3日目
4時30分、光之は福山駅にいた。始発は早く48分に出る。もう電車はホームに着いていた。国鉄型の古い電車で、黄色一色だ。
光之はクロスシートに座ると、眠ってしまった。光之は寝不足だった。4時間足らずしか眠っていない。今日は移動がほとんどで、東京で友人と会って、飲むことを考えたらこうするしかなかった。
4時48分、電車はまだ夜が明けない福山駅を出発した。車内には光之しかいない。とても静かだ。空は徐々に明るくなってきた。
光之が目を覚ますと、もうすぐ倉敷に着くというアナウンスが聞こえてきた。光之は慌てて支度を始めた。終点の岡山は近い。
5時47分、電車は岡山駅に着いた。辺りはもう明るい。乗り換え時間は26分。光之はサンドイッチと野菜ジュースを駅構内のコンビニで買うことにした。
光之は構内のコンビニに立ち寄った。光之はサンドイッチと野菜ジュースを買った。
レジには茶髪の若い女性がいた。
「いらっしゃいませ」
「437円です」
光之は財布から500円を取り出した。
「500円で」
「63円のおつりです、ありがとうございました」
「ありがとうございました」
コンビニで買い物を済ませると、光之はホームに向かった。
6時10分、朝食をベンチで済ませた光之は乗り換えの電車にやってきた。これで姫路まで行く。乗客はまばらだ。まだラッシュではないと思われる。また国鉄型だ。ここはまだまだ置き換えが進んでいないようだ。
6時13分、電車は岡山駅を出た。姫路までは赤穂線を行くルートと山陽本線を行くルートがあるが、昨日と同じく山陽本線を行くルートを選択した。
まだ十分眠れていない光之は再び眠ってしまった。目を閉じると思い出すのが、牢屋での苦しい日々だ。もうそんな苦しみはなくなったはずなのに、いまだに心の中に残っている。どうすれば忘れることができるんだろう。
7時47分、電車は終点の姫路駅に着いた。昨日、幸太郎と会った姫路市だ。だが、それを考える時間は全くなかった。乗り換え時間はたったの6分だからだ。もう次の電車、野洲行きの新快速の前の4両はすでに来ている。この駅で後ろに8両つないで野洲まで行くそうだ。
光之は車内に入った。車内にはけっこう人が乗っていた。ラッシュアワーのようだ。光之は通勤ラッシュなんて体験したことがない。20年余りも牢屋にいて、就職したことがないからだ。当然、通勤ラッシュなんて体験したことがない。
光之は座ることができなかった。昨日は座ることができたのに。光之は残念がりつつ、前の車窓を見ていた。
7時50分ごろ、大きな揺れを感じた。地震か? それとも? そう思ったが、悪いことではなかった。播州赤穂始発の増結の8両が連結されたからだ。
7時53分、新快速は姫路駅を発車した。新快速はまるで特急のように飛ばしていた。姫路駅を出たら次は加古川駅。次々と駅を通過していった。光之は一番前の車窓にかぶりつきつつ、そのスピードに驚いていた。
新快速は西明石駅、明石駅に停まりつつ、次々と駅を通過していった。明石を過ぎると、海が見えてきた。昨日もその光景を見ていたが、また見てしまった。何度見ても明石海峡大橋の雄大さには感動する。
新快速は神戸駅に着いた。昨日、淳と会った所だ。この駅で、多くの乗客が降りたが、クロスシートにはまだ人が座っていた。
新快速はさらに東へ進んだ。西明石から続く複々線で、多くの普通や快速を追い抜いていく。
あっという間に新快速は大阪駅に着いた。ラッシュは過ぎたとはいえ、大阪市の中心駅には多くの人が行き交っていた。まだ車内はそこそこ込んでいた。光之はまだ前から車窓を見ていた。
京都駅を過ぎると、車内が比較的空いてきた。次の山科駅の先のトンネルを出ると、終点の野洲がある滋賀県だ。朝のラッシュアワーを過ぎ、車内は空席が目立ち始めた。
なおも新快速は飛ばしていた。複々線区間はここから野洲の先の草津まで続くという。
