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六章 森の中

 二日後。

 その日は朝から暗い雲がディシド村を覆い、雨が降っていた。

「大変です!ベルージ神父はいらっしゃいますか!」

 人々が聖女に祈りを捧げる中、ルーベンは血相を変えてルクゴール教会に駆け込んだ。

「おやおや、クレメンティ神父。いかがなさいました?」

 ルーベンの鬼気迫る剣幕に、ベルージだけでなく丸顔と鷲鼻の男達、祈りを捧げていた人々も顔を上げる。

「それが、村のはずれにある森に《魔蛇》が出たのです!」

「……何ですって?」

 ルーベンの言葉に、人々の顔色が一様に変わる。礼拝堂の隅にいたセリスも息を飲んだ。

「《魔蛇》だと……?」

「そんな、この辺りには何十年も出てなかったのに!」

「怖いわ、怖いわ!」

「皆さん、落ち着いて下さい!」

 騒ぎ始めた人々に、ベルージは大声で呼びかけた。それでも、混乱は中々収まらない。

「クレメンティ神父、それは本当なのですか?」

「はい、最初に気付いたのは弟子だったのですが……。彼は《魔蛇》が村に近付いたら大変だと、一人で森の方へ行ってしまったのです。私もギラギラ光る目と、緑色の鱗を見ました!」

 ルーベンの身振り手振りを交えた話を聞き、人々の動揺は大きくなっていく。丸顔と鷲鼻の男もベルージと一緒に人々を宥めるが、火が点いたような騒ぎには効果があまりない。数人は家族に知らせなければ、と教会から飛び出して行った。聖女だけが、変わらず静かに虚空を見つめている。

「どうにかなりませんか、ベルージ神父!我が弟子には、聖女様のような特別な力はないのです。ああ、今頃どうしているのか……」

「と、ともかくクレメンティ神父も落ち着いて下さい!皆さんが怯えてしまっています!まずは本部に通報……いや、しかし……」

 本部から人が来ては、ベルージの悪事が露見しかねない。迷っているベルージに、ルーベンは重ねて言い立てる。

「ええ、本部の救援を待っている暇などありません!どうか、弟子をお助け下さい!」

「そうは言われましても、《魔蛇》に対抗することなど我々には……」

 困惑するベルージを見て、ルーベンは聖女の方へ駆け寄った。

「聖女様、どうかその奇跡のお力で弟子をお救いいただけませんか。延いてはこの村を守ることになるはずです!」

「……そうだ、聖女様なら」

「聖女様、我々をお救い下さい!」

「我々に、奇跡を!」

 ルーベンに続き、人々が半狂乱で聖女に縋りつく。その光景は、一輪の花に醜い虫が群がるようで、ひどくおぞましい。美しい礼拝堂の内装と相まって、人の欲望が顕著に見えてしまう。

 人々のあまりの勢いにベルージ神父達も絶句していたが、聖女が椅子ごと倒れかねないのに気付き慌てて割って入った。

「皆さん、お気持ちは分かりますが聖女様がお怪我をされてしまいます!一度離れて下さい!」

 どうにか三人がかりで聖女を引き離したものの、今度は皆ベルージに縋りついた。

「ベルージ神父、《魔蛇》をどうにかできるのは聖女様のお力だけです!」

「《魔蛇》が村に入り込む前に、行動を起こさなければ!」

 口々に言われ、ベルージも流石に焦る。

「で、ですが、聖女様を危険に晒すわけには……」

「ならば、お役に立てるか分かりませんが、私が御供しましょう。弟子を探さなければ」

 ルーベンが名乗り出ると、人々はどよめいた。ちらほらと、拍手も聞こえる。ベルージは渋い顔で一瞬思案すると、丸顔と鷲鼻の二人に声をかけた。

「ディーノ、フレッド。二人も聖女様の御供をお願いします。クレメンティ神父お一人では荷が重いでしょう」

「そんな、私達も!?」

「ベルージ神父、あなたはどうするのです!」

 驚愕する二人に、ベルージは肩をすくめた。

「私は皆さんを落ち着かせなければ。このままでは、村全体がパニックになってしまいます」

 既に、教会の中は恐慌状態である。これが村全体に広がり、暴れ出す者や二次災害に繋がっては目も当てられない。ベルージが保身で言っているのは明らかだったが、人々を落ち着かせる者が必要なのも確かだった。

