも陽菜の母親が取った辛辣な態度と怒りと悲しみが混じり合った叫び声が脳裏に轟いているのか大海さんは思い詰めた顔で話を進める。
「今でもすごく後悔しているんです。あの時、俺がもう少し強く止めていたら陽菜を一人で波止場へ行かせなかった。そうすれば、陽菜は死なずに済んだんじゃないかって。彼女を幸せにするはずだったのが逆に命を奪ってしまった。今もこうして話しているだけでも陽菜に申し訳ない事をしたって負い目を感じているんです。それに、陽菜がうっかり足を踏み外したとか自殺なんて絶対にしません!何か。何か別の理由が・・・」
後悔と自責の念、愁いを帯びた表情を浮かべながら彼女の死に方に納得していない大海さんの姿を目の当たりにして俺とスズメさんは彼にかける言葉が見つからなかった。
俺たちが励ましたとしても自分より年下、しかも子供に慰められたら大人として情けないと思ってしまうかもしれない。
まさかこんなにもヘビーな話だったとはつい知らずまるでドラマや映画のワンシーンみたいな内容でどんな言葉をかければいいのか正直迷った。
俺からすれば大海さんとはついさっき知り合ったばかりだ。
初対面の人に下手な気休めを言うわけにもいかない。
「彼女の墓参りには行っているのか?」
何一つ表情を変えないサエグサさんは惜しみもなく質問を投げかける。
「いいえ。彼女の葬式に行ってからまだ一度も墓参りはしていません。陽菜のお母さんに『娘の墓には一歩も近づくな!』って強く言われたので」
「過保護な母親はヒステリックで困っちゃうな。君も大変だったね」
深いため息をついて他人事のように言いながらも落ち込んでいる大海さんに慰めようとするサエグサさんの優しさ。大海さんはそんな事はないと軽く首を横に振る。
大海さんの話を聞いて俺は陽菜さんが死んだのは大海さんのせいじゃないんじゃないかと思った。天候が悪く波風が強かったあの日、大海さんは強い波が立つ海は危ないから事務所で待つようにと伝えたが陽菜さんは自分から波止場で待つと言いたった一人で波止場へ向かった。天気が悪く高波が立って危ないはずなのに陽菜さんは自分の意思で二人だけの思い出の場所へ行ったのだ。
でも、波止場で足を踏み外すなんてそんなことありえるのだろうか?自殺なら有り得なくもないが。
「家族や漁師仲間からは陽菜が死んだのは俺のせいじゃないと声をかけてくれましたが、彼女と一緒に歩いた海岸やいつも使っていた波止場、共に過ごした港町の景色を見ると彼女を救えなかった自分の不甲斐なさを思い出して辛くなるんです」
「それで鎌倉に来たんですか?」
隣で聞いていたスズメさんが静かに言うと大海さんはその通りだと頷いた。
「由比ヶ浜は大丈夫なんですか?あそこも海岸ですけど」
俺は鎌倉駅から近い所に由比ヶ浜という海が一望できる海岸がある事を教えた。
「知っているとも。でも、ここに来てからまだ一度も江ノ電に乗った事がないんだ」
江ノ電に一度も乗った事がないなんて何だか可哀想な気がした。
自分は江ノ電が好きで友達と遊びに行く時はよく使っている。江ノ電から眺める海はとても最高なんだ。
でも一度も江ノ電に乗っていないとなるとやっぱり、海を見たら陽菜さんの事を思い出してしまうからあまり海が見える所は行かないことにしているかもしれない。
「情けないですよね。過去を思い出すという理由で漁師を辞めて故郷から逃げるなんて」
自分の情けなさに乾いたような声で笑う大海さんの目は何だか悲しそうだった。
今まで陽菜さんと出会い悲しい別れ方をした事は俺たち以外、誰も話していなかったと思う。大海さんは鎌倉に来てもたった一人で自分の非力さと葛藤を抱えながら苦しんでいたに違いない。笑顔の裏には涙ありとはこの事だ。
