[トウエンの町-3] 名もなき者と赤い鳥
「はぁ~ 腹いっぱい!ごちそうさまでした!」
あれこれ考えることはあるけど、腹が膨らむと不安は軽減する。何とかなるさ!と前向きになれる。偉大なご飯という存在に感謝の念を飛ばしていると、アルネが不思議そうに指先をこちらに向けてきた。
「それは何?」
「それって?」
「それよ、その手。」
ふと自分の手を見ると両手を合わせて立てる形になっていた。 なぜこんなポーズをとっているのか自分でもわからない。
「なんだろう?気づいたらやってたというか、無意識に手を重ねたように思う。」
「あなたの国の習慣なのかしら。ちょっと変ね。食べ終わった合図とか?」 「この国ではやらない?」
「やらないわね。どこの習慣なのかわかれば出身国もわかると思うけど、明日お父さんに聞いてみたら良いかも。」
「うん、そうするよ。」
なんとなしに出た仕草がヒントになりそうだ。 上手いこと記憶が戻ってくれたら良いのだが…。
「ところで変と言えば、あなたを見つけた時からずっと傍にいるその鳥も、見たことない種類なのよね。」
そう、俺が目覚めた時からずっと肩に乗っていた赤い鳥。 今はフードの中で休んでいるようだ。 アルネは興味深そうに俺のフードを覗き込んだ。
「ねえ、この鳥、あなたの鳥なの?」
俺は肩をすくめる。
「さあな。目が覚めた時からずっと一緒にいるけど、俺が飼ってた記憶はないんだ。」
「ふうん……ちょっと見せて?」
彼女がぐっと身を寄せ、俺のフードの端をつまむ。鳥は少しも動じることなく、のそのそと首を伸ばしてフードの縁に顔を出す。
灯の下で改めて姿を見てみると、やはり奇妙な鳥だった。鮮やかな赤い羽毛をまとい、頭には立派な金色のトサカがある。目は丸く、知性を宿したような輝きを放っていた。そして何より特徴的なのは長い尻尾だ。白、黒、緑、青、黄色と鮮やかな色が層になり、まるで虹のように揺れている。
アルネは感嘆の声を漏らした。
「すごく綺麗な鳥ね……でも、ちょっと太っちょじゃない?」
その言葉に、鳥がピクリと反応する。そして次の瞬間――
「ピッ!」
「きゃっ!」
鳥が鋭いくちばしでアルネの指をつついた。アルネはびくっとして手を引いた後、目を丸くして鳥を見つめる。
「ビックリした…もしかしてあなた、言葉がわかるの?」
鳥は何も答えず、ふいっと横を向いた。
「そうよね、まさかわかるわけないわよね。」
そのやりとりを見て俺は思わず笑ってしまう。
アルネも苦笑いを浮かべて、軽く肩をすくめた。
「はいはい、ごめんなさい。ちょっとポッチャリしてて可愛いって言いたかっただけよ。」
鳥はジロリとアルネを一瞥して、くちばしを羽にうずめて身を縮こまらせる。
アルネは再び俺を見つめ、ふと顔を上げた。
「ねえ、あなたの名前は?」
「……わからない。」
何度思い出そうとしても、霧がかかったように何も浮かんでこなかった。
「そう……」
アルネは悲しげに応えて少し考え込んだ後、真剣な顔で言った。
「じゃあ、私が名前をつけてもいい?」
「お前が?」
「だって呼び名がないと不便でしょ?」
彼女は少し照れくさそうに笑った後、ゆっくりと口を開く。
「そうね……ルーシェ……ってどうかしら?」
「ルーシェ?」
「遠い昔の言葉で『光』を意味するの。」
俺は少し考えた後、その響きを口の中で反芻してみた。
「うん……悪くないな!」
「気に入った?」
「ああ、ありがとう、アルネ。」
彼女は満足そうに微笑んだ。
ルーシェ――それが俺の名前。記憶は戻らないままだが、少しだけ自分という存在に輪郭ができた気がした。
そろそろ夜も更けてきた。明日に備えて休む時間だ。
「さてと、そろそろ寝ましょうか。」
「そうだな。」
アルネは椅子から立ち上がり、軽く背伸びをする。そして俺に向かってにこりと微笑んだ。
「おやすみ、ルーシェ。」
「おやすみ、アルネ。」
俺がそう返すと、彼女は静かに部屋を出ていった。
静寂が訪れる。ルーシェという名前を噛み締めながら、俺はゆっくりとまぶたを閉じた。