表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/12

08. 白銀色

 子どもの頃の、夢を見る。

 わたしがなりたい自分を決めたのは、たしか――、



 白銀の髪が、視界の端でちらちらと揺れる。見慣れた自分(プラチナ)の髪の色だ。


 気が付くと、わたしは夜道を歩いていた。

 歩く足取りはふわふわと浮遊していて、目に見える景色はどうにも地面が近い。

 なので、これは子どもの頃の自分が見ている光景だとわかる。


 そこに気が付くと、連鎖的に、これは眠っているときの夢の世界だと自覚する。

 この夜道には見覚えがある。ペリエの、ラングレン養護院を出て、南区のずっと端まで歩いていく途中だ。子どものわたしはどうやら夜が怖いようで、身体が震えていた。

 どんどん、この夜のことを思い出していく。たしか、エクスとは出会う前だったかな。10歳にもなってない。

 夜道を子どもが一人で歩くのはよくない。そんな常識は、小さい頃のわたしだってわかっているはずだ。

 どうしてこんな無茶をしたんだっけ。ああ、たしか……、

 友達が、町はずれの墓地には、お父さんとお母さんがいる……なんて話をしたからだ。

 子どもというのは、聞き分けがいいように見える子でも、突拍子もない行動をしてしまうもので。わたしはこの夜、顔も覚えていない実の両親の名前を探しに、墓地に向かっていたのだ。なんなら、何故か本人たちに会えるとすら思っていたフシがある。


 わたしが進むにつれ、街の灯りがだんだんと減っていく。

 きっとこの夜、大人たちは必死でわたしを探して、街中を走り回っていたんだろうな。いやはや申し訳ない……。

 ペリエは優しい街だ。他の都市なら、この時間に幼い子どもが町はずれをうろつけば、無事で帰れるとは限らない。人さらいの悪人だとか、結界を抜けてきた魔物とか、いろんな危険がある。

 でも、ペリエではそういった出来事は驚くほど少ない。よそとは比べ物にならない平穏がある……というのは有名な話だ。

 まあ、そんな話は、子どもの頃のわたしにはわからない。


 わたしは墓地へと続く、見通しの悪い林道までやってきていた。

 風が木々を揺らす様子や音は、とっても怖い。最初はなんでもないと自分に言い聞かせていたのだろうけど、わたしは耐えられなくなったようで、なんと泣きながら林の中に隠れ、座り込んでしまった。せめて走って家に帰りなさいと言いたい。

 とはいえ、この怖さはよく覚えている。このまま二度と家に帰れない、もうみんなに会えない、なんて思っていた。つまりは子どもにとっての最上級の絶望。


 だから、助けに来てくれた男の子のことを、かっこいい騎士様だとでも錯覚したのだ。


「プラチナ。なにやってるんだ、こんなところで」

「カムリ……?」


 うずくまるわたしに声をかけたのは、生意気でバカで少し意地悪で、仲のいい男の子。カムリだった。

 このとき、さすがにわたしの中で、カムリの好感度が爆上がりした。女子の恐怖心につけこむ許されざる男である。許されぬ。

 おっと、場面が進んでいる。

 一通り、すがりついたり、涙を隠そうとしたりしたあと、わたしはカムリに聞いた。


「どうやって見つけてくれたの?」


 わたしは魔物やらなにやらに見つかるのが怖くて、茂みに隠れていた。髪色は目立つだろうけど、この深い夜じゃ見つけるのは難しかったはずだ。

 カムリは答える。


「おれの目、どんなに暗くても見えるんだ。プラチナの髪なんか、どこにいてもわかるよ。きらきら光ってるから」


 そのときのカムリの瞳は、不思議な色をしていた。いつもは髪と同じブラウンの色なのに、暗い闇の中にいると、ぼうっと光る淡いブルーに変わっているように見えた。お月様のような色、とでも言えるだろうか。

