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ララブ戦記と旺文学(前編)


 ――姫が突然、ハンス君の家に泊まりたいと言い出した。


 そのお目当ては、今日彼がミツさんから受け取ったという例の絵物語「ララブ戦記」。

 もう、何が何でも読んで帰りたいのだという。

 でもそれ、わざわざ泊まるほどのこと?

 ハンス君に頼んであとで貸してもらえばいいんじゃないの?

 

「ドミノさん、駄目なんです。この本はもう原則僕の部屋から動かせないものと思ってください。貸し借りはもちろん、売買も複製も一時的な持ち出しもダメ。もしそれが守れなければ、もう続きは持ってこれないってミツさんにきつく言われてるんです」


 ……厳しすぎですよね? と、ハンス君が肩をすくめながら私にそう説明してくれる。

 いやまあ、そこはどうなんだろうね。

 展開次第ではハンス君だって芋づる式で捕まらないとは限らないわけだし……。


 まあ、どのみち私ごときに王族の決定を止められるだけの力などないのだ。

 お泊り自体は姫の自由にすればいいだろう。

 ハンス宅ならシーナちゃんなりご家族なりもいるだろうし、私だって気楽に立ち寄れる。


 ――で、姫様はこちらに何泊のご予定で――?


**


「いやーほんと、あのハンスがうちに女の子連れてくるなんてね……」


 シーナちゃんと母親の会話がわずかだが二階のハンス君の部屋にまで聞こえてくる。

 でも「ララブ戦記」に夢中な二人の耳には周りの音なんて全く入ってこないみたいなんだよね。


 この絵物語どういうわけか同じ内容の冊子が大小ワンセットで2冊あり、今回はふたりでそれぞれを一冊づつ読んでいるようだ。

 で、食事を下で一緒に食べようって誘っても二人そろって聞いてない。

 私が部屋に食事を運んで飲み食いしながら黙々と本を読んでる。

 そしてなにより驚いたのが、ハンス君に姫をもてなそうという意識がまったくないということだ。


 ……わかってる? その君の隣でもぐもぐしてる子、この国のお姫様なんだからね?


**


 そして夜がきて、私は夢の配達の仕事へ。

 そして朝。仕事をいつもより早めに切り上げてハンス邸へ。


 よしよし、ハンス家の朝の配達の時間までには戻れたぞ。

 おっいたいた、おはようハンス君。

 で、ララブ戦記どうだった?面白かった?


 ――え、ふたりしてほぼ何もわかってない?


「だって旺文の本ですよ? 外国の本が一晩で解読とかありえないですから」


 ハンス君がどこか誇らしげにそう言うと、それを聞いていたのか姫が二階の窓から顔を覗かせる。

 そして、ここからが本番とばかりにビッと親指を立てて見せた。

 どうやらこのふたりとも、本の解読に夢中になりすぎて今晩は一睡もしていないらしい。


 えっ、いつも三日以上寝ないの当たり前……。

 うん、若いってすごいね……きみらそのうち死ぬからね……。


--


 ハンス邸二日目。

 姫が自宅から自前の旺文資料を持ってきた。

 その中には城の旺文学者たちが書き溜めた研究資料なども含まれており、ハンス君大興奮。

 ……というか姫、めちゃくちゃ近くに住んでたんだね。私はむしろそっちのほうに驚いたよ。


 ハンス邸三日目。

 シーナちゃん曰く、ハンス君の仕事中の居眠りが目立つようになってきたそうだ。

 当然である。本来人間は回復のために眠る生き物。

 疲労が溜まれば抗いがたい睡魔に襲われたりすることもあるだろう。

 だが姫はそんな睡魔との戦いに慣れているようだった。

 連日連夜朝から晩まで本の虫。ものすごい集中力で楽しそうに旺文単語の対訳表とにらめっこしている。


 ハンス邸、ついに不眠生活が五日目に突入。

 ふたりの望んでやっていることとはいえ、さすがのことにご家族も心配をし始めた。

 私が様子見に部屋に入ろうとすると、姫がこちらに笑顔を向けて親指を立てる。

 そう、まだまだこれからが本番だと言わんばかりに――。


**


 ――ハンス君の部屋から、カランカランと小さく乾いた音が鳴り響く。


 それに続いて、ふたりが静かに床に崩れ落ちる音。

 そっと部屋を覗くと、二人はばったりと気絶するように各々の場所で眠りに落ちていた。


 その部屋の真ん中には、私が携帯狼煙で呼び寄せたウパが立っている。

 そう、まさに今、彼女があのカランカランでこの二人を眠りの世界へといざなったのだ。


 私としては、さすがにこれ以上の無茶を黙って見ているわけにはいかなかった。

 人間にとって睡眠というものは、命に並ぶほどは大切なものなのである。

  

「……でもドミノさん、よかったんですか? 二人とも否応なしで眠らせちゃいましたけど」

「んーまあいいよ、責任は私が持つ。姫の目なんかだいぶ赤濁っててやばそうだったしね――」



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