09. dead end / 行き止まり
シセルと死霊の騎士ウチカビは、ついに迷宮の外へとたどり着いた。
外の世界は、真昼と夕暮れ時の間。太陽は地下洞窟の入り口を照らす位置にあり、強い日差しが二人の目を焼く。
「くおおお」
シセルは眩しそうに目を守った。ウチカビは微笑ましいものを見る気持ちになったが、シセルは太陽を見るのは生まれて初めてなのだから、地下と地上の明暗差は、少女の目の今後に関わるかもしれない……、と徐々に心配が強くなった。
『シセル、目は大丈夫か』
「はい。いま調整中です……」
シセルは目を開いた。暁色の瞳が、生命の色彩にあふれた地上世界を見渡す。
「おおお。なんか感動ですね、いやほんとに、なんか、こんなに感動できるとは思いませんでした。地下にも引きこもってみるものですね」
乏しい語彙で喜んでみせる。
ウチカビもまた、地上にはまったく久しぶりに帰還したことを、記憶ではなく体で感じ、清々しい気持ちを味わった。陰鬱な地下とは全く違う、風の涼やかさ、におい、日の温かさ。自分がこういうものを幸福に感じられる人間なのだという事実。それらをしばし楽しむ。
しかし、やがてウチカビは視線を落とした。
この身は迷宮に入る前と現在とで、随分変わってしまったのだろう。そして何より、きっと、大事な仲間を失っている。
ウチカビは生前の自分自身に降りかかった出来事を想像し、恐れた。
太陽の光と熱は、骸骨の身には染みた。
二人は草を踏みながら歩いていく。存在を隠されている迷宮の出入り口には、そこから繋がる道というものがなかった。
草むらを踏み分けていくと、やがて街道に出た。柵や石積みの区切りこそないが、草の根もない。人通りがある土地だということだ。
シセルはきょろきょろとあたりを見回し、再び歩き出す。歩みはそのうち、目的地が明確であるような足取りになった。ウチカビがその後をついていくと、少女はある地点で足を止める。
そして可愛らしい声で、意味不明な言葉の連なりを唱えた。
それに反応するかのように、一軒の家屋が、二人の目の前に現れていた。魔術によって隠されていたのだ。
「おお、ちゃんとまだあった。入りましょう。今日はここで密やかに、脱出記念パーティーでも」
どうやら安全圏であるらしい。ウチカビはシセルに続き、家屋の中に足を踏み入れた。
屋内には食卓やキッチン、身体を横にできる寝室があり、人が暮らすための条件が整っている。
二人は手分けをして、中の様子を点検していった。
ウチカビは狭い部屋にやってきた。いくつか、前回の使用者の荷物が残されている。あるいは誰かが補充した備品か。
作業机を見かける。
そこには、一枚の小さな絵が立て置かれていた。
いや、絵ではない。これは、“写真”だ――。
ウチカビは薄汚れた籠手で、写真立てを手に取った。
そこには大勢の人が映っている。どの人物も若者、どころか、子どもだ。
皆笑顔で狭い世界の中を駆け回っており、手には大皿の食事や、何かの飾りを持っている。どこかの大部屋で、祭りの準備でもしているらしい。
ウチカビは、ゆっくり、ゆっくりと、子どもたち一人一人の顔を眺めていった。
そして最後に、この中での最も年長者だと思われる、三人の男女に目がいく。
一人は若い男だ。子どもたちに囲まれている。慕われている様子が描かれている。
あとの二人。こちらも若い。
怪訝な顔をしている青年の背中を、まぶしい笑顔の女性……少女が押している。まるで太陽のような少女だ。しかしその髪はシセルと同じ白銀色で、そちらは月光を思わせる。
そして、背中を押されているのは。
送別会の準備から、追い出されようとしているのは――。
『……はっ、はっ、はっ、はぁっ……』
ウチカビは頭に手を当て、胸をかきむしり、苦しむ真似をした。
