勇者ハルチャンの楽しい泥団子作り
団地のそばの小さな公園に、魔王が現れた。
「おいちゃん、だーれ?」
一人で砂場で遊んでいた幼い少女が、目をぱちくりさせる。
「愚か者、跪いてから物を言え。首をはねてやろうか」
低く放たれた脅し文句は、冗談だと感じさせないほどの凄みを帯びていた。しかし全体的に馴染みのない言い回しだったので、幼女はいまいちよく分からない様子で、ただただポカンとしている。
「まあ、いい。わざわざ我が殺さずとも、軍を寄越してやればすぐに潰される脆い生き物だ」
魔王はあっさりと苛立ちを鎮めた。
相手は弱くて無知な幼女だ。舌足らずな声で、おそらく“おじちゃん”呼ばわりされていることに若干納得いかないが、ここで僻んでも仕方ない。
「だが、我が名を親切に答えてやる義理もない。――“魔王”とだけ名乗ってやろう」
「まおー?」
「ああ。ここではない世界から訪れた。この世界を滅ぼし、領地にしようと思ってな」
「???」
幼女の目が点になり、頭上にクエスチョンマークがいくつも浮かぶ。どうやらこの世界では、本当に“魔王”や“異世界”という概念が夢物語として存在しているらしい。
「おいちゃん、わるいひと?」
全体的に黒い装いで禍々(まがまが)しいオーラをまとう魔王の言動から、幼女は彼の立ち位置をふんわり理解したようだ。
魔王は腕を組むと、唇の両端を歪めた。
「悪いとは思っていない。壊すのが面白いだけだ」
幼女は魔王の言っていることをたぶん分かっていないのだろう。「ふーん」と、あいまいな反応をした。
「何をしている?」
砂場にうずくまっている幼女の様子を改めてまじまじと眺め、魔王は尋ねた。幼女が笑顔になって立ち上がる。
「見て見て! ぴかぴか泥だんご!」
大げさに見せびらかされたのは、黒っぽい丸い塊。よくよく見てみれば、一部が光沢を帯びている。魔王は眉根を寄せた。
「……土の塊か。つまらん」
「えへへー。これね、宝物」
「こんなものが? この世界の人間の価値観は原始的だな。滅ぶべし」
大事そうに泥だんごを抱える幼女を怪訝に眺め、魔王は呆れて肩をすくめた。
「おいちゃん、いっしょに遊ぼっ」
「は?」
「はい、どーぞ!」
プラスチックのカラフルなシャベルとバケツを差し出される。魔王は突拍子もない誘いに驚いて目を丸くした。
万人から恐れられ、崇められたことは数あれど、接待以外で遊びに誘われた経験など全く無い。
これも無知の為すところか。
魔王はうっとうしいハエにそうするように幼女を睨み、側近さえ威圧する声色で言った。
「おい、お前の子守をしてやるとは言ってないぞ」
「お水くんできて」
しかし幼女には効かなかった。
“無知”が“図々しい”の領域に片足突っ込んでいる。
魔王は、はいはい、水があればいいんでしょ、という半ば投げやりな心境で、幼女が持っているバケツに向けて軽く念を込めた。
するとバケツの中に水が湧き出し、あっという間にバケツ一杯ぶんの水が貯まった。
「すごーい!」
幼女が上ずった叫びを上げてはしゃぐ。魔王はどうでもよさそうに視線をそらした。
「このくらい、できて当然だ。脳みその小さい劣等種めが」
「ありがとう!」
……満面の笑顔でそう言われると、なんだか胸の奥をくすぐられるような気分になる。不意に内からにじみ出た、不快なのか心地よいのか区別のつかないこそばゆさに、魔王は不愉快そうに眉間にシワを作った。
「その濁った水を飲むのか?」
バケツの中に意識をそらす。内側に残っていた砂が溶けて、水は薄い茶色になっていた。
幼女は答えず、その場にしゃがむと、砂の地面にバケツの中身を一息にあけた。わずかな間だけ水たまりができ、砂場の中に水が浸透していく。
