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07. eternal blaze

 死霊の騎士ウチカビと少女シセルは、迷宮の上層近くまでやってきていた。

 これまでに起きた戦闘での相手は、『屍の剣士』や『魔女』以外では『ゴーレム』ばかり。

 そして、『発生したての弱い魔物たち』。

 いま、ウチカビは、ネズミのような姿をした魔物を討伐した。このような自然発生する魔物たちは、状況を見るに、どうやら屍剣士が駆除していたらしかった。理由はわからない。彼がいなくなったため、二人の前にはようやく、ゴーレム以外の敵が現れたということになる。

 魔物の死体が光の粒に分解されていき、きらきらと消えていくのを、少女は楽しそうに眺めていた。

 ウチカビは剣をしまおうとする。

 そして、ぴくり、と途中で動作を止め、再度剣を構えなおした。

 通路の向こう側からは、やはり泥人形(ゴーレム)がやってきていた。


「はぁ。またですか」

『下がっていてくれ』

「いえ。今ならわたしにも倒せる! ……と、思います」


 何? とウチカビはつぶやきかけた。声にはならなかったが、その思念はシセルに伝わっているだろう。

 少女が一歩前に出る。その銀色の髪が淡く発光しているのを見て、ウチカビは意図を察した。

 シセルは『魔女』から、魔力の源となる白銀の髪を手に入れた。魔術を修めているようだから、豊富な魔力があるのなら、自らの手でゴーレムを下すことは不可能ではないだろう。シセルは挑戦、または肩慣らしをしたいのだ。

 ウチカビはゴーレムへの警戒心を強く保ちつつ、少女の美しい髪と、細い肩を見守った。


 目の前のゴーレムは、これまで相手にしてきたタイプと違い、巨腕と上背(うわぜい)を持たず、ウチカビと似たような体格をしていた。細身のゴーレム、人間大のゴーレム、とでも呼べるだろう。

 シセルは右手の人差し指をゴーレムに向けた。それを左手で支え安定させ、指先で魔術の狙いをつけている。

 左目をつむり、ぺろりと唇をなめる。子どもが遊んでいるような姿にも見えた。

 ウチカビは詳しく知らないことだが、これは国外にある“拳銃”という武器を真似たしぐさだ。


(アロン)


 指先から、小さな銀の弾丸が飛び出す。

 それは見事にゴーレムの片腕を貫き、ややのけぞらせた。


「よし。……火炎(ノーヴァ)


 続けて、銀色の炎が発生し、ゴーレムの全身を巻き込んでいく。

 ウチカビから見て、シセルの魔術には確かな攻撃力があった。並の魔物であればこのように、簡単に倒せてしまうだろう。


「!!」


 だが、ゴーレムは動いた。

 緩慢な速度ではない。すばしっこい人間のようにだ。銀の炎に身体を包まれながら、シセルに突進してくる。

 ウチカビは剣を動かしそうになったが、このゴーレムには大した攻撃能力がないことを見抜き、やめた。少女の初戦にふさわしい敵だとすら考えていた。

 ゴーレムの腕が振るわれる。それはシセルの顔をかすめ、彼女をその場から数歩ばかりしりぞかせた。


「…………」


 攻防のあと、シセルは、顔をはたかれたような姿勢で固まっていた。

 ウチカビからは、長い髪に隠れて目元は見えない。しかし頬に小さな切り傷を負ってしまったらしく、赤い血のしずくが頬を流れていた。

 シセルはそれを白い指で触り、傷を確かめている。自分の顔についた小さな傷を。

 そして再度、ゴーレムに向き直った。


 ウチカビには見えなかったが。

 少女は、怒りに目つきを暗く歪め、ゴーレムをひどく睨みつけていた。


風絶(ジェット)

『!?』


 少女を発生地点として、周囲に強烈な衝撃波が放たれる。

 逆方向ではあるが、ゴーレムともども、ウチカビは吹き飛ばされてしまった。岩石の人形を転がす風圧なら、軽鎧姿の骸骨など、その倍は飛ぶ。


雷条(サルドー)

