紅白二輪の先輩
あと少し。
あと少し……!
全身の裂傷、骨折の痛みに耐えながら眼前にある安静の町を夢見る。
さっきまでの速度は俺たちを弄ぶための手抜きだったらしく、【踏破】で加速した犬の速さと同等か一握り速いか位まで竜は加速してきている。
ここに来てスキル一つ分の加速を残していた奴には執念深さと、舐め腐りおって!という憤怒が湧いてくる。
だが、このまま奴がこれ以上の加速をせずに追ってくるなら町までたどり着ける!
暴力的な絶望を背後に、やっと芽生えた希望の欠片を胸に抱いて願う。
「GUOOOOOOOOOO!」
竜の明確な憤怒の咆哮に肌がピリつく。
その後に大きな羽ばたきの音が聞こえてきた。
高く、飛んだ?
いきなりどうしてそんなことを、と思い振り返って空を見上げるとそこには天高くから見下ろしてくる黒点のような竜が見えた。
燦燦に輝く太陽が目を焼いた。
青空のもとで邪悪な翼が広げられ、竜が打ち止めの最高高度で揺蕩っている様子を目を薄めながら確認すると。
突然空に飛んで何をする気なんだ?
空高くに鎮座する竜はそのまま頭を垂らした。
まるで、全てを見通す黒き太陽のようだ。
垂らした頭に付いている眼が怪しく黄に光り、こちらを睨み付けてくる。
なんだあの眼。
子供の純粋な暴虐さが消え、一点に絞った獣性が満ちた殺意。
眼光を刀のように鋭く俺だけに殺気を飛ばしてくる。
逆立つ鱗と涎を垂らした鋭い牙を覗かせる口に恐怖を感じる。
俺たちは随分と生態系の頂点にいることに甘んじていたが、二千年ぶりに殺される恐怖ではなく、食われる恐怖を遺伝子に刻まれた。
俺で遊ぶのには飽きて、仕留めることに決めたらしいな。
生きたまま食われるのか、殺された後に食われるのか、不穏な疑念が頭の中を堂々巡りする。
こんな状況でまだ助かるなんて希望的観測ができるほどのバカでなかったことが悔やまれるが、それでも一心不乱にまだ逃げ切れる証拠を探す。
最初から死ぬ気の俺と、最後に本気を出したあいつとじゃ、思いのたけってやつが違う。
しかも、あいつが天空で浮いている今も俺たちは町に向かって全速力だ。
高さも距離ももう奴の手の届く範囲じゃないはず……奥の手はさすがにないよな?
奇しくも頭によぎった考えのせいでか、フラグは立ってしまった。
その時、竜は天空を頭から落ち始めたのだ。
竜は両翼を大きく広げ、グライダーのようにして滑空する。
その落下速度は初速は遅くともすぐさま羽ばたきによる飛行より加速し、迫ってくる。
竜の体重が余程重いのか重力加速は止まることを知らず一種の隕石とまで言えるほどだ。
竜が、隕石のように俺を狙って高速で落下してくる。
追いつかれる。
ふとそんな言葉が脳裏をよぎった。
距離も十分離れてる、【踏破】のスキルも手に入れて加速している。
そんなプラス要素がありながら、これは追いつかれるという絶対の予感がした。
予感なんて生半可なものじゃない。
絶対にそうなるという未来が見えたんだ。
牙に砕かれた自分の死体、血潮を噴き出してそれでもまだ絶命できず激痛と絶望に巻かれながらゆっくりと竜の口の中で肉の塊に堕とされる。
そんな光景が見えたのだ。
そ、それでもまだ、まだ届くわけがないッ!
炎を、爪牙を避けて、
犬と、スキルを使って、
血だらけになって死屍累々を超える思いでここまできたんだ。
俺の藁にもすがるような思いを壊すように、無情にも竜は翼を畳んで空気抵抗を限界まで減らしてさらに加速して迫ってきた。
炎を帯びて空を切り裂くその姿は正に一条の流星の如く。
犬の何倍も速い奴が追いつくのは容易で大地に着弾した。
着弾直前に竜が両前足を思いっ切り地面に叩きつけたことで、地面が割れ隆起し、激しい爆風を起こした。
土ぼこりを巻き上げ、地面がめくれ上がる。
天からの大災害により俺たちも吹き飛ばされ、また大地に転がる。
竜の一撃で巻き上げられた津波のような土砂が背に降り注ぐ。
大地の荒れようや一撃の余波で起こった揺れはまだ続いていた。
過ぎた不条理はまさに天災の如く。
俺は泥を噛み、拳を地面に叩きつけて叫んだ。
「何で……何で俺たち何だよッ!」
神を呪う。
神に祈る。
この状況を生み出したのは神の悪戯で、この状況を打破できるのも最早神の奇跡しかない。
神がいるというなら、どうすれば良いのか聞いてみたいものだな。
こんな方向に来なければ良かったとでもいうのか。
犬を怖がって木になんて昇らなければ良かったのか。
あの時体を張って飛び降りなければ良かったというのか。
否、全て確実にこの結果以外の運命の分岐を辿れるという保証はなかった。
もしかしたら全てこの結果に陥っていたのではないだろうか。
どんなことをしても変えることのできない運命というならここで藻搔くのも意味が、ない。
「もう、どうにでもなれ……あああぁぁァ!」
発狂にも等しい叫び声を醜く挙げてみたが、あの竜には威嚇としてすら効果はなさそうだ。
悠然とただその四本の足で俺の下まで歩み寄ってくる。
犬の捨て身の攻撃のことを覚えているのか、頭を高い位置に置いた姿勢はこの草原の支配者にふさわしいカリスマ性を放っているように見えた。
「GURRRR……」
今の唸り声は嘲笑いではなかった。
ここまでよく逃げ延びたものだ、と雑魚を冷たく讃える絶対者。
俺は逃げることだけは人一倍うまかったからな。
逃げて、逃げて逃げて。
色んなものから逃げて。