山科駅を出ると、電車は長いトンネルに差し掛かった。このトンネルを抜けると滋賀県の大津駅だ。この大津駅の近くに昔の逢坂山トンネルが保存されているらしい。
新快速は大津駅を出た。野洲駅まであと少しだ。左手には琵琶湖が見えてきた。光之はその風景に感動していた。おとといは湖西線を通ったが、その時は寝ていて見ることができなかった。
10時11分、新快速は終点の野洲駅に着いた。乗り換え時間はわずか1分。次は米原行きだ。新快速と同じ電車だ。これで終点の米原まで行く。
10時12分、電車は野洲駅を出発した。乗客はそんなにいない。光之はクロスシートに座って、のんびりしていた。車窓からは琵琶湖が見える。光之はしばらく琵琶湖を見つめていた。
光之はこれから向かう東京のこと思い浮かべていた。修学旅行で初めて東京に行った時、衝撃を受けた。故郷とは全然違う、高いビルが立ち並ぶ姿や、人の多さに圧倒された。
光之は東京に住んでいる友達の手紙を読んでいた。東京に住んでいる友達はどうしているんだろう。どんな生活を送っているんだろう。僕を見てどう思うんだろう。
10時47分、電車は終点の米原駅に着いた。北陸本線はここが起点で、新幹線の乗り換え駅でもある。東海道本線はここから先はJR西日本からJR東海になる。違う会社となれば、電車も変わる。青い帯の電車からオレンジの帯の電車に変わった。
乗り換え時間は13分あるが、光之はすでに次の電車に乗った。今度も転換クロスシートで、ゆっくりくつろぎたかった。
11時ちょうど、電車は米原駅を出発した。乗客はそこそこいる。ここからはのどかな里山の中を走る。所々で高架線が見える。新幹線だ。新幹線は在来線よりもはるかに速いスピードで通り過ぎていく。これで行けば東京まであっという間だ。だが、青春18きっぷでは乗ることができない。
光之はうらやましそうに見ていた。だが、これはルールだ。のんびり行こう。
11時31分、電車は終点の大垣駅に着いた。ここは交通の要衝で、美濃赤坂への支線が延びていて、養老鉄道、樽見鉄道の乗り換え駅でもある。
光之は構内のコンビニでおにぎりを買った。ここから豊橋までは1時間半近くかかる。この移動中に食べようと思った。
11時40分、光之は次の電車に乗った。今度は新快速だ。同じ車両だが、編成が長い。これで一気に豊橋まで行く。乗客はそんなにいない。
11時41分、新快速は大垣駅を出発した。光之は名古屋拘置所のことを思い出した。これから名古屋を通り過ぎるからだ。
岐阜駅から車内がやや混んできた。ここからは名古屋の都市圏内のようだ。すぐ近くには、高架の突端式ホームがある。名古屋鉄道の岐阜駅で、ここから豊橋まで並行して走る名古屋本線だ。
枇杷島駅を過ぎると、名古屋鉄道と並走し始めた。もうすぐ名古屋駅だ。出所した直後に見たセントラルタワーズが見える。光之は出所した直後のことを思い出した。
新快速は名古屋駅に着いた。3日前、ここから福井に向かった。光之は再び戻ってきた。光之は名古屋駅の風景を懐かしそうに見ていた。
金山駅に停車し、熱田駅を通過すると、名古屋鉄道と別れた。ここから東海道本線は刈谷、安城、岡崎、蒲郡を経由して、豊橋へ向かう。一方、名古屋鉄道は知立、新安城、東岡崎を経由して、豊橋へ向かう。
新快速は徐々にスピードを上げていった。JR西日本とは違って、ここは複線だ。いくつかの駅で普通電車が退避している。
13時9分、電車は終点の豊橋駅に着いた。名古屋鉄道の終点で、飯田線や新幹線、豊橋鉄道との乗り換え駅だ。飯田線はここから辰野までを結ぶ。豊川までの路線はけっこうあるが、そこから先はやや本数が少ない。辰野まで乗りとおすとなると7時間ぐらいはかかる。
次の電車はもう豊橋に着いていた。今度は米原から大垣まで乗った電車と同じ4両編成だ。これで浜松まで向かう。
