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八章 ゲルセマ町

 パンケーキ騒動から二日後。

 いつものように奇跡部門室へ行くと、珍しく朝からケテルがいた。だというのに、ルーベンはいつも以上に眉間に皺を寄せている。まさか、エミリオが紅茶のティーバッグを拝借しているのがバレたのだろうか。

「お、おはようッス、先生。あの、どうかしたッスか?」

「おはよう、エミリオ。実はまた、奇跡調査に行くことになったのだが……」

「わたしも、一緒だよ」

 重々しいルーベンの言葉の途中で、ケテルがパタパタとエミリオに駆け寄って来た。ほんの少し、嬉しそうに見える。

「え、ケテルも!?体は大丈夫なのか!?」

「私も、それが心配でね……」

 ルーベンは困ったように、ため息をついた。日常生活には慣れてきても、出先ではまた環境が違う。急に体調が変化する可能性もあるだろう。

「わたし、最近体力作りのために、運動もしてるんだよ。貧血になることも、減ったし。調査に行くのも、そんなに遠くない町って聞いたもん。大丈夫だよ」

「そうは言ってもなぁ。先生、許可しちゃったんスか?」

 きっとケテルがゴリ押しして、ルーベンが折れたのだろう。ケテルは時折、ダイヤモンドより固い頑固さを発揮する。

「今回はケテルもいた方がいいだろう、という聖皇猊下の判断なのだよ」

「はっ?聖皇様の?」

「一昨日、退魔部門から呼び出しがあっただろう。その件でなのだが……」

 予想外のお方の名に、エミリオは慄いた。エミリオ達が和気藹々とパンケーキを食べていた間に、深刻な話があったのだろうか。

「正確には奇跡申請ではなく、退魔部門に通報があったのだよ。ただ、その内容が奇跡かもしれないということでな」

「通報が奇跡ッスか?」

 ルーベンが歯切れ悪く言うので、エミリオにはさっぱり分からない。言いあぐねているルーベンに痺れを切らしたのか、ケテルが口を開いた。

「《魔蛇》がね、町の近くで飼われてるんだって。それが怖くて、通報してきた人がいるみたい」

「《魔蛇》を飼う!?いや、でも、不可能だって本に!っていうか、まず違法じゃないッスか!」

 《魔蛇》は餌を与えても懐くことはなく、用意した檻も簡単に壊してしまったという。共存について以外にも、生態に謎の多い《魔蛇》は長年研究されている。なぜ、《祝福》でしか鱗を溶かせないのか。なぜ、《祝福》でしか毒を解毒できないのか。なぜ、他の爬虫類と明らかに違う進化を遂げたのか。ごく一部の研究用にだけ、厳重体制の元で《魔蛇》の管理が認められてはいるのだ。しかし、研究者が殺されてしまったという話も多い。噂ではあるが。

 ケテルに言われてしまい、ルーベンは観念したようにため息をついた。

「……もし本当に《魔蛇》の飼育に成功しているのなら、奇跡に匹敵するだろうということでな。場合によっては、罪に問うことはしないということだ」

「うええ……。ならせめて、ティファさんとかイェソドに、ボディーガード頼めないッスかね?」

「私も《退魔師》の協力を願ったのだが、退魔部門も立て込んでいるようでな。《魔蛇》に近付かず、様子を見るように言われてしまったのだよ」

「だったらなおさら危なくて、ケテルを連れて行くのはどうかと思うッスよ!」

 そもそも、恐ろしくて気色が悪い《魔蛇》を飼おうという考えが理解できない。飼うことに、何のメリットがあるのだろう。間近で見て、じっくりスケッチでもするとういうのか。エミリオなら、全力でお断りだ。ディシド村で張りぼてを作るために画像を検索した時ですら、生理的嫌悪感で中々に苦痛だったというのに。