死霊に肉体の苦しみなどない。だが彼にとっては、真実、苦しかったのだ。
――この男は、自分自身だ。
この男こそ、ウチカビが鏡を覗けばそこにあるはずの姿だ。それは、投げた石がいつかは地面に落ちることのように、自然で、明白なことだ。
写真に映っている世界は養護院だ。彼と、彼の仲間たちの育った家。
そして。子どもたちに囲まれて笑う、優しい顔つきの青年は。自分の背中を押す、銀の髪の少女は。
ウチカビは写真立てを卓上に落とし、ふらふらと後ずさりをした。
『炎の騎士』を叩き斬った一振り。『魔女』を貫いた剣の感触。それが手の内に、鮮明によみがえってくる。
まさにいま、自分は封じ込めた記憶を取り戻そうとしている。それはわかる。
だがなぜ、取り戻すべきそれを、こんなにも恐怖しているのか。知ってはいけない。知ればもう、逃げることができない。そんな感情が頭を、全身を支配する。
かたかたと骨が鳴る。ウチカビは、震えていた。
脳みそなど欠片も残っていない頭を押さえ、うめく。
「ウチカビ? ……大丈夫ですか?」
気が付くと、ウチカビはシセルに顔を覗き込まれていた。少女はウチカビを思いやるように、気づかわしげな表情をしていた。
ウチカビは弱弱しい声で答える。少女を守る騎士のものとは思えない。
『アタマが痛い。思い出しそうなんだ……』
シセルはそれを聞き、ウチカビと机上の写真を見比べ、
「まあ。そうなんですねっ」
場違いな明るい笑顔をした。
「ふうむ。逃避したかった記憶が呼び覚まされて、魂が悲鳴をあげているのかな。面白い現象ですねぇ」
『シセル……?』
「わあ、この絵、あなたが描かれていますね。きっかけはこれか。ふーん、こんな表情ができたんだ……」
シセルは写真を見て、感想を口にした。
ウチカビはその言葉にある疑問を覚える。その疑問は今の彼にとって危ういものであり、咄嗟に考えないようにしても、耳鳴りのようになって彼をちくちくと刺す。
堪えられず。ウチカビはシセルに、それを、問い質してしまった。
『なぜ、その男が俺だとわかる……?』
ウチカビと青年は似ても似つかぬ姿だ。一方は死体、一方は生者なのだから。
シセルは可愛らしく小首を傾げた。それを問われることこそが不思議だ、という仕草だった。
「なぜって。私が初めてあなたと会ったとき、あなたはまだ生きていた。そのときの姿を知っているのは当たり前でしょ」
『え……』
ウチカビは呆けた。
そして、慄いた。背中の肌が腰の方から、一枚一枚、裏返しになっていくような感覚を覚えた。
少女は、生前の自分を知っている。
……考えてみれば当然だ。よく言葉を思い返せば。
少女は初めから、武器を持たないウチカビのことを、“剣士”だと断じていた。
死霊として目覚めたとき、ウチカビは剣も、それを収納する鞘も身に着けてはいなかった。戦いの経験のない人造の少女が、鎧姿だけで剣士だと見抜けるとは思えない。
だとすると少女は、剣を握ったまま死んでいた自分を見つけたか――、
あるいは。
生きて剣を握っている自分と、対面したか。
「どれ。今は魔力も十分にあることだし……。魔術で、記憶の整理を助けてあげましょう。それくらいならしてあげられます」
『――よせ』
ウチカビは膝を折り、情けなく床に尻餅をついた。
シセルは膝に手をつき、空洞の目を覗き込んでくる。
「どうして? 迷宮を出られたら、あなたは自分を知りたい。わたしはそれを手伝ってあげる……そういう約束でしょ?」
シセルの手が、ウチカビに伸びてくる。
『……やめろ!!』
ひどくおびえた声をあげるウチカビを見て。シセルはくすくすと、おかしそうに笑った。
少女の手が、頭蓋に触れた。
▽
星天教会の騎士カムリは、ついに迷宮の奥へとたどり着いた。
