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1日目

 午前7時、光之と宗太は越前大野駅にやってきた。最寄り駅ではないが、青春18きっぷの買えるみどりの窓口があるのは越前大野駅だ。


「じゃあ、行ってくるで」

「行ってらっしゃい」


 光之は越前大野駅の構内に入った。越前大野駅のみどりの窓口は午前7時から空いている。


「すいません、青春18きっぷお願いします」

「12050円です」


 光之は12050円を差し出した。


 光之は福井行きのディーゼルカーに乗った。これから長い旅が始まる。その中で同級生と再会する。想像するだけでわくわくする。まずは大阪の友人に会う予定だ。場所は大正駅。


 7時16分、ディーゼルカーはゆっくりと越前大野駅を後にした。宗太はその様子を見ていた。光之は車窓からその様子を見て、軽く手を振った。すると、宗太も手を振った。


 単行のディーゼルカーはゆっくりと九頭竜線を走っていた。この時間帯、乗客は比較的多い。だが、乗客の大半は高校生だ。福井市内の高校への通学だ。


 光之は学生時代のことを思い出した。順風満帆だったのに。明るい未来が待っていたのに。冤罪で捕まって、死刑判決まで出された。執行されることなく、冤罪が晴れて出ることはできた。


 でも、それまでの約20年間は何だったんだろう。その間に周りの人々は仕事に就いて幸せな日々を送っているのに、私はこの有様だ。できることならあの時に戻りたい。でも戻れない。捕まらなければこんなことにはならなかった。光之は泣けてきそうだった。


 8時12分、ディーゼルカーは福井駅に着いた。光之はドアが開くと、乗り換える電車に急いだ。乗り換え時間はたったの1分だ。急がなければ。


 光之は乗り換えの電車に何とか間に合った。すぐに扉が閉まり、電車は福井駅を後にした。光之は息を切らしていた。乗り換えで突っ走ったからだ。


 車内は混んでいた。多くの会社員が乗っている。光之は会社員がうらやましいと思っていた。自分とは違って家族がいて、十分な収入を得ることができて。つい最近まで死刑囚だった自分とはまるっきり違っている。


 武生からは乗客がぐっと減った。ラッシュアワーが過ぎたと思われる。降りた乗客はここから徒歩で会社に向かうか、福井鉄道に乗り換えた。


 光之はそれまで立っていたが、空席ができたため、クロスシートに座ることができた。光之はほっとしていた。


 光之はいつの間にかうとうとしてしまった。朝早く出発した疲れもそうだが、これまでの死刑囚としての辛い日々での疲れもあって、眠ってしまった。




 光之が目を覚ますと、電車は無人駅を後にした。南今庄駅だ。南今庄駅はこの先にある北陸トンネルと共に開業した駅だ。北陸トンネルができる前、大桐という駅があって、南今庄駅はその代替として作られた。


 北陸トンネルができる前、今庄と敦賀の間には大桐駅、山中信号場、杉津駅、葉原信号場、新保駅、深山信号場があった。どれも北陸トンネルの開業によって今はない。


 北陸トンネルができる前のこの区間は難所であるとともに、杉津の絶景で知られていた。それでも、複線化と高速化のためならそうならざるを得なかった。


 光之が支度を始めたちょうどその頃、電車は北陸トンネルに入った。次は終点の敦賀駅だ。この先の北陸トンネルは10km余りもある。敦賀駅までは10分余りもある。


 電車は北陸トンネルを抜けると、すぐに敦賀駅に着いた。ここから9時23分の新快速に乗り換えて大阪に向かう。大阪へは2つのルートがあるが、この新快速は湖西線を経由する。


 光之は大阪行きの新快速に乗った。車内は空いている。光之はここでも座ることができた。車内は敦賀まで乗ってきた電車とほぼ同じだ。20年前の電車より広々としたクロスシートだ。