光之は浜松行きの電車に乗った。電車にはそこそこ乗客が乗っていた。競合する鉄道がないからだろうか。
13時9分、電車は浜松に向けて出発した。豊橋の構内は広く、多くの線路があった。だが、留置されている電車はそんなにない。
2つ先の駅、新所原駅から静岡県に入った。ここからは天竜浜名湖鉄道が延びている。元国鉄の二俣線だった第3セクターの鉄道で、掛川まで比較的山側を走る。そのホームには気動車が停まってない。まだ到着していないんだろう。
新居町駅に着くと、左側から浜名湖が見えてきた。左側を新幹線が猛スピードで通り過ぎていく。光之は雄大な浜名湖の姿に見とれていた。
新居町駅を過ぎると、浜名湖をいくつかの橋で渡り始めた。並行して道路と新幹線の線路が通っている。新幹線は猛スピードですれ違い、名古屋方面へ向かっていく。
13時57分、電車は終点の浜松駅に着いた。新幹線との乗り換え駅で、少し離れた所には遠州鉄道が延びている。
乗り換え時間は13分。次は静岡駅まで行く。光之は次の電車に乗った。今度の電車はロングシートだ。乗客はそこそこ乗っていて、ロングシートは埋まっていた。光之は座ることができなかった。
14時10分、電車は浜松を出発した。ここからはしばらく新幹線と並走する。出発した直後、新幹線は猛スピードで追い抜いていった。
静岡県には美しい富士山がある。だがまだ見えていない。進むにつれて見えてくるだろう。その時は写真を撮らなくては。
次の新幹線の乗り換え駅の掛川駅を過ぎてもまだ富士山が見えない。光之は富士山を見るのを楽しみにしていた。牢屋ではそのの景色が全く見えない。このまま富士山を見ることがなく、死刑執行になるのではと思ったこともあった。
15時21分、電車は終点の静岡駅に着いた。静岡県最大の都市で、県庁所在地だ。新幹線の乗り換え駅で、ここから離れた所には静岡鉄道の新静岡駅がある。静岡鉄道は東海道本線とほぼ並行して走っている。短いが、本数が多く、利用客はけっこう多い。
乗り換え時間はわずか3分。光之は熱海行きに乗った。これに乗ると次に降りるのはもうJR東日本の熱海駅だ。JR東日本に入ると考えると、いよいよ東京が近づいてきたと感じた。光之はもうすぐ幼馴染に会えると思うとわくわくしてきた。
清水駅を過ぎると、電車は海沿いを走っていた。右手には海が広がり、左手には崖がそびえたっている。右手には並行して道路が走っている。
興津駅を過ぎたあたりから、目の前に富士山が見えた。海の向こうに富士山をが見える。ここは絶景スポットの1つで、この近くのさった峠から見る富士山もとても美しい。
富士駅に近くなると、工業地帯が多くなってきた。左手には雄大な富士山が見える。この辺りは工業地帯で、富士駅の次の吉原から延びる岳南鉄道は工業地帯の中を走る。
電車は富士駅に着いた。ここから甲府駅までを結ぶ身延線の乗り換え駅だ。静岡市発の特急ふじかわはここで方向転換をして甲府に向かう。
工業地帯を過ぎて、富士山を左手に、電車は熱海駅へ向かっていた。電車は田園風景の中を走る。光之はこれからの農民としての人生を思い浮かべた。辛かった死刑囚の人生とはおさらばして、これからは農民としてのんびり暮らそう。
電車は沼津駅に着いた。ここで乗り換えることができる御殿場線はもともと東海道本線で、丹那トンネルを抜ける今のルートができると御殿場線になった。かつては複線だったが、戦時中の資材供出で単線になった。
沼津駅の次は三島駅だ。伊豆箱根鉄道の駿豆線はここで乗り換えだ。ここでも新幹線と乗り換えることができる。熱海まではあと2駅。東京が近づいてきたように思えてきた。
三島駅を過ぎると、山間に入り、トンネルが多くなった。ここから早川まではトンネルが多い。
