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三章 ラウルス寮

「では、今後のことだが……」

 仕切り直して、ルーベンが口を開くと。

 ぐぅきゅるるるぐう。

「す、すいません、気が緩んだらハラが減ってきて」

 エミリオは音がした腹を押さえて、あわあわと謝った。

「何だ、しっかり朝食を食べなかったのかね」

「朝食どころか、昨日の昼から何も食べてないんスよ」

 汽車の乗り換えの時間やら緊張やらで、買う時間も食べる余裕もなかったのだ。食べていたら、先程の腕試しの時に胃が大惨事だっただろう。

「昨日から!?宿で食事は出なかったのかね!」

「宿には泊まらないで、公園で野宿したッス……」

「野宿だと!?」

 エミリオの返答に、ルーベンは右手で顔を覆ってしまった。

「君は……何と言うか、本当に……」

「えっと、もしかして何かマズかったッスか?」

 公園には誰もおらず、迷惑になったりしないと思ったのだが。

 駅でなるべく安い宿の場所を聞いて行ってみたが、エミリオの手持ちでは厳しい値段だったのだ。正確には泊まれないこともないが、貧乏性がそれだけあれば絵の具が、パンが買えると囁いた。仕方ないので、公園で一晩過ごすことにしたのである。まだ秋口なので風邪を引くこともないだろう、というのもあった。カバンを枕代わりにしたものの、ベンチではよく眠れなかったけれど。

 呆れたようにため息をつくと、ルーベンは口を開いた。

「……いや、今日はここまでにしておこう。君も疲れただろうしな。一階に食堂があるから、そこで少し早い昼食にするといい。寮住まいの者は、大抵食堂で一日の食事をしている。一応、部屋にコンロはあるはずだが」

「はぁ」

「その後は、寮に向かいたまえ。君の寮はラウルス寮と言って、そこの窓から見える青い屋根の建物だ」

「青い屋根ッスね」

 確認のため窓に近寄ると、少し離れたところに似たようなレンガ造りの建物がいくつか見えた。あれが寮なのだろう、その中で青い屋根の建物の位置を覚えておく。

「君の部屋は205号室だ。鍵を失くさないように」

「き、気を付けるッス」

 ルーベンがポケットから出した鍵を、エミリオは両手で恭しく受け取った。

「部屋には、君用の《情報端末》と制服が届いているはずだ」

「えっ、《情報端末》!オレ個人で使っていいんスか!」

「本部職員は皆、支給されている。連絡手段なのだから、持ち歩かねば意味がないぞ。それから、紛失したり壊した場合は自己負担になる」

「あ、はいッス……」

 一瞬舞い上がったものの、自己負担の金額を考えると恐ろしい。ラヴェニア教会へすぐに連絡できそうなのは、素直に嬉しいが。問題はトーマス神父が上手く返信できるか、である。

「制服は身分証明も兼ねているのでね、本部にいる時は着用したまえ。もちろん、正規の照合は《情報端末》で行われる。そちらも忘れないように」

「は~い。制服って、あの黒い制服ッスか?」

 トーマス神父がいつも着ていた、黒い制服を思い出す。神父はそそっかしく、すぐに何かを零したりするので、汚れが目立たず助かる色だと思ったものだ。

「黒い制服は一般職員用だ。我々奇跡部門は、灰色になる」

「へぇ、部署によって色が違うんスか?」

 ルーベンが着ている制服を、エミリオは改めて上から下まで眺めた。落ち着いたダークグレーとはいえ、黒に比べれば汚れが目立ちそうだ。特に、エミリオは絵の具で汚さないようにしなければ。

「ああ、どこの部門の者か分かるようにな。退魔部門は紺、情報部門は紫、医療部門は緑、神学部門は黄、教育部門は橙、研究部門は赤となっている。制服に金の刺繍がある者は部門長、銀の刺繍がある者は副部門長だ。もし会うことがあれば、失礼のないようにしたまえ」

 ルーベンは自身の襟元の刺繍を指して、厳めしい顔をした。

「はいはい、分かったッスよ。できれば、お会いしたくはないッスけどね」

 エミリオは、心底そう思った。他の部門長は、いきなり銃を向けてくるような人でなければいいが。

「君のその言葉遣いも考えなければな。それは敬語ではないぞ」

「……敬語って、よく分からないんスよ」

 エミリオの頭では、どうにも難しい言葉と言い回しが出てこないのだ。そのため、いつの間にか今の口調で落ち着いてしまった。

「ついでだ、正しい敬語も教えよう。いきなり変えるのは難しいだろうから、私にはそのままでいい。明日はまた、同じ時間にここへ来るように。私は情報部門に、支給している《情報端末》を把握しているのか確認しに行くとしよう」