斬閃(ドゥバ)

(アロン)(アロン)。弾弾弾。弾弾弾弾弾弾弾――」


 シセルが手をかざし、呪文を口にする。銀の稲妻が迸り、銀の光線が岩塊を切断し、弾丸、というより無数の砲弾が、敵に向かって飛んでいく。

 ウチカビが体勢を整えて戻ってくる頃には、ゴーレムは土くれに還されていた。


『すさまじい。これでは騎士の仕事がない』


 ひとまず、ウチカビはシセルへの賛辞を口にした。両腕を広げておどけたポーズをとる。飛ばされて転がされてから戻ってきたので、無様にも土で汚れていたりする。ウチカビは、このさまを笑い話にでもしたかった。

 しかしシセルはウチカビのほうを見ない。肩を上下に揺らし、ゴーレムの痕跡を見ている。


『シセル。……シセル』

「――はい?」


 少女は振り向いた。朗らかで愛らしい笑顔のままだった。


『傷は平気か?』

「ああ、うん。すぐ治せますし」

『………。では、先へ進もう。戦いに出たいときは申しつけてくれ。こちらも心強い』


 ウチカビは結局、シセルの戦い方について言及することはなく、何事もなかったようにふるまった。追い越しざまに様子を一瞥したのみだ。


「………」


 ウチカビの目から外れると、シセルはたちまち不機嫌そうな顔になり、頬の赤い傷を指でなぞった。

 そのひと撫でで、傷は消えた。

 しかし『魔術師』のいらだちは、もうしばらく続くだろう。



 しばらく進むと、またしてもゴーレムと遭遇した。

 この地下迷宮には、もう彼らしか出てこないのだと思わせる。


「ウチカビ。原型をとどめたまま仕留めてくれますか?」

『承知した』


 戦闘。

 ウチカビは剣で泥人形の核を貫き、停止させた。


『どうした?』


 シセルは倒れたゴーレムの元にしゃがみこみ、何かをしようとしている。手をかざし、髪を発光させ、魔力の光によって図形が地面に描かれていくのを見るに、ゴーレムに対し魔術を行使するようだ。


