アナの夢遊び(前編)
――アナちゃんは眠りの浅い領域ですでに私を待っていた。
その夢の場所はまだ手付かずのまっさらで、商品としては未完成の空間。
本来なら私がここから夢の舞台となる背景を作りこむのだが、アナちゃんはそんなことはしないでいいという。
「私、ハンス君だけいればそれでいいですから!」
……彼女の目的はあくまで意中の人との夢遊び。
別に夢の中の景色などどうでもいいというわけだ。
ちなみに、このハンスという少年がアナちゃんの想い人。
シーナちゃんの弟で、私も店でよく顔を合わせる働き者のパン職人である。
――では、と、私は白い人形を虚空から取り出しアナちゃんの前に設置。
これはあなたの意中の人ですと暗示をかける。
次の瞬間、人形はハンスという少年の姿にわっと変化した。
(……あれっ?)
なんだなんだ。アナちゃんがきょとんとした顔をしている。
「あっいえ、なんでもないです。気にしないでください。
エステさんの夢と段取りが違ったんで少し驚いただけで――」
――アナちゃん曰く、エステはこの白い人形を夢の中でアナちゃんに見せたことはないとのことだった。
うわ、じゃあエステ、自前の記憶イメージからハンス君の人型作ってるんだ。
ねえそれじゃあさ、エステの夢のハンス君て、私のこれよりずっと再現精度低いんじゃない――?
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――ここで解説。
私は今、アナちゃんの記憶にあるハンス君の姿を抽出して白い人形に投影させた。
これは夢魔の技術の基本的なもので、仮に私と面識のない人でも忠実に夢の中に登場させることができる便利なものだ。
そしてこのやり方とは別に、白い人形に夢魔自身の記憶を投影させるやり方もある。だが、これがなかなか問題が多い。人物像の見え方はその各々で個人差があるからだ。
好意を持っている相手はより美しく、そうでない相手はまあそれなりに、である。
よってほとんどの場合、お客様の記憶から人物像を抽出したほうが手っ取り早く間違いもない。
だってほら、このアナちゃん視点の記憶を投影したハンス君、実物よりずっとずっとイケメンだもんね。
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――私はアナちゃんに、エステの夢に出てくるハンス君ついて質問を投げかけみる。
その答えはほぼ私の想像どおり。エステの夢に出てくるのハンス君は少しだけ像がぼやけていて、どちらかというと可愛らしい印象なのだそうだ。
うん、間違いない。エステは白い人形に自分の記憶のハンス君像を投影させている。
「でも、いつも楽しませてもらってますよ。エステさん、ああ見えて面白い人なんですよね」
……ああ、ということはエステはハンス君の声の演技までやっているのか。
じゃあそれは、もはやハンス君の皮をかぶったエステそのものだな。
うわーそれ私じゃ無理だ。私、男役の芝居なんて恥ずかしくてできないよ――。
――私はあまりに方向性の違う相方の夢のスタイルに軽く頭を抱える。
そして、アナちゃんに自分の大人向けの夢のありかたについてどう説明をしたものかとしばらくの間頭を悩ませることになってしまう。
ああもう、説明すんの気が重いなあ……。
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――私がこの仕事で実際に商品としている夢のシステムは、箇条書きにするとだいたいこんな感じ。
・私の夢に登場する白い人形は夢の主人の望む通りに動く従順な自律人形。
・用意された夢の世界は完全なプライベート空間。
私が夢から去った後は外の誰の眼も届かない密室となる。
・そして原則、この夢空間は眠りから覚めるまでずっと維持される。
「……まあ、だからね。自分に従順な想い人を夢の中で好き放題できるってのが私の夢の世界のルールの特徴で……」
私の身も蓋もない言い方にアナちゃんの顔からすっと笑顔が消える。
「え……それ、さすがにちょっと悪趣味すぎやしませんか……」
……うん、わかってる。その感情はこっちにもよくわかってるんだよ。
でもね、こうなるまでにこっちにもいろいろあったんだって。
売上目標とか販売効率とか直接的なお客さんの反応とかさ……。
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この商売を続けるうちに使うようになった、夢の主人に逆らうことのない従順な人形のアイデア。
こういうものを用意するようになったのは、お客様の対応のすべてを人形に任せられるようにするためだ。
そして私が夢から早々に立ち去るのにも実は理由がある。
客一人あたりにかける時間をできるだけ短縮したい。それだけなのだ。
回転が上がれば一晩に消化できる依頼の数も増える。
そして、相対的に私の身体も楽になる。
「あのね、この仕事、外回りは私一人でやってるから絶対身体は壊せないし、結局は利益と効率重視になっちゃうんだよ商売だから。だからエステみたいに一人の夢に最後まで付き合うってことはもうしなくなっちゃったんだ。まあ、特別料金貰えるってんならつきっきりも考えなくはないんだけど……」
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――話すことを話して、アナちゃんのやっぱりな反応も見て、私のほうもいろいろ思うところもあった。
だが、結局私はアナちゃんとハンス君人形をふたりっきりで夢の世界に置き去りにした。
私が実際売りものにしている夢がどんなものか、従業員として一度くらいは体験しておいてもらってもいいのかなという感情が働いてしまったのだ。
そしてすぐ、やはりというか、アナちゃんがどこか気まずそうな顔でベッドから起き出してくる。
彼女は押し黙ったまま台所に向かい、気を紛らわすように二人分の朝食の準備を始める。
まだ窓の外は薄暗いどころか真っ暗である。
おーいアナちゃん、さすがにまだ朝ご飯には早いんじゃないかな――。
――生々しいお人形遊び、それが私の夢に対する彼女の感想だった。