ウパ、街へ
――棄児院から街への送迎係は、いつものように棄児院長であるウパが担当することになった。
実はこれがウパが私の訪問をあまり歓迎しない理由のひとつ。
私が棄児院に来ることで、ウパは半日分の時間を送り迎えに使わされてしまうのである。
「……まあ、今回はいいですよ。もともと午後から街に下りる用事がありましたから」
今後は私がドミノさんのところに集金に行くようになりますからねとウパは言う。
森に気ままに入れなくなるのは非常に残念だが、そこは棄児院側の都合を考えると仕方のない部分なのかもしれない。
私は背中に大荷物を背負ったウパに先導を任せ、再び森へと入っていった。
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「……ようウパちゃん、今日も爽やかな酸っぱい匂いさせてるねえ」
店の主人は私たちが店に入るなり、挨拶代わりにウパのつけている香水の香りを褒める。
ほのかに香る柑橘香、うん、確かに酸っぱい匂いであることは間違いない。
ちょっと言葉選びに問題がある気がするが、ここではあえてそのことは突っ込まないでおく。
――ウパの今回の遠征の目的地は、この街で一番の雑貨屋であるアナ一家の経営するお店。
そしてこの冴えないおじさんが、この店の主人であるアナちゃんのお父さんである。
売り場の奥をのぞき込むと、あーいたいた、手伝いをしているアナちゃんがこちらに手を振っている。
ウパは荷物を床に置き、森の中で獲れたものを換金したいと申し出る。
今回の持ち込みは編みかごの中に生け捕りにされた小動物たち。
これはアナ商店の横のつながりで加工業者に流されて、肉や毛皮の材料となるのだそうだ。
当然、加工前の材料扱いなのでその買取値はそれ相応に安くなる。
ウパは店主からお金を受け取り懐に入れると、私に向かってこんな話を切り出してきた。
「……ちゃんと毛皮に加工した状態で持ち込めば、この買取値は倍以上になるんだそうです。
毛皮のちゃんとした処理の仕方はホフさんが知ってます。ただ、棄児院には道具がなくて」
あーうん、わかる。あそこには錆が回ったような刃物しかないもんね。
手入れの道具であるはずの砥石だってないわけだし――。
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ウパは神妙な顔でしばらく考えたあと、棄児院の道具をまるまる一式新調すると言い出した。
そして彼女は店の店主と売り場に並べられた道具について話し込む。
しばらくして話はまとまったようで、店の主人はウパの選んだ道具類を持ち運びに困らないよう厳重に包み始めた。
――ウパも随分とたくましくなったものだ。その時の私はそう思った。
迷いの森という閉鎖された環境での暮らししか知らなかったウパが街に出て、いつの間にか自分の考えで街の人間と立派に商取引ができるようにまでなっているのだ。
私は彼女の成長を、まるで親が子の成長を見ているかのような感情で眺めていた。
……だが、そこでめでたしめでたしといかないのが世の常である。
私は店の奥からずっと、私に向かって手招きをしているアナちゃんの存在に気づく。
そして彼女は掌を翻すと、私たちに非常時用の手信号でこんな内容のメッセージを送ってきた。
『――ドミノさん、ウパちゃんうちのお父さんにぼったくられてますよ――』
……えーっと、いや、ちょっと待って。
いきなりそういうのこっちもリアクションに困るんだけど……。
あ……あーうん、そうね。
はい、アナちゃんの言うとおり、ウパと後で反省会します――。
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アナ商店はもともと売り物に値札をつけない店である。
商品の値段交渉はは店の店主とお客さんとでその都度執り行われ、店主は客の懐具合と顔色を伺いながらモノの値段を上げたり下げたりするのだという。
アナちゃんの話によると、この親父さんから見た私は相当の成功者で金持ちであるという。
加えてこの土地で生まれ育った人間ではない余所者で、ウパはその身内ということになる。
そういうわけで、ウパが親父さんに食い物にされる条件は十分に揃っている。
そして実際、彼女は道具をびっくりするほどのぼったくり価格で買わされていた。
――その価格、なんと相場の倍以上である。
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吹っ掛けたり、吹っ掛けられたり。
私は世の中の商行為なんて大概そんなもんだと思っているし、商人という人種とはそのへんも織り込み済みで付き合っていくものだとも思っている。私自身はある程度の諦めもついている。
だがウパは世間知らずの森育ち。今回のような体験に免疫はない。
相当なショックを受けたようで、ピカピカの道具箱の包みを抱えながら欝々とした深いため息をついていた。
もうあの親父さんのことは信用できないとしきりにこぼしていたが、まあ、それでいいんじゃない? これからはあそこで売り買いするときはアナちゃんを通してやりとりすればいいだけの話なんだしさ。
――私はしょぼくれたウパの機嫌を直すべく、おいしいものを食べて帰ることを提案する。
世の憂さを晴らすのはとびきりの美味。誰がそう決めたってわけでもないけどね。
ああそっか、ウパはまだ街の飲食店に一度も入ったことなかったんだっけ。
じゃあ私が行きつけのいい店紹介するよ。
最近なぜかパン屋のくせに変わったサービスやり始めたお店があってね……。
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人生初の飲食店に入ることになって、何やら急に自分の体臭を気にしだすウパ。
え、ケモノ臭くないかって? いや、私は別にそこまでは気にはならないけど――。
でも例の香水持ってきてるんでしょ?気になるなら店に入る前に多めにすりこんどけば?