「どうも、お手数をおかけするッス……」

 ははは、とエミリオは渇いた笑いを零した。例えラヴェニア教会に最新の《情報端末》が支給されても、トーマス神父が失くす未来しかみえない。


*   *   *   *


 一階まで降りてきたものの、エミリオは中々食堂に辿り着けずにいた。

「流石本部、無駄に広すぎ……」

 食堂はあちら、という案内板に従って歩いてきたが、中庭らしき場所に出てしまった。エミリオが方向音痴なわけではないと信じたい。

 戻るべきか悩んでいると、中庭の反対側から長い赤髪の少女が歩いて来た。すらりとした美人で、髪色が紺の制服に映えている。これ幸いと、少女に駆け寄った。

「すいません!食堂に行きたいんスけど、迷ったみたいで」

「あら、大聖庁に来たのは初めて?食堂はあっちの第二棟にあるのよ」

 少女は振り返って、歩いて来た方を指す。建物自体が違うなら、見当たらないはずだ。ルーベンも、それくらい教えてくれればいいものを。

「ありがとうございます!」

「どういたしまして」

 エミリオがお礼を言うと、少女は腰まである髪をなびかせて去って行った。

 少女に教えられた第二棟まで来ると、ふわりといい匂いが漂ってきた。匂いがする方へ進むと、ざわざわと喧騒も近付いて来る。壁に下がる《青唐辛子食堂》と書かれた看板を確認して、エミリオはほっと一息ついた。

 食堂を覗けば、広い空間に白い長テーブルがズラリと並んでいた。時間が時間なので人はまばらだが、二百席以上はあるだろう。とりあえず、入り口の横にあるメニューを見てみる。

「サラダとキノコのクリームパスタ、鶏肉のトマト煮とバゲット、フレッシュチーズのピザ……。どれも美味そうだな~」

 空腹を訴える腹を撫でながらメニューを眺めていたが、エミリオはあることに気付いて固まった。

「ひ、百七十フォルもするのかよ……!」

 普段のエミリオの約二日分の食費である。はっきり言って、高い。躊躇う値段だが、そろそろ空腹も限界だ。仕方なく、一番安い日替わり定食をカウンターで注文する。寮住まいの者は食堂で一日の食事をするとルーベンは言っていたが、エミリオには無理だ。金銭的に。

 値段相応に美味しいパスタを噛みしめながら、エミリオは決意する。

 自炊しよう、と。


*   *   *   *


 食事を終えて、ラウルス寮へは問題なく辿り着けた。それなりの年月を感じる、五階建ての建物だ。

「え~と、205号室っと……」

 二階へ上がり、部屋番号を見ながら廊下を進むと、一番奥が205号室だった。鍵を回してドアを開ければ、日当たりも良く綺麗な部屋が広がっていた。外観に比べ、室内の白い壁紙は真新しい。