「これの解析をします。さっき、わたしの魔術が効かなかったので」


 シセルは魔術を使いながら、こん、と岩の人形を軽く蹴りつけた。行儀が悪い、とウチカビは思った。

 そして疑問を覚える。シセルの魔術によって、ゴーレムは粉微塵と化していた。ウチカビに同じ真似はとてもできない。効かなかった、とはどういうことか。


「……ああ、やっぱり。これ、炎だけは(・・・・)効かないように造られてますね。そこそこ高級品です。どこの作かな……」


 ウチカビは先の戦いを思い返す。少女の放った魔術のうち、銀色の炎は、たしかに人型ゴーレムにダメージを与えていなかった。そのせいで反撃を喰らったのだ。

 少女は荷物入れに、ゴーレムから剥いだ岩の皮膚片をしまった。


「もし火の魔術しか使えない人がこれと戦ったら、一方的にやられてしまうでしょうね。そういう悪意のあるゴーレムです」


 シセルはまた、ゴーレムの頭を蹴った。

 行儀が悪い、とやはりウチカビは思った。


 ▽


 二人の迷宮脱出行は、いよいよ上層に到達するという段階だ。脱出の日は目前。

 途中、安全圏を構えられる小部屋を見つけたため、例によって休む運びとなった。


「使わせてもらいます~、っと」


 小部屋には、首のない神の像があった。

 元からこの造形ではなく、壊れてそうなったようだった。しかしおそらく、ウチカビには馴染みのない神だ。記憶が刺激されない。

 シセルは像が置かれている棚の前に膝をつき、日常生活に必要としない動作をした。

 胸の前で両手を重ね合わせ、目を閉じ、(こうべ)をたれ、そのまま手のひらを地面に向ける。というのが一連の動きだ。


『それは、祈りか?』


 ウチカビはそれを、神への祈りだと解釈した。


「勝手に使って、神さまのバチがあたったら怖いですからね。魔術師だって多少の信心は持っているものです。研究がうまくいかないときに神頼みしたり……」

『俺の知っている神への祈りとは、違う気がする』


 ウチカビからの、珍しい種類の声。疑問、未知への好奇心を含むそれを聞き、シセルは顔を上げた。


「ふむ。私……を造った『魔術師』と、生前のあなたとで、信仰の対象が違うんでしょう。人間は所属するコミュニティごとにそれぞれ、信じている教え、神が違う。……ですよね?」


 ウチカビはシセルの言葉に同調し、頷いた。

 彼の中には、記憶がなくとも、ある教義が強く染み付いていた。


『神とは、(そら)で光る星々。そしてそれは、死者が行きつく先の世界でもある。祈るのなら、天を仰ぐはずだ』

「ふんふん。その考えはたしか、“星天教会”のものですね」


 星天教会。

 という単語は、ウチカビの中の空いた穴を、ぴったりと埋めるように、彼の中へと入ってきた。


「わたしの受けた教えだと、神とはこの大地そのものです。死した生物の魂は大地に還り、大地の血液となって内側をめぐり、そのうち、新しい命として生まれ変わる。転生するのです」

『……初めて聞く考え方だ』


 ウチカビにとって、シセルの話す世界観は新しいものだった。おそらく生前の知識になかったことだ。

 新鮮なそれらは、彼の印象に残った。


「でしょうね。あなたが星天教会の人なら」


 そう話しながらシセルは、ウチカビの腰にある屍剣士から奪った剣を、ほんの一瞬だけ見た。正確には、その鞘に意匠として刻まれた、星をあらわすような印をだ。

 ウチカビは『自身が所持する剣への視線』に非常に敏感であったため、それを察したが、特に思うことはなかった。


 ▽


 しばらく歩いたあと。

 二人の冒険は、行き止まりに陥った。


 魔術の灯りなしではまったくの暗闇だった地下洞窟が、夕暮れのような赤いものに照らされている。

 二人の前には、炎の壁が立ちふさがっていた。

 文字通りの炎の壁だ。ごうごうと燃え盛り続けるそれが、地上への唯一の通路を封じている。


 ウチカビは握りこぶしほどの石を拾い上げ、炎の壁に向かって放り投げた。耳を澄ませても、石が地面に落ちる音がしない。まるでその前に燃え尽きたかのように。

 このためか、この炎をそのまま強行突破してしまおう、という案は、どちらからも出なかった。

 次に、シセルが様々な魔術を試した。炎を消すための水や冷気。燃料となっているだろう空気への干渉。持参していた怪しい薬液の数々。

 どれも有効ではなかった。炎の壁は揺らぎもしない。

 結果として、これは高密度の魔力が形成している、架空の炎であることがわかった。

 つまり、魔術の炎。それも、尋常でない使い手の放ったものである。


「うーん。地属性の魔術がもっと使えたらなあ。地形を変えてしまえば……」

『どうする? 横穴でも掘るか』

「うーん」

『待て』


 ウチカビが腕を広げ、シセルを下がらせ、剣を抜く。

 炎の壁の向こうから、大きな影がひとつ現れた。

 ゴーレム。身体は赤熱し、まるで屍のように緩慢な動きだが、形をとどめている。つまり最高級の耐火性を持っているということ。


 この瞬間、ウチカビとシセルは、以前からの疑問に対するひとつの答案にたどり着く。

 迷宮内に魔物がいない理由。これは、屍剣士が倒していたから。

 そして、ゴーレムしかいない理由。

 それは、そもそも彼らしか、ここを通ることができなかったからだ。迷宮の外から、彼らはやってきている。

 しかしこの推論は、やはり新しい疑問を生んだ。


 耐火ゴーレムは、何者の手によって差し向けられている? どんな目的のために?