「この我が与えてやった水を、むざむざ地に捨てるとは……度し難い家畜よ。貴様、“ありがとう”と言っただろうが。数秒前に感じたありがたみはどこへやった?」
魔王が嫌味っぽく言うのをよそに、幼女はシャベルで水を含んだ砂をかき混ぜた。そして湿った土を一杯すくい、魔王のそばにやって来た。
「どーぞ!」
「いらん。下げよ」
魔王はますます不快をあらわにして顔をそむける。幼女が持っているシャベルが傾き、水分多めの泥がこぼれ落ちる。
「あ゛ーーーっ!! 下げよと言っただろうが!」
「落ちちゃった……」
慌てて飛びのく魔王。しかしわずかに遅かった。地面で跳ねた泥が、靴のつま先あたりをまだらに汚していた。
「万が一膝に土が付いたらどうしてくれる! 地に膝をついたと誤解されれば、一族の恥だ!」
魔王は歯を剥き出しにして怒鳴った。灼熱の吐息が蜃気楼となって消える。
「だいじょぶだよ。もっかいね」
「わ、わかった! 受け取るから、二度とこぼすな!」
万人を平伏させたはずの咆哮が効いていない。魔王は、めげずに二杯目を持ってくる幼女に向かって、渋々手を差し出した。
「ぐっ……血ならまだしも、この手を泥で汚すとは……。恩を仇で返された……」
手のひらに乗る、濡れた土の冷たさ。混ざった小石のザラザラした感触。なんとも言えず落ち着かない。
「これをね、ぎゅーってして、まあるくするの」
そう言いながら、幼女は両手に乗せた土を、丸く固めて見せた。それを横目で眺めた魔王は、己の手のひらの上に意識を集中させる。
土は水晶玉のような完璧な球となったものの、ひび割れてしまう。どうやら対象物が土だと、彼の魔力は強すぎるようだ。
「あまりに脆い」
「お手手でやるんだよ」
「そういうものか……。ええい、どうにでもなれ」
魔王は思い切って両手で土を覆い、握りしめた。バラバラの砂粒が凝縮していく感覚がある。何度か握り方を変えて力を込めたあとに、手を開けてみれば、多少指の跡が残った土の塊ができていた。
「おいちゃんのお団子、おっきい!」
「お前より手が大きいぶん、当然だろう」
幼女は自分の泥団子よりふた周りも大きい泥団子を見て、たいそう感心したようだ。全くもってくだらないが、悪い気はしない。
「うん。満足できる丸さだ」
歪みのあるところを調整してやって、魔王なりに納得いく出来の球体ができた。
幼女も小ぶりな土の玉を彼に見せ、「できたー」と嬉しそうに報告してくる。
「所詮しばしの戯れに過ぎぬ。こうなれば最後まで付き合うのみ。……さて、次はなんだ? 疾く済ませよ。我は世界征服で忙しい」
「次はね、白い砂をいっぱいかける」
幼女は砂場の表面の生乾きの砂を一掴み、自分の泥団子に振りかけた。
「さらさらの砂がいいよ」
「さらさら……」
幼女が砂場の縁に貯まっていた砂を集める。やがて小さな山となった砂は、他のそれと比べれば粒が細かく、白く乾燥している。
魔王は人差し指の先でその山に触れた。ふわふわして、なんとなく心地よい。
「さらさらでしょ」
「同じ土でも、こうも感触が違うものか。当然と言えば当然だが。触れたことが無かったゆえ、どことなく新鮮だ」
「おいちゃんは、お砂遊びしないの?」
「するわけないだろう。馬鹿馬鹿しい。こんなものを作って、何になる。何の役に立つと言うのだ」
こんな行為には何の意味もない。無垢な幼女がその虚しさに気づいて絶望するさまを思い浮かべ、魔王は酷薄な笑みを浮かべた。
幼女はしばらくまごついて、答えた。
「んーと、んーと……売る」
「売る……だと?」
魔王の顔から笑みが消える。
「うん」
「需要があるのか……」
何と愚かな。
この土の塊を欲しがる物好きが。この行為に意味を見出し価値をつける者らが、この世界には居るらしい。
