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05. silver

「うわ!」


 生者のいない地下迷宮には、少女の高い声はよく響いた。

 ウチカビが振り返ると、少女は地面に尻餅をついている。またしても(・・・・・)転んだのだ。先ほどから、均しが甘い道を進んでいるためだろう。

 ウチカビは歩み寄り、痛がる少女に手を差し伸べる。少女はその手をしばし眺めたあと、それに頼らず、不機嫌そうな顔で自ら立ち上がった。白い服についた汚れをはたき落としている。


『手でも繋ごうか』


 冗談と本気の割合は、半々といったところだ。

 ウチカビは少女に対し、その庇護欲をそそる姿に相応の愛着を抱いている。彼の心に人間性が残っている以上、自然なことだ。


「……子ども扱いはやめてください。こう見えて、見た目ほど少女でもない。いずれ悔みますからねっ」

『わかった』


 その訴えには真実が含まれているが、結局のところ、可愛らしくむくれる子どもにしか見えない。実際、ウチカビは少女のことを、微笑ましいところがあると感じた。

 こうした相手の心をほぐす言動は、少女の正体が『魔術師』であることを考えれば、ある種の魔性の女だといえる。『魔術師』は男性だが。

 しかし。

 ウチカビには知る由もないが、少女の肉体は、未成熟な年頃にも見えるがある程度女性的であり、男性であった『魔術師』のものとは使い勝手が違う。

 そして何より、『魔術師』は大変なインドア派だった。悪路を歩きなれていないのは元からのことだ。

 つまり、素で転んでいた。


『そろそろ休まないか』


 ウチカビは、近くにあった小部屋の扉を指し、意見を言った。

 彼には損耗はあっても疲れはない。しかし、この身体を動かす術者はそうはいかないだろう、という判断はできた。

 少女は首肯した。



 新たに設けた安全域で、二人は例によって、食事をとらぬままじっとしている。ひとりは骸骨で、ひとりはお人形だからだ。

 現在、彼らは地下迷宮の中層までやってきている。念願の脱出まで、そう遠い未来の話ではない。

 ウチカビは、目を閉じて座っている少女の様子に視線をやる。深い眠りには入っておらず、まだ起きていることを確かめ、ひとつの話題を持ちかけた。


『あと数日もあれば、ここから出られそうだが……』


 少女が目を開けた。


『君は、この迷宮を出たら、その後は何をするんだ?』

「ウチカビに付き合いますよ。自分が誰なのか知りたいんでしょ」

『ありがたい。では、それも終えたあとは?』


 どのようにして生きていくのか。市井にうまく混じって生活していくのか、あるいは他にやりたいことはあるのか。

 現在は迷宮からの脱出が目的になっているが、それも今に達成する。むしろ、そこからがスタートだろう。

 ウチカビの問いかけに、少女は。おもむろに、自身の両手をじっと見た。


「完成させたい」


 何を? 当然のことをウチカビは考える。


「この身体を完成させたいんです。例えば、この髪……」


 少女は長い髪を手で払う。さらさらと波立ち、高貴な身分の女性にも勝る(つや)があり、真っ白。


「この髪には色彩(いろ)がない。この瞳もそうです。さしあたっては、それらが欲しい」


 色彩がない。ウチカビから言わせれば少女は『白い少女』だが、それは絵を描く前の白紙と同じものだと、当の本人は言う。


「髪の色、瞳の色。それに、服とか、装飾品とか……。()は、この身体を彩り、飾り立てるものが欲しい」


 少女は語る。その様子には、人形らしからぬ明確な欲求が感じられた。普段から人間味はあるが、今この瞬間はとくに強い。

 ウチカビの視線に気づくと、少女は頬を紅くして表情を緩めた。


「なんて。全部わたしを造った、『魔術師』の受け売りですけどね」

『いい目的だと思うよ』


 ウチカビはそれを肯定した。人間が人間として生きていくには、欲求が、目標が必要だ。他人から引き継いだものでもいい。そしてよりよい生を求めるのなら、相応に大きな欲を持つべきだ。

 隣人に迷惑をかけない範疇で。


『しかし“髪の色”なんて、どうすれば手に入る? 絵具で塗るわけではないだろう』


 少女は、しばし間を開けた。返答の仕方を考えている顔だった。


「話は一旦逸れますが。“魔力”、というエネルギーは知っていますよね。魔力は……」


 魔力は、その持ち主によって属性(得意な仕事、性質、方向性)が異なり、それはしばしば魔力光の色彩に表れます。種類は非常に多様で、美しいものもあれば、おぞましいものも。