 9時23分、新快速は大阪へ向かって出発した。電車はこの先の近江塩津から湖西線に入り、山科まで近道で京都に向かう。


 湖西線は北陸線への短絡線として開業した。そのためか、高速走行に適した線形だ。サンダーバードはここを経由して大阪と北陸と結んでいる。


 光之はあまりの心地よさに、再び寝てしまった。まだ疲れが取れてないようだ。


 光之が目を覚ますと、また長いトンネルに入っていた。長等山トンネルだ。ここを抜けると、京都府だ。もう京都に着くんだと知って、光之は驚いた。


 トンネルを出ると、東海道線が合流してきた。山科駅だ。東海道線の他に、京都市営地下鉄東西線、京阪京津線とも乗り換えられる。


 山科駅を出ると、再びトンネルに入る。トンネルを抜けると、京都駅だ。光之は、京都での出来事を思い出した。いじめられて、苦い思い出はあったものの、初恋にも恵まれた。そういえば、初恋の人はどうしているんだろう。会ってみたいな。


 新快速は京都駅に着いた。京都市の中心駅で、奈良線、山陰本線がここから分岐していて、東海道新幹線、近鉄、京都市営地下鉄烏丸線とも乗り換えられる。


 京都駅を出ると、新快速は次々と駅を飛ばし始めた。次の停車駅は、高槻だ。複々線区間になっていて、新快速は普通を追い抜いていった。


 11時36分、新快速は終点の大阪駅に着いた。大阪市の中心駅で、大阪環状線、阪神電鉄、阪急電鉄、大阪メトロ御堂筋線、谷町線、四つ橋線と接続している大きな駅だ。


 光之は大阪駅に降り立った。大阪駅は多くの人でごった返していた。大阪環状線のホームに向かう人の中には、家族連れが多かった。ユニバーサルシティに向かう人達だろう。


 光之は大阪環状線のホームにやってきた。大阪環状線のホームには多くの人がいる。その中には西九条から桜島線に乗り換えてユニバーサルスタジオジャパンに向かう家族連れもいた。


 光之は家族連れがうらやましく思えた。彼らは就職して安定した日々を送っている。結婚して、子供もいる。幸せな家庭だ。でも自分は20年余りも牢屋の中にいて、そんなこと全然経験していない。幸せな家庭を築いている人々がうらやましく思えた。


 11時43分、光之を乗せた大和路快速は大阪駅を出発した。目的地は大正駅。ここで仁くんに会う予定だ。


 途中の西九条駅で家族連れの多くが降りた。この駅で桜島線に乗り換えてユニバーサルスタジオジャパンに向かう人々だ。




 11時53分、大和路快速は大正駅に着いた。この駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線との乗り換え駅で、長堀鶴見緑地線はここが終点だ。大正駅のホームからは、巨大なドームが見えた。京セラドーム大阪だ。


 光之は手紙の住所とスマートフォンの位置情報を参考に仁の家を探していた。仁の家はここから歩いて10分ぐらいだ。


 光之は仁の家にやってきた。その家は2階建ての鉄筋コンクリートだ。外壁は白で、屋根は茶色だ。家の周りの庭はよく手入れされていて、所々に木が生えている。


 光之は家のインターホンを押した。


「ごめんくださーい」

「あっ、みっちゃん」


 仁の声が聞こえた。光之はほっとした。久々に仁の声を聴くことができて嬉しかった。


 しばらくして、仁が玄関から出てきた。だいぶ姿が変わっていた。


「来てくれるとは」


 仁は驚いていた。手紙を送っただけなのに、まさか来てくれるとは。仁は嬉しかった。


「いえいえ」


 光之は笑顔を見せた。


「どや、ちょうど昼時だから、一緒にお好み焼き食べへんか?」

「うん」


 光之と仁は近くのお好み焼き屋で昼食をすることにした。2人はお好み焼き屋に向かった。お好み焼きは20年以上食べていなかった。


 歩いて5分ぐらい、2人はお好み焼き屋に着いた。お好み焼き屋は少し小さく、決してきれいな店内とは言えない。だが、そこそこ人は集まっていた。テレビでは「よしもと新喜劇」がやっていて、客はそれを見ながら食べていた。


