03. sword
『魔術師』の遺体を葬ったウチカビと『少女』は、地上を目指して迷宮の下層を進んでいく。
途中、何度かゴーレムに遭遇したものの、ウチカビは少女の身を守りつつ、それらの脅威をうまくかわしていた。
二人の脱出劇が始まってから、半日以上が経っていた。しかし日の光は、まだ遠い。
『腹は空かないのか』
道中、少女の様子に気を配るウチカビは、重要な質問をした。
この骨だけの身体では腹が鳴らないことに気が付いたウチカビだが、肉体のある少女はそうもいかないはずだ、と考えた。しかし二人は食料となるものを何も持っていない。本来なら、すぐにどうにかしなければならない問題だった。
「食事は必要としません。この身体は“心臓”から供給される魔力で活動しています。……でも、関心はあります。食事への」
ウチカビは、あばら骨しかない胸を撫でおろした。
『外に出たときにでも、贅沢をしてみるといい。食事は楽しむものでもある』
「ふふ」
『おかしなことを言っただろうか?』
「いいえ。やりたいことに加えておきますね」
少女はウチカビの言葉に可愛らしく微笑んだ。
これは、死んで骨だけの人間に食事の楽しさを説かれたことと、相手が自分を気遣っていることから生まれる優越感によって出てしまった笑いだった。
二人の移動は基本的に徒歩だ。少女が地下迷宮の構造を大まかに把握しているため、迷子になることはなかった。
迷宮には、『魔術師』が住み着く以前からそうだったのか、ところどころに人間が手を入れた痕跡がある。あちこち地面が平らに均され、通路を形成している点などはわかりやすい。また、進んでいく中で、ウチカビは小さな扉をいくつか見たが、少女の言によれば、これらは保管庫や個人の部屋として使われていたものだという。結界や防護の星法を施せば、安全圏を構えることができるだろう。
見える景色はそう変わらないが、時間が経っていく。
ここまで、二人の道行きは非常に順調だといえた。時折ゴーレムに遭遇するくらいで、こういった場所に現れる魔物や、迷宮の罠がまったくなかった。ウチカビは、外へ出るための戦力となってほしいという少女の言葉から、より困難な迷宮攻略を想定していたため、この現状はありがたく、そして拍子抜けだと感じられた。
「侵入者用の罠がないのは、ここが“人間が使う区域”だったからでしょう。罠が残っているとすれば上層階かと」
『なるほど。では、魔物は? こういう洞窟だ、環境に手入れをする人間がいなければ、自然発生するはずだが。ゴーレムが駆除しているのだろうか』
「……ゴーレム、ですか?」
ウチカビの見立てでは、『魔術師』の遺体は、死後数年が経過していた。迷宮の管理者と目される人物が消え、十分な時間が経ち、加えて魔物が住み着きやすいこの環境。
既に魔物の群れが発生しているはず。
それが実際のところは、泥人形としか遭遇しない。ゴーレムは魔術師たちの傀儡であるから、これらが魔物を排除していると考えるのが自然だ。
「……そうですね。そうかもしれません」
少女は適当な返事をした。迷宮をうろつくゴーレムについて、別の考え事を巡らせ始めたからだ。それはウチカビには語られず、知る由もない。
ここでウチカビは、自らあげたこの話題の中で、ある疑問を持つ。
『そもそも、とうに主のいなくなった迷宮で、何故今もゴーレムが動いているのか。』
答案。『魔術師』からの最後の命令に従って、動力が切れるまで活動している。(それは主が死んでいても可能か?)
答案。これらのゴーレムが、そもそも『魔術師』のものではなく、別の人物からの命令で動いている。(しかし、何者が?)
ウチカビは、ふと、少女の横顔に視線をやった。
一時、互いに思考にふけり、二人の間に会話がなくなる。
そうして、静寂が形成されたときだった。
獣の悲鳴のような音声が、地下世界にこだました。
『魔物の断末魔の声、のように聞こえたが。どうする。確かめるか』
ウチカビは記憶として思い出すことはできない経験から、それが獣の姿をした魔物のものだと判断したが、確証はない。この迷宮にやはり魔物が発生すること、そしてそれを駆逐するものがいることを、自身の目で確かめたかった。
だが。
少女は汗を浮かべ、身体を震わせ青ざめていた。元より白い肌から、さらに血の気が引いていた。
「……そうか。わかった。アイツだ……」
『アイツ?』
「やたら強い魔物です。一度こっちを見つけたら、しつこく襲ってくる」
ウチカビは思い出す。最初の小部屋から出るときにも、少女はある強い魔物におびえていた。何度も殺されかけた、とも言っていた。
それが、この先にいる?