 《魔蛇》のことでげんなりしていると、制服の裾をケテルが引っ張った。

「逆だよ、エミリオ。だから、わたしがいた方がいいの」

「逆?どういうことだ?」

「何かあった時、簡単な治療ができるし。それに、《魔蛇》に対抗できるのは、《祝福》だけだから」

「そういうことか……」

 だとしても、訓練を積んでいる《退魔師》とは根本から違っている。エミリオとしても、ルーベンとしても、ケテルが危険な目に合うのは避けたいのだ。ただでさえ、人形のように四年間も利用されてきたのだから、幸せに過ごしてほしい。特別ではない、普通の女の子として。

「《祝福》の使い方の練習も、ちゃんとしてるんだよ。力を使い過ぎないように、加減できるようになってきたし」

「私達が戻るまで、ケテルを不安にさせるのも精神的によくない、ということでな。いっそ、万が一の時の治療役としてケテルを連れて行くように、聖皇猊下から仰せつかったのだ。後は、私達が気を付けるしかあるまい」

 ルーベンも理解はしていても、納得はできていないのだろう。眉間の皺が一層深くなっている。

「聖皇様に言われたんじゃ、しょうがないッスね……。いいかケテル、絶対に無理はするなよ。気分が悪くなったら、すぐに言うんだ」

「ん。分かった」

「家庭を持つ、というのはこういうことなのだな……。辞めていった者達の心境を、今更理解したよ」

「先生は辞めちゃダメッスからね!オレとケテルが路頭に迷うことになるッス!」

「ケテルを養うくらいの貯金はある。だが、私も仕事に誇りがあるからな。辞めるつもりはない」

「オレを!省かないでほしいッス!」

 サラッと存在を省かれ、エミリオは思わず叫んでいた。


*   *   *   *


 調査の支度をして、翌日。

 三人が訪れたのは、汽車で一時間半、バスで一時間ほどのゲルセマという町だった。聖都アーテルボルには当然劣るが、ラペト村やディシド村に比べてずっと広く人も多い。バスの本数が少ないということも、長時間歩くということもなく、エミリオは神に感謝した。ちなみに、ケテルの真新しいアクアブルーのトランクケースはエミリオが持たされている。

「《魔蛇》を飼ってる人は、町から離れたところに住んでるんだっけ」

 いつも通りの奇跡部門の制服を着たケテルが、町を見回して言った。

「そういえば、今回は何で私服じゃなくて制服なんスか……」

 ケテルの可愛らしい私服が見られると思っていたエミリオとしては、拍子抜けである。早々に、数少ない楽しみを奪われてしまった。

「何しろ、今回は《魔蛇》が主題だからな。一般信徒が話を聞きに来る方が不自然だろう。直接奇跡認定人として行った方が、詳しい話を聞きやすいと思ったのだよ」

「そりゃ、普通の人は好きで《魔蛇》に近付こうなんてしないッスよ……」

 エミリオとて、できれば勘弁してほしい。《魔蛇》を見たのは、四年前のラヴェニア教会の近くへ来た一匹だけだが、しっかりトラウマになっている。テラテラと光る鱗、大きな口と牙、長い胴体をくねらせながら徐々に迫り来る様子。小型種ではあったが、窓を割って侵入してきたらどうしよう、という焦燥と恐怖があったのを覚えている。

「まずは宿を確保しよう。ケテルも疲れただろう?」

「ん、ちょっとだけ」

「オレは一刻も早く、荷物を預けたいッス」

 二人分のカバンを持つのは、地味に辛い。


 町の中心部で、値段的の高すぎない三人部屋を取り、一息つくことにした。

「うむ……。できれば二部屋続きのコネクティングルームがよかったのだが、ちょうどいい宿がなかったな」

 ルーベンは神妙な顔で、ベッドが三つ並ぶ部屋を眺めた。女性であるケテルと、エミリオとルーベンが同室なのはいかがなものか、ということらしい。けれど、ケテルと部屋を別々にして、ケテルの急な体調変化に気付けないのも困る。結局、宿の空き部屋の関係もあり三人一緒で落ち着いた。