身体は傷つき消耗し、しかし幾度も振るった剣の白刃には、欠けも汚れもない。それを抜き身のままにゆっくりと歩いていく。
やがて、星天教会の騎士、ツェグが背後に追い付いてきた。彼の移動速度は、カムリが迷宮の仕掛けをなぎ倒しながら進むよりも遅かったが、大きく離されるものでもない。
カムリはそれを気配で察知したが、振り返ることはなかった。
迷宮の奥には、小さな部屋に続く木製の扉があった。洞窟の通路に人間がしつらえたもので、一蹴りで壊せるほど脆そうだ。
そしてその向こうが、本当の意味での最奥、行き止まりとなる。
カムリはドアを開く。鍵や結界などは、かけられていなかった。
中の様子は、まるで星法士や学者の研究室のようだ。
怪しげな薬液のビン、騎士には縁のない実験道具の群れ、走り書きで埋まった紙の束。
充満している星導力……いや、魔力。
魔術師と呼ばれる者たちの作業部屋とはたしかにこういうものだが、これは、カムリが想像していた『邪悪な魔術師の棲み処』とは、いささか違っていた。
そして。
その奥の暗がりには、ひとつの人影があった。
その人物は、人間が一人入れそうな大きさの――何かの前に立っていた。ちょうどそこら中にある薬液を入れるビンを、そのまま大きくしたようなものだ。
カムリがわざと鳴らした鎧の揺れる音を聞くと、慌ててローブの頭巾を深く被る。
振り返る。
――その、『魔術師』は。
顔と体型が隠れているためか、中性的な外見だといえた。男らしくも女らしくもない。
カムリはその口元を注視しながら、『魔術師』に話しかける。
「お前が、死霊を操る魔術師か」
『魔術師』はカムリを見つめ返し、思考するような間をあける。そして答えた。
「たしかに得意な方だが……なんだおまえたちは? 『七霊商会』の人間ではないな。よそものが入れるところじゃないんだが」
声は低くはないが、男性だろうとわかるもの。歳若い印象を受ける。
年老いた男を想像していたため、カムリは内心で少し驚いた。とはいえ、任務には関係がない。
「星天教会の騎士だ。貴様のたくらみを……」
「教会? それこそ何の用だ、心当たりがない。私は――」
そのときだった。
騎士が剣を抜き、目にも止まらぬ速さで動いた。
カムリではない。
カムリの背後から来た人物。ツェグだ。
カムリは、警戒心のすべてを『魔術師』に注いでいたわけではないものの、それに反応できなかった。いや、察知はしたが、理解ができなかった。何をしようとしているのか。
ツェグは、優れた騎士のみに与えられる聖別鋼の剣を閃かせ。
『魔術師』の心臓を突き刺した。
「あっ――!?」
呆然とした声は、カムリのものであり、攻撃された『魔術師』当人のものでもある。
「は……? あ? なん、だ、おまえ。あ、ぁ……」
血を流し、ツェグの腕を力なくつかみ、小さなうめき声をあげ。
やがて『魔術師』は、だらりと項垂れた。
死んだのだ。
「ツェグ、何を……」
「………」
血濡れの剣を引き抜き、ツェグは振り向いた。冷徹な顔つきだ。
審問なし、警告なしの殺害。そう、“殺害”という言葉が適しているように感じてしまう。討伐でも任務でもなく。
滅すべき敵とはいえ、罪を犯す事情に耳を傾けることすらないのは、星天の代行者としてふさわしくない。
ツェグの行動には疑問がある。以前共に任務に就いたときと、今とでは、様子がまったく違う。何故だ。問わねばならない。
「………。終わったのか、これで」
しかし。カムリはどうしてか、その姿から目を逸らした。
これまでの道のりから地続きと思えない、実に淡白な結末だ。だが任務は果たした。
カムリは後ろへ振り返り、小部屋の扉に向き直る。
まだやるべきことはあるが、今となっては、来た道を戻ることこそが、カムリにとっては重要なことだ。
