活動限界
――ふと、姫が私にミツさんについての質問を投げかけてきた。
「あの、ミツさんって多分もうこの国にいませんよね」
「うん、昨日帰ったって。なんか用でもあった?」
「そうですか……あの人滅多に会えない人ですから、国内にいるうちにこの冊子渡しておきたかったんですよね……」
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――姫に改めて話を聞くと、どうやら私は余計なことをしてしまっていたらしい。
ハンス君と姫。この二人の立てた目標は、ミツさんの出国前にこの冊子を完成させること。
その目標の実現ため、ふたりは合意の上であの過酷なスケジュールを組み上げたのだ。
いわば不眠不休の強行軍だったわけだが、姫に言わせれば決して無理なペース配分などではなかったのだという。
「現にハンスさんは私がいなくなっている間に一人でこの冊子を完成させています。つまりこの冊子作成は私たちが寝落ちした時点で既にほとんど完成していたということなのです。だからあのトラブルさえなければ、私たちはミツさんに滞りなくこの冊子を渡せていたはずで――」
そう、私たちの導眠術による独断介入は、姫たちにとっては単なるありがた迷惑でしかなかったようなのだ。
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「……まあいいですよ。多分ミツさんのほうだってこんな速度で冊子が届くことは想定してないはずですから」
姫はそう続ける。そうだ、よくよく考えてみればミツさんはこのふたりが協力して冊子を作っていることを知らないはずだ。ハンス君ひとりでの常識的なペースなら、この冊子はまず間違いなくこんな速度で完成することなどありえない。
(……あれ?じゃあこの納期って、ミツさんに言われて設定されたものじゃなかったってこと?)
「当たり前じゃないですか。ミツさんはそんな非常識な納期設定する人じゃありません。
これはあくまで私たちが勝手にやったこと。こちらとしては少しでも早く冊子を送って、そのフィードバックである最新の対訳表を何よりも早く届けてもらいたいんです。そしてその対訳表と照らし合わせてもう一度ララブ戦記を読み直したい。私たちの望みはただそれだけなんです」
そう、この二人を不眠の五日間へと駆り立てたのは、純粋な異国文化への憧憬だったのだ。
「ララブ戦記」の魔力、恐るべしである。
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ハンス君はミツさんに、「完成させた冊子はエステに渡して欲しい」と言われたらしい。
そんなわけで、私は必然的に姫と一緒にエステのいる場所へと向かうこととなる。
せっかくなので、アナちゃんにもそのままついてきてもらうことにした。
『あっ……そうでした、私ドミノさんに聞いておきたいことが……』
どういうわけか、急に秘密の手信号モードになるアナちゃん。
えっなになに、ああなんだ、アナちゃん例の鍵付き箱の話がしたいのね。
あれって旺国製品じゃないから、別に隠す必要な言ってミツさん言ってたよ――。
――アナちゃんが私に投げかけてきた質問、
それは、この箱はまだこの土地に入ってくる可能性があるのかということだった。
その答えは、否。なぜなら私たちがミツさんから在庫を全部買い上げたから。
いや、実はこの箱、失敗作の不良在庫で格安放出品らしいんだよね。
それを全部買い取るって条件でこんな馬鹿みたいな安さになってるんだって。
追加生産の予定もないって聞いてるし、ミツさん自身の箱の持ち込みはもう今回で終わりだと思うんだけど……。
……あっひょっとして、アナちゃん自分の店であの箱の取り扱いはじめたかった?
「いえ、逆ですよ。うちはもう収納系の在庫なんてこれ以上増やしたくはないんです。この辺一帯籠文化ですから、あんまり木製の収納家具仕入れても買う人少なくて――」
不良在庫に頭を抱えたくなければ箱商売には手を出すなと言う忠告のつもりらしい。
そっか、そういえばこのへんの人たち、割と自分でお手製の籠とか編んじゃうもんね……。
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「……ちなみに、アナちゃんはミツさんのこと何屋さんだと思ってる?」
「えっ、私、あの人のこと家具商か雑貨商あたりだと思ってますけど」
「それは今回のエステの仕入れリストから判断して?」
「そうですね……今回の積み荷のほとんどがアンティーク家具や雑貨みたいでしたし」
「で、そのリストの内容、アナちゃん的にはどう思ってる?」
「それむしろこっちが聞きたいですよ。エステさん、まさかこっちで家具屋でも始めるつもりでいるんですか?」
そう、エステは今回、何を考えてか大量の雑貨類をうちの事務所の倉庫に持ち込んでいる。
その中には収納家具をはじめとする大型のものも含まれており、アナちゃん曰く倉庫の肥やしになることは目に見えているということだった。
実は私も、今回のエステの考えていることはよくわかってはいない。
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目的地である倉庫のカギを開けると、そこにはたくさんの雑貨類が無造作に積み上げられていた。
その中でも特に存在感のある天蓋つきのベッドで、エステは余所行きの服のままで仰向けになって眠っている。
これはさぼっているのではない、へばっているのだ。
彼女は旺国から持ち込んだ家具を誰の手も借りずたった一人で整理していた。
特にこの天蓋ベッドなどは、ばらして運んで組みなおしたというから大変な力仕事であったのだろう。
アナちゃんは役所へ提出する報告書類をまとめる過程で、事前にエステがアンティーク雑貨をしこたま倉庫に持ち込んでいたことを知っていたはずだった。
だがそれでもなお、彼女はこの倉庫内の光景を前に完全に固まってしまっている。
いや、そうなってしまうのも無理はない。
ここに積まれた雑貨の山は、そのすべてが貴族が持つような一級品商材ばかりなのだ。
そしてこの倉庫内の光景を見て、誰よりも驚きの感情を露わにしたのは他ならぬ姫だった。
「……これ、私が子供の頃にお城で使ってた天蓋ベッドじゃないですか……!」
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ミツさんは旺国の品物を他国に流す旅商人。
だが以前説明した通り、その積み荷にララブ戦記のような旺国の「産物」はほとんど含まれていない。
ならばミツさんは普段何を商っているのか、その問いの答えがこれある。
持ち込まれた品物のほとんどは、旺国が我が国から領土ごと奪って行った収奪品の数々。
つまり、言い換えればそれは「過去の戦争で旺国に奪われた誰かにとっての思い出の品」。
特にこの天蓋ベッドなどは、姫にとっては子供時代の思い出が詰まった最高に分かりやすいノスタルジー。
それを買い戻すためならば、彼女はその少なからぬ財産を投げ打つことだろう。
――そう、王侯貴族はほかのどんな人種よりもはるかに金払いがいい。
それを知っているからこそミツさんは、危険を承知でこんな商売を続けているのだ。
「エステさん、このベッド絶対誰にも売らないで下さいね! これ、絶対意地でも私が買い戻しますから――!」