 さて、素敵な王子様が……いや王子様とは認めないが……助けに来てくれたのだから、この話は終わり。……とはいかない。

 わたしはカムリに、一緒に墓地まで行ってくれるように頼み込んだ。怖さや寒さから、彼の手をぎゅっと握りしめたりしていた。よくないなぁ。

 結果、このまま夜の散歩を続行することに。すぐに一緒に帰ろうと言えなかったあたり、カムリもこのときは子どもだったということか。


 墓地にたどり着いた。わたしはカムリと、自分の父母の墓を探そうとしていた。けれど両親の名も、家名すらわからないので、見つかるはずもない。

 夜が深くなっていく中、不安な気持ちで墓地をきょろきょろ、うろうろと。たぶん自分でも、もう何をやっているのか、わからなくなっていた。

 それと、当時は気が付かなかったが、カムリはこのとき、お墓を探そうとしているというよりは、わたしをじっと見守っているようだった。

 時間が経っていく。

 このペリエという平和な街なら、ここであきらめて養護院に帰った、なんていう、少し寂しくて苦い思い出になるはず……、

 だったんだけど。


 このときわたしたちは、死霊(・・)に襲われた。


 誰かの遺体を無理やり動かしている、弱っちいタイプのやつだ。今相手にすれば一発で昇天させる自信がある。けれど10歳にもなってない子どもがこれに襲われたら、それはもう、この世の終わりみたいな衝撃と恐怖だ。

 悲鳴をひとつあげて震えるわたしを、カムリが庇う。まだ子どもなのに度胸はすごい。でも、剣なんて握ったことがないときのカムリだ。わたしたちは絶体絶命だった。


 ぎゅっと目をつぶってしばらくすると、誰かの足音と気配がして、わたしは目を開けた。

 騎士の甲冑を着たツェグが、剣を振り抜いていた。死霊はもう消えていた。ツェグが倒したのだ。

 わたしは安心しすぎて、泣きそうになった。わたしがぎゅっとその服を掴んでいたカムリは、へなへなと崩れ落ちた。彼も怖かったのだ。本当は泣きだしたかったに違いない。

 でも……先に泣いたのは、助けに来てくれたツェグのほうだった。


「どうしてこんなところまで来た! 夜は危険だ、出歩くなと言っただろう!!」


 ツェグの怒声を聞いたのは初めてだった。涙を見たのも。

 彼はきれいな剣を地面に突き立て、空いた両腕で、わたしたちをまとめて抱きしめた。


「いや……わかってるんだ。わかってる……」


 ツェグは耳元でぼそぼそとつぶやいていた。多分、どうしてわたしとカムリがこんなところにいるのか、という話についてだ。


「プラチナ、カムリ。お前たちは俺の……家族だ。勝手にいなくならないでくれ。心配するだろう」


 ツェグがいつものように落ち着いてきて、その温かさを感じて。わたしはようやくそこで、子どもらしく泣きじゃくったのだった。


 …………。

 今にして思えば。少し、おかしな出来事だった。それこそ夢の中の幻に思える。

 ツェグの様子が、ということではない。

 ペリエの内側で(・・・・・・・)死霊が出るなんて(・・・・・・・・)まずありえない(・・・・・・・)

 星法士として都市の結界に関わるようになったから、そう断言してしまえる。星天教会が力を持っているこの街は、特に死霊や不死属を忌避し、それらに対して強い結界を敷いている。墓地なんてとくに気を配っている場所だ。それは、わたしが子どものときからそうだったはず。