「聖女様を頼みます。どうか、奇跡の加護がありますよう」

 ベルージに言われ二人は嫌そうな顔をしたが、到底断れるような空気ではなかった。


 森へはルーベンを先頭に、丸顔のディーノが聖女を抱え、鷲鼻のフレッドが傘をさして進む。

「弟子が向かって行ったの、はこちらの方だったのですが……。土地勘がないもので、すみません」

「《魔蛇》は、もう森の奥へ行ってしまったのでは?」

 今にも戻りたそうにディーノが言った。華奢で軽そうとはいえ、聖女を抱えながら雨の中を進むのは辛いのだろう。地面も大分ぬかるんでいる。

「しかし、いつまた村の近くに出没するか分かりません。村人達も安心できないでしょう」

「それはそうですが……」

 村の人々の目がないせいか、二人はなぜ自分達が、という顔を隠しもしない。

「ベルージ神父は、いつも面倒事を私達に押し付けるのだから……」

「上手くいかなければ文句ばかり。全く、いい加減にしてほしい……」

 雨音で聞き取りにくいが、ディーノとフレッドはブツブツ愚痴を言い出した。どうやら、ベルージはあまりいい上司ではないらしい。

 雨音と三人の足音しかしない中、森をひたすらに進んで行く。しばらく歩くと、奥からガサガサと大きな音が聞こえて来た。一気に、三人に緊張が走る。音はどんどんと近付き、一際大きな音を立てて草むらから何か飛び出してきた。

「ハァ……ハァ……。先生に、聖女様……!?」

 出てきたのは、血まみれのエミリオだった。苦しそうに肩で息をしながら、フラフラと三人に歩み寄る。

「ああ、エミリオ!大丈夫なのか!」

「先生、すいません……。《魔蛇》を森の奥に追い返そうとしたんスけど、やっぱりオレには無理で……。早く、早く逃げるッス……!すぐに、アイツが追いかけて来るッス!」

 エミリオが怯えた表情で振り返れば、ディーノとフレッドは真っ青になった。

「ひぃ!聖女様、お助け下さい!」

「嫌だ、死にたくない!」

 二人は聖女と傘を放り出すと、悲鳴を上げて逃げ出してしまった。

「お二人共、お待ちください!」

 慌ててルーベンが追いかけると、背後からエミリオの絶叫が響いた。

「うわあああーッ!」

「エミリオ!?」

「先生ダメッス、早く逃げて!うわああ、聖女様ーッ!」

「ひぃぃ……!」

 余りの叫び声に、逃げるディーノとフレッドはさらに足を速めた。ルーベンも後ろを気にしつつ、エミリオの願い通り二人と一緒に走る。

 エミリオの声が遠ざかるくらい走ると、忽然と二人の姿が消えた。と同時に、絶叫と木の枝がバキバキと折れる音が聞こえてくる。

「ぎゃあああ!」

「おわあああ!」

 ルーベンはいきなり止まることもできず、足元から滑り落ちた。滑り落ちた先には、落ち葉と泥だらけのディーノとフレッドが転がっている。見上げれば、そこは三メートル程の急な斜面になっていた。上を走っていた時には気付かなかったが、奥には崖と川が見える。