未来の選択も、大人になることも逃げて。
そして、最期につかまったのがこの悪夢のような竜だというなら、やはり俺を捕まえることができるモノは現実には存在しえなかったということだろう。
「お前なんて……存在しないのに」
「竜なんてこの世に存在しないのに。そんな幻ごときが俺を殺すというのか?何様のつもりで俺を食おうというんだ?」
顔を竜の方に向けながらも腕の力を使って後ろに引く。
掴んだ砂を力任せに竜の方に投げるが、風に流されることもなくただ散った。
竜も憐れそうに見つめてくる。
俺は少しでも抵抗しようと、スマホを取り出して強烈なフラッシュライトを目に当ててやった。
これには竜も少し目を細めたが、効果は非ず。
牙をむき出しにして静かな憤怒を買ったようだった。
こんな状況では怒ってなくても、竜に殺されてしまうことだろうからあまり関係ないがな。
「食らえッ!幻がッ!偽物がッ!竜なんて存在しないッ!光で照らせばその正体もあらわになるだろう、どうだ!?」
幾らスマホを振ってももう竜は反応しない。
避けようともしない。
その口腔から蛇の舌のように赤い炎が覗く。
ど直喰いするのはやめて、じっくり焼いてから食べることに決めたらしい。
【停滞】の効果で熱耐性を帯びてはいるものの、それはあくまで耐性。
無効にはできない。
ゆえに長時間炎にさらされたり、炎の温度がかなり高ければ俺は数秒の地獄の苦しみを味わった後に灰になるだろう。
死にたくない!苦しみたくないッ!
「い、犬、助けろッ!そこで伸びてないで俺を助けるんだ!さ、さっきのように颯爽と!」
吹き飛んできた岩石にあたって下敷きにされていた犬は俺の呼び声に応えて、どうにか岩から抜け出して走ろうとする。
しかし、足が折れているのか、体力が底を尽きたのか不自然な走り方をしていて速度も出ていない。
竜のそばまで寄って何度か吠えて威嚇するも、竜の尾で天高く弾き飛ばされてしまった。
もう、奥の手は、ない……
使える道具は何かないか!?
ポケットを探ってももうガラクタしかない。
ちっぽけな刃はあっても届きはしない。
正真正銘、万策尽きた。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!誰でもいい、花崎ッ!神薙ッ!誰でもいいから助けてくれッ!誰かッ!誰かぁ……!」
もう、神だって悪魔だって構いわしない。
ただこの死を避けて通ることができるのなら……
「呼んだな!?それじゃ、俺の後ろに乗りなッ!」
謎の男の声がどこからともなく、響いたかと思うと俺の目の前にいた竜は唐突に姿を消した。
いや違うーー俺の方が移動したんだ!
気づいたときにはいつの間にか紅白のバイクに跨って草原を突き抜けていた。
目の前にはこのバイクを運転している男の後姿があった。
その服のデザインを俺は知っている。
それは氷坂高校の制服だった。
「だ、誰だ……?」
「異世界津々浦々、どんなヒッチハイカーでも助けを求める者に手を差し伸べるライダーヒーロー。人呼ばずして……ライダー先輩だ!そういう君は異世界ヒッチハイク初心者のようだね。みなくても分かるさ。竜にちょっかいかけられるなんて相当なもんだよ」
大人らしい低音ボイスには似合わない軽快な物言いと制服姿、いやそもそも制服にバイクというのが違和感の根源なのか。
こんなピンチに、何者だ……?
竜よりも犬よりも圧倒的に早く野を駆けまわるバイク。
ここは舗装されてない土の道のはずなのに、するすると車輪は進んでいく。
「誰だ……?いや、聞いたがわからない……」
「窮地に陥って助けられたら頭空っぽにして任せたけば良いーのさ!久しくライダーとも先輩とも呼ばれてないから呼んでもらいたいだけ。そう怖がらないでくれ。俺はきっときみの先輩だから、高校の方でも異世界の方でも」
矢張りこの人も氷坂高校からこの世界に来てしまった転移者なのか。
氷坂高校にこの世界に通じる異世界の穴のようなものがあるのか、それとも何らかの条件があるのか。
謎は深まるばかりだが、とりあえずこの人に後でいろいろ聞いてみるか……
もう頭に回せるリソースもなく、深くは思考できない。スイッチの切れた傷だらけの身体に向い風が染みる。
「あんたが怪しいのはそうだが……俺を助けてくれた。それはすごく、感謝してる」
「感謝はされなれてるが、いつ聞いてもいいもんだ。ここは先輩に任せてしっかりつかまって後はリラックスしていなさい。快適、ではなくとも爽快な大地の旅をお届けしよう!ウィーリー!」
バイクはより速度を速めて轍を残して進んでいく。
もう竜の遠吠えもただの遠雷のようにしか聞こえない。
一先ず、異世界初日に死ぬことはなかった。
それだけでも、結構な救いに今は思える。
一日を生き延びるのがこんなに過酷と知り、絶望は大きいが期待も大きい。
そう。でも今はゆっくり……
「頼みました……ライダー、先、輩……」
「おうとも!」
俺はライダー先輩の言葉を最後に聞いて意識を失った。
走行中のバイクの後ろに乗っておきながら、眠るとか常軌を逸しているとしか思えないが、全身ズタボロの俺には関係ない。
安心感を受け取ったとたんに疲労が一気に全身にくる人間の体が悪いのだ。
泥のように、
境目が消えるように、
明も暗もない世界にただ一人俺だけが落ちていった。
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