函南駅を出ると、長大なトンネルに入った。丹那トンネルだ。このトンネルを越えたら、終点の熱海はすぐそこだ。光之は長いトンネルをかぶりつくように見ていた。
丹那トンネルを抜けると、右に伊東線の来宮駅が見えた。そして、JR東日本の長い通勤電車も見えた。もう関東なんだと光之は思った。
もう1つトンネルを越えて、電車は終点の熱海駅に着いた。時間は16時41分。熱海駅はJR東海とJR東日本の境目で、ここから関東の通勤圏内に入る。
乗り換え時間は5分。光之は次の電車に乗った。次の電車は長い10両編成で、セミクロスシートだ。その内2両は2階建てのグリーン車だ。
光之は普通車のクロスシートに座った。乗客はまばらだ。これから東京に近づくたびに多くなってくると思われる。光之はクロスシートに座ってくつろいだ。浜松からずっと立っていて、疲れていた。
16時46分、電車は熱海駅を出発した。乗客はまばらだ。移動で疲れた光之は眠ってしまった。
光之が目を覚ますと、そこは大船駅だ。もう東京の通勤圏内だ。もうすぐ今日の大移動は終わる。もうすぐ会える。そう思うと気持ちが高ぶってきた。
ここまで来ると、色んな通勤電車が見られる。深い青とクリームの横須賀線、青い京浜東北線。大阪や名古屋とは違っていた。
横浜駅が近づくと、根岸線が近づいてきた。京浜東北線と一体となったダイヤを組んでいる駅だ。中学校の修学旅行では、東京の他に、中華街にも行った。各二万などを友達と食べ歩き、それはいい思い出だったな。あの時の友達はどうしているんだろう。光之は気になった。
電車は横浜駅を出た。東京駅まであと4駅だ。今日の大移動ももうすぐ終わる。光之はため息をついた。今日だけでこんなに移動して疲れていた。
18時30分、電車は東京駅に着いた。3人とは日暮里駅で待ち合わせる予定だ。光之は電車を降りて、山手線に乗り換えた。山手線は環状線で、様々な路線と並走しつつ、様々な路線と接続する東京の大動脈だ。
光之は山手線の電車に乗った。山手線は夕方のラッシュアワーで、とても混んでいた。光之はキャリーケースをもってその車内に入った。中は身動きが取れないほど混み合っている。
18時47分、電車は日暮里駅に着いた。京成電鉄との乗り換え駅で、ここから成田空港へはスカイライナーでわずか36分だ。
光之は改札を出た。すると、3人が光之を出迎えてくれた。加奈子とすみれと博だ。
「みっちゃーん!」
光之の姿を見ると、すみれは手を振った。
「加奈子ちゃん、すみれちゃん、博くん。お久しぶり。元気だった?」
光之は笑顔を見せた。複数の友達に会えて嬉しかった。
「うん」
「3人とも、手紙をありがとう」
光之は3人が送った手紙を見せた。3人は驚いた。会うことは聞いていたが、まさか持ってくるとは。
「どういたしまして」
「それじゃあ、飲みに行こうか」
「うん」
4人は居酒屋に向かった。目的地の居酒屋は駅からほど近い所にある。
4人は居酒屋に着いた。国産鶏肉の焼鳥屋だ。3人は週に1回、今週の仕事が終わった日の夜にここで飲んでいる。
「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
店の入り口にカウンターにいた店員が聞きにきた。
「4名様で」
「こちらへどうぞ」
店員はテーブル席に案内した。テーブルやいすは木製で、テーブルの真ん中には香辛料等が置いてある。
「いらっしゃいませ、お飲み物はどうなさいますか?」
「生中で」
「私も」
「僕は霧島のロックで」
「私は生中で」
「かしこまりました」
店員は厨房に向かった。
「突然、計画を立てちゃって、ごめんね」
「いいよ」
すみれは笑った。また光之と会えるだけでも嬉しかった。
「突然でびっくりしたけど、それ以上にまた会えたことが嬉しいよ」
博はまた会えたことに喜んだ。もう会えないんじゃないか。故郷に戻ってずっと余生を過ごすかもしれないと思っていた。