 このときのツェグが騎士甲冑、つまり任務中の武装姿をしていたのも、わたしのこととは別に、当時のペリエで何か小さな事件が起こっていたんじゃないか……なんて。

 こんな夢を見るってことは、わたしはこの件をずっと疑問に思っていたのだろう。けれど、大人たちにはついぞ聞きそびれてしまっていた。


 ありゃ、時間を止めてしまった。先に進めよう。


 養護院に戻ってきたわたしとカムリは、ツェグや院長先生たちに当然の説教を食らい、いつもの消灯時間に大幅に遅れて、寝室に送られた。

 でも、わたしは自分が眠れないだろうとわかっていた。手足は冷たくて、頭の中にはおそろしい死霊が焼き付いて、まぶたを閉じるのが怖かった。


「カムリ、いっしょにいて……。夜は、こわいの……」


 うーーーわっ、恥ずかし。ほんとにこんなこと言ったかな? うそでしょ。

 わたしはカムリの手を握って引き止め、そのまま院長先生のところに行って、眠くなるまでご本を読んでもいいかと聞いた。

 先生は優しく了承してくれた。いつもは、夜更かしには厳しい人だ。


 小さな灯り(ランプ)の下で、本を開く。カムリと顔を寄せ合い、ページを覗き込む。

 これはわたしが一番好きな物語の本だ。『シセルと魔法の騎士』という。

 魔法使いの少女シセルが、魔法で生み出した鎧の騎士と一緒に困難に立ち向かう、という話。最後にふたりは結ばれ、いつまでも幸せに暮らしたとさ……というオチ。

 わたしは、シセルの銀色の髪が自分のものと似ていて、たぶんそこが気に入っていた。あと、守られるだけじゃなくて、自分から騎士と共に戦っていく、勇敢さとか。

 まあ、勇気と愛の物語だ。

 それを一緒に、小さな声を出して読んでいった。カムリには鎧騎士のセリフを言わせた。つまらなさそうな棒読みがおかしくて、怖い出来事を少し忘れられた。

 そのあとは、くだらないお話をした。街のほうで友達ができたとか、果物屋さんでおまけをもらったとか。

 将来は、どんな自分になりたいか、とか。


「おれは、ツェグみたいな騎士になるよ」

「えっ?」


 それは初めて聞いたことで、わたしは結構おどろいたと思う。ツェグや騎士に憧れている男の子は多い(ペリエ市なりたい職業ナンバーワンと思われる)けど。

 子どものときのカムリは、のほほんとしていて、剣の練習とか、荒事とか、そういうのが嫌いそうだったから。


「なんで?」

「んー。かっこいいから」


 本当かな。子どもの頃のわたしは、あっさり信じたみたいだけど。

 もっと詳細を考えると、実際にツェグに危ないところを助けられて、その姿と実力に憧れて、騎士になりたいと思った……ってところじゃないかな。


「ねえ、ねえ。じゃあ、カムリが騎士になるんだったら、わたしはね」


 子どもは人の話をあまり聞かない。すぐに自分のことを言いたがる。


「シセルみたいになりたいんだ。シセルみたいな、魔法使い!」


 ……ああ。

 ここで決めたのか。自分のなりたいもの。


「へー。なんで?」

「ふふー。かっこいいから」


 たしかにそれもあるが、本当は。

 カムリと、一緒に戦いたかったからだ。背中に守られるんじゃなくて、一緒に肩を並べたり、背中を合わせたり、助け合う。あんな死霊なんて、ちょっと怖かったとしても、二人がかりでぶちかます。