「いらっしゃいませ。2名様ですか?」

「はい」

「こちらの席へどうぞ」


 店員は空いている2席を案内した。そこはカウンターで、店の真ん中ぐらいにある。


「ありがとうございます」


 仁はお辞儀をした。


 2人は店員に座った。ちょうどその時、客がみんな笑った。2人に笑っているわけではない。『よしもと新喜劇』で笑っていた。


 店員がやってきた。


「いらっしゃいませ、ご注文は?」

「うーん、それじゃあ、肉玉デラックスで」

「海鮮ミックスお願いします」

「かしこまりました」


 店員は注文を確認して厨房に戻った。


「拘置所の中、辛かったやろう」

「うん、死刑が執行されるのがいつかわからないってのが怖かった」


 光之は涙が出そうになった。何の罪もないのに20年以上も檻の中だったからだ。どうして自分がこんな目にあわなければならないんだ。光之はそう思う旅、泣きそうになった。


「わかるわかる」

「何もやってないのにこんなことになったんだもん。どうしてこんなことになったんだよ」


 光之は泣きだした。こんな目にあった自分が今でも信じられない。まるで悪夢を見ているようで、現実じゃないようだ。


「まぁまぁ」

「どうしてあんなに早く冤罪がわからなかったのかな?」


 光之は声を上げて泣いていた。仁はそんな光之をなだめるしかできなかった。


「辛いのわかる。でも、俺、信じとったんやで。みっちゃんはやってないって」

「ありがとう」


 光之は嬉しかった。悪いことをやってないと思っている人がいたからだ。それだけでも嬉しいが、それ以上に無罪を暴いてくれた弁護士には感謝したい。


「見てみぃ、よしもと、面白いで!」


 仁は光之を泣き止ませようとしていた。面白い番組を見れば、泣き止んでくれると思った。だが、光之は泣き止まなかった。


「辛かったやろう。もう何も気にせんでええんやで」


 仁は光之の背中を撫でた。光之は少し前を向いた。だがまだ涙が止まらない。


 しばらくして、店員はメニューを持ってきた。


「お待たせしました。海鮮ミックスです」


 光之が注文した海鮮ミックスだ。光之の目の前に海鮮ミックスのお好み焼きが置かれた。


「ありがとうございます」


 光之は笑顔になった。光之は泣き止んでいたが、悲しそうな表情だった。


「まぁ、食べろや。食べて元気出せや」


 仁は光之の肩を叩き、笑顔を見せた。


「うん」


 光之は箸でお好み焼きを食べ始めた。お好み焼きなんて、牢屋にいる時は全く食べられなかった。


「おいしいか?」

「おいしい。やっぱり久々のお好み焼きはおいしいな。若干だけど、元気が湧いてきた」


 光之は少し元気を取り戻した。久々のお好み焼きは、いつもよりおいしく感じた。どうしてだろう。今までの苦労が報われたからかな? それとも久々に食べたからかな?


「そうか。よかった」


 ちょうどその時、店員が再びやってきた。


「お待たせしました。肉玉デラックスです」


 店員は仁の前のテーブルにメニューを置いた。


「ありがとうございます」


 仁は丁寧にお辞儀をした。仁は箸でお好み焼きを食べ始めた。


「辛いのわかる。20年も檻の中だったもんな」

「そうだな」


 光之は悲しくなった。周りの人はあんなに幸せな日々を送っているのに、自分は無実のまま20年余りも牢屋にいた。逮捕される前に時を戻せたらいいのに。光之は叶わない夢を願っていた。