「そう自分を責めるな。情けなくなんかないぞ。誰にだって逃げたい時はあるさ青年。僕なんかしょっちゅうあるぜ?顔が怖い借金取りに追われたりアウトレイジみたいなヤクザたちにメンチ切られたりとか売春の女の誘惑に負けて金をせびられたりとか色々あって逃げまくったんだぜ?最近だと夜の歌舞伎町をブラブラ散歩していたらキャッチの兄ちゃんに捕まった挙句、ぼったくりにあってめっちゃ逃げまくった。よく聞けよ。夜の歌舞伎町。あそこマジで危険地帯だから。ぼったくられて身ぐるみ剝がされたら一巻の終わりだから絶対に近づくなよ」
「大海さんよりあなたの方が一番逃げてるじゃないですか。ていうか、しょっちゅうどころのレベルじゃありませんよ。全部、金銭関連のトラブルばかりじゃないですか」
大海さんと比べてサエグサさんの方がかなり波乱な体験をしているのでスズメさんは鋭く彼の意見にツッコミを入れた。
そして、俺は一つ謎が解けたような気がした。
初めてサエグサさんと会った日。救急車を呼ぼうとした時、彼は救急車を呼ばれるのを嫌がってすかさず逃げた。彼の逃げ足は思っていた以上にとても速く追いつけなかった。ウサイン・ボルトといい勝負ができそうな素早さでもしかしたら、彼は今まで怖い人たちに追われ続け逃げ回った事で足の脚力が鍛えられ人並外れた速さを手に入れたかもしれない。
100年も生き続けているなら有り得なくはないかも?
「ところでさ。その陽菜さんが写っている写真とかある?よかったら見せてくれないかな?」
そういえば、俺もまだ陽菜さんの顔を見た事がない。
サエグサさんにそう頼まれて大海さんは自分のスマホから一枚の写真を見せてくれた。
仲睦まじそうに笑い合っている美男美女が揃っている。
大海さんと隣にいるのは婚約者の陽菜さんだ。長い黒髪でシンプルかつオシャレなフリルシャツを着ている。
「これは陽菜と最後に過ごした去年の夏に撮った写真です」
確かに。半袖短パンの男女が写っているのでこれは夏の時に撮影した写真だという事が分かる。
サエグサさんは貸してくれた大海さんのスマホ写真をスライドして横流しながら見ていると動かしていた人差し指が止まった。
「この子は?」
陽菜さんの隣にはそばかす顔の大人し目な女性がいた。
「この人は樋上良子です。中学時代からの幼馴染で漁業関係の仕事をしています。主に海苔などの水産植物を繁殖と収穫をやっていて時々、一緒に船に乗ってに魚を獲りに出かけることもありました」
にこやかに笑っている陽菜さんと作業服姿で笑みを浮かべている樋上さん。
「二人は俺の紹介で仲良くなったんです。俺が漁に出ている時はいつも陽菜の相手をしてくれていました」
大海さんの話を聞く限り陽菜さんと樋上さんはとても仲が良かったようだ。
「樋上さんってどんな人なんですか?」
今度は樋上さんの事について訊き出すスズメさん。
「樋上はあまり目立たとうとはしない大人しい子だよ。小学生の頃からの幼馴染で昔は泣き虫で内気なところはあったけど中学になってからは他の生徒とは普通に仲良くしていたな。学校生活では普通に過ごせても家の事だけはあまりよくなかったらしい。実の母親に家事や内職の仕事を無理矢理押し付けられたらしいんだ。その母親がダメ人間みたいで。俺は時々よく声をかけたりしたけど樋上は我慢強い子で一切弱音なんて吐かなかったな」
樋上さんはあまりよろしくない家庭環境で育ったんだなと大海さんの話を聞いて感じた。
きっと愚痴や文句が言えずどんなに理不尽な事を言われても耐え忍びながら生活をしていたんだろう。耐えて耐えて耐え抜いた事で結果、我慢強くなったかもしれない。
例えそれが理不尽でも自分の幸せを摑める日を信じて今は漁業の仕事をして汗水垂らして働いているに違いない。




