あなたはあたしが輝かせる!
容姿、平凡。成績、平凡。スポーツ、平凡。特技、なし。
あたしは、何者にもなれない。ただのモブ。
ずっとそうやって生きていくんだと思っていた。
「メンズ地下アイドルぅ?」
高校のクラスメイトである紗彩から渡されたチラシに、あたしは思い切り眉を顰めた。
「パスパス、あたしそもそもアイドルに興味ないし」
「ただのアイドルとは違うんだって! すっごい近い距離でステージ見られるし、終わったら直接話せるんだよ!?」
「話したいと思わないし。大してイケメンでもないしさぁ」
チラシに視線を落として、そう零す。
失礼ながら、不細工ではないけど、お金を払いたいほど顔がいいとも思えなかった。だからメジャーではなく、地下なんじゃないだろうか。
「そう言わずに! お願い! 約束してた友達にドタキャンされたんだよ~! チケ代あたしが持つから!」
「うーん……」
お金を払って見に行く気にはなれないが、タダなんだったら、まあいっか。
「わかった。付き合う」
「やったー!」
「今回だけね」
そうやって、仕方なく付き合ったライブで。
あたしは、一人のアイドルに目を奪われた。
彼だけが、輝いていた。彼だけに、スポットライトが当たっているようだった。
立ち位置なんて関係ない。あたしのセンターには、ずっと彼がいた。
MCで自己紹介を聞いて、その名を心に刻む。
――カイトくん。
チラシで見た時は、大してかっこいいとも思わなかったのに。実物は、全然違う。
ころころ変わる表情。一生懸命さが伝わるパフォーマンス。少し特徴的な声。キメた時の目。
やばい、落ちた。
「ね、あたしチェキ行ってくるけど、どうする?」
放心状態のあたしに、紗彩が声をかける。はっとして、あたしは勢いよく返した。
「あたしも行く! そのチェキって、どうするの!?」
紗彩に教えてもらって、あたしはカイトくんのチェキ券を、手持ちのお金で買えるだけ買った。
列に並んで、どきどきしながら順番を待つ。
いよいよ、あたしの番。
カイトくんの視線が、あたしを捉える。
「初めまして!」
「あっ、は、初めまして」
すごいな、初めまして、だって。ってことは、今まで来たお客さん、皆覚えてるんだ。
ステージ上できらきらしていたカイトくんが、あたしに、あたしだけに話しかけている。すぐ隣にいることが信じられなくて、煌めきに眩暈がした。
「嬉しいな、今日初めてなのに、こんなに券買ってくれたんだ?」
「はい、あの、一番、かっこよかったので」
「えーマジで? 嬉しー」
眩しい。笑顔に星が散っている。
「えっと、マユちゃん?」
「はいっ! 真由です!」
アイドルが、あたしの名前を呼んでいる。カイトくんの声で呼ばれるだけで、平凡なあたしの名前が、特別なものに思えた。
「ポーズどうする?」
「ポーズ……えと、あたし、こういうの、初めてで……」
「そっか。じゃ、無難にハートとかにしよっか」
「ハート」
「そ。手をこうやってー」
カイトくんの手が、あたしの指に触れる。わ。わ。
「撮りまーす」
スタッフさんの合図で、写真が撮られる。
「ありがとう、ございました」
「こちらこそ、ありがとー。また絶対会いに来てね!」
「は、はい! また、是非」
持ち時間が終わると、さっさと列から離される。夢の時間は一瞬。カイトくんは、次の順番の女性と話している。
紗彩と合流するまで、あたしはぽやーっとしたまま、カイトくんのことを見つめていた。
それからあたしは、カイトくんのライブに通った。最初に勧めてきた紗彩が引くくらいに、あたしはカイトくんにのめり込んだ。
「ねー真由、最近ずっと疲れてるけど、大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」
「でも、バイト詰め込み過ぎじゃない?」
「だって、お金払わないと、カイトくんと話せないもん」
「あたしが誘ったから、あんま強くは言えないけどさぁ……。ほどほどにしなよ? アイドルって心の支えだからさ。辛い時、頑張るためにいてくれるんであって、それで真由が辛い思いするなら、本末転倒だよ」
「辛いわけないじゃん。あたし今、すごく楽しいの。あたし、今まで夢中になれる事ってなんにもなくてさ。でも今は、カイトくんのおかげで、毎日すごく充実してる。カイトくんをたくさん応援して、いつかカイトくんを、テレビに出してあげるの」
「……まあ、真由が楽しいなら、いいけど。体壊さないようにね」
ちょっとくらいの無理がなんだ。カイトくんだって、頑張ってるんだから。
このまま地下アイドルじゃもったいない。彼は絶対、メジャーデビューできる実力がある。
今日も今日とて、ありったけのお金で物販とチェキ券を買って、あたしは列に並ぶ。
「マユちゃん、いつもありがとう」
「ううん、カイトくんのためになるなら、あたしも嬉しい」
自分の顔がでれでれと崩れているのがわかる。でも、カイトくんは嫌な顔ひとつせずに、あたしの肩を抱いてチェキを取ってくれた。
「またね」
「うん、また」
夢の時間はすぐに終わる。悲しいけど、これがまた次に繋がるから。
いつまでも列の側にいると、邪魔になる。あたしはマナーのいいファンだから。出待ちとか、そんなこともしない。