「買って、どうする」
「食べる」
「食べ……!?」
あまりの驚きで言葉が続かない。
土が食べられないことくらい、魔王でも知っているのだ。
……ただ、彼は、異世界の子どもたちに“お店屋さんごっこ”という遊戯が人気であることを知らない。
「これ、使っていいよ」
「あ……ああ……」
理解が追いつかない頭のままで、幼女が集めてくれた砂を泥団子にかける。黒い表面が白くなった。
「かけた」
「もっと」
「どうだ」
「もっといっぱい」
「おい」
「もっともっと」
…………どれだけ時間が経っただろう。
いつしか魔王は、職人のように真剣な面持ちで小さな砂場にうずくまり、泥団子作りに没頭していた。
砂をかけ、角度を変えて、また砂をかける。以下繰り返し。
手は乾いた砂で白く汚れ、靴の中に入り込んだ砂のせいで足の裏にジャリジャリした違和感がある。それでも彼の手を止めさせない魔力が、小さな土の玉に宿っているような気さえした。
「地味な単純作業だが、ただの土の塊を光らせるのは、意外と手間がかかるのだな」
長時間同じ姿勢を保っていたせいで、曲げた膝がしびれてきた。“死んでも膝をつくな”という先祖代々の教えが、よもやこんなところでネックになるとは。
「白い砂をいっぱいかけたらね、優しく磨いてあげるんだよ」
「優しく……か。この魔王が、ただの土塊相手に……」
魔王は自嘲気味に笑った。けれど、その作業の実行に対して、もう反発はしない。
「手元をよく見せろ。勝手に学ぶ」
小さな砂場に幼女と二人並び、泥団子を磨く。鋭い爪で傷つけないよう。うっかり力加減を間違えないよう。
自分の力だけで、一から作り上げた手の中の塊に、奇妙な愛着さえ湧いていた。
――ああ、存外悪くない。
「見よ」
引っかかれたら痛そうな爪の生えた指につつかれて、幼女は彼を仰いだ。
「つまり、こういうことだろう」
いい年こいた侵略者が、得意げな笑顔で、にぶい光沢を放つ泥団子を見せつけてくる。
「ぴかぴか! いいなー!」
幼女は歓声を上げて目を輝かせ、魔王の泥団子を見つめた。
「持たせてー!」
魔王は微笑んで鼻を鳴らし、差し出された小さな手のひらに、偉業の成果を乗せた。
幼女は興奮気味に泥団子を眺める。
「ねーねー、おいちゃん」
そうしてひとしきり力作の泥団子を鑑賞し終えると、作者を見上げた。
「なんだ?」
「壊していい?」
「えっ」
腕組みしていた魔王は、表情を固めて、幼女と目を合わせる。
「あ、あんなに手間をかけて作ったのに、壊してしまうのか?」
「うん」
「いや……いやいやいや……確かにそれは、何の価値もない土の塊だが……」
「だめ?」
「……っ……せめて、理由を聞かせろ。なぜ壊す?」
作ったものを、壊す。
全て台無しにする。無かったことにする。取り返しのつかないことをする。
彼女がそうしたいと思うのには、きっと何か深い理由があるはずだ。同じように泥団子を作ったのだから。
そんなことを考えながら幼女の回答を待つ魔王に、幼女は、あっけらかんと言った。
「面白いから」
ただ、楽しみのために。
「それだけで……」
なんと薄情な子どもだろう。
ふざけるな、と吐き捨てようとした魔王の口が、はたと止まった。
悪いとは思っていない。壊すのが面白いだけだ。
そう言いのけて笑った、自分の姿を思い出す。
「――なるほど。“面白いから”か。そうか……。何かを壊すには、十分すぎる理由だ」
魔王は落ち着いた声色で答えた。
「面白いかもしれないな。完成したものを台無しにするのは」
壊すのは気持ちいいかもしれない。
幼女にとって、その泥団子はもう完成したものであり、どうなってもいいものだ。ならばあとは壊す楽しみを味わい、この遊びを完結させるだけ。