「ちょうどいいですね。こいつを使ってやりましょう」


 ウチカビはシセルに指示を受け、例によってゴーレムを傷つけずに倒した。

 シセルはその場で、魔術を使い、ゴーレムの加工を始めた。時折ウチカビに、どの箇所を削れといった指示をしてくる。

 作業には少なくはない時間を要したが、結果として、『二人が乗り込める耐火ゴーレム』ができた。


「これなら……」


 内側に人間が入れる空洞を開けられた状態で、少女の手振りによって操られるゴーレム。

 ウチカビは今さらながら、シセルの腕前に感心していた。他者が送り込んだだろうゴーレムの操作権を乗っ取り、自分の傀儡とする術。『魔術師』の技をそのまま受け継いでいるのではないか、とすら思わせる。

 二人は、土で汚れた狭いスペースに、身体を丸めて乗り込んだ。

 ウチカビの膝の間に少女が座る。つややかな白銀の髪を見て、ウチカビは愛しさを感じた。


「よし。ちょっと無茶のある設計なので……ウチカビ、しっかり守ってくださいね」


 シセルはウチカビの骨の腕を、強く握った。

 岩のふたが覆いかぶさってくる。炎の明るさに慣れた目から、まったくの暗闇へ。

 しかし、ウチカビの目には、やはり少女の白銀の髪が見えていた。

 ゴーレムが走り出す。ひどい揺れが生まれ、ウチカビはシセルを保護するように身を固めた。


「アチャーーーッッ!!!」


 炎の壁を突破し、ゴーレムから飛び出す際、シセルは泣きながら、エイテース(猿に似た魔物)のような叫び声をあげた。

 さすがに全くの無事とはいかなかった。シセルが傷をすぐに治せる人造人間で、ウチカビが痛みを感じない死人だからこその攻略法だ。正攻法ではない。

 ウチカビは、そのまま泣きながら地面に転がる彼女を、哀れに思った。


『君の案で突破できたな。ありがとう』


 ウチカビは、籠手に守られた手を差し伸べた。


「え、ええ。以前はこんな壁はなかったのですが、もうすぐ出口ですし――あっつい!!」


 シセルは熱された籠手に触れ、悲鳴をあげた。



 炎の壁の向こうは、大きな空間だった。『魔女』を相手にした部屋よりも、さらに一回り広い。

 そして、何もない。

 いや、何もかもがなくなっていた。黒い灰の粒があちこちにあるのみ。ウチカビはそれが、ここであった激しい戦いによるものだと見抜いていた。

 ここには何もない。何もなくなった。

 あるひとつのものを除いて。


 ウチカビの視線の先、壁に寄りかかった小さな影。

 兜をした鎧騎士の遺体と、地面に突き立った黒焦げの棒きれが、そこにあった。

 どくん、どくん。ウチカビは、心臓が収縮し、音を鳴らしているような錯覚に襲われた。そこにある敗者の姿が、自身にとって重要な何かであることを、第六感が告げている。

 ウチカビの足が止まる。シセルはふらりと進み、地上への通路へと近づいてく。


 炎が、大空洞を(あか)く彩った。


 地上へ続く通路には、先ほど通過したような炎の壁が燃え上がり。空洞の淵は炎上し、二人を取り囲む茜色の陣となる。

 迷宮の罠か。あるいは何者かの仕業か。

 それは考えるまでもなかった。

 ウチカビの視線の先。鎧の騎士が、かたかたと震え、音を鳴らしながら、立ち上がった。


『――トオ、サナイ。ココハ、トオサナイ』


 およそ生きている人間のものではない、不自然な動きをしながら、騎士はだんだんと正しい姿勢を取り戻していく。

 空気に響くのではない、頭に響く声が、ウチカビに伝播する。

 兜の向こうにある眼光を確かに感じた。目が合ったのだ。