「ツェグ、あとは任せていいか。俺は、先にみんなを――」
任務達成後。ほんの一拍の、気持ちを入れ替えるための、緊張がたわんだ瞬間。
暗がりの下で、血濡れの剣が動いた。
「みんなを。………………………………?」
カムリの胸から、赤黒い刃が突き出ていた。
それは、彼を背後から貫いたものだった。人体の活動に重要な器官を損壊させ、殺害する目的の一刺しだった。
カムリは、不思議そうな顔で刃を見下ろした。
血に染まってなお、その剣の出来には感心する。カムリの持つ神器ミスティルテインとすら打ち合い、刃毀れしないほどの剣。人類の作製できる最高峰の武具のひとつだろう。
星天教会の騎士の中でも、指で数えられる人数にしか与えられていない。多くの功績をあげ、かつ力を認められた者にしか。
その中でカムリが知っているのは、ただひとりだけだ。
肺や心臓の損傷を認めていないかのように、カムリは渇いた笑い声を漏らした。
「……はは。これ、嘘だろ? 夢、だよな。ツェグ……?」
予兆はあった。
ずっと、様子がおかしかった。何かを隠しているふうではあった。
けれど何かの間違いなのは間違いない。なぜなら、ツェグは恩人で、最も敬愛する父のような存在だから。自分たちを家族と言っていたから。カムリは、仲間たちは、彼からの強い愛情を感じていたから。
カムリは、首を振り向かせ、背後の男を見上げた。
「聖剣。聖剣。聖剣。」
その虚ろな目は、ただひとつのモノだけに向けられていた。死にゆく息子のことは、刺し貫いたもののことは、見ていない。
カムリは、ツェグの目的を知った。
目的以外のことは、わからなかった。
「がっ……あぁ……ああぁぁあ……」
カムリは倒れ伏した。赤い鮮血が、地下洞窟に染み広がっていく。
――やがて、すべての感覚が閉じて、暗闇に沈んでいく。景色は見えなくなっていって、手足の感覚はない。
貫かれた傷はまさしく孔だ。そこから熱いものが抜け落ちていって、身体には冷たさだけが残される。
仲間たちの顔が思い浮かぶ。彼らの最期の瞬間は見ていない。だが、想像はできてしまった。
カムリは、ここにきてついに、自分がこれから、無意味に死んでいくのだと、理解してしまった。
ほんの少し前まで、こんなはずはないと、自分は無敵だと思っていた。幾日か前には、仲間たちの誰を死なせることもなく、自分の手で護り通せると思っていた。そのための力を手にしたはずだ。
けれど。そのすべてが、最初から、誰かによって仕組まれていたとしたら。
いいや。何かの間違いだ。
ツェグが、俺を殺す、なんてのは。
信じていたのに。いや、今でも信じている。この現実のほうが間違っている。裏切るはずがない。裏切れるはずがない。こんなのは悪い夢だ――。
カムリは、逃げた。
何もわからず、唯一わかった出来事からも逃げようとした。それほど彼にとって、ツェグという人間の存在は大きかった。それほど、仲間たちがいない喪失感はおそろしいものだった。
ここで彼が、現実を投げ出してしまうのではなく、思考を働かせていたのなら、すべてがおかしいことに気が付いただろう。
『ツェグが裏切るはずがない』ことを真実とするのなら、この現状には、理由や経緯が必ずある。カムリは、そこに思い至ることが、できなかった。
エクス、プラチナ、そしてツェグへの想いの強さが、実に人間的な感傷が、彼の思考に蓋をしていた。
命の前に心を止めたカムリをよそに、小さな部屋の世界では、状況が動いていく。
カムリの腰に提げていた剣が、事態に呼応するように発光した。
持ち主の生命危機を察知した神器ミスティルテインは、機能解放状態への移行を開始する。誰も触れていないのに、ひとりでに鞘から抜け出し、輝きだす。地面に投げ出されたカムリの手に収まろうと浮遊する。