 シセルになりたいっていうのは、それができる勇気ある女の子になりたい、っていう意味だ。

 だからわたしは、騎士と並び立って戦う、星法士を目指したんだ。


 本を閉じる。

 夢の中のわたしは、うとうとしている。怖い気持ちはなんとか振り払って、頭の中はカムリや、シセルと騎士のこと、ツェグやみんなのことでいっぱい。つまりは幸せな想い。

 たぶん、ベッドに着く前に眠っちゃうんだ。

 夢の世界が暗くなっていく。夢の中で眠ったのなら、現実で目が覚めるんだろうか。

 なら。

 まだ、夢を見ていたかったな。





「――あ。あ、うぁ……」


 意識が飛んでいたようだ。

 さっきまでの、優しく、意外と色鮮やかな記憶の景色と違って、ここは本当の真っ暗で何も見えない。何が起きているのかを忘れてしまう。

 でも、身体の痛みが、こっちを現実だと教えてくれる。

 柔らかいベッドはない。岩壁に背中を預け、間抜けにも深く眠っていたみたいだ。

 最後にもう一度だけ、おはようと起きられたことを、星神(ホシガミ)様に感謝しよう。

 ……いや。ほんとうは神様なんかどうだっていい。自分のタフさを誇ろう。


 子どもの頃の、夢を見た。

 わたしは、いつも服の内側にしまっている、大事なものを思い出した。



 ▽


「私は右へ行く」


 星騎士エクスを欠き、地下迷宮の攻略によりいっそう奮起する三人は、二又の分かれ道にぶつかった。

 カムリやプラチナが発言をする前に、ツェグがこの迷宮行への方針につながる選択を述べた。私は、右へ行く。

 つまりは、それ以外の者は左へ行け、ということ。

 この提言に、エクスを置き去りにしたばかりの二人は、当然に反発する。しかしツェグは、反論に対して首を振ることはなかった。

 右の道へ歩みだそうとするツェグに、カムリは思わず声を上げた。


「あんたまで一人になって、大丈夫なのか」


 これは、エクスを一人にしたことへの不安が現れた言葉だった。

 平時であれば、ツェグの実力を、カムリは何よりも信頼している。だが、取り返しのつかない何かが起ころうとしているような、そんな気がしてならなかった。

 ツェグへ一歩、一歩と近づこうとするカムリの腕を、プラチナがつかんだ。


「え、と。お互いズンズン進んでいって、もし行き止まりに当たったら、合流を目指して引き返す……ってことでいいんだよね?」

「ああ」

「カムリ、行こう。早く終わらせて、エクスのところに戻ろう」

「……わかった」


 カムリは兜の内側で、眉尻を下げた。不安におびえる子どものような表情で、ツェグの背中を見送った。

 カムリとプラチナ。二人は左の道を行く。



 しばらく、迷宮攻略のセオリー通りに道のりを埋めていくと、やや広い空間に出た。

 緒戦の魔物の大群がいた部屋や、エクスと別れた空洞ほどの大きさではない。しかしいかにも、何かがありそうな部屋だ。

 二人は警戒を強め、向こう側の通路に向かって進む。不意の罠や魔物の襲撃に備え、注意を払いながら、ゆっくりと。

 だが。この部屋に仕掛けられた罠に対しては、素早く駆け抜けてしまうべきだった。


「……!? これは……」


 部屋の中央を過ぎたあたりで、異変に気が付く。

 両名とも、足を止めた。いや、足が動かなくなったのだ。身体を縛り付けられたかのように、深い眠りから意識だけが目覚めたときのように、身体が動かない。

 麻痺毒の罠。それがこの部屋に、ガス状になって充満していた。


「プラチナ、平気か」

「ごめん、ちょっと、解毒に時間かかりそう……」


 カムリは訓練、プラチナは星法によって常人離れした耐毒性を獲得しているが、そのふたりの動きを止めるほどのものだ。

 しかしカムリはあえて深く呼吸し、精神を落ち着ける。「大丈夫だ、これくらいなら」。そう思考する。

 驚くべきことに、事実としてカムリの四肢は動きだし、緩慢な速度だが、プラチナを抱え上げようと彼女に近づいた。



 暗い暗い迷宮の中。

 人知れず、ひとりの騎士が、一枚の紙札を手にしていた。

 それは呪符。魔術師の道具だ。星天教会の騎士が持つことは許されていない。

 騎士は、呪符に、小さな火をつけた。火は燃え広がり、呪符を黒々と染めていく。



「あ……?」


 カムリは、呆けた表情で、籠手を装備した自身の両手を見つめた。

 兜の隙間からこぼれた、赤い血で染まっている。

 自分の口から吐き出したものだ。


 カムリは静かに倒れ伏した。


「カムリ!?」


 プラチナは麻痺への対処を進め、動くようになった身体でカムリに駆け寄る。

 兜を外して放り投げる。

 晒されたカムリの皮膚には、黒いまだら模様が、カビのように浮かんでいた。

 プラチナはそれを、死に至る“毒”であると判断する。自身とカムリの周囲に最も強力な結界を張り、その場で治療を開始した。


「大丈夫……大丈夫だ……っ」


 プラチナは自らを鼓舞する。治癒の星法や、人体に入り込んだ毒の中和は、プラチナが最も熱心に学んだ技術だった。人々を、そして未知の敵と戦う騎士たちを守るための、重要項目。

 カムリの症状を見て、それに近い原因を記憶から導き出す。プラチナは、自分のこれまでの努力は、今日この日のためにあったのだと確信した。

 星法による適当な処置を行っていく。


 そして、いくらかの時間が経った。普段であれば、軽い食事を済ませる程度の時間。しかし今は、騎士の命を削り取るのに、十分な時間だった。


(おかしい……!)


