隠された姫
――かつて、この国は強大な軍事国家だった。
たくさんの国を侵略し、たくさんの人に恨まれて、それでもこの国はその負の感情を無理矢理押さえつけられるだけの力があった。だが、その栄華も長くは続かなかった。
たった一度の大敗をきっかけに、この国は領土の大半を失うこととなったのだ。
そして、みるみるうちに王の周りは敵だらけとなった。
まず王を暗殺せんと、幾多の暗殺者が送り込まれた。だが王が刺客に屈することはなかった。
すると敵の狙いがその血族――すなわち王の子供たちへと切りかわる。
手段を選ばぬ刺客たちにより、5人程いた王の子供はあっという間に残りひとりとなってしまった。
状況は絶望的だった。あの時の私たちには敵の刺客を完全に防ぐだけの手段がなかったのだ。
――そしてあの時の私たちが選んだ最後の策、それが姫の偽装死なのである。
王の血族最後の生き残りであるこの姫は王しか知らない場所に隠され、よくできた姫の死の物語が大々的に喧伝された。
この企みは見事実をを結び、死んだとされた姫の居場所を探るものは誰もいなくなった。
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――そういうわけで、今ここで失意の抜け殻になっている女の子はまぎれもない王族だ。
だが、彼女の見た目はすでにそのへんに歩いている町娘とほとんど変わらない。
仮にこの姿で街を闊歩したとしても、誰も彼女が王族だとは気づかないはずだ。
「……がっかりですよ、私が今日という日をどれだけ楽しみに生きてきたと思ってるんですか……」
せっかく見張り付きの隠れ家を抜け出して、わざわざここまで遠征してきたのにと腐る姫。
まいったな、そんなこと言われても私にはなにもできないぞ――。
しかたがないので、姫にはひとまず従業員用の個室風呂を楽しんでもらうことにした。
この浴場でまともに使える浴室は、今のところはここしかない。
そして、ミツさんと別室でお互いの知らないことについての情報交換。
私はミツさんに姫の偽装死のことを話し、ミツさんは私に王家の子供たちとの隠れた取引のことを話した。
なんでもミツさんと姫たちとの付き合いは長く、輸入に制限のかかる法的にアウトなものを長いこと横流しし続けていたらしいのだ。
もちろんこのことは王様には内緒。ちょっとちょっと、あなたいったい何やってるんですか。
……ああ、なんか頭の中がややこしくなってきた。もうこうなったら箱のノルマ消化で現実逃避だ。
私は黙々と箱を組み立て、そしていつのまにか時間は経ち、私の前には組まれた箱が積まれていく。
そしてふと、私はあることに気づいてしまう。
……あっ、しまった。個室風呂と大浴場が通路で繋がってることを姫に伝えていない。
大浴場には風呂の掃除をしているハンス君がいる。
そして通路には仕切りも清掃中の看板も立ってはいない。
つまり、その気になれば姫は裸のまま個室風呂から大浴場まで行けてしまうのだ。
そうなれば、姫はハンス君と鉢合わせになり大変なことになってしまう。
うわーやってしまったな。姫がまだ個室風呂にいてくれればいいんだけど――。
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私は箱組み作業を中断し個室風呂へと向かったが、姫はすでに個室風呂にはいなかった。
そしてあろうことか、ハンス君のいる大浴場でのんびりとくつろいでいた。
姫は幸い裸ではなかったが、ほぼ裸に近いきわどい格好でハンス君と話しこんでいる。
――姫の身に着けている湯浴み着はなにやら特注品のよう。
奇抜なそのデザインは、王が見たら怒り出すのではと思うほどに扇情的で大胆である。
極めて鮮やかな赤で染め上げられた、紐付きの小さな三角布が上下にみっつ。
そう、布地部分はたったこれだけなのだ。もうとにかく、肌の露出面積がやたらと広い。
確かに身体を洗うには便利なのだろうが、正直これは女の私でも目のやり場に困ってしまう。
これでは掃除中のハンス君もさぞ恥ずかしかろうと思ったら……あれっ、なんか案外平気そうだな。
――姫の表情に先ほどの落胆の表情はすでにない。
いや、落胆どころの話ではない。ハンス君と喋っている姫はこれまでにないほどの上機嫌なのである。
姫とは長い付き合いだが、ここまで打ち解けた雰囲気で他人と接する姫の姿を私は見たことがない。
どういうわけなのか、姫はこのハンス君をとても気に入ってしまっているようだった。
しばらくして、ハンス君も掃除そっちのけで姫とのおしゃべりに夢中になり始める。
姫のほうもご機嫌なので、まあそこはいい。だが、不思議なのだ。
あの二人は初対面であり、その上彼らは生きてきた人生が天と地ほども違う。
何を話すにしても、本来ならば共通の話題を見出すことすら難しい相手のはずなのだ。
なのにあの二人の打ち解けっぷり、まるで旧知の親友が再会でもしたときのようではないか。
(……んー、まあいいか、二人が楽しそうならそれで……)
そうだ、もしこのままハンス君が姫を引き受けてくれるのなら、私としてはそれはそれで万々歳なのだ。
私は自分の仕事に集中できるし、姫も今日は楽しいかったといい気分で自分の住処へ帰ることができる。
(――なんだなんだ、このままでいいんだ。いいことづくめじゃないか――)
そう思って私がその場を去ろうとした時、ふたりのお喋りにちょっとした変化が起こった。
突然、姫が賑やかに何かをはやし立て始めたのだ。
おやっと振り返ると、なにやらハンス君は少し困った表情で口元をへの字に歪めている。
(……おっ、いったいなにが始まるんだ?)