『……フシゾク。フシ属、不死ゾク……!』


 騎士は、焼け焦げた棒切れを握った。

 そこに炎が灯る。まるで松明のよう。だが、それは(つるぎ)だ。炎はめらめらと溢れ出ていく。

 剣から燃え移るように、騎士の鎧の隙間から、炎が吹き上がる。

 巧緻な意匠の兜が、赤熱していく。やがてそれは、どろどろに溶け、割れた。


 兜の下は、ウチカビに似て。

 燃える骸骨の騎士が、そこにはいた。


『不死の(ともがら)、尽く滅すべし』


 炎がウチカビを襲う。


 ▽


 敵とウチカビは、同じような骸骨の姿。死霊の剣士。しかし、条件は対等ではないようだった。

 『炎の騎士』は、ウチカビとの距離が遠くとも、近くとも、筆舌に尽くしがたい猛攻を仕掛けてきた。

 握っている黒焦げの剣からあふれている炎が、刃となり、ウチカビに怒涛のように降りかかる。攻撃能力が、まるで魔術師か星法士。剣士同士の戦いとは言い難い。

 シセルによる修復や防護、牽制攻撃による援護。それらがなければ、まともな対決ですらない。

 炎の騎士は、ウチカビを一蹴しうる強者であった。地上へと至るまでの、最強最後の障害だ。


 戦いのさなか、炎の騎士は、シセルが何をしようともそこに攻撃をすることはなかった。その燃え盛る目は、ウチカビだけに向けられている。

 この条件のため、ウチカビは今、かろうじて、消し炭とならずに剣を握ることができていた。


『シセル! 球体の魔術をくれッ!!』


 防戦一方のウチカビは、シセルに魔術行使を要求した。

 銀色の光弾が空間にばら撒かれる。ウチカビは炎をかわしながら、光弾を剣で切り裂いていく。

 やがて刃が淡く白銀に濡れる。ウチカビは瞬時に剣を振り切った。

 光る斬撃の軌跡が飛行する。『魔女』との戦いで見せた技術だった。ウチカビにとって、距離の不利を覆すための選択肢のひとつだ。

 だが、押し潰される。銀の刃は、より巨大な炎に飲み込まれた。

 ウチカビのそれは、遠間の対象を斬るための手段に過ぎず、攻撃力は通常の一振りから逸脱はしない。これを必殺の技にするには、星導力に富んだ肉の体が必要だった。

 対して敵の炎刃は、大規模魔術に匹敵する密度がある。ウチカビの斬撃とは拮抗することすらない。


 炎がウチカビの兜を撫でる。体勢が崩れる。これまでにウチカビが思い出した剣技、そのどれもが炎の騎士には通じない。

 シセルは、彼の敗北を意識した。戦闘の専門家でなくとも、どちらが優勢なのかはわかってしまう。こうなっては、戦闘以外で出し抜く方法を考えるべきだった。


 しかしウチカビは、自身がひどく興奮していることに気が付く。


 心拍が激しい律動となり、血が沸騰し、筋肉が熱を上げるような感覚。それらはすべて失われたものだが、仮想のものとしてウチカビの内面に存在する。

 ウチカビは兜を脱ぎ捨て、おそろしい骸骨の顔をさらけ出した。


『ウオオオオオオオ!!!』


 音にならない咆哮は、空気にこそ響かないが、シセルをひるませた。対面する炎の騎士にも、その威圧は伝わっているだろう。

 ウチカビが動いた。

 疾走は、これまでとは違う驚異的な速さだ。シセルには残像を追うことしかできない。ここにきてようやく、彼は自身の感覚を生前に近づけることに成功していた。

 常人には捉えられない速度であっても、燃える目は、その姿を執拗に追っている。ウチカビとの距離が埋まるほど、炎の騎士は、剣の激しさを増していった。

 その苛烈な茜色、朱色を、彼は潜り抜けていく。


 ウチカビはここまでの戦いで、炎の騎士の剣技の型を読み取り、記憶していた。