 難解すぎる。わたしの知るどの方法でも中和することができない。そもそも呼吸や皮膚から入り込んだものじゃない。強力すぎる“呪毒”が、体内から湧き出している。

 以上が、プラチナが突き止めた事実だ。

 部屋に充満している麻痺の毒とは違う、別のもの。その源自体が、カムリの体内(・・)に居座っている。これでは中和しきることはできず、元凶そのものを除去するしかない。

 プラチナはカムリの生命活動を維持しつつ、対応策をいくつも思い浮かべ、現状では実行不可能なものを排除していく。

 その中に、ひとつだけ実行可能なものがある。

 毒の源を今すぐ、患者に負担をかけずに体外に排出させる――、という都合のいい星法はない。だが『別のものに移動させる』という都合のいい星法は、あった。それはこの毒が、魔術による呪いであるからこそ可能な裏技だ。


 それは、呪毒をプラチナの身体に移動させる、というもの。

 自身の体内であれば、より小さく、小さく、毒の浸食や症状を抑制することができる。プラチナという星法士の五体そのものが、呪いの病を抑え込むひとつの結界になる。

 それをペリエに持ち帰り、教会や施療院の星法士たちとともに、時間をかけて解析と解呪を行う。そういった対処が可能だ。

 プラチナは息をのんだ。状況を今より良いものにできる見込みがあるが、リスクは大きい。抑え込めるかどうかは自分の実力にかかっている。可能だという目算はあるが、勇気は。