 そしてこの魔力の色彩は、それを持つ人物の髪の、あるいは瞳の色彩と近似する場合があるのです。

 『魔力は髪や瞳に宿る』――、と言う俗説に聞き覚えはありませんか? これは魔術の世界では、実証された真実のひとつです。


 ウチカビの記憶が刺激される。

 この知識は持っていたようだ。例えば、赤色の髪を持つものは『赤』の星導力を持ち、青の瞳ならば『青』の星導力を持つ、という話。

 とはいえ、必ずしもそうとは限らず、例外は多い。

 金髪碧眼の人物が放つ星導力の色が、『白』だったとか。

 黒い髪の人物が、高揚状態になると『燃えるような赤』の髪色に変化し、その通りの力を使いだす……といった場面も。

 あった、ような。


「話を戻します。髪や瞳の色と魔力がイコールならば、魔力の源になりうるものを、髪や瞳に“格納”すれば、そこに色となって宿ります。この身体は、それができるように造られています」


 ウチカビは、地面に転がっている石くれに目線を落とした。赤褐色をした、魔力を含む鉱石だ。洞窟の迷宮にはよく落ちている、くず魔石。


『つまり、例えば、赤い……火の属性を蓄えた宝石を見つければ、髪は赤くなる?』

「そうですね。でも……」


 少女は指で髪をいじった。石くれを見下ろし、つんと冷めた表情になる。


「いい色じゃないなら染める気はありません。そこが重要です」


 こじゃれた冗談のような言葉だが、どうやら真剣だ。

 服や装飾品の店にやってきて、品物の前で長いこと黙り込んでいる女性のような顔をしている――、と、ウチカビは思った。


『難儀な探し物だ』

「そうなんです。全然気にいるものがなくて」

『よければ手伝おう。いや、手伝わせてもらいたい』

「え?」


 ここでようやく、最初の話題に戻る。

 迷宮からの脱出をやり遂げたあと、彼女は何をするのか? それがわかった。

 少女は、少女を色づけるものを探す旅に出るのだ。

 そこに同行するのも悪くなさそうだと、ウチカビは思う。迷宮脱出のために使役されている分際ではあるが、もし、その後も騎士を必要としてくれるのであれば。


「……はい。断る理由はありません。よろしくお願いします、ウチカビ」


 少女は花のように微笑んだ。

 他人を惹きつけるそれは、自分の容姿をよく知っている者にしかできない顔だ。



 中層を進む中、分かれ道にあたる。これまでと同様、迷宮の内情をウチカビより知る少女が、道程を決める。

 二人から見て()の道へ進む。少女曰く、どちらに進んだとしても、罠の類がない安全な道とのこと。魔物はいるかもしれないが。

 動くものの気配に注意しつつ、ウチカビは少女の前を進んでいく。


 そして二人は、『魔女』に遭遇した。


『これは外したな。君は運がないということだ』


 その部屋で浮遊していた魔物は、おそらくはウチカビや屍剣士と同じ、人間の死霊のたぐい。

 汚れた衣服は魔術師のいでたち。袖から伸びる枯れ枝のような腕は、異様な長さだ。ローブのすそから足は見えない。浮遊しているため、足は必要としないだろう。ないのかもしれない。

 そして、見事な白銀色の髪。

 死霊のものとは思えないほど美しく、迷宮の暗闇の中で、自ら輝いてすらいた。

 髪の下にある顔は、インクで塗りつぶされているように真っ黒。だから、余計に髪だけが印象に残る。

 以上の特徴から、『魔女』とでも呼ぶのが適当だ。


 魔女はふわふわと浮いて、ふたりのほうに静かに顔を向けているのみで、攻撃は仕掛けてこない。

 まだ敵意も感じない。しかし一筋縄ではいかない存在だと、ただ一瞥したのみでわかる。ウチカビは先制攻撃をしかけるかどうか悩んだ。

 実のところ。この時点では多くの選択肢があった。来た道を戻り、右ではなく左の道を行く。魔物の横を何もせず通過する。

 それらのことを思考する前に、ウチカビは、屍剣士から奪った剣(・・・・・・・・・)を鞘から抜いた。戦闘態勢に入ったわけではないが、警戒の姿勢に移行するためだ。剣士としての性癖。