少女はしばらく動けずにいたが、やがて声を絞り出した。自分を落ち着けようと努めている様子だった。
「……行ってみましょう。逃げることを念頭に置いて、あなたの目から判断してください。倒せるかどうかを」
『わかった』
ウチカビは音を立てず、鞘から刃こぼれだらけの剣を引き抜いた。
獣の悲鳴がしたほうに向かって、二人はゆっくりと進んでいく。少女の表情には、強い緊張が表れていく。
そして、あまり広くはない空間に出た。
何かにめった刺しにされた魔物の死体が、地面に転がっている。やがてそれは光の粒になって消え去ったが、凄惨な死にざまは目に焼き付いた。
ウチカビは、『魔術師』の遺体にあった痕跡を思い出す。同様の刺し痕でローブはボロボロだった。おそらく同一犯。
「っ……!」
二人は、魔物の死体の先にいた、大きな影を見やる。
“アイツ”は、少女の漏らした呼吸の音に、ゆっくりと振り返った。
そこに立っているのは、人間の死体だった。
それが見たままの事実だ。鎧を着た死体が動いている。ただし、ウチカビとは多くの点で違っている。
それには、腐りかけているものの肉体の残りがあり、大柄の男性とわかる体格である。形を保っている右腕には、まったく劣化していない一振りの剣を持っていた。
形相は髑髏よりずっと恐ろしい。顔の半分が消えてなくなっていて、もう半分は皮膚が剥がれ落ちている。生前の人相が分からない。
だが、いま、たしかにそれと目が合った。
残っている右目が、ぎょろ、と二人を睨みつけていた。
『あ。ああ。あああ。』
まさに死霊のものというべき、おぞましい声がした。
『ああ。ああ! ああ!! ああああああ!!! えいえん。えいえん。えいえん。えいえんんんんん』
腐りかけの死体――屍の剣士が、襲い掛かってくる。
ウチカビは対処について思考・判断し、すぐに少女を守るように立ちふさがった。屍剣士の目が、ただ少女だけを見ていることに気づいたからだ。ウチカビには一瞥もくれていない。
骸骨剣士が構えると、屍剣士もまた右手の剣を振りかぶる。やはり背後の少女に視線を注いでいるが、障害を認め、排除するという意識はあるようだ。
ウチカビは『逃げろ』と念の声をあげた。まず少女には退いてもらう。その間、屍剣士に斬り合いを挑む。もしも真っ向勝負で打ち破ることができれば、それが最良。
対決が始まる。
二つの剣はぶつかり、暗闇に火花を散らした。
『―――。』
そしてウチカビは、たった一度の交叉で理解する。
剣の出来が違う。生きていた頃の技量が違う。どちらも自身よりはるか上。
一秒後、こちらのなまくらは折れる。剣士だからこそ、それがわかった。
反射的に、敵の剣を後ろにいなすという判断が浮かぶ。だが、ウチカビの後ろにはまだ少女の後ろ姿があり、屍剣士の目はやはりそれを追っていた。
武器を捨てることを選択。ウチカビは音声にならない雄叫びをあげ、剣を強く降り抜いた。刀身を弾かれた屍剣士が数歩ほど後退する。ウチカビの剣をヒビが走り回る。
ウチカビは剣が健在であるように構えつつ、撤退の姿勢に入る。すぐに振り返って少女を抱え上げるべきだったが、逃げられるだけの隙をつくったという確信がなく、屍剣士の様子を注視した。
すると。
そのとき、ウチカビは息が止まるような感覚を覚えた。もとより呼吸などしていないが、それでも彼はそう感じた。
屍の剣士は、刃など届かないその場所で、剣を脇から振りかぶっていた。
『バカな』
その剣が振り抜かれたとき、ウチカビの身体は、“斬撃”によって吹き飛ばされていた。
宙を行く浮遊感の中、『この剣技はなんだ』と、ウチカビの魂が思い出せない知識を探そうとする。かろうじて拾い上げた記憶の反応は、『これは達人のもの』ということと、『しかしこんなものではないはず』ということだけ。
かたかたと転がされる。反射的に防御はしたものの、刃はその中央から折れ、骨身の一部が砕けている。肋骨を覆う軽鎧には斬撃のラインが刻まれている。『とはいえ、致命的ではない――、』と、そう考える。
左腕を飛ばされていた。それを支点に立ち上がろうとしたウチカビは、無様にも再度、地面に崩れ落ちた。