 プラチナは首を振った。

 カムリの顔を見て、想う。自分がなりたかったものは、なんだったか。


 プラチナは、カムリに口づけをした。

 接触により経路をつくり、カムリの体内に潜む、悪性の呪いを吸い出していく。


 このとき、少女の運命は決まった。


 呪いのすべてを移動させ、自身の体内に意識を割く前に、異変は起きた。

 カムリから吸い出した呪毒は、プラチナの体内に(・・・・・・・・)潜んでいたもうひとつ(・・・・・・・・・・)と結びついた。

 二種の呪いは混じり合い、より強力無比なものとなり、一瞬でプラチナを蹂躙した。内臓は破壊され、神経は切り刻まれ、星法の守りは砕け散った。

 プラチナは、失敗した。

 その全身を侵す毒が、侵入者を害する迷宮の罠ではなく。

 ただ騎士たちを殺害するためだけに用意されたものだと、知らなかったからだ。



 カムリは目を覚ました。

 意識を失う前にあった痛みはもうない。しかし、必死に介抱していたプラチナの姿が見えず、急いで身体を起こした。

 プラチナは、すぐそこに倒れていた。

 全身の毛が逆立つ感覚に襲われ、カムリは、プラチナを抱え起こした。


「そんな……」


 少女は、黒い病に侵されていた。

 口元に、胸に耳を寄せ、呼吸と心臓の動きを確認する。どちらも正常ではないが、まだ生きていた。

 カムリはプラチナを抱き上げ、すぐに来た道を戻ろうとしたが、その距離を思って青ざめた。やむなく、プラチナの身体を部屋の壁際に下ろす。

 プラチナに触れ、星導力を振り絞り、他者を活性化させ傷を癒す星法をかける。これは自身を癒すよりもずっと難しく、カムリはこの技術を、十分に修めているとは言い難い。


「……あ。カムリ……?」


 ささやくような声がした。


「プラチナ! ……大丈夫だ、すぐによくなる。お前が俺を治してくれたんだろ? さあ、集中して。毒なんて、またやっつけよう」

「……カムリは、平気……?」

「ああ。プラチナのおかげさ」


 カムリはプラチナの肩に触れ、手を握り、星導力を送り続けた。

 にも関わらず、少女の身体がどんどん冷たくなっていくのを感じた。その現実は、毒などよりも丁寧に、カムリの内側を壊していく。


「ね、カムリ……」

「なんだ?」

「あのさ。ぎゅって、してくれる……?」

「……何言ってる、こんなときに……!」


 気丈にふるまおうと努めていたカムリの声に、強い焦りが混じる。

 プラチナはその声から、カムリの心を感じ取った。そして、自分の状態も。


「ちゃんと言わないとだめか。カムリ、わたしね」


 顔をわずかに上げ、プラチナはカムリを探した。


「カムリのこと、好き。愛してただけじゃなくて、恋もしてた。ずっと、子どもの頃から……」


 カムリは、何を、こんなときに、といったことを口にしようとして、それを呑み込んだ。

 返答として、自分の心を伝える。


「プラチナ。俺も、俺もだよ。君が好きだ。何よりも大事なんだ」


 カムリはプラチナの頬に触れた。


「なあ、もう行こう、プラチナ。家へ帰ろう。こんなところじゃ雰囲気が台無しだろ? なあ……」


 少女は微笑む。

 だが、何も答えない。

 カムリは気が付いた。プラチナの蒼銀の瞳は曇り、何も映しておらず、目の前にいるカムリの姿が見えていない。

 まるで死人のようだが、乱れた呼吸だけが、まだ彼女を生者だと証明している。

 もし、それすらもなくなってしまったら。


 カムリは、何かできることはと、自身の経験や知識を総動員し――、

 そして、絶望した。

 あまりに無力だと思い知った。何もできはしない。手を尽くす、ということすらもできない。

 己の生存のために必要な能力を身に着け、修練を積んだ。目に映るものを守るために剣を握った。星騎士にまで上り詰めた。

 そうしてたどり着いた現実は。毒に侵された少女を、彼という騎士の起源そのものを、誰よりも愛した人を助けるすべがない、というもの。

 カムリの心が、暗く、深く沈んでいく。


「ねぇ、やっぱり逆。カムリのこと、ぎゅってしたい」


 プラチナの手が震える。カムリは、はっとして顔を上げた。


「でも、あれ……。できないや」


 カムリはプラチナを抱きしめた。恋人を甘く抱く、というよりも、すがりついて泣きじゃくる、子どものような姿だ。カムリは頬を、美しさを失わない銀の髪に擦り付ける。


「あはは。嬉しいけど、やっぱりちょっと違うな。わたしが、あなたを抱きしめたいのに」


 プラチナは不満をつぶやきながらも、目を閉じ、想った。

 ずっとこうしていてほしい。自分が、眠りにつくまで。

 その想いは伝わっているのか、カムリ自身、そうしようとしていた。プラチナを抱く腕は力強く、離したくないという意思のあらわれだ。


 しかしプラチナは、引き受けたはずの呪毒が、再度カムリに及ぼうとしていることを察知した。


「……ね、カムリ。もう行って」

「……なんだって?」


 それはプラチナが、勇気を振り絞って口にした言葉だった。


「ひとりで先に行って。お願い」

「何を、ばかな」

「だいじょうぶだよ。また会える。……約束する」


 気休めの嘘。しかし、プラチナという少女の、本当の願いでもあった。


「嫌だ、一緒にいる。死ぬまで一緒だ」


 カムリは、騎士である自分をかなぐり捨て、わがままを言った。プラチナが何かを決心しているのは明白だが、それでも離れられなかった。任務のことなどもはや頭にはない。目の前の少女のことしか見えない。それが彼にとって、当然の優先順位だ。


