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2日目

 翌日、光之は聡と岡山駅にやってきた。今朝の8時40分の電車で、光之は西に向かう。光之はまた会えたらいいなと思った。


「昨日は泊めてくれてありがとう」

「どういたしまして」


 2人は改札にやってきた。2人はここで別れる。


「それじゃあ、行ってくるね」

「行ってらっしゃい。また会おうね」

「うん」


 光之は聡と別れた。また会おうと約束して。


 光之は次の電車が来るホームにやってきた。岡山駅には様々な電車や気動車が発着していた。倉敷駅から伯備線に入り、新見駅や出雲市駅に向かう電車、瀬戸大橋を越えて高松駅へ向かう電車、かつての連絡船の乗り換え駅、宇野駅へ向かう電車、高知、徳島、松山へ向かうJR四国の特急。


 8時40分、光之は岡山駅を後にして、三原駅に向かった。今日は広島で次郎くんと会って、新山口駅で愛子ちゃんと会う。そこから今度は東に向かって福山駅まで行き、そこで一泊する。


 電車はひたすら西に向かっていた。ラッシュが終わった車内は少し空席が出ていた。光之はクロスシートに座って車窓を見ていた。


 電車は福山駅に着いた。目の前に城が見える。光之は姫路で幸太郎と会ったことを思い出した。そういえば、姫路には世界遺産の姫路城がある。また今度行った時には一緒に姫路城に行きたいな。


 10時10分、電車は終点の三原駅に着いた。乗り換え時間は19分だ。そのほかにも乗り換え待ちの客がいたが、人は少ない。


 10時29分、岩国行きの電車は三原駅を出発した。光之はこれに乗って途中の広島駅で降りる予定だ。


 八本松駅を過ぎると、長い下り坂に入った。山陽本線の難所、セノハチだ。長い坂が続くこの区間は、昔から補助機関車が活躍している。今では貨物列車しか連結することがなくなったが、その機関車を取るために、多くの鉄道ファンが訪れている。


 大きなヤードが右に見え、左には巨大な野球場が見えてきた。もうすぐ広島駅だ。その野球場はマツダスタジアムで、広島東洋カープの本拠地だ。少し前は原爆ドームの近くにあった広島市民球場が本拠地だった。だが、老朽化などの理由から、今の野球場が建てられて、広島市民球場は解体された。


 11時43分、電車は広島駅に着いた。ここは広島県の県庁所在地で、中国地方随一の大都市だ。新幹線との乗り換えができ、横川駅から可部線に、海田市駅から呉線に入る電車も乗り入れてくる。


 光之は改札の前にやってきた。その向こうには、茶髪の男性がいる。次郎だ。光之は見た瞬間に分かった。写真付きで手紙を送ってきたからだ。


「次郎くん!」


 光之は改札の向こうから声をかけた。


「みっちゃん!」


 次郎は光之に反応し、声をかけた。


「お久しぶり!」


 光之を見つけた次郎は笑顔を見せた。久しぶりに会うのが嬉しかった。


「手紙、ありがとう」


 光之はお辞儀をした。手紙をくれた幼馴染には全員お辞儀をしようと思っている。


「どういたしまして。会えて嬉しいよ」

「こっちもだよ」


 改札を出て、2人は握手をして、抱き合った。また会えると思っていなかった。今日会えるのが奇跡のようだと思っていた。


「お好み焼き食べよっか」


 次郎は光之をお好み焼き屋に誘った。昨日は大阪で食べたが、今日は広島だ。混ぜるのが大阪なのに対して、広島は重ねるお好み焼きだ。光之はその違いを楽しみたいなと思っていた。


