ララブ戦記と旺文学(後編)
私が勝手に導眠術と呼んでいる、ウパにしかできない寝かしつけの技術。
これはカラカラと響く道具の音で、周囲の生き物を瞬時に眠らせる集団催眠のようなものだ。
彼女の手に握られているのは、ラトルと呼ばれる古びた陶器の寝かしつけ玩具。
私も以前触らせてもらったことがあるが、これは本当にただの子供の玩具でしかなかった。
なぜこんなもので人が眠るのか、私は以前から不思議で不思議で仕方がない。
「――ドミノさん、そんなことよりこの姫だいぶ体臭がひどいのですが」
「……うん、口に出そうか迷ってたけど率先してよくぞ言ってくれた。ありがとう」
私たちは暗くなってから、自分たちの浴場施設に熟睡中の姫を運び込むことにした。
目が覚めたらすぐさま例の個室風呂に放り込む予定である。
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……どういうわけか、今日は浴場の事務室に帳面仕事をしているアナちゃんがいる。
そうか、姫の騒ぎのせいで今日は事務所に鍵がかかったままだったっけ。
そして私たちは、運び込んだ熟睡中の姫をシーツを敷いたソファヘ。
その顔を、しげしげとアナちゃんがのぞき込む。
「……あ、その人が例の《ララブ戦記》目当ての……ええ、話は聞いてます、シーナさんから」
「あれ、アナちゃんあの旺国の本のこと知ってたの?」
「ええ、知ってます。あれってハンス君が昔から猛烈に好きな外国の本ですもん」
ハンス君が朝の配達ついでに事務所にちょこちょこ顔を出していたのも、あの本のためだったとわかれば完全に納得がいくのだそうだ。
「でも、まさかあの本が禁輸品だったなんてことは思ってもみませんでしたけどね。
道理で詳しいこと、何ひとつ私に教えてくれなかったはずですよ――」
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――しばらくして姫が目を覚ます。
姫はどうやら空腹らしく、私に何か食べるものがないかと要求してくる。
まあ、なくはない。ミツさん御一行の男衆に食べさせるために買い込んできた食事の残りがあったはずだ。
それでいいかと尋ねると、食べられるものなら何でもいいと姫は答える。
……まあ、そう答えるだろうと思っていた。
基本的にこの姫、食べるものにあんまりこだわりはない。
「――うわっ!ドミノさんこれ「マルメロジャム」ですよ!いったいどこで入手したんですかこんなもの!」
……前言撤回、姫がハンス君の作った皮のジャムにものすごい食いつきを見せる。
えっ、いやいや、これ輸入品じゃないよ。
普通にさっきのパン屋で買えるハンス君が作った品物だから――。
姫曰く、なんでも《ララブ戦記》にまったく同じ柑橘のジャムが出てくるのだそうで。
ああなんだ、これってハンス君が作中の料理を再現したものだったんだ――。
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――食事を済ますと姫は何も言わず風呂へと直行。
うん、自分がなんでここに運ばれてきたのか姫はちゃんとわかってるみたいだね。
そして従業員風呂から私たちのいる部屋へと姫は戻ってくる。
そこでアナちゃんに促された姫は《ララブ戦記》についての愛を私たちに熱っぽく語り出した。
「《ララブ戦記》は戦記物のフィクションなんですけど、そのベースはおそらくは今の旺国文化そのものなんです。軍事、政治、経済、宗教、生活や食文化、果ては死生観まで。それらがきちんと完成された読み物として盛り込まれています。読め読むほど発見があって、奇抜な発想や新しい概念の目白押し。ええ、実感できますよ、こんな国相手に私たちが戦争で勝てるわけなかったんだなあって――」
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そして短い食休みの後、私は姫とふたりで再びハンス邸へ。
部屋を覗くとおや、2冊あったうちの小さな冊子のほうに紙片がびっしり張り込まれている。
これは何かと尋ねたら、姫の口からなにやら意外な答えが返ってきた。
「これ、旺国の作者さんに送り返す分なんですよ。絵物語から私たちが読み取れた内容を、私たちの国の言葉で紙片に可能な限り書き連ねて送り返すんです」
例えばりんごの絵の描いてある所には「赤い」「りんご」「果物」、恋人の別れのシーンらしき絵の所には「悲しみ」「涙」「失恋」などと紙片に書いて張り付けるのだそうだ。
「で、その紙片をもとに旺国の誰かさんがこんなふうに単語対応表をまとめてくれるってわけです。ほら、これ見てくださいよ。旺国の人たち、私たちの本の理解ためにここまでのことをやってくれるんですから」
姫が散らかった床から拾い上げて私に見せてくれたのは、きちんと頑丈に綴じられた紙の束。
表紙には《暗旺単語対応表》と書かれているのだが……暗旺……あれ、これっていつごろ作られた対応表?
もしかして、我が国の国名ってまだ【暗国】のままだったっけ?
「……はい、残念ながらいまだに【暗国】のままですよ。【暗】は縁起が悪いから改名すべきって意見は頻繁に出るんですけどね……」
……なんでも、命名者である王様が意固地になって反対意見をつっぱねているのだという。
ちなみに暗国の国旗はその名の通り黒一色、この国の王も相当の変わり者なのである。