ウチカビは斬られた。圏外であるはずの位置から。
狂い果てたそのさまには似つかわしくない、神業だった。
「ウチカビ! い、いま、治して」
『!! ダメだ――』
白い少女は、目の前まで飛んできたウチカビの状態を認め、そばにしゃがみこんだ。身体を修復するためだ。
しかし、それは悪手だ、とウチカビが異を唱える間もなく。
二人に、大きな影が落ちていた。灯りのない闇の中でも、それは影だった。
影、すなわち屍剣士は、右腕を高く上げた。
つられるように少女もまた、身体を庇うようにして、腕を上げた。
刃が振り落とされる。
「あっ」
ウチカビの眼窩は暗闇を見通し、白い少女の血が、赤いことを知った。
「あっ、あ、はっ、あぁ」
少女の左肘から先が、地面にぽとりと落ちる。戦士のものとは全く違う、細い腕だ。
ウチカビは、思考を放棄した。
瞬時に起き上がり、骨の身体に負ったダメージを忘れ、折れた剣を強く二度振った。それを防御した屍剣士を大きく吹き飛ばす。刃が砕け散る。
柄を投げ捨て、少女の身体を優しく抱えあげようとする。左腕がないため、抱え方を考える。
「う、う、腕。ひろって。うで……」
自分の骨の腕には目もくれず、少女の左腕を拾い上げる。右腕と胴体で少女の身体を保持し、ウチカビはその場からの離脱を試みる。
『ああぁ。あー。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん。えいえん』
走り出したものの、後ろからは屍霊の声、鎧の足音が離れず追ってくる。
ウチカビは、足が速いと言われていい気になっていた、と内省する。あれの執拗さは、泥人形などとは比べ物にならない。
揺れが少女に与える負担が頭をよぎる。通常の人間と同じく肉体に血液が巡っていて、それが流れ出てしまっている以上、少女の負傷はただ事ではない。
「そ、そっ、そこのっ、そこの、部屋に」
少女が声を発し、右手で小部屋の入り口を指した。例によって木製の、後付けの扉であり、逃げ込み先に欲しい条件を満たしていない。
『追い込まれるぞ』
「けっかい、あるから」
ウチカビは小部屋に入り、素早く扉を閉めた。すぐそこに屍霊は迫っていた。『えいえん』。まだ声が聞こえてくる。
「封鎖」
少女がかざした右手が淡く発光し、扉の木目を光が走った。
『………』
声がしなくなり、扉の向こうにいるはずのものの気配自体が消える。まだそこにいるはずだった。
少女の結界は、こちら側とあちら側の気配を断絶するものらしかった。ウチカビは少女を下ろし、しばしの間緊張を強く持っていたが、扉が破られることはなかったし、ノックの音もなかった。
少女の治療に意識のすべてを割く。ウチカビは流血を止める処置を施す途中、少女が小さく声を漏らしていることに気づく。
「さわら、ないで。うで、ください」
『失血で死んでしまう』
「う、うで。まじゅ、まじゅちゅで、くっつけ、ます。きれいに、斬られたから、きっと、だいじょうぶ」
ウチカビは少女の左腕を持ち上げ、本人のその切り口に近づけた。
少女が右手を動かそうとする。ぷるぷると震え、力の入らない様子だ。ウチカビは意図を察し、少女の手を取った。それを傷に近づけていく。
「い、痛い……痛いんです、このからだ」
『ああ』
「すごいでしょ。ねえ。いたみがあるんだ。いたい……」
『わかった。落ち着いて治そう』
ぼろぼろとこぼれた涙が、少女の赤い血に塗れた服をさらに濡らす。しかしその顔には、玉のような汗だけではなく、うっすらと笑みが浮かんでいる。高揚状態にあると考えられた。
「回生」
ウチカビには理解できない単語を少女がつぶやくと、切り離された腕と腕が接着していく。
徐々に流血はなくなり、傷口も消えていく。しばらくして、少女は身体の力を抜いた。
ウチカビが彼女の両腕を下ろしてやる。見た目には、元通りになっていた。そのまま左腕を注視していると、ぴくりと、指先が動いたのがわかった。
『見事な星法だ』
「……血と……魔力が、足りないので……しばらく、休みます……」
『わかった』