「わたし、気にしないのに」

「だが、着替えの問題もあるだろう」

「だいじょぶ、バスルームで着替えるよ」

 ケテルは部屋に備え付けのバスルームを指した。ケテルは儚げな見かけによらず、カラッとした性格である。

「ケテルがいいなら、それでいいんじゃないッスか」

「う、うむ、そうか……」

 ラヴェニア教会では、ローザとジーナの着替え中にうっかりジャンが入ってしまい、部屋中の物を投げ付けられていた。服や小物を投げるくらいならいいが、分厚い本を投げて壁に穴を開けるようなことは止めてほしい。

「町の様子は普通ッスね。特に《魔蛇》に怯えてたりはしないみたいッス」

「《魔蛇》のところまで、どれくらい距離があるの?」

「え、ああ、徒歩で四十分程の、隣町との境にある山の近くだそうだ」

 まだ思い悩んでいるのか、ルーベンは珍しく呆けた顔で答えた。

「やっぱり歩くんスね」

「通報された話では、そこにあった空き家に一年前に突然住み始め、《魔蛇》と暮らし始めたそうだ。《魔蛇》のための、広い庭もあると聞いたぞ」

「……まさか、放し飼いじゃないッスよね?」

 危険生物に、とんだ快適空間である。

「一応は、庭全体が柵と網で覆われているらしい。どの程度の強度なのかは、見てみないと分からんがな」

「網って……。有刺鉄線じゃないんスか」

「でも、刺があっても、《魔蛇》には効かないんじゃない?」

 ケテルが不思議そうに言うが、精神的にただの網より安心できる気がする。一番いいのは、四方を鉄の壁で囲んでしまうことだろう。

「それにしても一年前って、結構前ッスね。すぐに通報されなかったんスか?」

「飼育者の家以外には近隣に民家がなく、初めは《魔蛇》を飼っていることに気付かなかったらしい。ある時、近くを通った町の住人が庭を蠢く影を目撃して発覚したそうだ」

「見た人、びっくりしただろうね」

「びっくりどころか、引っくり返ってそうだよ……」

 エミリオは蒸らしすぎた紅茶を飲んだ時よりも、苦く渋い気持ちになった。発見者にとっては、軽いホラー体験だったのではないだろうか。

「何度か駆除してほしいと町側が説得したものの、聞く耳を持たず通報に至る、ということだ」

「普通はそうなるッスよね。脱走して町に侵入されたら困るし」

「数年前に、まさにそんな事件があったな。町に大型の《魔蛇》が数匹入り込んで人々を襲い、二十人近い死傷者が出たのだよ。近年で最も被害の多い、痛ましい事件だ。ペラゴレス通り事件、と言ったかな」

 ルーベンはほんの少しだけ、顔を曇らせて言った。その事件について、エミリオもトーマス神父から聞いた覚えがある。かつてラヴェニア教会に近付いた《魔蛇》をエミリオが退治できなければ、似たような事態になっていたかもしれない、とも。

「通報した人も、まさか《退魔師》じゃなくて、奇跡部門が来るなんて思わなかっただろうね」

「ともかく、行ってみない事には何も分からん。百聞は一見にしかずと言うだろう。昼食を取ったら向かうぞ」

「うぅ、もうッスか……」

「ケテルも平気そうかね?」

「ん、だいじょぶ」

 気乗りしないエミリオとは逆に、ケテルはしっかり頷いた。


*   *   *   *


 その家は、本当に周りに何もないところにぽつんと立っていた。

 生成り色の古びた二階建ての家より、隣に広がっている庭の方が圧倒的に広く、そちらに目がいってしまう。庭は二メートル程の柵と、天井部をワイヤー製の網で覆われていた。《魔蛇》のことを知らなければ、何事かと思う作りだ。

「思ったより、しっかりした作りみたいッスね」

「これが《魔蛇》にどの程度有効なのかは、分からんがな」

 ルーベンが真顔で怖いことを言う。恐る恐る柵の隙間から庭を覗いてみるが、近くに《魔蛇》の姿はないようだった。

「でも、中のお庭は、すごく綺麗だよ。お花もたくさん咲いてるし。《魔蛇》が住んでる、っていう風には見えないね」

 エミリオの横から中を覗いて、ケテルが言った。庭は手入れが行き届いているようで、彩り豊かに木や花が咲いている。庭の隅には、スコップやら肥料やら、大きな剪定ばさみが置かれていた。《魔蛇》と言えば、基本的に薄暗い森や山のイメージなので不思議ではある。