だが、
「だが。それを壊すのは、待ってくれ。無価値な土塊であるのは知っているが……一瞬で踏み砕かれると思うと、少々惜しい」
自分にとってみれば、壊されてもいいものではない。
魔王は幼女の手から、泥団子をひょいと取り上げた。それを持ったまま腰を上げる。
「帰る?」
「今日のところは帰る。命拾いしたな」
魔王はくつくつと笑う。
「まさか、戦わずして世界を救う子供がいようとは。これが噂に聞く“勇者”というヤツかな」
いやはや末恐ろしい、と、ある意味楽しそうに言った魔王を、幼女はぽかんとして見上げている。
「小さき勇者よ。名を聞こう」
「……?」
「ん。ええと……お名前はなんですか?」
「はるちゃん」
「ハルチャン。良い名だ」
いつか墓標に刻んでやる。魔王は唇の端を邪悪に吊り上げた。
「最後に一つ。この世界の代表者として答えよ。――この世界は、存続するだけの価値があるものか?」
ハルチャンが即答する。
「分かんない。はるちゃん、まだ六歳だもん」
「そうか。……まだ六歳なら仕方あるまいな」
ちょっとは考えてみようよ大切なことなんだからさー、と文句が飛び出しそうになったが、まぁ六歳なので勘弁してやった。
魔王がパチンと指を鳴らすと、彼の背後の時空が裂ける。その向こうには、ただただ深い冥闇だけがあった。
「ねー。また来る?」
時空の裂け目に片足突っ込んだ魔王を、ハルチャンが呼び止めた。
「ああ。楽しみのためだけに踏み潰すのはやめておいてやるが、新しい領地を諦めたわけではないからな」
「やった!」
「では、勇者ハルチャンよ。さらば」
「じゃあねー。遊んでくれてありがと、おいちゃん」
「よいしょ」と庶民的な呟きとともに頭をかがめ、魔王は時空の裂け目に入った。裂け目が瞬時に消える。
「すごーい」
ハルチャンは裂け目があった場所の空気をぺたぺた触った。もうそこには異世界への入口は無い。
「はるかー」
「あっ、ママー!」
不意に呼ぶ声がして、ハルチャンは公園の出入り口に目をやった。手を振るお母さんの姿を見つけ、両手を広げて駆けていく。
いつの間にか太陽が山に近づいて、空はオレンジ色になっていた。
「何して遊んでたの?」
「まおーのおいちゃんと泥だんご」
「まおー……?」
ハルチャンはお母さんと手をつなぎ、家路を歩いていった。
☆
午後三時半。
おやつのスコーンを食べて(気分的に)ステータスアップした魔王が、時空の裂け目を通って、仰々しく公園に登場した。
「久方ぶりよな、勇者ハルチャン。此度こそ決着をつけよう」
「あっ、おいちゃん!」
滑り台の上に立っていたハルチャンが、ぶんぶん手を振る。
前回との明らかな違いに気づき、魔王は目を見開いた。
「子供が……増えている……!?」
「みんなー! まおーのおいちゃんも入れてあげて!」
「いーいーよ!」
ハルチャンの声に、公園にいた五人の子どもたちが声を揃えて答える。
「まおーのおじちゃん! 鬼ごっこしよ!」
「遊ぼ遊ぼ!」
「散れ! 遊びではないわ!」
必死にシリアスを保とうとする魔王に、わーっと群がる子どもたち。あるいは彼の腕を引っ張り、あるいは無断で背中によじ登る。
とかく子どもはおんぶが好きだ。小学校中学年くらいまでは。
「我は! 仕事で来たの! 領地を広げて手下を増やしに来たの!」
魔王は両手を激しく振ってジェスチャーしながら、とにかく一生懸命な雰囲気を出した。
「てした?」
「あ、わかった。おじちゃん、鬼ごっこがしたいんだ」
「一ミリの理解も無い!」
「よかったねぇ、おいちゃん」
魔王と勇者は分かりあえない。きのこ派とたけのこ派ほど分かりあえない。
彼らの戦いは、いまだ始まったばかりである。