少女は荷物入れから小瓶を二つ取り出し、中身を口にした。どちらも怪しい色の液体であったので、ウチカビは、顔があったのなら眉根を寄せていただろう。
そして少女は、部屋の岩壁に背を預け、目を閉じた。
ちょうど、ウチカビが彼女を見つけたときと、同じ姿だった。
▽
ウチカビは眠らない。少女が休んでいる三日三晩の間、彼は暗い眼窩の内で、あの剣士の動きを反芻していた。
「で、どうしましょう。アイツ、まだ近くにいると思うんですよね。というかそこにいるかも」
少女の顔色、肌の色はすっかり元の状態、のようにウチカビには見えた。しばらく様子は見るべきだが、危機は脱したらしい。
ウチカビは、あの屍霊への見解を述べる。
『同等の武器が――いや、頑丈な剣があれば、あれを壊せると思う』
「ほんとうですか? アイツを?」
『ああ。だが、そんなものは手元にない。逃げ切る段取りを練っている』
少女の言っていた通り、あの剣士はやたらと強い。生前は。実際に剣を交えたウチカビは、今では少女以上に、その脅威の度合いを理解していた。
現状では、あれを滅するのは不可能だろう。とはいえ討伐が目的ではないため、出し抜けさえすればいい。
しかし少女はウチカビの言葉を聞き、倒す方向に興味を持ったようだった。
少女は、首だけを動かし、細い肩ごしにウチカビに視線を投げた。それから、話しながら振り返る。
「同等の武器と言いましたが、アイツの持っていた剣は、どの程度のものなのですか」
『鎧や肉体が朽ちかけているのに、刀身には錆びつきも、刃毀れのひとつもなかった。美しさすらある。どう見ても特別製だ』
「特別製……」
『刃のぶつけあいになってしまえば、あのなまくらでなくとも、たちまち折られるだろう。名のありそうな剣だし、膂力でも負けている。なんせ向こうは肉付きがいい』
ウチカビの言葉に、少しの熱が乗る。
『だがもし、それで折れない剣があれば、次は倒す自信がある。その算段はついた』
少女は腕を組み、「う~ん」とうなり声を漏らした。胸が両腕で隠れる。
いくらウチカビが語ろうと、そのための手段はないのだ。
『……頼りない護衛ですまないな。達人は、木の棒で名剣と打ち合って見せるそうだが、俺はそうではなかったらしい』
「いえ。………。」
『ところで、何故今日は裸なんだ』
「ん?」
ウチカビは先ほどから少女を見ていない。理由は、彼女が今朝から、室内を裸でうろついているためだ。
下ははいている。
「服が血で汚れて気持ち悪くなっちゃったから、洗濯中です」
『そうか』
「あれ。……ああ! そうだ、ウチカビは男性でしたね」
少女は、少女らしい声で話しながら、ウチカビの後ろにやってきて、にやにやといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「どうですか、わたしの身体は。ふつーの女性と比べて。ね、こっち見てください」
骸骨が、チラっと少女を見た。すぐに視線を逸らしたが、腰に手を当ててドヤ顔をしていたのはわかった。
『いいと思う』
「そうでしょう、そうでしょう。顔だけじゃなくて身体も自信あるんです。ありがとうございます」
『魔術師』は、機嫌がよくなった。
自分の手で造ったものを他人に自慢する快感と、それを称賛されたときの快感である。
「――この身体に、傷がつくなんて。とても、良くないこと、ですよね」
▽
数時間後、二人は支度を整え、扉の前に立っていた。
少女は五体満足だが、ウチカビに左腕はない。
ウチカビは少女に断りを入れ、身体を抱えようとした。
「ウチカビ。強力な剣があれば、あれを倒せる。それは確実ですか」
少女はウチカビを見上げ、そう言った。表情からは平時の愛想が抜けている。
ウチカビは考え、返事をした。
『勝つための条件を正確に言うと、『剣が破壊されないこと』と、『君が周囲にいないこと』だ』
「『両腕がそろっていること』は、必要ない?」
『ああ。そこは問題ない。相手も、左腕はちゃんと動いていない』