「元は空き家だったそうだから、初めからそういう庭が付いていたのを利用したのだろう」

「そんなもんッスかね」

 ルーベンはきびきびと玄関のドアに歩み寄り、呼び鈴を鳴らした。

「留守だったら、一旦町に戻るッスか?」

「一応、今日中に本部から人を寄こすと、町から連絡をしてもらっているはずなのだが」

 《魔蛇》が近くにいるような場所で、長時間待ちぼうけなどしたくない。留守なら宿に戻りたいとエミリオが思っていると、家の中からバタバタと足音が聞こえてきた。

「はいはーい!どちら様ですかー?」

 すぐに出てきたのは、調子の軽い若い男性だった。二十代前半くらいだろうか。庭と言い、男性と言い、どうにも《魔蛇》と結びつかない。もっと、いかにもな研究者とその施設を想像していたので裏切られてしまった。

「初めまして、本部から来たルーベン・クレメンティと申します」

「……一般職員の方とは制服の色が違いますね。もしかして、《退魔師》の人ですか?マー君を駆除なんてさせませんよ!」

 ルーベンを見て、男性は急に敵意を見せた。本部から人が訪れることは聞いていても、誰が来るかまでは伝えられていなかったようだ。そもそも、本来ならば問答無用で《退魔師》が押し入ってもおかしくない案件のはずである。

 眉を吊り上げる男性に、ルーベンは落ち着いて続けた。

「いえ、私達は《退魔師》ではありません。奇跡認定人です。《退魔師》の制服は紺色ですから」

「あれ、そういえばそうだったかも?なら、どうして奇跡認定人の方が僕のところに?マー君のことじゃないんですか?」

「……あの、マー君っていうのは?」

 思わず、エミリオが口を挟んだ。

「マー君は、僕の友達なんです!とってもいい子なんですよ!あ、フルネームはマラカイト君って言います!」

「ええと、それは《魔蛇》のことでしょうか?」

 男性のテンションに圧され、ルーベンはやや引き気味に尋ねた。

「はい、生物区分的にはそうなりますね。でも、マー君は他の《魔蛇》とは違ってお利口さんですから」

「はぁ」

 大丈夫だろうか、この人。嬉々と話す男性に、エミリオは気力をごっそり削られた。ルーベンも同じことを思ったのだろう。僅かに眉間の皺が深くなっている。

「あっと、失礼しました、僕はマウロ・ドッティです。それで、結局ご用件は何でしょう?」

「……ドッティさんが《魔蛇》の飼育に成功したという話を聞き、それが本当なら奇跡に匹敵するということで参りました」

「えっ、奇跡!?マー君がですか!」

「なので、お話を伺いたく……」

「わああ、マー君すごいなぁ!町の人には心無いこと言われたけど、こんなこともあるんだ!」

 一人で盛り上がり出したドッティに、ルーベンは小さくため息をついた。エミリオは慌てて、小声で言う。

「先生、しっかり。きっと、変わってるだけで悪気はないんスよ」

「大丈夫だ、君のおかげで大分慣れた」

 眼鏡のブリッジを押さえ、ルーベンは弱々しく言った。


 ドッティがようやく落ち着き、エミリオ達が通されたのは二階の応接間らしき部屋だった。真新しい、柔らかめのソファに促され座る。

 窓からは、美しく広がる庭がよく見えた。鮮やかな緑と季節の花が庭全体に広がっており、所々に石畳の通路や生垣のアーチが配置されている。奥の方は元々あったものなのか、木々が覆っていて全体を見渡すことはできなかった。敷地内から見ると、華やかな庭に対し、物々しい柵と網が異物のように映ってしまう。こんな状況でなければ、庭を描かせてもらいたいくらいだった。