 この行動こそが一番の不正解だったのだということを、彼は後々まで知ることはないだろう。


 ウチカビが剣を手にし、その刀身の全容が現れた途端、魔女は動いた。

 枯れ枝の右手からは『銀の光』、左手からは『どす黒い球』が出現する。魔女が腕を振るうと、二つはまさに砲弾のように、二人のいるほうへ飛んできた。

 魔術による攻撃。それぞれの速度はまちまち。威力は不明。

 ウチカビは、少女を抱えて回避することが、間に合うかどうかを考え、


「……? か、らだ、が。動か……」


 地面にうずくまる少女を見て、回避の案は廃した。

 飛来する砲弾に対し、素早く剣を構える。

 この速度ならば防御は可能だ。ウチカビは魔術を斬り裂く技術を知っていた。炸裂効果のある砲弾だとしても、それを一拍遅らせることもできる。

 まず、銀の光弾は二人の頭上を越えていった。その軌道から何が狙いかをようやく察したが、ウチカビは動けなかった。

 黒い球が来た。まっすぐに少女、あるいはウチカビへ向かってくる。速度はそう早くないが、得体が知れない。ウチカビはその直径を狙い、剣を振った。

 斬り裂かれる砲弾。そしてそれらは煙のように散り、立ち込める黒い気体となり、二人の身体を包んだ。


「――がっ!! かふ!! あっ……」


 ウチカビの背後、少女は苦しげな声と、音を出した。それが血を吐き出す音だとわかったのは、生きていた頃にも聞いたことがあったのだろう。

 振り返る。

 黒いもや(・・)は、少女の白い肌に入り込み、侵していた。

 これは毒。生者を殺す、毒の魔術だ。


 直後、この部屋にやってきた通路が岩で塞がる。銀の光弾が、入り口を破壊していた。再開通には労力と時間がかかるだろう。

 ウチカビは今度こそ少女を抱えあげた。この部屋の出口はもはや一つ。魔女の向こう側にある通路しかない。魔女はまだ次の攻撃を装填していない。迂回し、全速で駆ければ逃げおおせられる。

 ……いま、そこに銀色の膜がかかった。術者を倒さねば解けぬ、封鎖結界の魔術だ。ウチカビは足を止めた。

 

 一瞬の攻防だった。

 その中でウチカビはいくつかの選択をしたが、それらはすべて間違いだったと内省する。退くべきだった。弾くべきだった。回避すべきだった。真っ先に斬り殺すべきだった。分岐点はいくらでも思いつく。

 皮膚があれば大汗をかいているだろう。ウチカビは生前の自分について、おそらく相当の無能だったのだと結論付けた。


『生き伸びられそうか?』

「……心臓の……魔力を使って、自己治療に、専念すれば……。でも、その間……動け、ません」

『わかった。あれを倒してくる。いいか』


 ひゅー、ひゅー、と隙間風のような呼吸をしながら、少女はウチカビに目をやった。


「お願い、します」


 ウチカビは部屋の内部に小さな岩を見つけ、そこの陰に少女を寝かせた。

 肌には黒い斑点のようなものが浮かんでおり、毒に侵されていることがわかりやすい。ウチカビの目にも、少女が強烈な苦痛を受けているのが理解できた。早々に魔女を排除し、落ち着いた場所で治療に努めさせる必要がある。