屍の剣士が少女を襲おうとせず、己だけに向かってくるという場合なら、勝負になる。そうでなければ護衛になる。この二つはまるで違うものだ。前者の状況にするためには、はなからウチカビ一人で相手に臨むのがいい。
ウチカビは話しながら、自らに未熟さを感じた。真に強い者ならば、背に少女を守りながらでも、敵を討滅してみせるのだろう。そう考える。
ウチカビの返答を聞き、少女は硬い表情を崩した。薄く笑ったのだ。
「わかりました。その条件なら満たせます。だから」
少女が、自身の胸の前に両手をかざす。
そこから起きたのは、非常に不可思議な現象だった。
少女の内側から、“剣の柄”が現れた。胸の中心からゆっくりと伸びてきたそれはまるで、少女という形の鞘に納められているかのようだ。
「これは、『魔術師』がわたしに埋め込んだ“心臓”。わたしを動かすために必要なものですが、元は、強い力を有する“魔剣”です」
ウチカビは少女の言葉通り、柄しか見えない状態でありながら、その剣の力を強く感じていた。
どくん、どくん。自身にはないはずの鼓動が聞こえ、なにかの脈動を感じるのは、これが少女の心臓だと知ったからだろうか。
「おそらく、武装としての性能は強力無比……のはず。しかしこれを取り出せば、わたしは動けなくなります。自分の足で逃げることすらできなくなる」
少女が、ウチカビの右手をとった。血のめぐっている者の温かさ、すなわち体温がある。
骨の右手が、剣に誘われる。
「ウチカビ。わたしはあなたに、心臓を託すのです。戦って、完膚なきまでに勝って、返しに戻って来てください」
『承知した』
ウチカビは、柄を握りしめた。
その瞬間、魂の内側で、何かが目覚めるのを感じた。
少女から剣を引き抜く。刃がこの世界に現れるほどに、少女のまぶたが落ちていく。
ウチカビは、刀身のすべてを抜き放った。
その彩を見る。青黒い、あるいは、暗い剣だった。
夜、家へ帰るときに通る、石造りの道路のような。生きている世界にできる影のような。本来あるべきものが抜け落ちているような。
少女の身体から力が抜け、ふらりと揺れる。
ウチカビには左腕がない。剣を地面に突き立て、少女を支えた。
眠っている、のではなかった。呼吸がない。言葉通り動かなくなった少女は、まるで人間から人形に戻ってしまったかのようだった。
けれど、少女はたしかに生きている。さっきまでの、魂をもって動いていた様子を、ウチカビは覚えている。
そもそも自分が動いているのは、少女の力によるもの。そのための力ごと託したのだろう。
ならば、無事に返さなければ。
『それに』
ウチカビの思うに。少女は動いていないときより、表情があるときのほうが魅力的だった。
▽
扉の外。やや離れたところであったが、視界内に、倒すべき敵はいた。
はじめの邂逅の再現のように、緩慢な動きでこちらを振り向く。
『あ。あっ。あっあ。えいえん。』
敵の目は、今度はウチカビだけを見ていた。
違う。ウチカビの、剣を見ていた。剣はまるで彼の肌のように、その視線を感じていた。
屍の剣士は、美しい剣を構えた。
戦いの中、何度も刃がぶつかり合う。まともじゃない剣では、否、まともな剣では、この剣戟に耐えられなかった。
屍剣士の攻撃は単なる粗暴ではなく、確かな剣技であったので、これに決定的な隙をつくるためには、自らも剣による防御をしなければならない。ウチカビはそう感じていた。
いま、刃が交差した数は十を超えた。これはウチカビの未熟さだ。少女の魔剣でなければ、とうに破壊されていただろう。
剣の性能に甘える形になるも、徐々に、ウチカビは勝利への確信をさらに高めていく。
勝機のにおいが、仮想の肺を満たす。
おかしなことに、ウチカビには、屍剣士の攻撃の流れが詳細に予測できた。三日三晩これと想像上で戦ったせいだろうか、とウチカビは思う。
突然そこに、『けど、わかっていても返せないんだ』という思考が自然と浮かんでくる。しかし現実はそうはならず、ウチカビはすべての攻撃を適切に回避、防御していく。そのうち、この思い浮かんだ思考は忘れた。
敵の攻撃の型を見極め、それらが出そろったと感じたウチカビは、ついに、相手に最も隙を作り出せる行動を選びだす。