そのまま帰ろうとすると。
「えーっカヨさん、こんなに買ってくれたの!?」
カイトくんの声に振り向くと、キャバ嬢みたいなぎらぎらした女が、山ほどチェキ券を持っていた。すごい、あんなに。あれ、いくら分だろう。
はしゃいだ様子のカイトくんが、カヨさんとやらにハグをする。
ずるい。あたしだって、ハグなんて、されたことないのに。
ぎりりと歯を食いしばる。仕方ない。だって、カイトくんはアイドルだもん。お金を払ってくれるファンにサービスするのは、仕方ない。上に行くためには、お金がいる。
もっと、お金が。
あたしはスマホで、パパ活相手を探した。
普通にアルバイトなんてやってたんじゃ、お金が追い付かない。そろそろ十八歳になるけど、まだ高校生だから、キャバクラじゃ働けない。
もうこれしかない。あたしにできることは。あたしが、カイトくんのためにしてあげられることは。
始めてしまえば、なんてことなかった。見知らぬおじさんとご飯に行くだけで、万札が貰える。こんな楽な商売、他にない。むしろなんで今までやらなかったんだろう。パパ活は駄目なんて、きっとお金を払う価値もないようなブス女の僻みだ。あたしは若いし、それなりに可愛いから。相手には困らなかった。
けど、すぐにご飯だけではなくなった。
「ねえ、マユちゃん。そろそろさ、ホテルとか、どうかな」
「んー……でも、ご飯だけでも、マユ楽しいよ?」
「俺もそうだけどさ。もしホテルに行ってくれるなら、追加で五万払うよ」
「……五万……」
「無理強いはしたくないからさ。マユちゃんがその気になったらで、いいよ」
相手は優しそうなおじさんだった。妻子もいる。訴えられたら困るようなことはしないだろう。
「いいよ、ホテル行こ」
別にいいや。処女ってわけでもないし。こんなおじさんの相手するだけで、五万。こんなに割のいい仕事、他にない。
「マユちゃん、最近チェキ券いっぱい買ってくれるね」
「うん、割のいいバイト見つけたんだ」
「そうなの? 俺は嬉しいけど、無理しないでね」
「無理なんかしてないよ! カイトくんの力になってるなら、嬉しい」
本心だ。カイトくんのためなら、全然、無理なんかじゃない。
カイトくんは優しい。あたしに無理してお金作れなんて、絶対言わない。アイドルだもん。
カイトくんはあたしに力をくれる。だから、あたしも、カイトくんの力になりたい。
「う……おえっ」
学校のトイレで吐いて、あたしは口を拭った。
最近吐き気がひどい。なんだろ、変なものでも食べたかな。
トイレを流しながら、汚物入れに視線をやる。
そういえば最近、生理来てない。
「……まさか、ね」
そう思いながらも、学校が終わると、あたしは急いで学校から離れたドラッグストアに行った。
妊娠検査薬を買って、トイレに駆け込む。
心臓が痛い。大丈夫、だっていつも、ゴムしてたもん。絶対、大丈夫だって。
「…………は」
――陽性。
世界が、ぐるりと回った。
親には絶対言えない。どうしよう、どうしよう。
ひとりでも、病院行ったら、おろせるのかな。そうだ、お金、パパから貰わなきゃ。
重い足取りで家までの道を歩いていると、急に誰かから声をかけられた。
「鈴木真由さん、ですよね」
「……? そうですけど、誰ですか?」
「篠原孝雄の妻です。と言えば、わかりますか」
ひゅっと息を呑んだ。パパの名前だ。
「私から細かく説明しなくても、用件はわかりますね」
「あたし……その、パパとは」
パパ、と言った瞬間、相手の眉根がぎゅっと寄った。
「私は、あなたに慰謝料を請求するつもりです」
「はっ!? 慰謝料!?」
「真由さんは、もう十八歳でしたね。でもまだ高校生ですから、親御さんにも話をするつもりでいます。ただ突然家に押しかけるのは可哀そうだと思ったので、あなたに先に話をしようと、待っていました」
「待って、親には言わないで!」
「それが通らないことは、わかりますよね。もう大人なんですから」
大人。そうだ、あたし、十八だから。法律的には、もう大人なんだ。
「これ、私の連絡先です」
青い顔で俯くあたしに、奥さんは名刺を握らせた。
「自分で親に説明をして、心の準備ができたら連絡ください。一週間経っても連絡がないようなら、私が直接家に伺います」
返事をしないあたしを置いて、奥さんは立ち去った。
あたしはその場にしゃがみこんだ。震える手でイヤホンを取り出して、耳にはめる。
スマホに取り込んだ音源を流して、イヤホンの上から両手で耳を塞ぐ。そのままぎゅっと目も閉じた。
カイトくんの声以外、何も聞きたくない。何も見たくない。
歌を聴いていると、瞼の裏にカイトくんの笑顔が浮かぶ。
きらきら、きらきら。
そうだ、カイトくんが笑っていてくれるなら、あたしは大丈夫。
カイトくんさえ輝いていてくれるなら。だって、その輝きは、あたしのお金だ。
あたしのお金が、カイトくんを輝かせているのだ。
だったら何も、怖くない。
あたしは倒れて意識を失うまで、ずっとそうして、カイトくんの歌を聞いていた。
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