「ああ、広島風お好み焼きね」

「うーん・・・」


 その時、次郎が反応し、考え込んだ。どうやらその言い方が気に入らないようだ。


「どうしたん?」

「広島では『広島風』って言ったらいかんのやで」


 確かにそうだ。『広島風』とか『広島焼き』と言うのは駄目なことで、単に『お好み焼き』というのが正しい。


「ふーん」

「単に『お好み焼き』って言えばいいんだ」


 次郎は詳しく説明した。次郎も最初はそう言っていたが、広島に住んでいるうちに、その呼び方に慣れてきた。


「そうなのか」


 光之は興味津々に聞いていた。お好み焼きの呼び方なんて、考えたことがなかった。


 2人は駅構内のお好み焼き屋にやってきた。昼時ともあって、多くの人が来ていて、行列ができていた。


「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

「2名様です」


 次郎はピースサインで2人であることを示した。


「2名様ですね。カウンター席になりますが、よろしいでしょうか?」

「はい」

「かしこまりました」


 店員はカウンターに案内した。目の前にはお好み焼きを焼く鉄板があり、その向こうには厨房がある。鉄板の上には調理中のお好み焼きが並んでいる。


「こちらでございます」


 2人は案内されたカウンター席に座った。その時、店員が2枚のこてでお好み焼きをひっくり返し始めた。


 そこに、店員がやってきた。


「いらっしゃいませ。ご注文はどうなさいますか?」

「海鮮デラックスで」

「じゃあ、私も海鮮デラックスで」

「かしこまりました」


 2人とも海鮮デラックスを注文した。店員は厨房に戻っていった。


「無罪でこんなに長年捕らえられて、辛かっただろ?」

「当たり前だよ。これまでの時間を返せと言いたいよ」


 光之はいまだにそれを言っていた。悔やんでも悔やんでも戻ってこない時間だ。どうやって取り返せばいいんだ。


「その気持ち、わかるよ」


 次郎は光之の肩を叩いた。次郎には光之の気持ちがわかった。何にもない20年間を送ってきて、その20年間を無駄にしてきたからだ。


「次郎くん、どんな人生送ってきたの?」

「小学校で故郷を後にして、福井市内の中高に進んだのさ。そして、広島の大学に進学したのをきっかけに、ここに引っ越してきたのさ。卒業後は、社会教師をやってるんだ。今は同じ教師の妻と4人の子供に囲まれて幸せな生活を送ってるよ」


 次郎は光之とは正反対に充実した人生を送ってきた。結婚して、4人の子供に恵まれ、安定した仕事に就いている。


「そうか。俺もそんな生活したかったな」


 光之はうらやましそうに感じた。でももう戻れない。もう味わえない。光之は残念そうな表情を見せた。


「そうだな。その気持ち、よくわかるわ」

「でも、もうあの時に戻れないんだもん」


 光之は泣きそうになった。もう過去に戻れないからだ。


「でも、今からでも遅くはないと思ってるよ。これから、好きな人と結婚して、幸せな生活を送ればいいんだから」


 次郎は光之を励ました。今からでもいいから、幸せな生活を送ってほしかった。


「好きな人か・・・。そういえば、高校の時にいたな。さくらちゃんって子。ある日突然いなくなったんだよ。好きだったのに」


 光之は高校の頃に知り合った初恋の相手、さくらのことを思い出した。いつか結婚しようと約束していたのに、突然いなくなった。牢屋の中でも、忘れたことがなかった。今、どうしているんだろう。光之はふと考えた。


「そうか。また会えたらいいね」


 それを聞いて、次郎は自分の初恋のことを思い出した。自分が初めて恋に落ちたのは、大学生の頃で、同じく教師を目指している同じ学科の女性だった。その後、卒業とともに結婚し、2人とも教師になった。


