覚めない夢
――私たちは暦の刻印のことを侯爵から聞き、急いで森から事務所へと戻った。
そして、玄関先の金塊がものの見事になくなっているのを目の当たりにする。
その事実に誰よりも狼狽したのはウパだった。
金塊を守っていた罠は森に設置されているものと基本的には同じもの。
これが破られたということは、つまりはあの森を攻略できる何かしらの方法を持つ者がこの場所に現れたということになる。
だが、私たちが今意識を向けなければいけないのはそこではない。
そう、金塊が消えている。あの私たちが動かせなかった金塊がどこかに行ってしまっているのだ。
ひとまず軽く息を吐いて周囲を見渡すと、何やら至るところに芝生の剥がれた跡がある。
その中でも特に目立つ何かを引きずったような痕跡を追ってみると、なんだ普通にあるではないかシェニール候の金塊が。
しかもご丁寧にむしろをかけて一瞥しただけではわからないようになっている。
私も改めて金塊に体重をかけてみたが、家を留守にする前と同様の重さのままだった。
うん、これはやはり、どう考えてもひとりで引きずって動かせるような代物ではない。
――まあいい、犯人捜しは後にしよう。とりあえず金塊は無事だったのだ。
シェニール候に言われた通り、地月、逸日、夕の刻、と招待状に書かれていた順序でインゴットの刻印を叩く。
すると金塊は強い光を放ち、瞬く間にその姿を金貨の山へと変えた。
――よしよしと、私はむしろに持てるだけの金貨を包み事務所の中へ。
その玄関口には、なぜか姫の汚れたの衣服が畳まれた状態で置かれている。
――あれっ、姫、事務所にいるんだ。
そう思いながら家の中を歩き回ると、寝室のベッドにふわふわの白い毛玉が丸まっているのが見えたのだ。
なんだなんだ、まさかあれが姫なのか――。
姫の着ていたのは真っ白ふかふかでゆったりとした、なぜか耳付きフードと大きな尻尾がついているとても暖かそうな狐の寝間着。生地の肌触りがおそろしくいい。
赤い湯浴み着同様、このへんではまず見ないデザインなのでひょっとしたらこれも旺国製品なのかもしれない。
――そして、ウパがこのふわふわもこもこの虜になってしまう。
はじめのうちは尻尾の先を触っているだけだったウパだったが、そのうち尻尾に頬ずりしてみたり、枕にして寝転んでみたりとその行為はエスカレート。こらこら、姫が起きちゃうよ、そうやんわり注意しようとした瞬間、姫はごろんと寝返りをうってこちらに眠たそうなまなざしを向けてきた。
「あーあ、ほら……ウパがあんまり悪さするから姫が起きてきちゃっ……た…………」
私たちの顔は青ざめた。
目覚めたばかりの姫の眼は、その焦点がまったくと言っていいほど定まっていなかったのである。
--
――おそらく姫は、どこかでウパの仕掛けた白昼夢の罠を踏んでしまったのだろう。
そして姫は眠りの中にまで、彼女は罠による幻覚世界を持ち込んでしまっていた。
白昼夢の罠のその効力は、一晩の時が経って目覚めた今でさえなお続いている。
そう、つまり姫は丸一日、昼夜を通してひとつながりの夢を見続けているのだ。
おそらく姫のその目には、私たちの姿やその世界など映ってはいない。
何も追わない眼球が、私たちにその真実を如実に伝えてくれている。
――とにかく、姫の精神の混乱が怖い。ウパは大慌てで姫を罠による幻覚の世界から解放した。
目覚めた姫と私たち、しばらくの間かみ合わないやり取りが続く。
そしてこれでは埒があかないと、私はここ最近の、特にこの事務所周辺で起こったことを姫に包み隠さず話すことにした。
玄関先に投下されたシェニール候の金塊が玄関先にずっと放置されていたこと。
そしてそれが私たちの留守の間に何者かに綺麗に片付けられていたいうことなどだ。
……シェニール候の亡命の話は、さすがにここでは伏せておいたが。
――時間はかかったが、姫は私の話の内容をしっかりと咀嚼したようだった。
そのうえで、その説明が自分の見てきた世界とあまりにも違いすぎていると訴えかけてきた。
姫の幻覚世界にはシェニール候の金塊は存在すらしていなかったというし、今自分が着ているこの狐の寝間着ですらも姫にとっては全く身に覚えがないものだという。
まあ、幻覚なんてそんなもんですよと、私は姫にそう諭し無理やり納得してもらった。
「――でもまあ、あの世界が本物でないのならそれが一番なんです。ほっとしました」
――今度は姫が自分のいた世界のことを話し始める。
その内容は荒唐無稽で現実離れした悪夢の世界。いかにも姫の夢だなあという内容だった。
そして、それを横で聞きながら少しづつ歪んでゆくウパの表情。
まあ、これは仕方がない。姫の悪夢にはちょっと変な癖がある。慣れない者には辛かろう――。
結局、ウパは姫の話を最後まで聞くことなく部屋を出て行ってしまった。
彼女には姫の悪夢に最後まで付き合えるだけの「耐性」がまだできていなかったのである――。