ハンス君、覚悟を決めたようにずるっと下を脱ぐ。姫はやんややんやと諸手を挙げて大興奮だ。
(……………?)
私は一瞬の思考停止の後、全力で今起こっていることの理解に努めようとした。
(……え、なにそれ……姫なにやってんの……?)
そこからはもう脊髄反射だった。
私は今いるところから、大浴場の姫の場所へと全力でダッシュする。
おらー!ちょっと待てやー!姫お前、そんなことする子じゃなかったろうがー!!
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……あれ、なんか様子がおかしいぞ。
姫がハンス君の半ズボンを穿いている。めっちゃ満足げでめっちゃニコニコで幸せそうだ。
ズボンを姫に奪われたハンス君、パンツ姿の締まらない格好を私に見られてで苦笑い。
話を聞くと、この半ズボンはミツさんから受け取った荷物のひとつで特別なもの。
ああ、なんだなんだ、そうだったんだ。どうりでちょっと変わった雰囲気のズボンだと思ってたんだよ。
「これは《黒き油井より紡がれしカセンのボトム》ですよ!防水生地で水を通さず!なのに蒸れずにサラッサラ!!」
そう言いながら姫はその場をくるっと回り、ハンス君の半ズボンを自分の持ち物のように自慢する。
あー、言ってることがよくわかんないけどまあいいや。とにかくそれすごいズボンなのね。
でも良かった。てっきり私、姫がどっかで悪い遊びでも覚えちゃったのかと思ったよ――。
……え、なに。なんで姫その自分が脱いだズボン私に手渡そうとしてんの。
私にそのものすごいズボン穿いてほしいの?いいよいいよわざわざ着替えたくないし。
えっなに、一生ものの体験になる?えっえっ、それってそんなにすごいものなの?
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……あ、なんかこれすごくいい。姫が勧めたがる気持ちがよーくわかった。
男物みたいだったからサイズが合うか不安だったけど全然問題なし。
布地がすごくたっぷりしてて腰ひもの伸縮性もものすごくてものすごい快適。
そしてものすごく動きやすい。えっなに、何なのこの超絶はき心地のいい半ズボンは。
……ねえねえハンス君。このズボンすごいわ。悪いんだけどしばらくの間借してもらってていい?
そして私は布地にわざわざ水をひっかけたりして、しばらくハンス君の半ズボンで遊んでいた。
あっミツさん、このズボンすごくいいですね。なんでこんないいもの私たちに教えてくれないんですか。
私、これだったら多少値段が高くても全然買いますよ。
もし次があったら持ってきてください。えっとじゃあ、これとまったく同じものを3枚くらい――。
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――このあと私は、青い顔のミツさんに別室でこっぴどく絞られることとなる。
このスボンの出どころは旺国という国。そして旺国産の品物はこの国では禁輸品の扱いとなっている。
つまりミツさんがこの国に持ち込んでいるやばいものというのは、この半ズボンをはじめとする旺国製品全般のことを指していたのだ。
「私、この国で旺国のものを運んでるってだけの理由で捕まりかけたことあるんだからね!」
そりゃそうだ、我が国は過去に旺国に戦争でコテンパンにやられている。
そのため我らが国王は、旺国人の領内への入国を徹底的に制限している。
ミツさん自体は旺国人ではないが、旺国を根城活動している旺国商人であることに違いはない。
まあ要するにミツさんは、旺国スパイの入国を防ぐためのこの取り決めにひっかかってしまったのである。
――そういうわけで、今のミツさんはできるだけこの土地に旺国商品を持ち込まないようにしている。
ただ、ハンス君や姫のような昔馴染みの客にだけは例外的に物を流すことにしているという。
なぜならば、この二人が取り寄せているのは旺国産の続き物の絵物語だから。
「だって、禁輸品にお金を出すリスクを負ってまで読みたがる本をこっちの都合で持ってこないとかあんまりでしょ?……まあ、私は今回は姫にそれをやっちゃったわけだけど……」
そして、この半ズボンは非売品でハンス君が読者アンケートの抽選で当てたものだからドミノは素直に入手を諦めるべき、との私にはよくわからない概念だらけの助言もいただいた。
……えっ、この半ズボンって一点ものなの?しかも、お金も取らずタダで配ってる???
――旺国という国の文化、なかなかもって奥が深そうそうである。