「俺、故郷で農業を営みながら残りの人生を送ろうと思うんだ」

「故郷か。福井市に引っ越して以来、全く行ってないな。また行ってみたいな」


 次郎は故郷のことを思い出した。小学校を卒業して、離れてからも全く忘れたことがない。いつの間にか、次郎は童謡の『ふるさと』を口ずさんでしまった。


「もし来たら、地元の野菜等を使った料理をごちそうしてやるよ」

「ありがとう」


 次郎は笑顔を見せた。また行ってみたいな。その時は光之だけでなく宗太にも会いたいな。そして、子供ややがて生まれてくる孫にも故郷を見せたいな。


 そこに、店員がやってきた。


「お待たせいたしました。海鮮デラックスです」


 目の前にお好み焼きが置かれた。


「いただきまーす」


 2人はお好み焼きを食べ始めた。光之は嬉しそうな表情だった。


「うまいな」

「やっぱお好み焼きは最高やな」

「うん」


 2人ともお好み焼きをおいしそうに食べていた。


「牢屋の中ではそんな豪華な食事できんやろ」

「うん。誕生日にはケーキが出るんだけどな。それぐらいだ」


 次郎は納得した。だが、ケーキが出るってのは驚いた。誕生日ぐらいはこんな贅沢ができるのか。


「そうか。無罪がばれて外に出れてよかったな」

「ほんとによかったよかった」


 光之は嬉しそうな表情でお好み焼きを食べていた。


「俺もだよ。いつか無実がばれると信じてた」

「今日はたんと食べなよ」


 光之はいつの間にか涙を流していた。次郎が無実だと信じていたことが嬉しかった。




 13時15分、光之は広島駅を後にして、新山口に向かった。今度は新山口で愛子ちゃんと会う予定だ。


 左に海が見えるようになると、並行して標準軌の複線が見えた。広島電鉄で、宮島口まで並行している。広島市内は併用軌道がほとんどだが、ここは専用軌道だ。


 光之は海の向こうから宮島を見ていた。姫路城も世界遺産だけど、原爆ドームも宮島も世界遺産だ。それに、宮島は日本三景の一つだ。次郎くんと一緒にいつか行ってみたいな。


 14時7分、電車は岩国駅に着いた。錦帯橋で有名な岩国市の中心駅で、岩徳線との乗り換え駅であり、錦町駅まで行く錦川鉄道もここから発着している。


 ここでの乗り換え時間は2分。光之は急いで次の電車に乗り換えた。このほかにも、乗り換える客がいたが、ほとんどが下関行きへの乗り換え客だ。岩徳線や錦川鉄道への乗り換え客は少ない。


 14時9分、下関行きの電車は岩国駅を出発した。乗客はそんなに多くない。光之は転換クロスシートに座り、うっとりしていた。そして、いつの間にか寝入ってしまった。


 16時9分、電車は新山口駅に着いた。新山口駅は新幹線との乗り換え駅で、山口線と宇部線の起点でもある。また、SLやまぐち号はここが始発で、週末を中心に多くの観光客が訪れる。


 光之は新山口駅で降りた。新山口駅で愛子ちゃんと会う予定だ。改札で待っていると聞いた。光之は改札に向かった。


 光之は改札の前にやってきた。すると、改札の向こうには愛子がいた。


「みっちゃん!」


 光之の姿を見て、愛子が反応した。愛子は手を振って光之を呼んだ。


「愛ちゃん、久しぶり!」


 光之は笑顔を見せた。愛子にまた会えて嬉しかった。


「よく来たわね」


 愛子は来てくれると思っていなかった。来ると電話を聞いたときは嬉しかった。


「お手紙ありがとう」


 光之は愛子が出した手紙を見せた。愛子は笑顔を見せた。


「どういたしまして」

「今、何してるの?」

「食堂の女将よ」


 愛子は故郷の中学校を出て、山口へ引っ越して以降、山口の高校を卒業後、定食屋の店主の息子と結婚した。夫は死んだ父の跡を継いで店主に、愛子は女将として店を切り盛りしていた。


「へぇ、今夜はそこでごちそうになろうかな?」

「いいわよ」


 突然のことだったが、愛子は受け入れた。会えるだけでも嬉しいのに、店の料理を食べてくれるとなると、より一層嬉しかった。


「ありがとう。突然でごめんね」

「いいよ。幼馴染だもん」


 歩いて5分、2人は食堂にやってきた。隣には愛子の家がある。


「ここがお店か」

「うん。家族で営んでるの」


 光之はうらやましそうに見ていた。自分にはもう両親がいない。まだ結婚もしていない。孤独な日々だ。こんな日々を送りたかったな。


「5時半ぐらいになったら食べようかな?」

「いいわよ。それまで家でくつろいでちょうだい」

「ありがとう」


 光之は愛子に案内されて、家に入った。家はごく普通の一軒家だ。愛子は現在、夫との2人暮らしだ。子供は男女1人ずついて、長男長女共に東京の大学に進学した。大学では料理を勉強しているという。長男は跡継ぎに、長女は洋食屋のシェフになると言っている。