……そして私はウパと一緒にシーナちゃんの店へ。
ほら、珍しいでしょう。
この店ってパン屋のくせになぜか店内に飲食スペースがあるんだよね。
……って、そんなこと言われても初外食のウパにはぴんと来ないか。
まあいいや食べよ食べよ。テーブルの上にメニューあるけどどれがいい?。
「えっと、フルーツサンドと鶏の揚げ物と……あっ、このいちごミルクってやつおいしそうですよ!」
見たこともない食べ物の数々に大興奮のウパ。
そんな彼女が選んだのは変わり種料理ばかりを集めた創作料理のコース。
割といいお値段のついているものだったが、驚くことに彼女はその支払いを自分の財布から出すという。
……あれっ、ひょっとして今の棄児院ってかなり経済的に余裕ある?
「ええ、いろいろあってもう食べることに困るってことがほぼなくなりましたからね。
森の罠の運用方法に革命が起きて、効率的に狩猟ができるようになったんです。
肉だけならそれこそ、食べきれなくて困るほど手に入りますよ。
獲物を街で換金することも覚えましたし、これまでに比べたら生活はだいぶ楽になってますね」
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――さて、待望の食事が運ばれてきた。温かいうちに私もいただくとしよう。
きれいに盛り付けられたフルーツサンドや甘い焼き菓子はいつも通りの味。
特に感動もない感じ。うん、やっぱりパン屋はパン屋だよね。
でもこのいちごミルクってドリンクはかなりいいかも。
鶏の揚げ物も味見。うん、塩味。
カラッと揚がってはいるけどどこか一味足りない感じ。
まあ、作ってるのハンス君だろうからね。
しかもここパン屋だし、パン以外の料理はこんなもんだと思うよ。
そんなことを考えていた矢先、なんとウパが自らの香水瓶の中身をどばっと料理にぶちまけた。
一瞬私も面くらったが、ああそうか、その中身って柑橘類の絞り汁だもんね。
……うおっ、なんだこりゃさっぱりしてうまっ!
柑橘類と揚げ物ってこんなに相性良かったんだ!
――そのあまりの美味しさに、皿の上から揚げ物だけが一瞬でなくなってしまう。
あーこりゃこの揚げ物追加注文だな。
シーナちゃん、鶏の単品注文ってできるよね?
さて、ここでこの追加注文に驚いて店の奥から出てきたのがこの料理の作者であるハンス君。
うん安心して、オーダーミスじゃない。だから大至急さっきの揚げ物持ってきて。
つかハンス君、自分の料理が微妙だって自覚はあるんだね。
私好きだよハンス君のそういうとこ。
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なんかもう気分的に盛り上がってきちゃったので、テーブルの空き席にハンス君とシーナちゃんをご招待。
ふたりとも鶏の揚げ物をウパの話を熱心に聞きながらむさぼっている。
その話題の中心は、やはりこの香水の原料である森で採れる柑橘類のことであった。
「えー、この香水の原料となる小粒の柑橘、実は一割で皮が九割。
食べるとこなんてほぼないですから森の動物もあんまり好んで食べないんですよね。
でもこれ、香りと酸味だけは物凄く冴えてるんです。
ほら、必要ならまだいくらでもありますから、使う分だけ好きなだけ絞ってください」
ウパのポケットから濃い黄色の小さな実がコロコロ。
ああこれ懐かしい、確かにこんなの棄児院の周りにたくさんなってたわ。
ただ酸っぱいだけで全然おいしくないから、子供の頃は食べようとも思わなかったけどね――。
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皿を下げた後もずっと席に居座ってウパとお喋りをしているハンス君とシーナちゃん。
まあ、店も暇そうだし別にいいか。
思いがけないご馳走でウパの機嫌もしっかり直ったみたいだしね。
そして今晩のコース料理は店のご厚意により特別にタダとなりました。
彼らなりに収穫があったのかな。ウパ、ハンス君、シーナちゃん、ごちそうさまでした。