祭囃子が聞こえていた。
世界観的にはたぶん現代…ファンタジー?
買い物の為に街に出ると、今日は何やら普段より賑やかだった。商店街もいつもより活気があるようだ。祭りでもあるのだろうか。
「明日、世界が終わるんだよ」
八百屋の親父が言う。
「明日で、ええと、何回目だっけ?」
「七百何回目って話じゃなかったかい?」
「そうそう、七百…三十六回目、とかだったか?まあ学者先生がいうには、明日、それくらい目の世界の終わりなんだとさ。おかげでこうして大賑わいってわけさ」
なるほど。確かに、世界の終わりともなれば、じっとしていられる人間はあまりいないだろう。街が賑わうのもわかる。だがしかし、世界の終わりとは、具体的に何が起こってどうなるのだろう。
「さあねぇ。そもそも何百回目って言われても、俺たちがそれを体験するのは初めてなんだからわかったもんじゃねぇな」
それもそうだ。適当に小さめの果物を買って八百屋を後にした。そのまま商店街を歩く。いたるところで人々が明日の話をしている。切羽詰まった雰囲気がないのは、それを真剣に信じて、心配している人がほとんどいないのか。世界が終わるとなれば、世界に生きている自分たちも死んでしまう、と心配する者がいてもおかしくないはずなのだが。
まるで、世界が終わっても変わらず生きていけるのだと、無根拠に思い込んでいるようだ。だがまあ、本当に七百回も世界が終わっているのなら、この世界にとって世界の終わりというのは割とよくあることなのだろう。そして、終わればまた始まるものなのだろう。何度目かの世界の終わりが来るというのが、本当のことならば。
世界の終わり以外で、明日何か予定があっただろうか、と考える。まあ月末だから何かしらあってもおかしくはない。自分の個人的な予定は特になかったように思う。暇かというとそうでもなくて、つまり現在の研究に目途がつかなければ何ともしがたいのだ。しかし世界が終わるとするなら、研究も霧散してしまうのだろうか?それは御免こうむりたい。
このところ、研究は足踏み状態になっている。どうも、何か必要なピースが足りていないらしいということはわかる。研究室に籠っているだけではどうにもならなさそうだが、あてどなく彷徨う訳にもいかない。一応責任者なので。
ああ、そういえば、学生時代の友人…てほどの仲でもないかなァ。まあ旧知の仲のやつに、世界の意志とやらについて研究したいとか言ってるやつがいたな。風の噂ではなんか、どっかの国の学校で教職をしているとかなんとか…全く向いてなさそうだったが。倫理規定を守れるかが怪しい。だが、世界の終わりというのはある意味で彼奴の研究分野かもしれない。後で久しぶりに連絡を取ってみるか。
「世界の終わりっていうけど、明日はどうする?」
「どうするって言われても…明後日から新学期じゃん?準備しないとでしょ」
「あー…そうだった…」
横を学生が通り過ぎる。研究室に籠っていると、どうにも時間の流れに疎くなっていけない。新学期…うん、ブランバートの花が咲いているから、それも学年が変わっての新年度初日というやつだろう。入学式はもう少し後になるか。となると、今は彼奴も忙しい時期なのかもしれない。もう少し時期をずらして連絡するべきだろうか。まあ、そうやって後回しにすると八割忘れるのが自分でもあるのだが。
まあ、手紙ならあちらの都合で返信できるだろうから手紙にするか。そうとなれば、手紙と封筒、伝書鳥を用意しなければ。それと、文面はどうしようか。彼奴は自分のことを覚えているだろうか。連絡を取り合ってるわけでもないから、忘れられている可能性の方が高いかなァ。まあその時はその時か。
久しぶりの手紙は大層興が乗って、分厚くなってしまった。いやこれは返信くれないかもなァ、と思ったが、そのまま送ることにする。封筒ごと圧縮すればまあ、届くだろう。伝書鳥任せだが。
そうして眠って訪れた明日、いや、今日は明らかに異常をきたしていた。朝が来たはずなのに空は暗い。
【そうして、少女は本を閉じて、また最初から読み直すことにしました】
そして、外からは場違いに賑やかな、
フラグが立って彼は次周に参加する