「20年余り檻の中だったんだから、この先の数十年で倍ぐらいの人生経験をしようや」

「うん。でもどんなことがあるかな?」

「それは自分で考えようや」


 光之は考えた。数十年で倍ぐらいの人生経験って、何があるだろう。これから考えなくては。これからの充実した人生のためにも。




 13時32分、光之は関空紀州路快速で大阪駅に戻った。今度は神戸で淳と会う予定だ。淳は今、どうしているんだろう。光之は淳のことを思い浮かべた。


 13時43分、光之は大阪駅に着いた。この駅で新快速に乗り換えて神戸駅に向かう。新快速のホームでは多くの人が新快速を待っていた。


 神戸駅に向かう新快速はあと2分で発車する。光之は急いで新快速の出るホームに向かった。


 13時45分、光之を乗せて新快速は発車した。新快速は長い12両だ。新快速は飛ばしていた。普通電車を次々と抜き去り、大きなモーター音を立てて走っていた。


 14時10分、光之は神戸駅に着いた。淳はすでに駅で待っているはずだ。昨日、神戸駅に来る時間を伝えて、共に語ろうと話していた。


 光之が改札を抜けると、そこには淳がいた。淳は笑顔を見せている。また会えるのが嬉しかった。まるで奇跡だと思っていた。


「淳くん!」


 光之を見つけた淳を右手を挙げた。


「みっちゃん!」


 光之も淳に気づいて手を挙げた。


「無実がばれたんやな! よかったな!」

「ありがとう」


 2人は抱き合って、会える喜び分かち合った。


 光之は笑顔を見せた。無実であることがばれて本当に嬉しかった。


「まぁ、喫茶店で語り合おうやないの」


 淳は駅前の喫茶店で語り合おうと思っていた。2人は喫茶店に向かて歩き出した。


「辛かったやろ?」

「うん」


 光之は下を向いた。今までの辛い日々が走馬灯のように蘇る。


「もう会えないと思ってたねん」

「僕も。無実で死刑執行は、本当に嫌だった」


 淳は光之を撫でた。辛そうな表情を見せたからだ。


「本当によかったな」

「それにしても、俺の20年、返せと言いたいわ」


 光之は警察が憎かった。罪のない人を捕まえて、死刑判決を下し、20年余りも牢屋に閉じ込めていたからだ。


「そうだな。何もやってないのに20年余りも」

「みんな幸せな日々を送ってるのに、俺は孤独」


 光之はまたもや泣いてしまった。


「泣くな泣くな」


 淳は光之の背中を撫でて慰めた。


「でも思うんだわ。無実のまま20年余りも牢屋にいた君を見て思うんだ。本当に大切なのは、幸せなんかじゃない。今生きてることだって」

「そうかな? 仕事をして、平和な家庭を築いている人が幸せだと思うんだ」


 光之はそうじゃないと思っていた。仕事に就いて、結婚して、子供に恵まれた家庭こそ幸せな家庭だと思っていた。


 歩いて5分、2人は近くに喫茶店にやってきた。その喫茶店は所々が木目調で、落ち着いたデザインだ。


「いらっしゃいませ、何名様ですか?」

「2名様です」


 淳は2本の指を立て、人数を教えた。


「こちらのテーブル席にどうぞ」

「ありがとうございます」


 店員は席に案内した。店内は比較的すいていた。


「いらっしゃいませ、何になさいましょうか?」


 店員はメニューを渡した。


「アイスコーヒーとショートケーキで」

「アイスコーヒーとチョコレートケーキで」

「かしこまりました」


 店員は厨房に戻って、注文を伝えた。


「拘置所の中、どうやった?」

「暗いし、怖かった。いつ死が来るかわからないっていう恐怖でいっぱいだった」


 光之は冷や汗をかきながら話していた。自分は無実だとわかっていても、死刑が確定し、いつ来るわからない死刑執行となると、自分は無実だと思うことも忘れてしまう。


「アイスコーヒーでございます」


 店員が2人分のアイスコーヒーを持ってきた。アイスコーヒーにはガムシロップとコーヒーフレッシュが付いていた。


「ありがとうございます」


 光之と淳はお辞儀をした。


「無罪だってことがばれてよかったな」

「でも、それまでにこんなに時間がかかったのが辛い。もっと早く無罪になっていたらもっといい生活を送ることができたのに」


 光之はもっと早く無実が明らかにならなかったんだろうかと思っていた。もっと早く明らかになっていれば、もっと幸せな日々を送ることができたのに。どうして20年余りもかかってしまったんだ。なかなか無実が明らかにならなかったのが悔しかった。


「そうだな。もっと早く無罪がばれたらよかったのにな」


 淳も同感だった。どうしてこんなにも時間がかかったんだろう。もっと早く明らかになる方法はなかったのか?


「何年かかってんだよって言いたい! そのせいで俺は20年余りも人生を奪われたんだぞ!」


 光之は泣きそうになった。だが、お昼に思いっきり泣いて涙は枯れていた。


「辛いよな。わかるわかる」


 淳はうずくまった光之の背中を叩いた。


「お待たせしました。ショートケーキとチョコレートケーキです」


 店員はショートケーキとチョコレートケーキを持ってきた。2人はケーキを食べ始めた。


「喫茶店でケーキなんて、何年ぶりだろう」


 牢屋にいる時でも、誕生日にはケーキが振る舞われる時があった。だが、そんなにおいしくないし、こんな薄暗くて、不潔な牢屋で食べるより、喫茶店で食べるのがずっと快適だ。


