姫の見た白昼夢(後編)
――己の弱点を克服し、この新しいスカラベは剛性を得ていた。
そう、古いセオリーに囚われていた私の考えは甘かったのだ。
スカラベが生物兵器として戦場に投入されたのはもう十年以上も前の話。
つまり、生き残りの糞便術士にはこの生物兵器を改良するだけの十分な時間があったのだ。
そうだとも、彼らは弱点を弱点のまま放っておくような愚者たちではない。
核の脆さを外殻で守ろうという発想など、誰でも考え付きそうなものではないか――。
私の投石によりあらかた崩れ去った糞塔の中心から姿を現したのは、表面とは比べ物にならないほどの硬さを持った乾燥便の塊だった。
その強度は私がスリングで力いっぱい石を打ち付けても石のほうがばちんと砕けてはじけ飛ぶほど。
このエッジの効いた直方体の乾便はそれほどまでにタフで堅固な代物だった。
私は救いを求めるようにもう一度あたりを見渡したが、やはり核の残骸はどこにも見当たらない。これでもう間違はない。スカラベの動作をつかさどる核は、この鉄のように強固な乾便の中に隠されている。
――私は茫然自失となり、しばらくの間ぼんやりとその場に立ち尽くしていた。
そのうち、投石によって飛び散った糞の破片がのそのそと動きはじめる。
その糞たちは私のことをただの障害物としか見ていないのか、立ち尽くす私の足を丁寧に避けて母体である核の周辺へと移動していく。
そしてこの糞塔は、再び元の形へと戻るべくのそのそと再形成を始めたのである。
**
――私はこの時点で悟ってしまった。私はこの糞塔に相手にすらされていない――。
私は無力感を抱えながら、退避した事務所の窓越しに糞塔の再生をぼーっと眺めていた。
私は自分の中にある、聞きかじりの古い考えを改めなければいけないと思った。
そう、かつての敵であった糞便術士だってこうやって日々研鑽を重ねているのだ。
研鑽をしているのだから、躍進的な進歩や発展があるのはごく当たり前のことではないか。
時代は進み、スカラベはただ動き回るだけの厄介な糞便ではなくなった。
すでに私の力だけでどうにかなるような相手ではなくなってしまったのだ。
――もう、城へ救援要請を出すしかない。
……許可なく市街に出たことを父に咎められるかもしれない。
だが、もうそんなことを言っていられる状況ではない。
ドミノさんたちがここに戻る前に、なんとしてでもこいつを始末しなければならないのだ。
なんせこいつらは一度の跳躍で最低でも身丈の30倍ほどは楽に跳ぶ。
不用意にその行動半径に入れば、一気に距離を詰められて襲い掛かられてしまうのは目に見えている。
……ああ、こんなことならドミノさんたちの今日の予定を聞いておくんだった。
そうすれば私がドミノさんたちのいるところに駆けつけて、この危険を伝えることができたのに――。
**
そして私は城に救援要請を出した。
だが、派遣部隊の招集にはそれなりに時間がかかるだろう。
その前にドミノさんたちが帰ってきてしまう可能性も十分にありうる。
ならばと、私は事務所に続く道をすべて封鎖することを決断する。
たまたま事務所の脇に置いてあった縄を使って人が通れないよう道を塞ぎ、「緊急事態発生、事務所には絶対に近寄るな」と書き置きをした。
悪戯だと思われないように王族の自筆サインも添えておく。
これらはすべて、いつここに戻ってくるかわからないドミノさんたちのためのものだ。
――よし、これで大丈夫。
そう思って姫が地面にどかっと腰かけたとき、姫の脳裏にある一つの疑念が浮かび上がった。
(……糞便術士は、なぜわざわざあんな目立つものを作ったんだろう……)
糞便術士の得意とする戦法は主に潜伏と奇襲。
目立った行動などとらなくても、スカラベをただ潜伏させているだけでとにかく強い。
もし純粋にドミノ一派を殺害するだけの目的ならば森に潜伏型スカラベを50ほど放ち、山道で襲わせるほうがよっぽど効率的で確実であろう。
それなのにあの糞塔はなぜか事務所の前でそびえ立つ。
そしてこの私だってどういうわけかその糞塔に襲われることなく生きている――。
(あ……!)
私は一度頭の中をリセットし、改めて頭の中にある考えを整理した。
仮に私がこの森でスカラベを発見したと城に救援要請を出すとする。
それを受けて派遣されるのはおそらくは対糞塊部隊と呼ばれる対スカラベ戦闘のエリートたちだ。
この部隊はスカラベだらけの戦場を生き残り、糞便術士たちの村を焼いて回った張本人。
つまり、糞塊術士たちの恨みを買ってしかるべき人たちである。
そう、私はこの部分を見落としていた。
糞便術士の本当の標的は過去に対立したことすらないドミノ一派などではない。
彼らにとって憎むべきは、一族の仇である対糞塊部隊のほうではないのだろうか――。
**
そういうことであるならば、事務所前の糞塔はあくまで対糞塊部隊を釣り出すための餌でしかない。
私が糞便術士なら、包囲殲滅のための伏兵たちを事務所周辺のあらゆる場所に潜伏させる。
森はスカラベの主戦場。敵の本隊は見えないところに綿密に隠されているだろう。
泥の中、枝の上、奴らは森のどこにでも容易に潜むことができる暗殺者なのだ。
地の利は間違いなくあちらにある。スカラベ側の戦力規模は予想すらできない。
なにせ、復讐のための準備期間は十分すぎるほどあったのだから――。