「うぅ……。お二人共、大丈夫ですか?」

「ぐぅ、なぜ私がこんな目に……!」

「もう嫌だ、嫌だ……!」

 滑り落ちた時にそれぞれ足や腰を痛めたようで、蹲ったまま顔を歪めている。下にあった大量の落ち葉のおかげで、少なくとも骨折はしていないだろう。

 大した怪我はなさそうで安心としていると、崖の方から咆哮らしきものが聞こえた。三人はギクリと崖へ視線を向ける。ルーベンはハッと崖の上を指差した。

「お二人共、あれを!」

 そこには後ろ姿の聖女と、緑色の巨大な蛇がいた。

「ひぃ、《魔蛇》だ!」

「ああ、聖女様……!」

 遠目にも、《魔蛇》は聖女よりも圧倒的に大きい。恐らく大型種だろう。《魔蛇》はジリジリと聖女を崖の端へ追い込み、一気に近付いた。

「せ、聖女様が!」

「あんなに大きな《魔蛇》では……!」

 ディーノとフレッドが絶句すると、《魔蛇》の腹の辺りが眩く光った。次の瞬間、断末魔と共に《魔蛇》の腹が赤く染まる。

「おお、聖女様が奇跡で《魔蛇》に大きな傷を負わせたぞ!」

「聖女様、どうかお逃げください!」

 しかし、《魔蛇》は倒れることなく聖女に襲い掛かる。そのまま、聖女諸共《魔蛇》は崖から落ち──川に沈んだ。

「聖女様が、聖女様が!」

「何ということだ……!」

 ルーベンは川を見下ろしたが、雨で増水して流れが早く、もう聖女も《魔蛇》の姿も見えなかった。

「この流れの早さでは、助からないでしょう……。けれど、それは致命傷を負った《魔蛇》も同じはず。聖女様は自らを犠牲に、私達と村をお救いになったのです」

 ルーベンの言葉に、ディーノとフレッドは呆然と川を見つめていた。


*   *   *   *


「つっかれた~!もうこんなのは二度とやりたくないッス!給料上乗せしてほしいくらいッスよ!」

「確かに、エミリオが一番慌ただしかったな」

「でも、上手くいってよかったッス。途中でバレたらどうしようかと思ったッスよ……。聖女様もお疲れじゃないッスか?」

 雨の上がった翌日。

 宿の部屋で、エミリオはソファに座る聖女に声をかけた。相変わらず反応はないが、白いレースの服から普通の服に着替えたおかげで、人形のような雰囲気は薄れている。

「それにしても、先生が聖女様を死なせてしまえって言った時は焦ったッスけど。こういうことだったんスね」

 窓の外を見れば、盛大な聖女の葬儀が行われている。村中が悲しみに暮れる中、本人はここにいるのだから不思議なものだ。

「《聖女》は村を守って死んだのだ。だからもう、彼女は聖女ではないのだよ」


*   *   *   *


「聖女様は、『死なせて』差し上げた方が幸せなのかもしれません」

「ちょちょちょ、先生!?何言い出すんスか!」

 いきなり爆弾を投下してきたルーベンに、エミリオは正気を疑ってしまう。ソリスもとんでもない提案に固まってしまっていた。動揺のあまり、敬語ではなくいつもの口調でエミリオはルーベンに詰め寄る。

「そんなのひどいッス!全然幸せじゃないッスよ!」

「本当に死なせるわけではないぞ。《聖女》としての役割を死なせてしまえば、と思ったのだ」

「……すいません、オレの頭じゃよく分からないッス」

「端的に言えば、聖女様が死んだように見せかければいいのではないか、ということだ」

「死んだように見せかける……?」

 何となく言っていることは分かったが、真意までは理解できない。それが表情に出ていたのか、ルーベンはため息をついた。

「いいかね。ベルージ神父だけでなく、村人達からも聖女様を引き離す必要がある。だが、無理矢理連れ出せば暴動が起きかねない。ならば、聖女様がいなくなっても村人達が納得する理由が必要だろう」

「それは分かってるッスよ。う~ん、聖女様は体調が悪いから本部で治療する、とかじゃダメッスか?」

「それでは結局、体調が治ったら返せと言われるだけだろう。そしてまた奇跡を求めるだけだ。聖女様に依存しているのを止めさせなければ、同じことの繰り返しになりかねん」

「……聖女様が死んでしまえば依存のしようがない、ということですね」

 黙って聞いていたソリスが、落ち着いた声で言った。

「聖女様が亡くなったことにした後は、どのように?」

「本部へ連れて行き、医療部門で治療を受けさせたいと思います。投与されている薬のことは、私では分かりません。本人の意識が戻ったら、今後どうするか話し合おうと思います。ベルージ神父についても、然るべき処置を取るつもりです」