 近距離でも嵐のように襲い来る炎の太刀筋を、ウチカビはなんとか予測し、紙一重で防御し、進んでいく。

 そして、ついに攻撃圏内。刃が届く距離に踏み込んだのは、これが初めてのことだった。

 白と緋色の刃が、交差する。


『!!!』


 あれほど苦心して詰めた距離。ウチカビはそれを、すぐに捨てた。

 打ち合う瞬間のことだった。炎の騎士が振りまいた周囲の炎は失せ、すべてが彼の握るものに収束した。出来上がったのは赤熱する刃。鍛冶師が鉄を鍛える、その途中のような姿。

 それと剣を合わせたとき、あまりの高熱に、このままでは刃を溶かされるというイメージがよぎった。屍剣士から奪った、この不朽の剣がだ。

 ウチカビは剣戟をいなし、騎士の腹を蹴り飛ばした。


 それから、長い戦いを続けた。

 発奮したウチカビだが。

 炎の騎士に手傷を負わせることは、できなかった。


 呼吸などしていないのに、肩が上下する。心臓や肺などないのに、胸が破裂しそうだった。

 ウチカビには体力(スタミナ)というものがないが、しかし、彼は限界だった。精神的な消耗だ。

 災害のような炎の攻撃。それをやりすごしてなんとか近づけば、切り結ぶことさえ許さない赤熱の刃。そして、そもそもつけいる隙のない高度な剣技。

 あまりにも強すぎる。このような剣士が、なぜ迷宮の入り口付近で死んでいるのか。不思議でならない。なぜウチカビとシセルを阻むのか。それもわからない。

 理不尽、という言葉の顕現だった。


 騎士が両手で剣を握り、高く掲げた。無限にあふれ出す炎は今、ごうごうとうねり、渦を巻いている。途方もない力がそこに集中している。

 敵はウチカビの消耗具合を見て、勝負を決めにきた。ウチカビの脚はもう、反射的には動かない。意思が必要だった。

 あれが振り下ろされたとき、この空間のすべてが灰と化す。それがわかっているのに、ウチカビの身体は阻止に動かない。

 それは気が付いてしまったからだ。あらゆる手段が通じなかった。もはや今の彼に、なすすべはない。

 ウチカビは戦いに没頭するあまり、撤退や搦め手の選択肢を排除していた。ここで彼が消えるのは、炎の騎士に挑んだことこそが間違いだったからだ。


 条件が違う。

 二人の騎士は今、対等ではない。シセルの援護を加味しても、炎の騎士が圧倒的な戦力を手にしている。最初から自明だったことだ。

 ――何が違う?

 ウチカビは、敗北の前に、ようやくそこに目を向けた。


 まず、前提として。二人の剣士は、生きていた頃の肉体を失っている醜い死霊だ。

 動いている理屈は異なるのだろうが、『血肉がない』という事実は共通している。

 それは戦う者にとっては重大な足枷である。血肉がない、ということは、生前に活用していた“星導力”が得られないということ。星導力は星法の使用や肉体の強化など、多くのことに用いられる。ウチカビはその欠落を、シセルから送られる魔力や魔術の支援によって補わねばならない。

 しかし、だとすれば。

 炎の騎士は、なぜ『炎の騎士』なのか?

 ウチカビと同じ白骨化した死体。そのどこから、あれほどの炎を生み出しているのか。

 無尽の炎。この点がウチカビと対等ではない。


 そして、その疑問の答えは明白だった。誰が見てもすぐにわかることだ。

 騎士の炎は、彼の握る剣から生まれている。

 二人の優劣を決定しているのは、地力の差ではない。手にしている武器の、格の違いだった。

 ウチカビは歯ぎしりした。頭の片隅では、最初からわかっていたことだ。しかしそれを受け入れたところで、その不公平を解決する手段はあったのか?