遅れて。
カムリの身に着けていた籠手が、不気味に脈動した。
異変が起きる。美しかったミスティルテインの白い刀身が、たちまち黒ずんでいく。見た者に与える印象としては、染まるというより、色褪せていくかのよう。
白い剣は、黒い剣となった。
カムリはその姿に見覚えがあった。本国でカムリに預けられる前の、無理やりに重い封印をかけられていた状態と似ている。
神器ミスティルテインは、カムリを保護する力を失った。
「聖剣。」
そして色彩を失おうと、この兵器の重要性には変わりがない。
ツェグはやはり、神器ミスティルテインに手を伸ばす。その様子をカムリは、まだ動く眼球で見つめた。
星騎士に与えられる任務のひとつは、『神器を簒奪者から守ること』だ。
すべての星騎士は、星天教会が所有する“神器”の価値を承知している。特に、自身が担任する神器を奪おうとする者に対しては、強い防衛行動を起こすよう刷り込まれている。武器への視線に敏感な性質はこのためである。
その防衛行動は、時に、意識が介在する前に身体が動き出すほどのものだ。神器による自動保護が働かない場合や、星騎士自身の任務への意志が弱い場合を想定し、『本国』がかけた保険である。
このとき、実のところ、超人であるカムリの肉体は、もはや再起不能な傷を負ってなお、ツェグという簒奪者を退ける手段を備えていた。
だが。
絶望と逃避。彼の魂にのしかかったそれらは肉体への枷となり、指の一本すら動かすことはできなかった。
意思が弱まった、のではなく。目の前で起きていることの何もかもが、彼にとっては頑なに、受け入れがたいことだった。
己の根幹にしていた大切なもの、そのすべてを失ったカムリは、受け入れない現実の代わりに、無為な死を受け入れつつあった。
何者かのたくらみは、ここに成就しようとしていた。
「おい、ボケナス。よくもやってくれたな」
ツェグの身体が吹き飛ばされた。
青色の光がいくつもほとばしり、彼を執拗に攻撃したのだ。カムリは地べたから、その光景を眺めた。
次に視界に入ってきたのは、死んだはずの『魔術師』の姿だった。血濡れではあるが、死ぬ気配がない。
強力な死霊術の使い手であるならば、心臓を貫かれて起き上がることもあるのだと、カムリは知った。もう活かす機会はない知識だ。
『魔術師』は、カムリの傍らで輝きを失っているミスティルテインに目を向けた。
「なにを身内で揉めているのか知らないが、これは……魔剣か? ……ランクが高いものなら、“心臓”に使えば……」
『魔術師』はこの土壇場で、ぼそぼそと独り言を並べ立てた。
カムリには意味の分からない内容で、どうにも、市街を襲うたくらみや人を殺す犯罪計画とは、関係がなさそうだった。
「悪いが、もらうぞ。いきなり人を殺しにきたんだ、文句はないだろう」
『魔術師』は剣を奪った。手ではなく魔術を使い、剣を浮遊させた。
カムリの星騎士としての機能が、強烈に身体を動かそうとする。
相手がツェグではないためか、実際に腕がわずかに持ち上がり、肉体に残っている星導力を行使しようとまでした。だが負傷が致命的であるからか、それとも気力を完全に失っているためか、そうはならなかった。
そうなる前に、目の前の状況のほうが、また変わった。
『魔術師』は剣を奪ったその場で、おそらく剣に対して何らかの魔術を行使していたが、背後からやってきた何者かに斬りつけられていた。
何者か、というのは、カムリからは全貌が見えなくとも明白なことだ。
『魔術師』の焦る声が反響する。
「きさま、なぜ……!? 顔面吹き飛んで、あッ」
「えいえん。えいえん。えいえん。」
「痛っ。あがっ……やめ……」
『魔術師』は、彼がツェグにした反撃以上に、執拗に攻撃されていた。そこまでしなければ殺せないと判断されたのだ。これ以上の隠し玉がないのなら、カムリよりも早く死ぬだろう。