「ほんとほんと。無実のまま死刑になると思ってたから」
「神様がまだ死んではいけないと言っているみたいだ」
「そうね」
「みっちゃん、いいこと言うじゃないか!!」
店員が3本の中ジョッキのビールと霧島のロックを持ってやってきた。
「お待たせしました。霧島のロックと、生中でございます。メニューの方はどうなさいますか?」
「そうだな、ねぎまのたれとつくねのたれときもの塩で」
「私はねぎまの塩とこころの塩とつくねのたれで」
「ねぎまのたれとこころの塩と軟骨の塩で」
「ねぎまのたれとつくねのたれとかわの塩で」
「かしこまりました」
店員は厨房に向かった。
「それじゃあ、今日の出会いにカンパーイ!」
「カンパーイ!」
4人はグラスを合わせ、今日の出会いに乾杯した。
「元気にしてた?」
「うん」
博の質問に、光之は笑顔で答えた。無罪であることがばれて、出所できただけで嬉しかった。
「心配してたんだよ」
「大丈夫だよ」
加奈子は逮捕されてから20年余りも光之のことを気にしていた。あの子が絶対するはずがないと信じていた。
「無実なのに、こんなにも牢屋にいたなんて、辛かったでしょう」
「うん。辛かったよ。それに、いつ来るかわからない死の恐怖ってのがあるし」
光之は牢屋での日々を思い出していた。
「そうだよね。わかる」
「私、見たことある。当日の朝、執行室に来るまで知らされないんだって」
加奈子も死刑執行までの流れを先日のテレビ番組で見ていた。それを見て、光之もこんな目にあっていたかもしれないと感じた。
「へぇ、そうなんだ」
「先日、テレビで知ったんだ」
「それ、昨日山口であった愛子ちゃんも見てたみたい。同じこと言ってたもん」
光之は昨日の夕方に会った愛子のことを思い出していた。彼女もその番組を見たと聞いた。
「愛子ちゃんか。その子にも会ってみたいね」
「いま、食堂の女将なんだって」
「愛子ちゃんが女将か。それは知らなかったな」
「昨日会ってきたんだよ。元気にしてたよ」
3人は愛子のことは知っていたが、連絡を取ったことはないし、何をしているか全く知らなかった。
「そうか。よし、みんなで山口旅行して、愛子ちゃんの定食屋で飲み会するか?」
「いいねー、そうしようよ!」
突然考えたことだが、4人は乗り気だ。やまぐち号に乗って、錦帯橋に行って、愛子に久しぶりに会おう。
「そうそう、私、博くんと結婚したのよ」
「おめでとう」
加奈子は博と結婚していた。光之はそのことを知らなかった。面会で聞いたことがないし、手紙にも書いてなかった。
「みっちゃんも、いい相手、早く探してね」
「わかったよ」
光之は笑顔を見せた。早く結婚しなければ。結婚すれば、子供ができて、明るい未来が待っているに違いない。
「ところでみっちゃん、出所後はどうするの?」
「故郷に戻って農民として余生を過ごすのさ」
「故郷か。そういえば、何十年も行ってないな。行きたいな」
3人とも、故郷を離れて以来、全く故郷に戻っていなかった。
「その時は、僕がごちそうしてやるよ」
「そう。ありがとう」
3人は嬉しかった。また故郷に行くことができるし、光之の料理が食べられる。これほど嬉しいことはない。
「宗太くんも待ってるよ」
「宗太くん、まだ故郷にいるのか?」
3人は驚いた。宗太がまだ故郷にいるとは。あれ以来、全く会っていない。故郷にまだ留まっているとは聞いたが、会いたいとは思っていなかった。故郷に戻ったら、再会して一緒に飲みたいな。
「うん。出所した時に空いていた民家を提供してくれたんだ」
「そうか。よかったな」
「久々に会いたいな」
「じゃあ、みんなで会いに行こうよ!」
「そうしよ、いつかまだ決めてないけど」
突然のことだったが、光之はとても嬉しかった。またみんなと故郷で過ごせるだけでも嬉しい。あの、賑やかだった頃の故郷に少しだけでも近くなれるかな?