「牢屋でもケーキ食べれたんか?」


 淳は驚いていた。死刑囚はそんな贅沢なんてしてもらえないと思っていた。


「うん。誕生日にはケーキが振る舞われるんだ。でも、暗くて汚い牢屋で食べるより、喫茶店で食べるのが何倍もおいしく感じるよ」




 15時40分、光之は再び新快速に乗って姫路駅を目指した。新快速は海沿いを快走していた。新快速は普通が通る線路の少し上の崖を走っていて、普通を抜き去る様子が時々見えた。


 明石駅が近くなってくると、大きな橋が見えてきた。明石海峡大橋だ。このちょうど下には舞子駅と舞子公園駅があって、淡路島を渡る高速バスと接続している。


 新幹線と接続する西明石駅を過ぎると、複々線だった線路は複線になった。普通電車のほとんどはここが終点だ。


 新快速は終点の姫路駅に着いた。姫路駅は播但線、姫新線や新幹線とも乗り換えができる。また、ここから少し離れたところに山陽電鉄の姫路駅もあって、山陽電鉄はここが終点だ。


 光之はスマートフォンの位置情報を使って幸太郎の家を探していた。幸太郎は小学校の卒業とともに姫路に引っ越してしまった。それでも光之は幸太郎のことを覚えていた。とても頭がよくて、何でも相談に乗ってくれた。


 光之は幸太郎の家を見つけた。そこはマンションの一室だった。光之はインターホンを押した。


「ごめんくださーい」


 ドアラ開いて男が出てきた。幸太郎だ。


「あっ、みっちゃん!」

「久しぶり」


 幸太郎も光之のことを知っていた。本当に嬉しかった。また会えると思っていなかった。会えないまま死刑執行になると思っていた。


「あっ、この人、お父さんの幼馴染の光之さん」


 幸太郎は隣にいる青年を紹介した。その青年は幸太郎の息子で、洋次郎だ。


「あっ、はじめまして」


 洋次郎は軽くお辞儀をした。


「こちらこそはじめまして」


 光之は照れながら挨拶をした。自分が死刑にされそうになった男だと知ってどんな反応をするかが怖かった。


「あの、無実がばれて出所した人?」

「うん」


 光之は冷や汗をかいた。自分が死刑にされそうになった男だと知っていたからだ。どうこたえよう。光之は悩んでいた。


「お父さんの幼馴染だったんだ」


 洋次郎は驚いていた。自分の父の幼馴染にこんな人がいたなんて。


「そうなんだよ」

「まぁ、ここに座って色々話そうや」

「うん」


 幸太郎はダイニングのテーブルに案内した。テーブルは4席分の大きさだが、椅子は2つしかない。


「どうや、久々のこの解放感は」

「最高だ。でも、もっと早く無実がばれていたらと思うと」


 光之は最高の気分だった。面会室の椅子は折り畳みの椅子で、そんなにしっかりとしていない。久々にこんなしっかりとした椅子に座れて本当に嬉しかった。


「そうだな。辛かっただろうな。でも、もう過去のことだから。これから自由に生きようや」


 幸太郎は光之の背中を叩いた。幸太郎は光之の気持ちがわかった。先日、死刑囚の生活に関するテレビを見ていたからだ。それを見て、光之もこんな生活を送っていたんだなと思った。自分がこんなことに、しかも無実なのにこんなことされたらとても耐えられないなと思った。


「うん」

「俺、結婚して息子1人生まれたんだけど、妻はもう死んじゃった。俺と息子の2人暮らしや」


 幸太郎は寂しそうな表情を見せた。幸太郎は20年近く前に結婚して、1人の息子に恵まれたが、妻は今から10年前に乳がんで亡くなった。テーブルが4席分なのに椅子が2つしかないのは、もう1つあったからだ。


「そうか」


 光之は幸太郎の気持ちがわかった。20年余りも孤独な人生を送ってきた。大切な人のいない寂しさを痛いほどわかってきた。


「みっちゃん、これからどうすんの?」

「生まれ故郷で農業をしながら、ひっそりと過ごそうと思ってんねん」

「そうか。故郷、また行ってみたいな。俺、離れて数十年だから、どうなってるのか見たいな」


 幸太郎は故郷のことを思い出した。小学校を卒業して以来、全く訪れたことがない。あれから、故郷はどう変わったんだろう。あの人は元気だろうか? 幸太郎は故郷のことが気になった。もう一度訪れたいなと思った。