 せめてこれが、魔女を倒せば消える、という都合のいいものであればいい。そんな願望を胸に、ウチカビは立ち上がった。


 魔女はウチカビを見ている。ウチカビが動けば、魔女もそれを追って首を動かした。

 うまく位置取りをすれば、少女に攻撃がいかないかもしれない。ウチカビはそれを考慮しつつ、魔女へ対峙した。

 銀の光弾と黒い毒球。さっきよりも数が増えた。飛んでくるそれらを避け、切り裂き、弾き、ウチカビは前進していく。

 毒球は無視した。死体には効かないものだからだ。何度か喰らってみたが、ウチカビには何の影響もない。

 それを優位性として、ウチカビは魔術の切れ目に、魔女の懐へと飛び込んだ。

 首を目掛け、白刃が閃く。


『!?』


 硬い手ごたえに、腕が痺れる感触を覚える。

 銀色の防護膜が、魔女の身体を守っていた。ウチカビの技と上物の剣を、全く通さない。

 何度も攻撃を繰り返す。そのどれも、魔女の本体に刃を届かせることができない。銀の光には、ヒビや傷のひとつも生まれない。あまりにも隔絶した魔術だった。

 気づけば、魔女の頭上に十分な数の光弾が出現していた。すべてが銀色。毒が効かないことを悟り、攻撃の種類を限定したのだ。

 弾丸は雨となり、ウチカビに襲い来る。たまらず、彼はその場を離脱した。


『こいつ、無敵か……』


 距離をとったウチカビはつぶやく。情けない言葉が出るものだ、とも思った。

 弾丸に対処しつつ、魔女を観察する。

 攻撃能力。近づけば近づくほど、銀の弾幕の密度は上がる。逆に、このように距離があれば大したことはない。この疲れ知らずの身体ならば、一日中でも戦い続けられるだろう。

 防御能力。あの障壁を突破するのは現状、不可能だ。出されてしまえばどうしようもない。

 もしも相手が人間であれば、あれほどの術だ、消耗の激しさに期待して持久戦を挑むことも考えるが、果たして死霊の魔力とは底を尽くものだろうか。


『……あの剣なら……』


 少女の心臓である『黒い剣』を思い出す。あれには、途方もない攻撃力が秘められている。魔女の障壁を破れるほどのだ。ウチカビにはそれがわかる。

 だがいま、少女は剣の魔力で自身を治療している最中。あれは使えない。


『………』


 ウチカビは、今、魔女がその防護膜を出していないことに気が付いた。

 すぐにもう一度突撃する。弾幕を抜けて攻め入ると、剣の攻撃圏内に入ったところで、やはり魔女は銀の光を身体にまとった。

 ウチカビは攻撃をせず、また後退した。


 ウチカビは魔女に、ひとつの習性を見出す。

 あの怪物は、こちらとの距離によって、障壁を出す判断をしている。

 これが人間相手ならば駆け引きを疑ったが、狂気にのまれた死霊であれば、本能的な行動しかできない可能性はある。

 つまり。剣しか能がないと思われている間に、こちらも、遠距離攻撃を仕掛ければよい。

 『なるほど、簡単な話だ。自分に肉体があれば、の話だが。』

 ウチカビは、ガントレットの内にある、骨の両手を意識した。


 遠距離攻撃、それは“星法”を使えば可能だ。炎の矢。光の槍。雷の刃。そういったものを世界に呼び込み、操ることができる。

 だが、それは“星導力”――人の肉体に流れる血や、神経の光、筋肉の熱、想いの爆発が生み出す力があってのこと。それらは骨の内側にもあるだろうとも考えたが、しかしウチカビは自身のうちに、自身の星導力を感じていない。

 ならば、どうする。

 考えた末に、ウチカビはひとつの技を思い出した。星法よりも、こちらが本命である気がした。

 ――屍剣士が使っていた剣技。

 離れたところにいる(じぶん)を斬った、あの斬撃。あれができれば……。


 ウチカビは、剣を両手で握りしめ、渾身の力で振り切った。


『………』


 何も起きはしない。変わらず、魔女は魔術を撃ってくる。

 当然のことだ。この剣技にも、いくらかの星導力が必要だからだ。斬撃の軌跡が本物のそれとなって飛ぶ、という現象には、そのためのタネが必要だ。

 そのやり方を、ウチカビは思い出していた(・・・・・・・)


 銀の弾丸が飛来する。

 ウチカビはそれを避けず、剣で弾いた。次の弾も、その次も。その次は斬った。真っ二つにした。

 それを何度も、何度も繰り返すうち、霧散した銀色の光の残滓が、剣に付着していく。

 いつの間にか、白刃は、銀の光で淡く濡れていた。


 ウチカビは剣を振り抜いた。先ほどの素振りよりもさらに速い。常人には見えぬ速度である。

 そして同時に、()に輝く何かが、空気を猛然と切り裂いていく。飛ぶ斬撃はここで、現実のものとなった。

 技の理屈はこうだ。己の星導力を刀身に流す。金属に定着しきらない人間の星導力だが、刀身の内外を流動する中で、刃の形状に馴染む瞬間がある。このときに剣を振り払うことで、刃の鋭さをかたどったままに星導力は飛行する。

 これがこの斬撃の正体だ。『■の■■』が得意とした技術であり、この瞬間を任意に捉えられる剣士は、例外なく強者である。 

 ウチカビに自由に操れる星導力はない。

 だから、魔女の光を使った。試してみたらできた、というのが本人の感想だ。


 魔女の魔術の起点となっている、両手が、斬り飛ばされた。


 ウチカビは追撃を仕掛ける。ここで畳みかけなければならない。飛ぶ斬撃を重ねながら距離を詰めていく。剣を振るたび、魔女に深い負傷が刻まれていく。

 両手を失った時点でそうなったのか、魔女は銀の障壁を出さない。ウチカビは好機ととらえ、目にもとまらぬ速さで疾走し、

 そして、ぴたりと、刺突の構えのまま、静止した。


 ウチカビは目を疑った。しかし、元からありもしない眼球など疑いようがないので、目の前の光景は真実でしかない。

 魔女は、身体を再生した。ウチカビの負わせたすべての傷は、ひとつ瞬きをする間に消えた。瞬きをしないウチカビはそれを目の当たりにし、骨の表面がざらめくような衝撃を受けた。