 炎が、色濃さと熱気を増していく。じりじりと焼け付く骨の身体。まるで太陽の真下にいるかのようだ。

 ウチカビは自分の役目を思い出し、離れたところで佇む少女を見た。魔術で身を守ろうとしているものの、あれでは生き残れないだろう。どうにか守る方法はないのか。

 シセルは不安そうに、胸に手を当てている。


 それを見て、ようやく思い出した。


『シセル!! 俺の(・・)剣を!!』


 ウチカビは半ば無意識にそう叫んだ。

 「は、はい」と返事がくる間に、その場へ駆け寄る。少女が胸の内から、黒い剣の柄を出現させる。彼女の“心臓”だ。その全貌が現れる前に、ウチカビはそれを掴んだ。


「んうっ!? ぐっ、あっ……! 引き、抜かないで……!! あぐぁっ!!」


 ウチカビは、少女のからだを鞘のように扱い、その胸から剣を抜いた。

 倒れるシセルを腕で支え、地面に横たわらせる。

 ウチカビは少女から遠く離れ、騎士に相対し、黒い剣を構えた。


「っ、はぁ、はぁ。……魔力を、吸収している……?」


 黒い剣に、小さな光の粒が集まっていく。

 それらは戦いの中で、シセルが振りまいた魔力の残滓であり、炎の騎士から零れ落ちた火の粉の群れだ。

 地下迷宮の光源(・・)となっていたそれらが、ウチカビの握る剣に収束していく。よく観察すれば、炎上する炎の騎士のほうからも、朱色の光を奪い取っていた。


(魔力の収奪、収束が、この剣の特性……?)


 息も絶え絶えになりながら、シセルはウチカビの挙動を見守った。

 黒い剣は彼女の心臓であるが、これは他者から奪ったものだ。正当な持ち主とは言えない。

 『魔術師』は、この剣の機能の表層しか理解していない。それを研究する余裕はなかった。


 『花嫁』の心臓となっていた黒い魔剣。

 性能の大部分を封じられているが、真の名を『ミスティルテイン』という。


 二つの極大の魔力が、反発し合い、空間を軋ませる。

 死霊の騎士たちは、同時に剣を振り下ろした。

 爆炎の津波。レーヴァテインからあふれる破壊の熱量。

 対し、黒い光の奔流。ミスティルテインは、収束した光の粒子を自身の力に変えた。

 ぶつかりあう二つの力は、拮抗し、嵐を巻き起こした。シセルはその余波を防ぐだけで手いっぱいだ。『魔術師』をして、それはこの世の終わりのような光景だった。


 誰にも見えない、力のぶつかり合いの内側で。

 二人の剣士が、走り出していた。

 炎に身を焼かれながら、黒い光にひび割れながら、彼らは前へ突進していく。己が敵をこの手で斬り伏せんと、剣を握りしめている。

 どくろが対面する。敵は目と鼻の先。燃える骸骨は、既に必殺の構えに入っていた。ウチカビはまだ剣を下げたままだ。

 だが。

 ウチカビには、何故か。彼が最後にどのような技を繰り出すのか、わかっていた。

 ――『一番得意な斬り方、相手の右脇を狙う横薙ぎ』。

 ウチカビは限界まで身を伏せ沈める。鎧の背面を、炎の刃が削り溶かした。

 そうして、必死の一撃をかわしたウチカビは。

 渾身の一撃で、炎の騎士を討った。



『ハァ、ハァ、ハァ……』


 息切れの真似事をするウチカビは、黒い剣を大地に突き立てた。

 これがなければ勝てなかった。いや、最初からこの剣を持って挑んでいたなら、敵もさらに攻め方を変えてきたはずだ。運や巡り会わせによる勝利であって、剣の格が対等でも、十の戦いをすれば九は負ける。その確信がある。

