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地月逸日夕の刻


 ――そして侯爵からのお呼ばれの日がやってきた。


 連れてきたのはある程度大きくなった子供たちだけ20名。かなりの大所帯での来訪だ。

 だが侯爵様の召使たちはその人数をきちんと想定していたらしく、楽しんでいって下さいと私たちを暖かく出迎えてくれる。


 おろしたての服に身を包んだ子供たちは飲食の用意してある部屋へ移され、エステもそちらについていく。

 ちょっとだけ中を覗くと、大皿から自分の皿に好きなものを取り分けて食べられるようになっていた。

 気軽な立食スタイル、これは棄児院の子供たちに一般的なテーブルマナーが身についていないことを見越した上での配慮なのだろう。

 いやはやこれはこちらとしてはこの上もなくありがたい気遣いである。


 私はエステと子供たちを階下に残し、ウパと一緒に侯爵夫妻の待つ寝室へと向かった。

 

**


 部屋で待っていたシェニール侯爵夫妻が望んだ夢の世界は、王と同じくあの浴場。

 そしてこの夫妻、まだオープン前だというのに私たちの浴場のことにやたらと詳しい。


「当然ですよ、私も王もあの浴場欲しさにこの土地を攻めたようなものでしたからね。後にあの浴場が作りかけだったと知らされて、私も王もひどくがっかりしたものです」


 シェニール候はにこやかに笑いながら言葉を重ねる。


「王も私も死ぬまでに全室稼働の大浴場を見てみたい思っています。よろしく頼みますよ」

「えっいやいや、だからその全室稼働はやっちゃったら採算合わないんですって」

「そこはその、招待状と一緒に落とした金でなんとかやりくりを――」


 あ、ああ……あの金塊ってそういうことだったんですか……。

 

**


 シェニール候夫妻を夢の中の舞台――ふたりがまさに夢にまで見たという大浴場へと誘う。

 そのふたりともが、広々としたその見事な景色に心から感激しているようだった。

 だがこの夫妻、湯に飛び込むほどの国王とは対称的にその動きにまったく力がない。

 奥様などはウパの支えなしに歩くことすらできないほどの弱りようだ。

 横にいるシェニール候もおおよそ似たようなもので、湯の中で骨の浮き上がった体を重たそうに引きずっている。


 「……衰えとは怖いものですね、いやはや、情けない姿になってしまいましたよ」


 侯爵はそう言って笑っていたが、その口から出る言葉はおそらく本心ではないだろう。

 

 ここに来る途中にあった侯爵夫妻の肖像画。

 その健康的な肉付きと比較しても今の二人の衰弱っぷりは尋常ではない。

 これがただの「衰え」でないことくらい、当人たちが一番よくわかっているはずなのだが。 


 ウパはどこで用意したのか、程よく冷えたいちごミルクを湯から上がって休んでいる夫妻に差し出す。

 奥様はその細やかな気遣いにすっかり感嘆したようで、ゆったりとくつろぎながらその程よく甘い飲み物をちびちびと楽しんでいる。

 そして侯爵はこの飲み物を、神の賜いし天上の飲み物であると大げさに称賛した。

  

** 

 

 侯爵夫妻に夢を見せ終えたあと、私たちは車椅子の夫妻と棄児院の子供たちのいる飲食部屋へ。


 部屋に入ると、すでに料理はあらかた食べつくされたようで皆がお腹をさすりながら満足そうな顔をしている。

 招待を受けた者で食事にまだ口をつけていないのはウパと私だけ、そういう状態だ。


 ここでエステが私のために取っておいた料理の皿を渡してくれる。

 ああ、これこれ懐かしい。久方ぶりにお目にかかる貴族のご飯。

 思い返せば私たちも、城にいたころは随分といいものを食べさせてもらっていた。

 よしよし、ウパもずいぶんと熱心に味わってるみたいだな。

 貴族の料理などそう簡単に食べられるもんじゃない。存分に腹いっぱい味わうといいさ。


 ――私は取り分けられた自分の食事を頬張りながら広々とした室内を見渡す。


 しかしまあ、驚くべきはこの棄児院の子供たちの容姿の瑞々しさよ。

 夢魔の血の入った少年少女は顔立ちがいいと噂されてきたが、どうやらそれは迷信などではなかったようだ。

 ほんの少しだけいい服を着てとても幸せそうな子供たちは、その皆が料理について和気あいあいと語り合い、無邪気に笑い合っている。

 給仕も料理人も、そして侯爵夫妻でさえもその光景を見て幸せそうに微笑んでいた。


「……子供たちの笑顔はやっぱりいいですね。心が温まりますよ」


 そう呟くシェニール侯の発言に、私とウパは少しだけお互いの顔を見合わせ表情を探る。

 そう、私たちにとってこの光景はただの日常。

 いつもの顔ぶれが笑って騒いでいるだけの景色でしかない。

 べつだん何の感情も湧いてこないし、そんなことよりなにより飯がうまいのだ。

 私もウパも、結局はまだまだ食い気が最優先のお年頃なのである。


**         


――宴は終わり、夜。


 帰り道は全員で、夢魔らしくわざわざ真っ暗な道を選んで歩く。

 ふと、棄児院の子供の一人が私に話しかけてきた。


(ねぇードミノお姉さん、うしろ、だれかついてきてる?)

(――うん、尾行を気づかれるようなへたくそが何人がいるね)

(足音だけするんだね。姿は見えないのに)

(無視してればいいよ。どうせそのうち私たちのこと見失うから)


 私たちはそのまま棄児院の森へ。この時点で例の尾行たちの気配はすでにない。

 うん、やっぱりだ。思った通り、あいつらの尾行技術は大したことがない。

 これだけの大所帯を見失うのだから、あの尾行たちは私たちの姿を眼で追えていないのだ。


(――闇夜の夢魔は闇そのもの。人の眼などに映るものではありませんよ――)


 ……ふと、まっ暗闇の何もないところからそんな声が聞こえてきた。

 夜目の効くはずの子供たち全員がその声に反応して振り返るも、声の主の姿はない。

 棄児院の皆は一斉にざわめき始めた。気色が悪い、今のはいったい誰の声だったのだろうと。


(あの……シェニール候、そういう悪戯はここではご勘弁願いたいのですが……)


 ――姿を消して棄児院の集団に紛れてこんでいた声の主。

 それは軍神と呼ばれていたころの秘術により姿と気配を完全に消し去った侯爵夫妻、その人だった。


 いやはやさすがの練度、お見事です。棄児院はお二人の亡命を心より歓迎しますよ。


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