「……分かりました。私も協力します」

「うええ、ソリスさんまで!」

 進んでいく話に、エミリオはついていけない。

「だいたい、死んだことにするってどうするんスか!病死とか事故死ッスか?」

「病死では、医者を誤魔化すのが難しい。誰もがどうしようもないと思うような、事故死に見立てる方がいいだろう。死体が見つからない状況だと、詮索もされにくくて楽だが」

「そんな都合の良い事故なんて……」

 エミリオが無い頭を絞って考えていると、

「川への転落死、というのはどうでしょう。遺体が見つからなくても、不自然には思われないかと。村はずれの森には、大きな川が流れています」

 ソリスがすぐに提案してきた。

「ふむ、なるほど。では、どうやって聖女様を森へ連れ出すかですね。聖女様一人を連れ出すのは難しいでしょうし、目撃者がいないと信憑性が出ません」

「ソリスさんじゃダメなんスか?」

「私は薬の一件を知ってから、信頼されていないのです。ベルージ神父達三人の誰かが、必ず聖女様に付きそうと思います」

 申し訳なさそうにソリスは言った。

「となると、ベルージ神父達が聖女様を連れてでも森に行く理由がいるな」

「うええ……。奇跡でもないと、そんなのないッスよ」

「……奇跡、そうか奇跡か」

「はい?」

 エミリオの一言に、ルーベンは小さく頷いた。何か閃いたらしい。

「奇跡が必要になればいいのだよ。森に奇跡を起こしに行く必要があれば、聖女様とベルージ神父達は向かわざるを得ないはずだ」

「でも、どんな奇跡ッスか?森の天変地異を止めるとか?」

 最早それは、本当の奇跡になってしまう気がする。

「《魔蛇》はどうだろうか。森に《魔蛇》が出たから奇跡の力で退治してほしい、と。ベルージ神父は聖女様の力が《祝福》だと知っているはずだから、退治は可能だと思うだろう」

 《祝福》の効果の一つである、《魔蛇》を殺す力。それを知っているなら、奇跡と称して退治に向かう可能性はある。しかし、問題は山積みだ。

「三十年ほど前に森で小型の《魔蛇》が出たことがあるので、《魔蛇》の出没事態はありえないことではないですが……」

「どうやって《魔蛇》を連れて来るんスか?そもそもアイツらは人間に絶対懐かなくて、飼育不可能って本で見たッスよ」

 人間と《魔蛇》が共存できないかと研究されたことがあるらしいが、結果は全滅だったという。獰猛な《魔蛇》は餌を与えられても懐くことはなく、人間を見れば見境なく襲い掛かったらしい。そのため《魔蛇》を飼育したり、町のそばに誘導するような危険行為は法律で厳しく禁止されている。

「何、本物の《魔蛇》である必要はない。遠目にでも《魔蛇》だと認識できる偽物を用意すればいいだろう」

「偽物?どんなやつッスか?」

「エミリオ、君が《魔蛇》の彫刻を作ってくれないか」

「……………………はぁ!?」

 あまりの無茶振りに、エミリオは目を見開いた。

「君は芸術家志望だったのだろう?ノートに描かれていた絵も巧かったし、何とかしてくれないか」

「えっ、ノートの落書きに気付いて……?って、そういう問題じゃないッス!」

 一瞬違う所に意識がいきかけるが、エミリオが今一番言いたいのはそこではない。

「言っとくッスけど、オレは絵画専門ッス!チビ達に小さい人形を作ってやったことはあるけど、それは手の平サイズくらいッス!実物大の彫刻なんて作ったことないッスよ!」

「そうなのか?芸術家というのは、何でも作れるのかと思っていたが」

「そんなのは、天才的なごく一部だけッス!オレだって、オレだって!何でも作れるような才能がほしかったッスよ!」

「す、すまない」

 エミリオのあまりの剣幕に、ルーベンは素直に謝った。

「だいたい、彫刻なんて時間がかかりすぎるッス。すぐに作れるものじゃないッスよ」

「ふむ、困ったな……」

「あ、あの。では、張りぼてのようなものはどうでしょう?彫刻よりは、時間がかからないかと思うのですが」

 おずおずと、ソリスが別の案を出した。

「張りぼてですか。どうだ、エミリオ?君は絵の具を持って来ていただろう」

「う~ん、彫刻よりはマシだと思うッスけど……」

 張りぼても作ったことはないが、表面だけならきっと彫刻より楽だろう。絵の具が足りるか、心配ではあるが。

「まずは、《情報端末》で材料を調べてみないと。それから、《魔蛇》の画像って検索して出てくるんスかね?」

 何にせよ、資料がなければ始まらない。あまりまじまじと見たいものではないが、なるべく実物に近付けるためには仕方ないだろう。奇跡画には《魔蛇》を退治する聖人のモチーフがあるが、進んで描く気は起きない。エミリオの中では、滅多に遭遇しないのでゴキブリよりは多少マシ、くらいの位置である。