屍が剣を振り上げた。上段から肩に入る一撃。それに合わせ、骨の右腕で渾身の斬り上げを見舞う。打点は敵の持つ刃。
ぎぃん。
互いの剣はおそろしく頑丈で、衝撃と音、火花の具合がこれまでで最大にも関わらず、どちらの刃にも欠けはない。
だが、腐りかけの右腕は、大きく弾かれた。
最後の一撃。斬り上げた刃を即座に返し、ウチカビは、黒い剣を振り下ろす。
その際、そうするのが当然のように、剣に己の“星導力”を籠めようとした。
それは意識して行ったものではなく、彼という剣士に染み付いた習性だったが、今のウチカビの身体に、そのような内在的な力が残っているのかは定かではない。
しかし結果として。剣が、発光した。
『ッ……!!』
瞬間、剣を握るウチカビの右手に、燃え焼けるような痛みが走った。痛覚がないにも関わらず。
生まれる困惑。しかし剣の光を見ると、すぐに気分が落ち着いた。今この瞬間、剣を取り落としさえしなければいい。
剣が振り抜かれる。斬撃の軌跡が黒色の光線となって具体化し、前方にあるものを打ち貫く。光は、星のある夜空のような黒だ。
そして、屍の腐肉を破壊した。
胸から下が散り散りになり、満足に動けなくなった屍を見下ろす。
『あ、ああ。ああ……。あうい……』
『……さよならだ』
知識に従い、ウチカビは、屍霊の頭部を破壊した。
動かなくなるのを見届ける。地下迷宮という世界から、余分な音が消えた。
勝利だ。
しかし戦いが終わった今、ウチカビに、高揚感は残っていなかった。
どこか、寂しさすらあった。彼はそれを、不思議に思った。
▽
ウチカビが剣をその胸に戻すと、少女は生き返ったかのように目を覚ました。対決の結果を称賛したのは言うまでもない。
同時に、やはり心臓が戻ってきたことに、強く安心している様子が見られた。
『いざとなれば秘密の武器を渡しますが、それは奥の手なので……』
ウチカビは少女の言葉を思い出し、『なるほど、たしかにこれは奥の手だ。』と思った。今後はあの魔剣に頼る場面があってはならない。そう感じた。
「この剣、もらっていきましょう」
少女は屍剣士の遺骸を調査する途中、ウチカビに、それが使っていた剣をよこした。
持ち主には不誠実な話だが、戦利品として最上のものと言えた。たしかに、彼らの目的のためには持ち去るべきものだ。
「これ、本当に名剣ですね。あの黒い剣と打ち合ったんでしょ? それで刃毀れもしないなんて。今後ウチカビも敵なしでは?」
『特別な……星法を使って鍛造した武具がある、という知識がある。おそらくそのたぐいだ』
「へえ」
『……それより、君の、剣は……』
ウチカビがそう漏らすと、二人の間に沈黙が流れた。少女は、きょとん、とした顔でウチカビを見ている。
『いや。なんでもない』
少女は、愛嬌のある笑顔に戻った。
「ね。あなたの左腕、たぶん少し先に落ちてますよね。とってきてください。くっつけます」
『離れて行動するのか?』
「魔物に襲われたら、大声で助けて~って呼びますよ。それに一応、身を護る魔術もありますし」
『わかった。すぐに戻ってくる』
少女はウチカビの背中に、ひらひらと手を振った。
「………」
その顔から笑みが抜け落ちる。少女は、剣士の遺骸の調査を再開した。
しゃがみこみ、上半身だった部分を手で探る。ぐちゅり、と酷い音が出たが、平気な様子で作業を続ける。
そして。遺体から、何かを手に取った。
ソレは、骨のようにも見えた。
少女は手の上のソレをじっくりと眺める。
やがて何かに気が付くと、みるみるうちに不愉快そうな顔になっていった。ソレを魔術で洗浄し、そのまま荷物入れにしまった。
少女は立ち上がり、故人の痕跡を見下ろす。
両手を組み、魂の安寧を祈る仕草をしたが――、
「チッ」
徐々に表情を歪ませ、少女は、その遺骸を強く踏みつけた。
屍霊が、こだわり抜いて設計したこの身体を欠損させたからだ。
そのまま何度か、子どもが駄々をこねるように踏みつけを繰り返す。
たとえこの人物が、『操られた哀れな犠牲者』だとしても、それを足蹴にしてはならないという道徳心より、いらだちが勝った。