「暇があったら来てよ。俺が待ってるから」

「そうだね」


 幸太郎は笑顔を見せた。大きな連休があれば、また行ってみたいな。


「そろそろ晩めしやね。おでん食べに行こか?」

「うん」


 2人はおでんを食べに行くことにした。幸太郎は行きつけのおでんの店を知っていた。


 10分歩いて、2人は駅前のおでん屋に来た。姫路で食べられているおでんは他とはちょっと違っている。その味を求めて観光客がやってくる。この日も何人かの観光客が来ていた。


「いらっしゃい。あれっ、こうちゃんじゃん! 今日はお連れさんと?」

「うん」


 幸太郎は嬉しそうな表情を見せた。誰かと飲むなんて、久しぶりだからだ。


「お飲み物はどうする?」

「日本酒でお願いします」

「俺も日本酒で」


 2人とも日本酒を頼んだ。光之は日本酒を飲んだことがなかった。出所したら飲んでみたいと思っていた。


「何にするかい?」

「それじゃあ、大根と卵とごぼ天とはんぺんで」

「俺は大根と卵と野菜天と牛すじで」


 店主は鍋の中を見て、おでん種を探した。


「お酒どうぞ」


 店主は2人にコップ1杯のお酒を差し出した。


「ありがとうございます」

「無罪で出所にカンパーイ!」

「カンパーイ!」


 2人は乾杯して、出所を祝った。


「もうあかんと思った」


 光之は笑顔を見せた。こうして広い世界で行動できるのが嬉しかった。


「みっちゃんの姿を見て、何事も諦めたらあかんってこと、改めて教わったわ」


 無罪が明らかになって出所した光之を見て、まだあきらめてはならんと思った囚人も多い。何もやってないと言っているのに、全く無罪が明らかにならない人々がよく口にしていた。


「へい、お待ち!」


 店主はおでん種を差し出した。久々に生でおでんを見る光之はしばらく見とれていた。


 幸太郎はおでんを生姜醤油につけて食べた。光之はそれを物珍しそうに見ていた。


「へぇ、姫路のおでんって、生姜醤油につけて食べるのか」


 姫路のおでんは生姜醤油につけて食べる、またはだしが生姜醤油になっていることが多い。


「うん。変わってるっしょ?」

「うん」


 光之は幸太郎の真似をして生姜醤油につけて食べてみた。


「なかなかうまいもんやね」


 光之は驚いた。生姜醤油につけて食べるのもなかなかうまいもんだ。


「うまいっしょ」


 幸太郎は笑顔を見せた。その食べ方が気に入ってもらえて嬉しかった。




 19時47分、光之は姫路を後にして、岡山に向かった。今日は岡山で聡に会って、その家で一泊する予定だ。聡にはすでに了解を得ている。


 電車は暗闇の中を走っていた。乗客は少ない。とても静かだ。


 光之は再び眠ってしまった。今日1日いろんな所に行って、疲れがたまっていた。ほとんど檻の中にいて、こんな長時間の移動なんて20年余りもしていなかった。


 光之が目を覚ますと、電車は岡山市内を走っていた。終点の岡山駅はすぐそこだ。光之は慌てて支度を始めた。


 21時12分、電車は岡山駅に着いた。聡は岡山駅の改札を出たところで待ち合わせる予定だった。光之は改札に向かった。向かう人はけっこういたが、朝や夕方に比べたら少ない。