 光之はダイニングに座った。ダイニングには誰もいなかった。夫は食堂の厨房で夕方の営業に向けての支度をしていた。


「無罪判決が出た時、本当に嬉しかったわ」


 愛子は無罪判決が出た時のことを思い出していた。あの時は夫婦で大騒ぎして、閉店後の食堂で飲み合って祝った。


「ありがとう。もうだめかと思ったよ」

「私は絶対やってないと信じてたから」

「本当に?」

「だって友達だもん」

「友達か」


 光之は今日会ってきた友達のことを思い出していた。


「今日は誰に会ってきたの?」

「広島で次郎くんに会ってきた。昨日は大阪で仁くんとお好み焼きを食べて、神戸で淳くんに会って、姫路で幸太郎くんとおでんを食べて、聡くん家で眠ったんだ」


 光之は嬉しそうな顔をしていた。手紙をくれた友達に会うことができた。みんな元気でいてくれた。


「そう。みんな元気にしてた?」

「うん」


 光之はテーブルにぐったりした。昨日も今日も友達に会ってきて、そして電車での移動や乗り換えで疲れていた。


「移動で疲れたでしょ。ゆっくりしてね」


 光之はしばらくその場で寝入ってしまった。


 突然、光之は愛子にゆすられて、目が覚めた。


「もう5時よ」

「あっ、ごめん。疲れて寝入ってしまった」

「いいのよ。移動やら監獄で疲れたでしょ」


 愛子は許してくれた。20年余りも辛い日々を送ってきた光之の気持ちがよくわかっていた。


「うん。それじゃあ、行くよ」

 光之は隣の定食屋に向かった。人通りは少ない。まだ帰宅時間じゃないみたいだ。


 光之は定食屋に入った。定食屋は空いていた。


「いらっしゃい」


 愛子の夫が声をかけた。男は小太りで、ねじり鉢巻きを巻いていた。


 光之がカウンターに座ると、愛子が水を持ってやってきた。


「何にする?」

「それじゃあ、豚肉の生姜焼き定食で」


 愛子は厨房に向かった。これから豚肉の生姜焼きを作ると思われる。


 光之は辺りを見渡した。愛子がいろんな人と撮った記念写真が飾ってある。その中にはサイン付きの写真もある。芸能人がテレビ取材に来た時の写真だろうか。食レポだろうか。


 しばらくして、愛子が豚肉の生姜焼き定食を持ってきた。


「お待たせ、豚肉の生姜焼き定食です。ごはんのおかわり自由だからね」

「ありがとう」


 光之はお辞儀をした。愛子は光之の隣の席に座った。


「牢屋の中、辛かったでしょう」

「うん、それに、いつ来るかわからない死の恐怖があるもん」


 光之は暗そうな表情で答えた。出所したとはいえ、その恐怖を忘れることができない。


「知ってる。先日テレビで見た。当日の朝の執行直前までわからないんでしょ」


 先日の休業日、愛子は夜のバラエティー番組で死刑執行までの流れを紹介していたのを見た。当日の朝、教誨室まで行かされて初めて伝えられる。それを見て、毎日死の恐怖と戦っている光之はすごいなと思った。


「うん。以前は前日に知らされてたんだけど、自殺する人が出たので即執行になったんだ」

「それは怖いよね。私、まだ若いから、死なんて考えたことがないわ。いつも死の恐怖と戦い続けたみっちゃん、すごいよ」


 愛子は光之をほめたたえた。死の恐怖なんて、まだ若い愛子は考えたことがなかった。遺書なんて全く考えたことがないし、子供たちに伝えることも全く考えたことがなかった。


「そんなにすごいのかな?」

「うん」

「こんな奴だけど」


 光之は信じられなかった。20年余りも牢屋にいた人がこんなことで褒められるなんて。




 18時31分、光之は新山口駅を後にした。ここからは逆に東に向かう。明日の夜までほとんど電車での移動になる。


 明日は夜まで移動で、東京に着いて加奈子ちゃん、すみれちゃん、博くんに会う予定だ。みんな、東京で働いているそうだ。


 終点の岩国駅までは2時間近い。その間、光之は届いた手紙を見ていた。その中には、元気そうな彼らの写真があるものもあった。


 光之は嬉しそうにそれらを見ていた。彼らが元気でいてよかった。彼らのように、元気を取り戻したい。普通の生活を送りたい。


 20時25分、電車はようやく終点の岩国駅に着いた。もう日は暮れて、辺りは暗くなっていた。人通りは少ない。


 乗り換えの電車まではあと12分だ。光之は次の電車の中で待っていた。乗客は少ない。静かだ。


 20時37分、電車は岩国駅を出発した。乗客は少ない。夕方の帰宅ラッシュを過ぎて、残業ので帰りが遅くなった男がちらほら乗っているぐらいだ。


 電車は暗闇の中を走っている。この辺りは民家がそんなに多くない。電車は大きな音を立てながら走っていた。これほど乗客が少なくて静かだと、モーターの音がよく響く。


 広島市に入ると、若干客が多くなってきた。だが、そんなに多くない。もう夜遅くなり、寝ている人もいる時間帯だ。それでも広大な貨物ターミナルには明かりが灯っていた。まだ動いているようだ。