 ウチカビは、炎の騎士をみやった。

 胴体を破壊した。ばらばらになった骨の体は、頭蓋骨に遠い部分から徐々に灰となって消えていく。

 頭蓋骨には、まだ火が灯っていた。『炎の騎士』は、まだそこにいる。

 ウチカビはその最期を看取ろうとした。


『……その、剣……』


 炎の騎士が声を発した。


『カムリ、か……?』


『――え?』


 カムリ(・・・)

 騎士が発したその短い音は、ウチカビの魂を、電光のように弾けながら駆け巡った。

 何か、今、思い出すべきことがある。ウチカビは強い衝動に襲われた。だが思い出しきれない歯がゆさ。胸をかきむしるような苦痛にさいなまれる。

 その間に、炎の騎士は灰となっていく。


『………。最後の勝負は、君の勝ちのようだな……』

『待て、待ってくれ』


 ウチカビは、騎士に何かかける言葉を探した。それは騎士のほうも同じだったようで、ほんの一瞬の間があいた。

 だが、気の利いた遺言は間に合わなかった。


『さようなら、カムリ』


 死後もその身体を燃やし続けた炎の騎士は、いま、眠りについた。



 シセルとウチカビ。二人の傷や消耗が癒えたところで、戦いを振り返る。

 二人は、炎の騎士だった灰を見つめた。


「……ウチカビ。大丈夫ですか」

『ああ』

「その。様子がおかしいというか、落ち込んでいるような」

『そう見えたか? この兜は役立たずらしい』


 ウチカビはシセルに話さなかった。『あの騎士は、自分の知人だったのだ』とは。

 そこに深い理由はない。騎士のことは、しっかりと思い出してから語りたい、などと思ったからかもしれない。


「じゃあ、先へ進みますか?」

『待ってくれ……。これを、どうにかしなければ』


 二人の前には、一振りの剣があった。炎の騎士の振るっていた武器だ。

 黒焦げの棒きれのようなそれ。だが、消え切っていない火種のようなものが、刀身にちらついている。


『ここに放置していくのは危険だ。ほうっておけば炎を永遠に生み続け、周辺の環境を変えてしまうだろう』

「魔剣のたぐいですか。破壊しますか?」

『それは不可能だ。人間の手で破壊できるものじゃない……』


 ウチカビは、それが何なのかを知っているかのように語り続ける。

 だが、『レーヴァテイン』という名も思い出してはいない。銘よりも、それら(・・・)が抱える危険性のほうが、彼という人間にとっては重大な記憶だった。


『誰かが持ち出さねば』


 ウチカビは剣に触れようとした。

 その瞬間、炎が渦を巻いて遮る。ウチカビを拒絶したのだ。


『やはりだめか。これを制御できる誰かが……“封じ手”が必要なんだ。多分、あの騎士がそうだった』

「封じる。……やってみましょうか。ちょうど瞳の色が空いてます」


 シセルが前に出る。ウチカビは不安を吐露したが、シセルは封印の魔術に精通しているという。髪の色を奪い、変えた魔術も、その一種だと。

 シセルは剣の前に立ち、魔術を行使した。

 剣が浮き上がり、その輪郭と、内部の炎がシセルへと吸われていく。


「……ぐっ、ぐっ、ぐ、ぐ、う……」


 シセルは膝を折り、地面に手をついた。滝のような汗をかいて、目を閉じている。

 剣の姿は消えていた。

 ウチカビがシセルを庇い、支え起こす。シセルは目を開いた。


 その両の瞳は、暁のような、黄昏のような色に染まっていた。

 燃え上がる炎と、同じ色彩(いろ)だ。



「ああ。やっとここまできた……」


 少女が思わず駆けだす。

 ウチカビは、その暗い眼窩を腕で守った。

 迷宮の外からは、眩しい光が差し込んでいた。


「これでやっと。好きなこと、やりたいことが、できますね」


 シセルは振り返り、ウチカビに微笑んだ。

 銀の髪が揺れ、炎の瞳が目から覗く。

 潔白な聖女、あるいは、妖艶な毒婦のような笑みだった。



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