光之と博と加奈子は日暮里駅までの道のりを歩いていた。すみれはこの近くに家があるので、徒歩で帰った。
4人はそれぞれジョッキ数杯飲んだ。すみれは少しふらふらしていたが、博と加奈子は意識がはっきりとしていた。
「今日は俺ん家で泊まる予定だったな。行こうか」
「うん」
光之は今夜、博の自宅で泊まることを予定していた。博にも伝えていた。
「どこにあるの?」
「大塚駅の近く」
大塚駅は山手線の駅で、都電の生き残りである荒川線との乗り換え駅だ。全盛期、東京を網の目のように走っていた都電も、地下鉄の開業やモータリゼーションの影響で次々と廃線になり、今では荒川線を残すのみとなった。
「ふーん」
「加奈子ちゃんとの間には2人の息子と1人の娘が生まれたんだ」
「そうなんだ」
「上の息子は結婚してマイホームを建ててそこで暮らしてるんだ。下の息子と娘は大学生。今は4人で暮らしてるんだ」
「へぇ」
光之は博と加奈子がうらやましく思えた。幼馴染と結婚して、3人を子供をもうけて幸せそうだ。自分もそんな恋をしたかった。でももう遅い。
3人は日暮里駅に着いた。ここから山手線内回りに乗って大塚駅に向かう。夕方の帰宅ラッシュが過ぎて、日暮里駅は少し空いてきた。ほろ酔いのサラリーマンも多少いる。
3人はホームにやってきた。ホームには残業帰りの客が多少いる。彼らの中には酒が入って少し酔っている人もいる。
すぐに内回りの電車がやってきた。乗客は夕方ほど多くない。3人は車内に入った。乗客はまばらだ。
「みっちゃんもいい嫁さん早く見つけてな」
「わかったよ」
光之は笑顔を見せた。絶対に結婚して、博と加奈子を結婚式に呼びたいな。
「きれいな夜景だね。牢屋にいた頃はこんなの見えなかったよ」
「夜景、きれいでしょ」
「また気持ちが落ち着いたら、東京に行きたいな。戦争時に、スカイツリー、それに、ディズニーランドにも行きたいな」
「じゃあ、一緒に行こうぜ」
3人は楽しそうに話していた。もしも死刑が執行されていたら、こんな光景見れなかった。また会えただけでも、博は嬉しかった。
3人は大塚駅で降りた。ここは高架駅で、その下に都電の停留所がある。都電には多くの乗客がいた。まだ都電は都民に愛されているようだ。
数分歩いて、3人は博の自宅に着いた。博の家は比較的新しいアパートで、博の実家はその2階だ。
「ここなんだ」
博は鍵を開けて、中に入った。中は明るい。どうやら誰かがいるようだ。
「ただいまー」
「おかえりパパ」
1人の青年と1人の女性がやってきた。どうやら博と加奈子の子供達のようだ。
「紹介するよ、次男の肇と長女の香だ、お父さんの友人の光之さんだ」
「はじめまして」
「はじめまして」
2人はお辞儀をした。2人はちょっと照れていた。
3人はリビングにやってきた。リビングには誰もいない。肇と香はそれぞれの部屋にいた。
「今日はここで寝てね。リビングでごめんね。これしか用意できなかった。毛布はこっちが用意するから」
「ありがとう」
光之はリビングに座った。光之は今日の移動で疲れていた。ぐったりとしていた。
「明日は何時に出発するの?」
「8時半」
「どこに行くの?」
「鴨川。綾子ちゃんに会って、一緒に鴨川シーワールドに行こうかなと」
明日は鴨川シーワールドに向かって、そこから総武本線、東海道本線を西に向かって、浜松で1泊する。
「そうか。綾子ちゃん今は漁師の嫁なんだよ」
「ふーん」
綾子ちゃんが漁師の嫁だということは手紙で知っていた。
「鴨川シーワールドいいとこだよ。シャチのパフォーマンスしょーが素晴らしいし、シャチってけっこう可愛いんだよ」
「楽しみだな。シャチを生で見たことないんだ」
「そうか。かわいいぞ」
