王の夢の世界
――ある朝、朝食のテーブルに変わり種のジャムの小瓶が置かれていた。
柑橘類の皮で作ったジャムだそうで、そんなものこのへんでは見たことがない。
持ってきたのはハンス君。
彼ははごくまれにこういうよくわからない挑戦をする。
そしてそのたびに意見が欲しいと、私たちに試作品の味見を要求するのだ。
はっきりとは覚えていないが、この系統のジャムをアナちゃんと食べるのは確か今日で四回目である。
「でもこれ、ぶっちゃけ美味しくはないですよね……食べられはしますけど……」
「まあ、それも意見のうちだよね。ほら、ふたりの共通の話題ができてよかったじゃん――」
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――誰かのの入れ知恵なのか、それともハンス君が素でやっていることなのか。
この挑戦的なジャムをハンス君が事務所に持ち込むようになってから、アナちゃんはハンス君との話題づくりに困らなくなった。
アナちゃんが率直に率直に不味いジャムを不味いと言い、ハンス君はそれを聞いて帰っていく。
特に話の盛り上がりもなく、いつも話はあっという間に終わってしまう。
だがそれでいいのだろう。
二人ともなんだかんだで無難な天気の話題なんかで会話をつなぐタイプではない。
これは世間話が苦手な者同士、そのことを理解している者同士のとても気楽なコミュニケーションなのである。
そのへんで、私はこのふたりの相性が案外悪くないんじゃないかと思い始めている。
――でもアナちゃん、不味い不味い言う割には食べてるよね。そのジャム。
「そりゃ少しは食べますよ!味見しなきゃハンス君が来たときお話できないじゃないですか!」
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……さて、仕事だ。私はこれから王様に合いに、ひとりでお城に出向く予定になっている。
実は私たちはこの国の王様から、ちょっと引くくらいの金銭的支援を受けている。
この事務所だって国で用意してもらったものだし、仕事着も立派なものを何着も用意してもらっている。
エステに至っては、なんと王族推薦のちゃんとした経営学の先生までつけてもらっているのだ。
そういうわけで、私たちはこの国の王さまに頭が上がらない。
王族からの呼び出しがあれば直ちに駆けつけなければならないのが今の私の立場なのだ。
「……ていうか、前々から思ってたんですけど、ドミノさん達っていったい何者なんですか?」
――あー、アナちゃん、そこはあんまり知ろうとしないことをお勧めするよ。
知らない方が幸せなことって、この世の中には想像以上にたくさんあるからね――。
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――で、そんなこんなでここは王様の夢の中。
王様の夢の舞台は大型浴場施設。
なんとここはこれから私たちが国から運営管理を任されることになっている場所である。
そして、今回の私が呼び出された理由はこの浴場の運営計画の報告要請。
王は夢の中に再現された浴場を楽しみながら、この浴場の今後について私からの説明を聞きたいというのだ。
……よし、時間はかかったが施設全体の間取りの再現はほぼ完璧。
お風呂気分をリアルに体験できるよう、ちゃんと浴槽にはなみなみと湯も張っておいた。
――そしてそこに待ってましたと裸の王様登場。
私の目など気にすることなく大浴場の大きな湯船へ一直線。
ザブンとその身を投じると、王は普段見せることのない満足げな表情をその顔に浮かべていた。
……うん、知ってた。実はこの王、運営計画のようなお金周りの話には基本的に興味を示さない。
呼び出しの名目は報告会だったが、実際はこの浴場施設を誰よりも早く堪能してみたかっただけなのだ。
まあ、別にそれでもいい。これだけ喜んでいただけているのなら私たちも頑張った甲斐がある。
「湯を張れる浴室はこの大浴場ひとつだけなのだな。ここ以外にもいろんな浴室がたくさんあったろう?」
「……無理を言わないでくださいよ。ほかの浴槽まで開放するとなると追加の工事が必要になります。私たちだってしばらくは身内だけで回す予定なんですからそこまでは手が回りません。それにこの大浴場一室だけだって、これだけの広さですから維持が相当に大変で――」
そう、そもそも私たちは、あの場所にどれだけの集客力があるかもわかっていない。
あの広大すぎる浴室たちをいきなり全開放だなんて、素人目にも無謀としか言いようがないのである。
「――ならば資金も人もこちらで用意する。それならどうだ」
「それ、王様がいろんなお風呂楽しみたいだけですよね。国の財政圧迫するだけだと思いますけど……」
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王、ひいてはこの国と私がこんな関係になったのには理由がある。
実はほんの数年前まで、私とエステはこの国に諜報組織の一員として仕えていたのである。
そして荒れに荒れていた国内問題ほぼすべてを、私たちは夢魔の技能で片っ端から収束させていったのだ。
【――そなたたちがいなければ、私の子供たちは一人残さず謀殺されていたかもしれない――】
………王にそう言われる程度には、私たちは王の右腕としてそれなりの成果を上げてきた。
それこそこんなふうに、大型浴場の経営権をご褒美として王様にもらえちゃうくらいには。
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「――まあ、助力なら惜しまんさ。いつでも頼ってくれ。そういうのも悪くない」
「いや、でも王様、ぶっちゃけお風呂以外のことあんまり興味ないですよね?」
――そう、私には前々から気になることがあった。
この王様、なぜか私の夢遊びのサービスについて一切の説明を要求してこないのだ。
今回の大型浴場のように、業務内容を説明しろという呼び出しすらない。
その内容の倫理性はともかく、一応は国から正式な免状を出してもらってやっているお仕事である。
こちらとしては、一度くらいはちゃんとこっちの仕事の説明もしておきたいのだが。
「――別に構わんよ、夢魔のやることだろう。あの張り出されているチラシを見れば大体想像はつく」
「んー、でもせっかくのいい機会ですし……王様も一回くらい体験しときません?」
話の種になりますからと私は白い人形を5体ほど並べ、これは王のお世話役ですと暗示をかける。
すると人形は瞬く間に、可憐でうら若き美少女たちへとその姿を変貌させた。
「ん……ああなんだ、安心しましたよ。ちゃんとうちのサービスの趣旨はわかってるんですね」
なぜそんなことを言ったかというと、この娘たち全員が一糸まとわぬすっぽんぽんだったからである。
そして彼女らは誰に命令されるでもなく、きゃっきゃと王様のいる場所に群がっていく。
「おっ、おおう……しかしなんだ……随分と若い娘ばかり出てきたな……」
「えっあっいや、でもこれって王様の趣味ですよね……夢魔の人形は潜在的な願望をその記憶から忠実に読み取るものなので……」
「そ、そういうことなのか……つくづく夢魔は敵に回したくないな……」
何故かくん付けで王様の名前呼ぶ少女たち。
そして甲斐甲斐しくお世話さながら黙りこくる王様。
無邪気にいろんなところをおさわりしてくる少女たちのなすがままになりながら、王様の表情は非常に固い。
あれあれ、なんかちょっと気まずい雰囲気になってきたぞ、どうしよう……。
「あ……あの王様、ひょっとしてこういうの慣れてません?」
「こんなものにいつ慣れろというのだ、こう見えて私は愛妻家で通っていたんだぞ……!」
「えーちなみに……存命の娘さん今おいくつで……」
「聞くな……たぶんもうこの世話役よりほんのすこし年上だ…!」
「そうですか……じゃ、私そろそろ帰りますね……」
「あー……わかっているとは思うが、今日のことは娘には絶対言うなよ……」
お互い気まずい雰囲気のまま、私はそそくさと王様の夢から退出した。
――ああ、今日はえらいもん見ちゃったな。帰りにシーナちゃんとこ寄ってひと休みしてこ。