 《魔蛇》の姿はやはり見当たらないので、どこかに身を潜めているのだろう。

「まず、どのように《魔蛇》を捕獲したかお聞きしてもよろしいですか?」

「捕獲だなんて、そんな!僕とマー君は、出会った時にピーンときたんです。次の瞬間には、僕達はもう友達でした!」

 ルーベンは記録を取るためにメモ帳と万年筆を取り出したが、のっけから手が止まってしまった。非常に解釈に困る返答である。詳しく聞こうにも、これまでの会話からして、要領を得ない答えが返ってくるのは目に見えている。まるで、ケテルより幼い子供のような言動だ。

 ルーベンはたっぷり一分近く黙った後、質問を変えた。

「……遭遇した時に、襲われたりしなかったのですか?」

「マー君は大人しい子ですから、そんなことしません。僕達は一心同体なんです」

「餌は何を与えているのですか?」

「基本的には、お肉です。果物なんかもあげてみたんですけど、好きじゃないみたいで。結構グルメなんですよねー」

「…………そうですか」

 ドッティとの会話だけで、ルーベンは見るからにダメージを受けてしまっている。流石に、このテンションとエミリオを一緒にしないでほしい。

「では、《魔蛇》が暴れたり、脱走したことは?」

「ないですよ!町役場の人があんまりしつこいので網を張りましたけど、一度も穴が開いたことはありません。網の代金は、半分町役場の人に払ってもらいましたけど」

 つまり、抗議があるまでは柵だけだったということだろうか。それは町の人も気が気でなかっただろう。この人の感性は、中々に常人とズレているようだ。

「お庭、綺麗ですね。ドッティさんが、お手入れしてるんですか?」

 話が進まないせいか、ケテルが窓の外を見て話題を変えた。

「ありがとうございます、お嬢さん!僕は庭師なので、庭の手入れは頑張っているんですよ!」

「庭師さん、なんですか」

「ええ、この辺りの町から依頼を受けて、お庭を造ったり整えたりしています。この家の庭は美しさだけじゃなくて、マー君が住みやすいようにも気を付けてますよ」

「《魔蛇》が荒らしたりしないんですか?」

「マー君は木もお花も大好きですから、お庭を大事にしてくれてます。ただ、マー君は体が大きいので、時々通り道にあるお花は潰しちゃうんですよね」

 それは、荒らしているようなものではないだろうか。エミリオとルーベンが精神的な疲労を滲ませていると、

「あっ!」

 ドッティは急に立ち上がって窓へ駆け寄った。

「ほら、皆さん、マー君が日向ぼっこに出てきましたよ!可愛いでしょ!」

「えっ」

 見たいわけではないが、見ないわけにもいかないので、のろのろと窓の方を向く。

「…………あれ?」

 庭の中央近くの木陰から、のっそり顔を出した大型の《魔蛇》は、少しエミリオの記憶と違っていた。ルーベンも同じようで、「うむ?」と小さく呟いてる。

「うわ、《魔蛇》って、あんなに大きいんだね」

 本物の《魔蛇》を初めて見たケテルだけが、目を丸くして驚いている。

「えっと、ドッティさん。あの《魔蛇》、随分鱗の色が明るいですね」

「そうなんです、綺麗でしょう!普通の《魔蛇》と違って、孔雀石マラカイトみたいな色だからマラカイトって名前にしたんです!」

 無邪気に笑ってドッティは言う。かつてエミリオがラヴェニア教会で遭遇した《魔蛇》も、本で見たものも、もっと暗く茶色に近いオリーブ色だった。庭にいる《魔蛇》の鱗は、ずっと色味が明るいマラカイトグリーンをしている。《魔蛇》はエミリオ達に気付くこともなく、ゆっくりと草の間を這って庭に消えていった。

「あの《魔蛇》は、最初からあの色なのですか?」

「はい、もちろんです。ペンキで塗ったりしてませんよ」

 ドッティは胸を張って答えたが、そういう問題ではない。どうやら特殊なのはドッティではなく、あの《魔蛇》の方のようだ。


*   *   *   *


 ドッティに話を聞いても、内容が分からず神経が磨り減るだけなので、エミリオ達はそそくさと宿に戻って来た。ドッティよりも、マラカイトという《魔蛇》が気になったというのもある。