 エミリオが《情報端末》を起動しようとすると、ルーベンは怪訝な顔をした。

「君は本物の《魔蛇》を見たことがあるのだろう?画像などなくても、作れるのではないかね」

「んなわけないッス!見本や資料は大事なんスよ!イメージ通りに何でも作れたら、苦労しないッス!だいたい、オレが《魔蛇》を見たの何年前だと思ってるんスか!とっくに記憶の彼方ッスよ!」

「す、すまない」

 再びエミリオに怒られ、ルーベンは心なしかしょんぼりとして見えた。しかしすぐに気を取り直して、次に必要なものを述べる。

「川へ落とす聖女様の偽物も必要か。人形でもあればいいのだが」

「では、それは私が用意しましょう。聖女様の服に頭と手足を付ければ、それらしく見えると思います」

 エミリオとルーベンのやり取りに困惑していたソリスが、はっきりと申し出た。付き人であるソリスならば、聖女の服を調達するのは簡単だろう。

「では、お願いします。後は、どう一芝居打つかだな。ベルージ神父達が森に行かざるを得ないよう、人々が礼拝に来ている時にやらねば」

「オレ、お芝居なんてできないッスよ!」

 エミリオは激しく手を振って拒否した。長いセリフや、咄嗟のアドリブなど到底できる気がしない。すぐにボロが出て、怪しまれてしまうだろう。

「となると、私がやるしかないのか。私も自信はないのだがね……。ともかく、エミリオは《魔蛇》の用意を頼む。明日の礼拝の時間までに間に合わせてほしい」

「だから!無茶言わないでほしいッス!材料も用意しないといけないのに、一晩でなんて無理ッスよ!過労死させる気ッスか!せめて明後日にしてほしいッス!」

「そ、そうか」

 職人の苦労を分かっていないルーベンに、またもやエミリオの怒号が飛んだ。


*   *   *   *


「お芝居なんてできないって言ったのに、走ったり叫んだりさせるんスからもう……。おまけに、奇跡の光と《魔蛇》の腹が赤くなるギミックとか、注文多すぎッスよ」

 大急ぎで張りぼてを作り、ほぼ二日徹夜だったので体力的にも辛かった。昨晩はしっかり寝たが、どうにも寝足りない。ギミックは、懐中電灯の光と赤い絵の具をぶちまけただけである。張りぼてを完成させるには時間も材料も足りなかったため、前から見えない後ろ側は手抜きになってしまったが。

「エミリオが器用で助かった。聖女様の人形も、最終的に君が整えてくれたしな」

「ソリスさんが用意してくれたのも、よくできてはいたんスけどね……」

 今は川底だろう人形を思い出して、エミリオは遠い目をした。ソリスが手作りした聖女の人形は大きさも、毛糸で作った髪の色味もそっくりではあった。顔はなくていいとルーベンが言ったので、それはいい。ただ、果てしなく体のバランスが悪かったのだ。足が短く、首と腕が異様に長いその姿は、控えめに言ってもホラーだった。どうやら、ソリスは不器用だったらしい。仕方なく、エミリオが大急ぎで可能な限りバランスを調整したのだ。

「《魔蛇》の話をしたら、礼拝に来てた人達の狂乱ぶりがすごかったって、ソリスさん言ってたッスよ。先生、やりすぎたんじゃないッスか?」

「あれは私も予想外だったのだよ。あんなに大騒ぎになるとは思わなくて、内心焦っていたんだ」

 ほぅ、とルーベンは大きく息をついた。森で待機していたエミリオとしては、見たかったような見なくてよかったような、複雑な心境だ。

「ベルージ神父が上手く落ち着かせてくれたようで、安心したよ。それだけは彼に感謝しよう」

「ソリスさんが色々知ってたから、スムーズにいったッスよね。崖が見える斜面とか。ディーノとフレッドが、聖女様を置いて一直線に斜面へ逃げてくれてよかったッス。まぁ、聖女様の御供としてはどうかと思うッスけど」