 瀬野駅を出ると、長い上り坂に入った。この辺りには人家が少ない。乗客はまた少なくなっていた。坂を上る電車のモーター音がよく響いた。


 22時23分、電車は白市駅に着いた。乗り換え時間は22分。終点で降りた乗客は光之ただ1人だった。光之はホームで寂しく電車を待っていた。


 ホームを静寂が包む。光之はただ1人佇んでいた。その時光之は、牢屋にいた頃を思い出した。あのときみたいに、静寂の空間だった。昼間なのに静かで、常に死の恐怖が隣り合わせにある。それよりかはましだが、やはりこれだけ静かだと少し怖い。


 22時45分、次の電車が白市駅を出発した。ここから終点の糸崎駅までは30分ちょっと。今までに比べるとあっという間だ。光之はクロスシートに座らず、運転室の後ろから前の車窓を見ていた。辺りは真っ暗だ。もうみんな寝たんだろうか。


 23時19分、電車は終点の糸崎駅に着いた。乗り換え時間は17分。結局誰も乗らないまま、終点に着いた。糸崎駅にも誰もいなかった。ここも辺りが暗い。もう寝静まったからだろう。光之は白市駅を同じく恐怖を感じた。


 光之は牢屋での恐怖から抜け出せずにいた。どうすればこの恐怖を忘れることができるんだろう。光之は答えられなかった。


 23時36分、次の電車は糸崎駅を出た。今日の移動はこの電車の終点の福山駅までで、福山駅の近くのホテルに泊まって、朝早く出発する予定だ。


 光之は今日の旅を振り返った。広島で会った次郎が元気にしていてよかった。こんなに幸せな生活を送っている次郎がうらやましい。自分もこんな幸せな生活を送ってみたいな。今からでも遅くない。好きな人を見つけて結婚して、子供と一緒に幸せな日々を送りたい。愛子ちゃんが食堂の女将になっているとは。また行きたいな。今度はどの定食を食べよう。


 0時3分、電車は終点の福山駅に着いた。もう明かりが消されているホームもある。この電車が終電だ。光之は電車を降りた。


 光之は疲れていた。今日の移動も大変だった。でも明日はもっと大変だ。明日は夜までずっと移動だ。東京まで行く。短いけれど、しっかりと休んで明日に備えよう。




 その頃、遥は京都にいた。気晴らしにちょっと出かけようと考えていた。思い悩んでいる遥のことを考えて、院長が気晴らしにと考えた。


 偶然、遥は高校の前を歩いていた。高校では体育の授業が行われていて、体操着の高校生が授業を受けている。遥はその様子を見ていた。


 観光客が多い京都だが、この辺りは観光客が少なかった。この周辺に観光スポットはないと思われる。


 突然、遥は頭が痛くなった。遥はうずくまり、目を閉じた。


「光之さん・・・、光之さんだわ。そして、私の名前は、さくら」


 さくらは自らの本当の名前と初恋の相手を思い出した。だが、自分が誰だったのか、わからなかった。


 さくらは新快速の中で、光之のことを思い出していた。光之とは高校で知り合った。福井県の農村出身で、とても明るく接してくれた。このままずっと付き合って、結婚したかった。


 だが、光之は名古屋の大学に進学することになった。その後も遠距離恋愛で交際を続けていたものの、ある日を境に光之からの連絡は途絶えた。それから間もなくして、さくらは交通事故に遭い、今までの記憶をすべて失った。


 その夜、さくらは新快速で大阪駅に戻ってきた。夜も大阪駅は賑わっていた。帰宅ラッシュを過ぎ、残業帰りの人が多く行き交っていた。


 地下鉄を乗り継いで、さくらは院長の家に戻ってきた。


「ただいまー」

「どうだった?」

「私、京都市内を歩いている時、思い出したの? 名前まではいかないけれど、初恋の人の名前は思い出したの。光之さんっていう人」


 院長はその名前に反応した。先日、出所した光之のことだ。院長はそのことをニュースで見ていた。死刑判決を受け、その後無罪が明らかになり、20年余りぶりに出所した男だ。


「そうか。ひょっとして、この人かな?」


 院長はその男の写真が載っている記事を見せた。


「あっ、そうそう。」


 白黒であまりわからなかったが、20年余り前とよく似ていた。さくらはようやくわかった。


「殺人事件で捕まって、死刑にされたんだけど、誤認逮捕で無罪だったことがわかって、先日出所したんだよ」

「そうなの」


 さくらはそのニュースを知らなかった。葬儀のことで忙しくて、全くテレビを見ていなかった。


「先日、ニュースでやってたんだ」

「ふーん」

「でも、これからどこで住むかはニュースでやってなかったな」

「そう」


 さくらは残念がった。わかれば、光之に会うことができて、自分の本当の名前を思い出すことができるかもしれないと思った。

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