「何だか、変わった人だったね」

「変わっているというか、おかしな方向に気力が溢れているというか……。最近の若者にはついていけんな」

 ルーベンは眉間を押さえながら、盛大なため息をついた。若者というより、ドッティが独特なだけである。

「それで、戻ってきて早々に君は何をしているのだね」

「いやー、あの《魔蛇》綺麗な色だったし、スケッチしておきたかったんスよ」

 刺々しくルーベンに言われ、エミリオは苦笑した。ベッドの上に広げたクロッキー帳には、描いたばかりの《魔蛇》が並んでいる。描くつもりなど微塵もなかったが、珍しい《魔蛇》を目にし、どうしても心が疼いてしまったのだ。今回はクロッキー帳だけで絵の具は持って来ていないため、肝心の色が塗れないのが残念だ。

「色、珍しいの?」

「ケテルは、オレがディシド村で作った《魔蛇》の張りぼて覚えてるか?」

「うんと、何となく。雨に濡れて、しなっとしてたね」

「違う、そこじゃない。今日見た《魔蛇》より、暗い色をしてただろ?」

「そういえば、もっと、茶色っぽかったかも?」

 ケテルは小首を傾げた。あまりはっきりは覚えていないのだろう、意識自体が朦朧としていたのだから仕方ない。エミリオは《情報端末》を起動し、なるべく《魔蛇》がアップになりすぎていない画像を検索した。

「気持ち悪かったらごめんな、だいたいこんな色なんだ」

「本当だ、マー君とは色が違うね」

 画面を覗き込み、ケテルは落ち着いて言う。ラヴェニア教会の女の子達は、絵でも《魔蛇》を気持ち悪がったので新鮮な反応だ。思い返せば、ドッティの家でも《魔蛇》の大きさに驚いてはいたが、嫌悪感を持っている様子はなかった。聖女をやらされ、人々の浅ましさを身近で見たことで、多少のことでは動じなくなったのかもしれない。もしや、エミリオとルーベンのあれやこれやの心配は過保護だっただろうか。

「ふむ……。色の鮮やかな《魔蛇》というのは、極稀に記録にあるようだな」

 自分の《情報端末》を操作していたルーベンが呟いた。

「その綺麗な《魔蛇》って、性格も大人しいんスか?」

「そこまでは記録にないようだ。単に、目撃情報が残っているだけだな」

「まぁ、色が少し違うからって、普通《魔蛇》に近付いたりしないッスよね……。ドッティさんがアレなだけで」

 ドッティの思考回路はどうなっているのだろう。抗議に行ったという人も、ドッティがあの調子では苦労したのではないだろうか。

「ってか、結構若い人だったのに、よくあんな家買えたッスね」

「あの家は町から離れている上に、庭が広すぎるために長らく買い手がつかなかったようだ。そのせいで庭は荒れ果て、かなり破格の値段になっていたらしいな。それでも流石にローンを組んだようだが」

 《情報端末》で今回の資料を確認し、ルーベンが答えた。荒れ果てていた広い庭を、あそこまで美しく整えたならドッティの仕事の腕は確かなのだろう。その情熱を少しでいいので、コミュニケーションにも回してほしい。ローンを借りた時は、大人しくしていたのだろうか。

「仕方ない、明日はドッティさんに抗議したという町役場に話を聞きに行こう」

「まともな話が聞ければいいんスけどね」

「町役場には私とケテルで行くから、エミリオは町でドッティさんについて聞いてみてくれ」

「うええ、オレだけ別行動ッスか?」

 ルーベンの指示に、エミリオは顔をしかめた。

「ドッティさんは庭師だと言っていたから、彼が仕事をしていそうな家を当たって話を聞いてみてほしい。仕事先では真面目にやっている……と思いたいのでな。そこでは、《魔蛇》のことも何か話しているかもしれん」

「希望的観測じゃないッスか……」

 エミリオは悲痛な声を上げたが、上司の命令には逆らえなかった。


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