光之は鴨川シーワールドに行ったことがなかった。それに、シャチを生で見たことがなかった。光之は旅行の前夜に鴨川シーワールドのことを知って、行きたいと思っていた。
この日、さくらは名古屋に向かうことにした。拘置所の人に聞いて、光之が今後どこで暮らすのか聞こう。
さくらは近鉄の大阪難波駅にいた。さくらは新幹線ではなく名阪特急で名古屋に向かう予定だ。大阪難波駅のホームには多くの乗客がいる。
近鉄の駅だが、阪神電車も来る。2009年に西大阪線改めなんば線が近鉄の大阪難波駅まで延び、相互乗り入れを始めた。
さくらは名古屋行きの特急ひのとりに乗った。6両編成で、一番前と一番後ろがハイデッカーの3列シートだ。さくらは真ん中のレギュラーシートに座った。
さくらは座席に座った。乗客はそんなに多くない。車内は静かだ。
9時ちょうど、ひのとりは大阪難波駅を出発した。ここから大阪上本町駅の先までは地下区間で、鶴橋駅で地上の大阪上本町駅から来た電車と合流する。
さくらは新聞に載っていた出所の記事を見ていた。車内でさくらは光之のことを考えていた。光之は元気でいるだろうか。自分のことを覚えているだろうか。また会いたいな。そして、20年余りの時を経て、プロポーズできたらいいな。
その間に、ひのとりは大阪上本町駅、鶴橋駅、大和八木駅に停まった。大和八木を出ると、次は津駅だ。
記事を見るのに飽きたさくらは車窓を見ていた。光之は20年以上も牢屋にいた。外の景色なんて見ることができなかった。20年余りぶりに見た名古屋や京都の風景をどう思っているんだろう。さくらはその感想を聞きたかった。
西青山駅を過ぎると、長いトンネルに入った。新青山トンネルだ。近鉄大阪線の最大の難所、青山峠を越える長いトンネルだ。それまでは大阪線で最後まで単線で、蛇行するように越えていた。だが、脱線衝突事故が起こり、以前から計画されていた複線化が早まり、現在の新青山トンネルを通る複線の新線に切り替えられた。
その後もトンネルを越えると、田園地帯に入った。もうすぐ大阪線の終点、伊勢中川駅だ。だが、この電車は伊勢中川駅には止まらない。その手前にある短絡線を通って、そのまま名古屋線に入る。
伊勢中川駅の手前の中村川橋梁の手前で、ひのとりは左の短絡線に入った。この区間だけは単線だ。
名古屋線に入ると、ひのとりは再びスピードを上げ、雲出川橋梁を渡った。その時もさくらは光之のことで頭がいっぱいだ。今頃どうしてるんだろう。元気にしているだろうか。私を見てどんな反応をするだろうか。
次の停車駅の津駅が近くなると、JR紀勢本線が右に見えてきた。次の津駅はJRや紀勢本線の乗り換え駅だ。普通の特急はその次は白子駅に停まるが、一部のひのとりは終点の名古屋駅まで停まらない。
11時6分、ひのとりは名古屋駅に着いた。名古屋駅も多くの人が行き交っていた。名古屋拘置所の最寄り駅の市役所駅へは地下鉄東山線と名城線を乗り継いで行く。
さくらはわくわくしていた。もうすぐ光之に会えるかもしれない。会ったらどう話そうか。どんなプロポーズの言葉を言おうか。
さくらは東山線に乗った。東山線はこの時間帯も混雑していた。東山線は名古屋地下鉄の最混雑路線だが、車両が小さい。そのため、いつも混雑している。
数分で電車は栄駅に着いた。市役所駅へはここから名城線に乗り換える。名古屋駅からここまでは最混雑区間だ。島式のホームには多くの人が行き交っていた。ここで降りる人や、名城線に乗り換える人々だ。
さくらは階段を下りて名城線の右回りのホームにやってきた。ここでも多くの人が電車を待っていた。その多くは市役所駅で降りて名古屋城に行く人々だ。
間もなくして、電車がやってきた。東山線の電車に似ているが、こっちは藤色の帯だ。さくらは電車に乗った。
