木の上の三人衆
この草原の中を孤独に生き抜いてきた若木の逞しい枝に俺達は必死になってすがりつく。
黒犬の激しい咆哮が三つ、重なり合うようにして下から聞こえてくる。
犬と言うには大き過ぎる筋肉質な胴体と逆立った毛並み、目は炎のように赤くこちらをはっきり見据えている。
やっぱり狼だよぉ……
そんなものが足元にいる、
これがいわゆる板子一枚下は地獄というやつなんだろうと、ことわざ通りの状況になったことに喜びとも感動でもないしょうもない感情が湧く。
絶賛ピンチであるのに。
「思ったより強そうな犬だな……花崎、アレはお前の【身体強化】付きのパンチで倒せると思うか?」
「んー、少し難しいと思います。あの狼っぽい犬達が一体につき高校生一人分程度の攻撃力しかなければ単純計算で倒せるとは思いますけど、熊とかライオンとかと同じくらい力ありそうじゃないですか」
女子高生が素手で熊を倒したという事例もあるが、それもワンオンワン。
熊の群れに現環境最強戦力を突入させたところで効果ないだろう。
ステルス戦闘機を竹槍で倒そうとするようなもんだ。
「神薙、お前の【放電】は?」
「現在【充電】中ですが、限界量があると見ておいた方がいいでしょう。雷レベルを期待されると困ります。強いて静電気の数倍くらいの威力しか出せないかと」
「静電気……」
「こんな感じっす」
バッチィ!
「痛ァイ!けど、まじでちょっと強い静電気だわ」
静電気とかあいつらに効く気がしねぇ。
痛いけど。
寧ろ余計に興奮させてここまで飛び上がってきそうだな。
というか、さっきから爪とぎみたいに木をひっかいてるけど削りつくして倒木させる作戦なのか?
いや流石にそこまで頭が良いわけないよね、うん。
「手詰まりかー……このまま奴らが飽きるのを待つのが最善だな。骨の一つでもあれば誘導できたかもしれないが、俺の手元にあるのは予備のペン類とサイフくらいなものだぞ。いや、待てよ。お前ら今何持ってる?」
「トランプ、クリップ、イヤホン、音楽プレイヤー、財布、手帳とシャーペンですかね」
飄々と内ポケットやら腰ポケットやらからアイテムをホイホイと取り出す。その中には本当に使い古されたトランプも入った。
「なんでトランプなんて入ってんですかねぇ、神薙くん?」
背丈が高い分ポケットも大きくなってるから入れられたのか?俺のはできなかったよ。
「娯楽は大事です。災害時や圏外地に行った時などにスマホは使えませんからね、1人遊びようです」
「基本パーティー系のゲームばかりの中で1人遊びに使うのかよ」
「種目はスピード、神経衰弱、1人ばばぬきです」
「1人ばばぬきの闇が深すぎるーーじゃあ、花崎はどんなもの持ってるんだ?」
「カエルのストラップ、朝顔の種、消しゴムです!」
朝顔の種ね、家で育ててるのか?
