棄児院と迷いの森(前編)
私は城での仕事を終え、シーナちゃんの店で食事を摂りながらくだらないお喋りに花を咲かせる。
「うん、次の休みは里帰りの予定だよ。ここのパンお土産にするつもり」
私がそんなことを口にすると、シーナちゃんは「ドミノさんの故郷ってどこなんですか」とごく当たり前の疑問を投げかけてくる。
私はほんの少しだけ頭を悩ませた。私の故郷は口でうまく説明できるような場所にはないのだ。
つまり、地図にちゃんと記載されるような地名がないところで私は生まれ育ったのである。
私はシーナちゃんに地図を持ってきてもらい、だいたいこのへんだよと森の中心を大雑把に指さす。
するとシーナちゃん、青い顔をして私にこんなことを言う。
「……えっ、じゃあドミノさん、まさかこの森にひとりで入るってことですか!
やめときましょうよ熊出ますよ! しかもでっかいのが何匹も!」
……え、熊?それ、いつ頃の話?
あっ、シーナちゃんが子供の頃の話してたのか。うんうんわかった、そういうことね。
うん、そうだよね。熊が出るってわかってたらあんなとこ二度と近づかないよね――。
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――シーナちゃんの忠告を華麗に聞き流し、いざ、私が子供時代を過ごした思い出の場所へ。
……というのは少し大げさで、今回の目的地は半日もあれば十分往復できる場所にある。
だが私は自分から滅多にこの森に足を運ぶことはない。
なぜならいつも森の中で迷子になってしまうからだ。
そして今回もその例にもれず、いつものように見事に道がわからなくなった。
ああ、また今回も誰かに迎えに来てもらう羽目になりそうだな……。
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――さて、ここで私の故郷とこの森の関係について説明しておこうと思う。
まず、私が今目指している場所が私の育った場所でもある棄児院という施設。
ここは身寄りのない夢魔の子供たちを多く抱える養育施設のようなものだ。
建物自体は私が生まれる前からずっとある古いものだと聞いている。
そしてこの施設の存在を世間の目から隠すためにこの森は存在するのだ。
幻覚、感覚干渉、あらゆる手段でこの森は外の人間からから棄児院の存在を隠してきた。
だからここで育った私は、この森の基本的な仕組みを大体は知っている。
そしてある程度はこの森の中を自由に動き回ることができる。
だがそれは、あくまで「ある程度」と言えるほどの水準でしかない。
いつもどこかでひとつくらいは、巧妙に隠された森の罠にひっかかってしまうのだ。
――棄児院の管理者が代替わりして、森そのものが徹底的に作り替えられた――。
だから私は、本当は森の中を自由に歩き回れていた過去の記憶を捨てなければならない。
あらかじめ棄児院の誰かしらに迎えに来てもらい、先導を頼む。
里帰りをするときは、本来であればそれが誰にも迷惑のかからない最良の手順。
棄児院の皆にもそうしてくれと過去に何度も言われている。
だが私は、この故郷の森をなんとしてでも一人で歩けるようになりたいのだ。
……だが現実は残酷である。新しい森はかつての住人である私をいつも拒み続ける。
ああ、これも時代の流れか。私も昔はこの森を管理する側の一人だったというのに。
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――「白昼夢の罠」という、捉えた相手に白昼夢を見せる小石の形をした敷設罠。
厄介なことに、迷いの森の中にはこれがまんべんなくばら撒かれている。
踏めば目に映る景色はすべて幻覚となり、一切の方向感覚が罠の制御下に置かれてしまう。
そしてその罠は、侵入者を様々な手段で森の外に誘導しようとする。
つまり、どこかで罠を踏んでしまった私はこのまま歩き続ければ森の外へと追いやられてしまう運命にある。
できることならそれだけは避けたい。今日一日の予定に大きな狂いが出てしまう。
……こうなってしまった以上は仕方がない。ここは観念していつものあれをやるか。
私はすっと目をつぶって周囲の眠りを探知する。
こう見えて訓練だけはしているので、私の眠りを検知する能力はそれなりに高いのだ。
幸い、「白昼夢の罠」は夢魔のこの感覚には干渉してこない。そういうつくりになっている。
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……うん、あったあった、小さな眠りの反応が固まっていくつかあるぞ。
夢魔特有の深く上質な眠り、これは間違いなく棄児院の子供たちのものだ。
みんな元気でやってるみたいだな。よし、これで棄児院のだいたいの位置はつかめたぞ。
私は地べたに座り込み、はるか遠くにある棄児院の子供の眠りに遠隔干渉を試みる。
うん、さすが夢魔の子供たち、みんな外からの精神干渉にはちゃんと抵抗する。えらいえらい。
……と思ったら、あれっ? 一人だけ私の干渉に無抵抗な子供がいる。
いいのかそんなガード甘くて。
あー、でも今の棄児院、昔より全然平和だって言ってたからな――。
そして私はこの子の眠りの世界への侵入を試みる。成功。
あとはもう、救難信号をこの子の寝言という形で発信すればいい。
そばに大きい子がいてくれるといいんだけど。
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――私の救難信号は無事届いたらしく、棄児院の子供が迷子の私を発見するのはとても早かった。
私の目の前に現れたのは、自らを森の管理者と名乗る男の子。
あまり慣れていない様子で私の頬をぱちんと叩き罠の制御を解除すると、私の後についてきてくださいと来た道をすたすたと引き返し始めた。
……うんまあ、森で迷ったときは結局この展開になっちゃうんだよね。
ちょっとだけ悔しいけど、いつものこといつものこと。