まさしく、『魔術師』の声は、ほどなくして聞こえなくなった。
「えいえん。」
ツェグの声がする。足は、剣を探しているのか、うろうろと部屋を動いている。カムリは、そんな声を聞きたくないと、もう見たくはないと、意識から追い出そうとして。
「……あうい……」
自分を呼ぶ声を聞いた。足はその一瞬だけ、こちらを向いて止まっていた。
「――今度こそ。出ていって、もらおう、か……!!」
これまでとはまったく別の声がした。高い音で、年若い少女のものだとわかる。
青い光がまたたき、ツェグは再度吹き飛ばされた。突風に見舞われたかのように、周辺に散乱した道具や、『魔術師』の死体までまとめて。
今回は飛距離が長く、ひとりでに開いた扉の向こうに、その姿は吸い込まれていった。
「封鎖」
少女のような声は何かをつぶやき、それに応じるように、木製扉がひとりでに閉まった。
「これが精いっぱいか。肉体は動きだしたが、もう魔力がない……」
ひたひたと、洞窟の地面を歩く、白い素足が見えた。
「やれやれ、こんなことになるとは。この身体には、清純な魂こそがふさわしいのに」
「トラブルどころの話じゃないが、心臓が見つかったのは幸いだった」
「なんで研究してただけで死なんといかんのだ、なんだこいつら、マジで」
「これからどうする」
「クソ……まだ外にいるだろうな。この身体じゃやれるかどうか。保険が必要だ……」
ぶつぶつと、可愛らしい声で独り言が漏れてくる。まるで、長いこと独りでいる人間のような癖だ。言葉遣いも声の印象と一致しない。
ひたひたという足は、やがて、カムリのすぐそばまでやってきた。
くらくてつめたい、死の間際。
カムリの傍らには、『真っ白な少女』がいた。
一糸まとわぬ姿と、あまりに整った顔立ちは、美しいが造りもののようで、人形のような印象を受ける。
だが、カムリを覗き込む顔には、怒りや焦りの表情が浮かんでおり、人間らしさを感じさせた。
「やれやれ。おい、おまえのせいで全てがめちゃくちゃだ。どうしてくれる」
その姿も、やがて暗闇に塗りつぶされていく。いよいよそのときが来たのを、カムリは悟った。
何も見えず、身体の感覚も消えていく中で、その声だけがはっきりと聞こえた。
「こうなったら道連れだ。おまえは、私の……『騎士』になれ。次に必要な魔力が溜まったとき、おまえを蘇らせてやる。その代わり、よく働いてもらおう」
カムリは思った。誰も守れない自分が、誰かの騎士になったところで、なんになるのか。
少女の声が、次第に遠くなる。
カムリは震えた。名誉も誇りもない死に方は、その恐怖を紛らわせることができない。
そして何より、同じ道をたどったかもしれない、エクスとプラチナの絶望を想い、心はひび割れた。
『これが、俺の終わりなんだ。怖い。怖い。自分がなくなってしまうのは。』
それが最期の思考だった。
▽
『魔術師』の魂を宿した少女は、そんな心を知ってか知らずか、カムリに憐憫のまなざしを向けた。
「おまえのことは砂埃ほども知らないが、どうにも哀れだな。泣いているのか?」
少女は語りかける。相手に聞こえているのかどうかは、死霊術の使い手であっても、はっきりとはわからない。
「それでやる気が出ないなら、いっそ嫌なことは忘れたらどうだ。死霊兵っていうのはそれができる。普通に死んで死霊になったら、逆に、嫌なことだけしか覚えていない」
少女は魔力をはたらかせた。
死した人間の魂を停滞させ、肉体に紐づかせて保存する魔術だ。『彼』の研究内容の副産物である。
「安心して眠れ。今回に限り、死は終わりじゃない。……せめて怖い夢を見ないよう、枕元で祈っておいてやる」
▽
そうして、カムリは死んだ。