数分して、電車は市役所駅に着いた。島式のホームに多くの乗客が降り立った。さくらもここで降りた。多くの人が名古屋城に行くのに対して、さくらは名古屋拘置所に向かった。
歩いて7分、さくらは名古屋拘置所に着いた。この辺りはビジネスマンが行き交っていた。それを見て、20年余りも牢屋にいた光之はこんなことできなくてつらかっただろうと思い始めた。
「すいません、ちょっとお聞きしたいんですが、出所された山田光之さんはこれからどうなさるか、知ってますか?」
名古屋拘置所の前にいた看守に聞いた。その看守は偶然にも、出所する光之を見送った看守だった。
「山田光之さんは、今後、越前下山駅の近くの故郷で農業を営むと聞きましたが」
「そうですか。ありがとうございました」
さくらはお辞儀をした。さくらは驚いた。光之が福井の農村出身で、出所後はここで農業を営む。じゃあ、今日名古屋に来たのは無駄足だったのか。福井に行かねば。行って、プロポーズしなければ。
もうすぐお昼だ。さくらは名阪特急の車内で昼食をすることにした。さくらは名古屋拘置所を後にして、名古屋駅に向かった。
結局光之に会うことはできなかった。でも、どこにいるかはわかった。院長と相談して、福井に行こう。
帰りの地下鉄の車内で、さくらは携帯電話を見ていた。越前下山駅がどこにあるのか調べていた。
調べてみて、さくらは驚いた。越前下山駅は本数の少ない九頭竜線の終点の1つ前の駅だ。1日上下5本ずつしかない。しかも、福井駅から行けるのは4本だけだ。こんなに本数が少ないとは。
さくらは帰りの名阪特急でそこまでの道筋を考えることにした。九頭竜線はあまりにも本数が少ない。しっかりと考えておかないと、その日に行けない。
午後4時過ぎ、さくらは大阪難波駅に戻ってきた。相変わらず大阪難波駅には多くの人がいた。
さくらは大阪メトロを乗り継いで、院長の家に帰ってきた。院長はまだ帰ってきていない。家の中は暗くて静かだ。
さくらは夕方のワイドショーを見ながら過ごしていた。家事等で全く見る機会がなかった。さくらは興味津々にワイドショーを見ていた。
夜になって、院長が帰宅してきた。
「ただいまー、さくら、帰ってきてるか?」
「はーい」
院長は鼻をかぐ仕草を見せた。
「おっ、今日はカレーか?」
院長は匂いだけで今日の晩ごはんはカレーだとわかった。
「うん」
「いい匂いだな」
院長は笑みを浮かべた。今日は大好きなカレーだ。
「もうちょっと待ってくださいね。 今、ルウを溶かしているところですから」
「ありがとう」
できるまでの間、院長はリビングでテレビを見ていた。
約5分後、カレーが出来上がった。院長とその家族はリビングにやってきた。
「さぁ、できましたよ」
さくらはテーブルに座った。テーブルにはカレーとサラダが並んでいる。
「いただきまーす」
院長とその家族はさくらの作ったカレーを食べ始めた。
「やっぱ、遥の作るカレーはうまいな」
突然、さくらは今日のことを院長に話し始めた。
「今日、偶然外に出ていた拘置所の人に聞いてみたの。光之さん、福井の農村で農業を営むらしいって」
院長は驚いた。山田光之が福井県出身だと知った。
「そうか、福井の農村か」
「越前下山駅の近くだって。九頭竜線の」
院長は首をかしげた。院長は九頭竜線のことを知らなかった。院長は鉄道のことをあまり知らなかった。
「そうか」
「私、行ってみようと思うの。そして、一緒に暮らそうと思うの。いいでしょ?」
院長は少し考えた。さくらがこんなことを言うとは。また家を離れることになる。突然のことで院長は戸惑っていた。
「わかった。もし結婚することになったら、悔いのない人生を送るんだぞ」
「うん」
さくらは明日、福井へ向かうことにした。光之に告白するなら、これが最後のチャンスだと思っていた。これでだめなら、院長のところに戻ろう。