「俺は、本当は。みんなを守るために騎士になったんじゃない。君を守るためだったのに……」


 それが子どもの頃、暗い夜の日に決めた、彼の起源だった。


「!? な、何を――」


 死に瀕するプラチナの身体にあって、唯一元の美しさを損なっていないもの。白銀の髪が、淡く光った。

 瞬間、カムリはプラチナから引き離される。宙に浮いた彼の身体は、銀色に輝く球体の内部に囚われていた。


「いい? ちゃんと魔術師を――ううん。悪いヤツを倒してから来てよね。じゃないと、待っててあげないよ」

「プラチナ!! 待ってくれ、待って」

「カムリ」


 プラチナは微笑んだ。相手を想うこの瞬間だけは、痛みを忘れられた。


「ありがとう。またね」


 光球はカムリごと、通路の向こうへと飛ぶ。迷宮の道に沿って、遠く、遠く。

 本来は敵を吹き飛ばすための技だ。プラチナは、少し乱暴だったかな、と笑った。



 プラチナの星法によって飛ばされたカムリは、長い距離を移動し、地面に投げ出された。

 おぼつかない手足で地面をかきむしり、立ち上がろうとする。


「はぁっ、ああっ!? うわ、あ、ああああああ!!!」


 カムリは狂乱した顔つきで慌てふためく。何が起きたのか、プラチナがどうなるのか、理解したからだ。


 そこに、一人の男が現れた。


 カムリの現在地は、先ほどの分かれ道と合流する三叉路だ。別の通路から、影が漏れ出すように、ツェグがやってきていた。

 カムリとツェグの目があった。その姿と、プラチナを欠いた現状から、二人にどの程度の苦難があったのかは、誰にでも想像できる。

 カムリは視線を切り、身体を来た道に向けた。

 だが。


「先を急ぐぞ」


 ツェグの発した第一声は、そんなことだった。


「――何故だ!? ふざけるな!! あり得ない判断だ、いくらあんたの言うことでもッ!!」


 カムリは、エクスを想い、プラチナを想い、敬愛するツェグに食って掛かった。

 きっと状況を知らないのだ、そう考え、説明しようと思った。あるいはその前に、激高し拳で殴り飛ばそうとした。


「……な……っ」


 ツェグは、涙を流していた。


「先を急ぐぞ」


 かけられる言葉は変わらず非情なもの。表情には悲哀も、怒りも、他の何もない。無感動だ。

 ただ、涙を流していた。

 カムリは、ツェグのことがわからない。わかったのは、彼もプラチナを想っているということだけだ。

 カムリは今にも死にそうな顔になって、行くべき道と、戻るべき道を見比べた。


 ちゃんと魔術師を――ううん。悪いヤツを倒してから来てよね。じゃないと、待っててあげないよ。


 カムリは選んだ。向かう道はプラチナの元ではなく、『魔術師』の元へと続いている。

 その選択が間違いであるとも知らず。

 いや、間違いだとわかっていた。彼は自分の中にある、何よりも大切だったものに、フタをした。


「すぐにケリをつける」


 それだけをつぶやき、カムリは走り出した。


 移動速度は戦闘時のスピードに近い。

 仕掛けられた迷宮の罠や、ときおり現れる迷宮の番人たる魔物を、力任せにも見える強引さで突破していく。そのたびに、負傷が増えていく。

 いくら星騎士であっても、迷宮攻略という観点では、これはあまりにも悪手だ。

 だが、その鬼神のごとき形相を見れば。たとえ仲間たちがいたとしても、止められはしないだろう。


 その後をツェグは、影のように、幽鬼のようについていく。







「――あ。あ、うぁ……」


 暗闇の中、プラチナは、ほんの一瞬の眠りから目覚めた。

 最後の目覚めだった。

 もう立ち上がることはできない。背を任せた岩壁が、彼女の眠る場所となる。


 プラチナは、毒に侵された腕と震える指先で、服の内側から、一冊の小さな本を取り出した。最後に腕を動かす力は、このことに使った。

 本は、肌身離さず持ち歩いていた、彼女の宝物だ。

 膝の上で、本を開く。幼い本好きの女の子のように。

 灯りのない洞窟でも、毒で見えなくなってしまった目でも、本を指でなぞれば、プラチナにはその内容がわかる。

 一字一句、とはいかないが。ほとんど覚えてしまうくらいには、その物語が好きだった。

 全身がひどく痛むのに、ページをめくる指先は、不思議と軽やかに動かせる。

 『シセルと魔法の騎士』。その勇気と愛のおはなしを、プラチナは頭の中で思い返していく。


 勇敢な魔法使いの少女シセルは、騎士と結ばれ、ずっと一緒に、幸せに暮らしました。

 死がふたりを分かつまで、片時も離れることはありませんでした。

 おしまい。


 プラチナは、これまでの自分の記憶を思い浮かべた。そこにはプラチナと、その大事な人たちがいる。

 プラチナは、これからの自分のことを想像した。そこにはきっと、プラチナと、一番大事な誰かがいる。

 幸せな記憶と、幸せな結末。憧れていた未来。それらが、傷ついた少女の心を、温かく満たしていく。


 本の最後のページが、落ちてきた雫で濡れてしまった。


「いかないで、カムリぃ……」


 プラチナは泣いた。

 見えなくなった目を凝らし、動かないはずの腕を持ち上げ、どこかに向かって手を伸ばす。


「いっしょに、いっしょにいてよ。こわい……。夜は、こわいよう……」


 しばらくの間、洞窟には、少女のすすり泣く声が小さく響く。

 それもやがて、静かになった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