 まるで、時間の逆回し。

 こちらが真の能力。魔弾も、毒も、障壁も、魔女には指を振る程度のことでしかない。本当に恐ろしいのは、この再生能力だった。これでは丈夫な剣の一本ではどうしようもない。

 不死の死者。矛盾した存在。それがこの魔女の特性だ。


 ウチカビは、何もショックで剣を止めたのではない。彼の四肢にはいま、空中から現れた銀の縄が巻き付いていた。

 拘束の魔術。ウチカビは、刃の切っ先を魔女の心臓に突き付けたまま、その場に縫い留められている。


『この程度で止められるものか』


 ウチカビは強がりを口にした。実際、この拘束は彼にとって抜け出せるものであり、そのために身体は働こうとしている。

 だが、勝機は見失っている。いや、最初からなかった。既にウチカビの内心は、撤退の方法を模索する段階に入っている。

 足に力を入れる。動きを止められた瞬間、ウチカビは魔術拘束に対抗する技術を思い出していた。地に足がついているときにしか使えないものだが、その条件は満たしている。四つの銀の縄に、亀裂が入っていく。

 しかし、技術は思い出せても、肉体は生前の姿に程遠い。骨の四肢では、背中では、腰では、かつての膂力を出し切れていない。

 銀色の淡い光が、ウチカビの頭上から差し、影を作った。

 見上げる。魔女の両手は、まるで太陽のような巨大な光球を、天井近くに膨らませていた。超密度の魔力球は、ウチカビの貧相な五体を塵へ変えるだろう。

 ウチカビはいよいよ、運命を悟った。


『守れないのか、俺は』


 果たして。


 死者に、気まぐれというものがあるのかは、わからないが。

 魔女は、膨らみきった破壊の光を、あっさりと消し去った。小さな部屋の灯りを、眠る前に吹き消すように。

 代わりに、魔女の長い両腕が、ウチカビの頭部に伸びていく。

 そして――、

 ウチカビに温度を感じ取る器官はないが、機能はあった。死者の手は、ひどく冷たかった。

 魔女はおそろしい両手で、しゃれこうべを撫でたあと、

 ウチカビの背に腕を回し、

 そのまま彼を抱きよせ、剣を胸に受け入れた。


『……?』


 魔女は、そのまま停止した。



 少女から、まだ毒は消えていない。動けるほどに回復しているようだが、肌の黒い染みは残っており、消耗しているのも目に見えてわかる。

 ウチカビは少女を支え、停止した魔女の元へ連れてきた。


「まだ再活動可能ですね。この死霊は簡単には消滅しない……いえ、することができません。魔力が強すぎるからです」


 ウチカビは、あの驚異的な再生能力を思い出した。剣で心臓を貫いたところで、大したダメージにもなっていないだろう。

 しかしもう、理由はわからないが、魔女には戦意がないのだ。

 ウチカビはここにきて、魔女を魔物として見られなくなっていた。

 ならば死者は、彼女(・・)は、ここで正しく葬ってやるべきではないのか。でなければいつまでも、魂は天の星には逝けない。倒せる者のいない魔女として、永久にここに縛られたままだ。


