[トウエンの町-4] 黒髪の謎―アマオチ
翌朝
静寂に包まれた朝だった。柔らかな光が窓から差し込み、木製の床を温かく照らしている。
「……ん」
ぼんやりと目を開ける。昨日の出来事が夢ではなかったことを思い出しながら、ゆっくりと身を起こした。肩のあたりがわずかに温かい。肩元で眠っていた鳥も、器用に羽を整え朝の支度をしているようだ。
さて起きるべきか、もう少し布団の中で怠けるべきか考えていると、ノックの音が聞こえた。
「失礼します、お目覚めでしょうか?」
低く落ち着いた声。
「……ああ、起きてるよ。」
扉が静かに開き、そこに立っていたのは、やはり品のある黒い制服を着た昨日の執事だった。
「私は執事のセバスと申します。朝早くから恐縮ですが、ミャクリ様がお呼びです。執務室へお越しください。」
昨日の話では、俺の現状確認と今後について話をしようとのことだった。律儀に時間を取ってくれたようで感謝しかない。早速話を聞きに出向くとしよう。
「わかった。すぐに行く。」
執務室に案内されると、中ではすでにミャクリが待っていた。机には書類が積み上がり、部屋の壁には地図や帳簿が並んでいる。
「きたか。好きなところに座ってくれ。」
促されるまま、椅子に腰を下ろす。
「アルネが君に名前をつけたらしいね。」
「……ああ、ルーシェって名前になった。」
「ルーシェか。いい名だな。」
ミャクリは好意的に頷くと、改めてこちらを見据えた。
「それで、記憶の方はどうだ?」
「いや……何も思い出せない。」
「そうか。」
一瞬の沈黙のあと、ミャクリは静かに息を吐いた。
「では、本題に入ろう。まずは状況の確認からだ。」
「はい。」
ミャクリの真剣な目が緊張感を生んだ。
「ルーシェ……君のような記憶喪失の者が、時折この世界で見つかることがある。」
「……俺みたいな?」
「そう。共通しているのは、彼らが皆『黒髪』であるということだ。」
黒髪――昨日、アルネにも珍しいと言われたことを思い出す。
「そして、彼らにはもう一つの共通点がある。聖典のような文字が浮かび上がる黒い石の指輪をしているんだ。」
ミャクリの視線が、俺の手元へと向けられた。
「……君はその指輪を持っていないようだが。」
「持ってないな。覚えもない。」
「そうか。」
ミャクリは静かに頷いた。
「彼らは『天墜』と呼ばれている。本来、天墜は『テンチ』と読んで『天より賜った美酒』という意味合いを持つ言葉であり、これは星君を指す言葉なんだ。だが記憶を失い、どこからともなく現れる君たちのような者は、まるで天から遣わされたような存在に現れるから、いつからともなく天墜と書いて『アマオチ』と呼ばれるようになった。」
「つまり、俺もそのアマオチだってことか?」
「……断定はできない。指輪を持っていないからな。あくまで可能性だ。」
ミャクリは、慎重に言葉を選んでいるようだった。
そして優雅に足を組み替えると話を続けた。
「元々、この世界には黒髪の者はいなかった。しかし、数十年前からアマオチがこの世界に現れるようになり、家庭を持ってその子孫が生まれることで、黒髪の人間が増えていった。」
「つまり……黒髪の奴は、アマオチ本人かアマオチの血を引いていて、俺もその子孫の1人である可能性が高いということだな。」
俺は自分の髪を指で梳いた。
「…そういうことになるな。」
ふむ、自分のルーツを知ることで、今後なにかの判断材料になりそうだ。
「詳しく教えてくれて感謝する。ところで……俺と一緒にいたこの鳥なんだけど、生息地がどこの国かわかるか?」
肩の上の鳥は相変わらず俺にぴったりとくっついている。その赤い羽毛と金色のトサカは、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
「ふむ……素晴らしい鳥だが、見たことがないな。」
「そうか……もしや俺の出身国を知るためのヒントになるかと思ったんだが…。じゃあ、もう一つ!俺が昨日無意識にやったことなんだが、食後に手を合わせる習慣のある国ってないか?」
「う〜ん…。悪いがそれも聞いたことがないな。」
ミャクリは首を振った。
「出身地のヒントになればと思ったが、商会主をもってしても知らない、か……。」
少し落胆したが、すぐに気を取り直す。
「まあ、焦ることはない。君はしばらくここに滞在しても構わないよ。」
ミャクリは穏やかにそう言った。
「助かるよ。」
「ただ……この世界で生きていくなら、身分証明書が必要だ。」
「身分証明書がないと、街の出入りすらできないんだったな。」
「そう。正式な記録がなければ、何をするにも不便だからな。そのためにはギルドに登録するのが手っ取り早い。」
「ギルド……」
その言葉に、帯びた剣に意識が向く。
「君は帯剣している。おそらく戦闘スキルがあるのだろう。ならば、冒険者ギルドに登録するのが妥当だ。」
「冒険者ギルドか……」
冒険者と聞いて思わず剣を握りしめる。自分が戦えるのかどうかの確信はないが、武器を持っているということは、そういうことなのかもしれない。
「別の選択肢としては商人ギルドに登録し、私が協力することで商人として活動することも可能だろう。」
「ふむ…。」
「貿易や商取引を生業とする者が集まるギルドだ。君が何か特別な知識を持っているなら、こちらでも生きていけるだろう。」
どちらの道を選ぶか。
しばし考えた後、俺はゆっくりと立ち上がった。
「少し考えてみるよ。」
ミャクリは満足そうに頷く。
「そうするといい。」
そうして、俺はミャクリに礼を伝え執務室を後にした。