 光之が改札を出ると、そこには金髪の男が立っていた。聡だ。


「みっちゃん!」

「聡くん!」


 聡の声に反応して、光之は手を挙げた。光之の姿を見ると、聡は笑顔を見せた。会えたことが嬉しそうだ。


「もう会えないだろうなと思ってたんだよ」

「無実がばれて出所した。こんなに嬉しいことはないよ」


 光之は嬉しそうな表情を見せた。


「嬉しいだろうな」

「うん」

「今日はうちんとこ泊まるんだっけ?」

「うん。突然ごめんね」


 光之はお辞儀をした。急にこんなこと言ってすまないと思っていた。許してくれた時には本当に嬉しかった。


 光之は聡の車に乗せてもらって自宅に向かうことにした。


「さぁ、乗って」


 聡に誘われて、光之は聡の車に乗った。聡の車は2列シートのワゴンだが、後ろの席はしまってあった。離婚して以来、だいぶ使ってないと思われる。


「どうもすいません」


 光之はお辞儀をした。少し照れていた。


 聡の車は岡山市内の桃太郎大通りを走っていた。この区間は路面電車が中央を走っている。路面電車は多くの乗客を乗せて車を追い越していた。


「いいよ。またみっちゃんに会えるのが嬉しいもん」


 聡は笑顔を見せた。今日会えて、しかも一夜を過ごすのがとても嬉しかった。


「また会えて嬉しいよ」


 光之も笑顔を見せた。


 走って約10分、聡の家に着いた。赤い屋根の一軒家で、小さいながらも庭がある。


「ここが聡くんの家か」

「うん」


 2人は玄関から家に入った。聡は家の電気をつけた。


「家族は?」

「結婚したんだけど、2年ぐらいで離婚したんだよ。不倫が原因さ。それ以来、1人息子と暮らしてきたんだ。でも、息子は今年の春から東京の大学に進学して1人暮らし。今は1人暮らしさ」

「そうか」


 聡はこれまでの人生を話した。光之はその話を聞き入っていた。聡も辛い思いをしたんだな。せっかく結婚したのに、離婚って、辛いよな。


 聡はダイニングの明かりをつけ、光之を案内した。


「まぁ、座りぃ」


 光之は言葉に甘えて、椅子に座った。


「また1人になった時、みっちゃんの気持ちがわかったよ」

「なんで?」

「孤独だから。誰とも話す相手がいないでしょ」


 聡は離婚して孤独になって、ちょうどその頃に公判を受けている光之の姿をテレビで見た。それを見て、牢屋の中での光之の姿が頭に浮かんだ。看守や面会人以外、誰にも会えずに、孤独な毎日を送っているからだ。


「うん。それに、僕には死の恐怖があったから」

「そうだね。いつ死刑が執行されるかわからないもんね」


 聡は光之の気持ちがよく分かった。自分は離婚しただけでしなんて考えていない。でも、光之は孤独な上に、死の恐怖も味わわなければならない。自分以上に苦痛を味わってきたんだな。


「うん」

「まぁ、ゆっくりしていけよ」

「ありがとう」


 光之はお湯を沸かして、コーヒーを作ろうとした。


 23時過ぎ、2人は2階の寝室で寝る準備をしていた。聡は2人分の敷布団を用意した。敷布団を2つも用意するなんて、何年ぶりだろう。聡は嬉しくなった。


「今日はごめんね。突然泊まることになって」

「いいよ。久々に誰かと眠ることになって、嬉しいよ」


 聡は笑顔を見せた。誰かと一緒に寝られるのが本当に嬉しかった。


「それじゃあ、おやすみ」

「おやすみ」


 光之は目を閉じた。明日はまた別の仲間に会う。どんな顔をしているんだろう。自分とあってどんな表情をするんだろう。光之は気になっていた。




 その日、遥は光之とは逆に広島から大阪にやってきた。自分は大阪の路上で交通事故に遭い、倒れていた所を病院に担ぎ込まれたという。その後、その病院の院長の養子になり、新しい名前を名付けることにした。


 遥は院長の家の前にやってきた。家の前にはベンツのセダンがある。院長の車だ。


 遥は家のインターホンを押した。


「ごめんくださーい」


 間もなくして、院長が出てきた。院長は遥を養子にした時と比べて白髪が多くなっていた。


「あれっ? 遥、どうしたんだい?」


 院長は驚いていた。来るとは聞いていなかった。


「本当の自分を探す旅に出たの」

「そうか」


 院長は記憶を失っていた時のことを思い出した。本当にかわいそうだった。何とかしてやろうと思い、遥を養子に迎えた。


「どこで倒れていたか、教えて」

「わかった。じゃあ、車に乗って」

「うん」


 院長は事故現場に案内することにした。事故現場はここからすぐのところにある。


 5分歩いて、2人は事故現場にやってきた。事故現場は何事もなかったかのように車が走っていた。


「この路上だったんだよ」


 院長は指をさした。そこには花束が置かれている。交通事故で死んだ人の冥福を祈るためだ。


「ありがとう」


 遥は倒れていた路上に立った。だが、何もわからなかった。


「どう? 思い出した?」

「全然」

「そうか。頑張って見つけてな」


 遥はこれから自分を探す旅に出ることにした。どれぐらいかかるかはわからない。でも調べたい。本当の自分って誰なのか。

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