それでもなんでポケットに入ってんだよ。
「ほんとにそれだけー?」
「疑うんですか?」
「俺に隠し事しようだなんて無駄なことだよなぁ。本当の切り札はお前らも言わない感じか」
「お前らも、ってことは伊勢丸卿も切り札があるってわけですね」
「黙秘権!はい、この話終了!まぁ結局全部投げつけて目眩しになってる間に逃げるとかくらいしか思いつかんな」
「それ絶対三匹全てを抑えられるわけじゃありませんよね。じゃ、私は大人しく音楽聴いてるんで、いなくなったら呼んでください」
そう言って音楽プレーヤーに繋いだ白いイヤホンで両耳を塞ぎ、木に凭れ掛かりながらそっと目を閉じた神薙。
トランプもそうだが、こいつ遭難前提で娯楽品を持ってないかと疑いたくなるレベル。
「お前それはずるいぞ!くそ、俺もイヤホン持ってりゃよかった!」
しかしそんな俺の悲痛な声はイヤホンから流れているメタル系のシャカシャカした音楽に阻まれて届くわけもなかった。
と、一際強い風が通り抜け、木をざわつかせた。
これで神薙が落ちれば面白かったが、弁慶のごとく揺れもしない。
代わりに花崎が何時にもまして神妙な声音で言った。
まるで何かを警戒しているかのように。
「何か……近づいてきてるような?」
その言葉に反応して、前方をよく目を凝らしてみてみた。
前方から黒色の鳥のような蝙蝠のような影が近づいてきているのが目に見える。
其れはトカゲのようにとがった頭を持ち、全身が逆立った黒鱗に覆われた怪鳥。
否、鳥ではない。
鬼のような角、蝙蝠のような翼、蛇のような尾、そしてその巨体は戦闘機のように大きく強そうに感じた。
図鑑で見た恐竜にも似たそれはまさしくーー
竜ーーだった。
「あのシルエットは!」
「ま、まさか、ドラゴン!?」
驚きのあまりにそう言ったとき、それを証明するかのように眼前を飛翔するそれは自身の存在を轟かせた。
「GUUUUUUOOOOOOOOOOO!!」
驚天動地とはまさにこのこと。
「異世界半端ねぇ……」
鳴き声だけで木の枝が何本も折れ、足元の太い枝も俺の立っていたところから先が折れて下にいた犬たちを巻き込みそうになったが、犬らはそれを華麗に避けていった。
そしてさすがに逃げるのかと思いきや、一匹の大犬が折れた枝に飛び乗って、そこから更に高く飛び木の上にいる俺たちの目を見た。
「ぐぉぉぉお!?登って来るなんて聞いとらーー
食われるんじゃないかと思ったがーー違った。
その犬は俺を背に乗せると、そのまま木をすり抜けて一目散に竜とは真逆の方向に走っていったのだ。
感じたこともない風を受けて、荒々しい動きで野原を踏み締めていった。
「わぁお!こりゃ速い、爽快!おい、花崎、神薙大丈夫か!?生きてるか!?」
二人も他の二匹の背中に乗っけられて三角陣でも作るように後方を走っていた。
この犬達は俺たちと敵対して吠えてたんじゃなくて、さっさと降りて竜から逃げろと伝えようとしていてくれたのか。
いやそんなわけ、動物がそんな絵本や童話のように人を助けることはないだろう。
でも万が一そうなら……俺ってば、動物からも好かれてしまうから困ったものだな!
「ヨユー、では有りませんけどこれは初めての体験で些か興奮してます。犬の背中、今でも乗ってみたかったんですけど、もう背が伸びすぎてしまったので一生叶わないものかと思ってました。なので少し、感動してます」
何の願望なんだ。
サンタクロースになりたい子供かよ。
犬の背なんてバイクか自転車と似たようなものじゃないか。
「ひゃっほぉぉお!アッハハァハハ!よく分かんないけどすっごくたーのしいぃぃ!ハッハー!」
花崎は野生児のように大犬の上に立ち、大笑いをかましてる。
どういう身体能力してるんだ。
「あの馬鹿のせいでお前の感動全部かっさらわれたんじゃないか」
「まったく、二等兵に降格です。それよりもこの黒犬達は私たちに敵対しているはずだとてっきり思っていたのですが。いきなり何故私たちを背に乗せて走り出したのでしょうか?」
「よくわからん。が!あの竜こそ本物の敵、俺たちにもこいつらにとっても逃げるに越したことない相手だってこった、追われてるけどね!」
怒ってんだか、嘲笑ってんだかよくわからないが、ともかく凄い形相で炎の息吹を吐きながら飛んでくる黒竜。
炎はたちまち草原を焦がし煙を立ち昇らせた。
犬どもの足は速いが、飛んでる竜の方が速い。
距離があるからいいがそれでもこの草原で障害物もなければいずれデッドエンドだ。
スキルは……頼れない。
だが、何か達成条件を果たせば、新たなスキルが手に入るかもしれない。
もうそんな極めて少ない奇跡のような、ご都合的展開すら自ら必死に願う。
ーー今の手持ちじゃあの竜を倒せる手立てがないんだ。
「石の一つじゃ解決しないが……逃げ延びてやるさ」