 置いていかれた聖女は、タオルを被せてエミリオが保護した。エミリオが崖の上で張りぼてと人形を動かしている間、聖女もすぐそばにいたのだ。ちなみに、エミリオは聖女が決死の覚悟で逃がしたことになっている。

「偽物だって気付かれないか冷や冷やしたッスけど、二人が取り乱してたおかげで疑う余裕もなかったみたいッスね」

「いや、私から見ても違和感はほとんどなかったぞ。距離があった上に、雨で視界も悪かったからな。動きは多少不自然だったが」

「褒められてる……んスか?っていうか、結局ほとんど絵の具使い切ったんスよね。スケッチも全然できなかったッス……」

 特に、赤や茶色は血糊で大量に使ったためすっからかんだ。足りない分はトマト缶やらケチャップを使ったため、トマト糊を被ったエミリオは森で待機している間、愉快な匂いを漂わせることになった。雨で匂いが分かりにくくて、本当によかったと思う。

「仕方ない、絵の具くらいは買ってやろう」

「本当ッスか!」

「経費で情報部門に申請してみよう」

「えっ、経費で落ちるんスか……?」

 二人が話していると、ノックと共に声をかけられた。

「クレメンティ様、ソリスです」

「ソリスさん、お疲れ様です。葬儀の方は?」

 ドアを開ければ、喪服のソリスが立っていた。やはり、フードを被っている。

「順調に進んでいます。皆の悲しみ様は行き過ぎている気もしますが……。村を発つなら今の内です、バスの時間にも間に合うはずです」

「……そうですね。聖女様の意識が戻ったら、ご連絡します。色々とご協力ありがとうございました」

「とんでもないです!こちらこそ聖女様を助けていただき、ありがとうございました」

 ソリスはソファに座る聖女に、穏やかな視線を向けた。

「あの、今更なんですが、聖女様のお名前を聞いてもいいですか?」

「……聖女様は《聖女》になって以来、名前を呼ばれていないのです。きっと本人も覚えていないでしょう」

「え」

 エミリオが尋ねると、ソリスは首を横に振った。

「どうか、新しい名前を付けていただけませんか。《聖女》ではない、新しい名前を」

「で、でも」

「……あ……さ……」

 不意にエミリオの後ろから、か細い声が聞こえた。

「おかあ……さ……」

 聖女がソリスを見つめ、小さな声で呼んでいる。表情は虚ろなままなので、しっかり意識が戻ったわけではないようだ。

「は、え、お母さん?ソリスさんが?聖女様の?」

 狼狽えるエミリオをよそに、ソリスは聖女に歩み寄りその手を握った。

「あなたはここにいては、幸せになれないわ。お二人と一緒に、たくさんのものを見てきなさい」

「……聖女様は身寄りがないと言っていましたが」

「夫は八年前、崖から川に転落して未だに遺体が見つかっていないのです」

 ルーベンの問いに、ソリスは静かに答えた。まさか、それはエミリオが張りぼてと人形を落とした場所だろうか。

「悲しみに暮れ、精神的に弱っていたところをベルージ神父達に付け込まれ。《聖女》として担ぎ上げる手伝いをした、愚かな母などいらないでしょう」

 そう言って、ソリスは初めてフードを外した。フードに隠れていた、聖女と同じストロベリーブロンドの髪が露わになる。

「この子は私の生きがいです。けれど私では、この村では、幸せにしてあげられません」

「ソリスさんは、村に残るんですか?」

「ええ。私が急に消えては怪しまれるでしょうし、娘のように担ぎ上げられる子が出ないとも限りません。そうならないよう、見張る者が必要です」

 村人達の異常な心酔具合からして、可能性は捨てきれない。小さな村で、奇跡を知ってしまったが故の固執なのだろう。

「身勝手なのは承知です。どうか、この子にたくさんのものを見せてあげて下さい」

 ソリスは聖女の頭を撫で、母親の顔で優しく微笑んだ。それはさながら、一枚の絵画のような光景だった。


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