『どうするべきだ』

「その魔力をもらいます。ウチカビ、少し離れて」


 少女は魔女に近づいた。

 少女の足元に、青い光線で描かれた図絵が現れる。魔術を使用するための工程だろう。それは拡大していき、少女と魔女、両者を乗せる盤となった。

 風もなしに、白い髪が揺れる。同時に、魔女の銀色の髪が揺れだした。

 魔力は髪に宿る。あの髪こそが、魔女の強大な力の根源だったのだ。

 両者と魔術の陣から、光があふれたのち、光が収まる。

 それが終わったとき。少女の白い髪は、美しい白銀色へと変化していた。


『―――。』


 ウチカビは息をのむ。生きていた頃の、最も好きだった色彩(いろ)を思い出したからだ。


「……! すごい魔力です。毒を治す速さも上がったし、身体の調子もいい。これなら、心臓なしでもある程度動けるかも。何より……」


 少女は顔を輝かせた。


「すごく綺麗な色だ。わたし、気に入りました」

『………。なら、くれた相手に感謝するといい』


 二人は魔女に向き直った。

 魂をこの世にとどめていた銀の髪はその色を失い、もとより枯れ木のようだった身体が、さらさらと砂に変わっていく。

 やがて魔女は、ようやく、本当の眠りについた。

 二人はその最期を看取った。



 身体をよく休めたあと、少女の提案で、二人は魔女のいた部屋を探索していた。戦利品を求めてのことだった。

 ウチカビは、魔女の没した痕から、一冊の本を見つけた。厚さは大したことはない。魔術書の類かと考え、少女の方へと歩いていく。

 表紙を眺める。

 『シセルと魔法の騎士』という表題だった。どうやらただの、物語のようだ。


『………………。』


 そしてウチカビには、読まずともその内容がわかった。


「何か見つけましたか?」

『ん、ああ』

「わたしもいいもの見つけましたよ。じゃーん!」


 ずい、と少女はウチカビの鼻先に、何かを差し出した。彼は思わず頭を引く。

 それは、兜だった。鎧騎士が身に着ける防具。ウチカビが身に着けているものよりも状態が良く、頑丈そうで、特別な品であることが見てわかった。

 ただ、意匠(デザイン)はあまり好きではない。ウチカビはそう思った。


「これ、被ってみたらどうです? 騎士らしさがあがります」


 ウチカビはそれを受け取り、髑髏の上から被った。

 兜とは、狭苦しく、目も、耳も、鼻も利かなくなるものだと認識していたが、不思議なことに、そうはならなかった。五感が捉える情報量は、装備する前と変わりがない。

 ウチカビは、そもそも兜をするしないの前に、目も耳も鼻もないのに五感があるので、これは死霊術の効果の延長だと考えた。


「――ぴったりじゃないですか。……もしかして、あなたのものでは?」

『え?』


 ウチカビは兜を外し、それを見つめた。

 一介の騎士のものとはいえない、やけに凝ったつくりをしている。貴族の出か、高位の騎士か、儀礼用か。そういった印象。それなりの地位にいる人物の持ち物だ。


『……まさか。自分がそう大層な人間だったとは思えない』

「でも、似合ってますよ。もらっていきましょう」

『そこに異存はない。人前に出られる顔になっただろうか』

「ふふ。はい」


 ウチカビは、ドクロを兜に隠した。


「ウチカビは何を見つけたんですか?」

『ああ……ほら』


 ウチカビは本を渡した。


「んー……、子どもに聞かせる寝物語ですかね。あんまり関心、ありません」

『すまないが、荷物に加えてくれないか。ここから持ち出したいんだ』

「あなたが言うなら、構いませんが」


 探索を終え、二人は歩き出す。

 ウチカビは、前から考えていたことに答えを見つけ、少女へと口を開いた。


『君。君には、名前はあるのか?』

「?」


 少女はウチカビを見上げる。ウチカビは足を止め、少女と向き合った。


「えっと。……“花嫁”?」

『それは名前じゃないだろう。やはり無いんだな。以前から、呼びかけにくいと思っていた。不便だ』

「え、なんか怒られてます?」


 少女は眉尻を下げた。


『君はウチカビという名をくれた。だから、こちらからも君に、名を贈ってもいいだろうか』

「……へえ」


 少女は目を丸くした。


「いい考えですね。でも、しょうもない名前だったら却下です。わたしはその辺のセンスにはうるさいですよ」

『そ、そうか』


 ウチカビは緊張しながら、その音を伝えた。


『“シセル”。……さっきの本の主人公の名だ。たしか、銀色の髪をした、勇敢な魔法使いの少女』


 少女は、ぽかんとした顔で黙り込んだ。

 ウチカビは途端に不安になる。どうやらダメだったらしい、と後悔しつつあった。


「シセル……シセルかあ」


 少女の表情が変わっていく。顔を伏せて、目をくりくりと動かして、口の端がうれしそうに上がっていく。


「なかなかの響きなので驚いちゃいました。……シセル。わたしはシセルです。素敵な贈り物をありがとう、ウチカビ」


 白銀の髪が、ふわりと揺れた。


 シセルとウチカビ。少女と騎士。暗い迷宮の中で、二人は順調に絆を育んでいく。

 まるで童話の登場人物たちのようだ。


 しかし彼らがそれぞれ抱える真実を思えば、あまりに滑稽な物語である。



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