「お~、いいじゃん!」

 今までの雨漏りする屋根裏部屋を思い出して感動していると、がちゃりと隣の部屋のドアが開いた。

「あっ、どうも」

「……あれ、お前さっきの」

 エミリオが反射的に挨拶をすると、204号室から顔を出したのは奇跡部門の部屋を尋ねた赤髪の少年だった。

「ああ、さっきはありがとな。オレ、これから隣の部屋だからよろしく」

「……お前、奇跡部門に何の用だったんだ?奇跡の申請か?」

 少年は訝し気にエミリオに問う。

「オレ、奇跡認定人見習いになったんだ。それで、部門長さんに話を聞きに行ったんだよ」

「は?」

 エミリオが答えると、少年はひどく驚いたようだった。

「隣が変な人だったらどうしようかと思ったけど、年も近そうだし良かった!オレ、エミリオ・ラヴェニアって言うんだ」

「……俺は、お前が変な奴だったらどうしようかと思ってる」

 少年の碧い目が、エミリオを探るようにじとりと見る。そんなに警戒されるほど、おかしな言動を取っただろうか。

「よく奇跡認定人になれたな。ここ十年近く、クレメンティ部門長一人だったのに」

「見習いだって……って、十年も一人でやってたのかよ、あの人!?」

 エミリオとしても衝撃の事実である。

「どうして奇跡認定人になったんだ?」

「だから、見習いなんだって。なったって言うか、勝手にされた感じでさ」

「どういうことだ?」

「オレにもよく分からないんだよ……」

「……変な奴だけど、頭がおかしいタイプではないみたいだな」

 悲壮感漂うエミリオを見て、少年は何となく察してくれたようだった。さらりと、ひどいことを言われた気もするが。

「俺はイェソド・バーティだ」

「イェソドか、よろしくな。イェソドは紺色の制服ってことは……《退魔師》か?」

 ルーベンの言っていた各部門の色を思い出して尋ねると、イェソドは頷いた。

「すごいな!なら、《祝福》持ちなんだよな?」

 《退魔師》は《魔蛇》の性質上、《祝福》持ちでなければなれない。ランクも当然C以上必要だ。

「別にすごくはない。《祝福》のランクもかろうじてCだしな。巻き込まれるのはごめんだから、お前にはこの寮の最低限のルールを教えておく」

「ルール?消灯時間とか?」

 ラヴェニア教会にも消灯時間はあったが、エミリオはトーマス神父の目を盗んで遅くまで絵を描いたりしたものだ。

「いいや、この寮にいるのは出勤や退勤の時間がバラバラな奴ばっかりだ。だから決まった消灯時間はない。俺も真夜中に、急に出動命令が出たりするからな」

「大変だな……」

「個人的に遅くまで起きているのはかまわない。ただ」

 イェソドは一度言葉を区切ると、人差し指を口に当てた。

「夜九時から朝六時までは、騒がず静かにすること。俺達は特に」

「えっ、何でオレとお前だけ?」

「俺達の部屋は、寮監の部屋の真上なんだ。この寮監って人が、神経質な上に怒るとすごく怖い」

「すごく怖い」

 真顔で言うイェソドに、エミリオは釣られてオウム返しをした。

「その上、説教も長い」

「うええ、マジかよ……」

 筋骨隆々で強面の男性が、エミリオの頭に思い浮かぶ。騒ぐつもりはないが、気を付けなれば。

「後は、火災報知器の感度が高いから室内でタバコを吸うな。もし吸うなら、ベランダで吸え」

「まだ十七だから、そもそもタバコは吸えないっての」

「……一個上なのか」

 イェソドはどこか拗ねたように言った。

「ってことは、イェソドは十六なのか?三つくらい年下かと思った」

 目測ではあるが百七十二センチのエミリオより、イェソドは十センチ程背が低い。

「身長で判断するな。これから伸びる予定なんだ」

「悪い悪い。他に気を付けることはあるか?」

「……外泊届けはいらないが、誰かを部屋に泊めるのは禁止だ。それ以外は常識として部屋を汚し過ぎない、羽目を外さないことくらいだな」

「そっか、ありがとな!」

 エミリオが礼を言うと、イェソドはムスっとしたまま部屋へ戻っていった。身長のことはかなり気にしているのかもしれない。

 改めて、エミリオも自分の部屋に足を踏み入れた。部屋はダイニングキッチンと寝室の二部屋に分かれている。キッチンは狭いが、エミリオが簡単な料理をする分には困らないだろう。冷蔵庫、洗濯機、ベッド、テーブルは備え付けの物があるので助かった。ベッドのある寝室は、工房も兼ねることに決める。制服と《情報端末》は、玄関の靴箱の上に置かれていた。

「とりあえず、夕飯どうするかな。イェソドに安い食料品店がないか聞くか」

 最低限、フライパンと食器が欲しい。カバンからペンとメモ帳を出し、必要なものを書き留める。

「オレ、上手くやってけるのかなぁ」

 ラヴェニア教会のものより硬めのベッドに倒れ込み、エミリオは小さく呟いた。一昨日から怒涛のように過ぎて、もう一週間は経ったような気がする。子供達は、神父はどうしているだろう。絵画工房の奇跡画は進んでいるのだろうか。

「……給料日っていつなんだ」

 目下、それまでどう食い繋ぐかが最大の問題である。


*   *   *   *


「おはよう、エミリオ」

「おはようッス、先生」

 翌朝、奇跡部門室にて。

 エミリオはソファに座り、大あくびをしながらルーベンに挨拶を返した。

「よく眠れたかね?」

「まぁ、ベンチよりは」

 ルーベンの嫌味に、のんびり答える。実際、ベッドが硬かったせいで中々寝付けなかったのだ。あまり細かいことは気にしないエミリオだが、安眠は確保したい。

「そういえば先生、ひどいッスよ!食堂って、違う建物にあるじゃないッスか!」

「おや。すまない、言い忘れたか。ちゃんと辿り着けたのかね?」

「たまたますれ違った、綺麗な赤髪の女の子が教えてくれたッス。紺の制服だったから、あの子も《退魔師》なのかな」

 できればまたお会いしたいが、広く人も多い本部では厳しいだろう。せめて、名前を聞いておけばよかった。

「赤髪の女子で、《退魔師》……。もしや、ティファ・カリシオか」

「えっ、先生知ってるんスか!」

「彼女は少々有名でな。優秀なのだが、どうにも器物を破損……。いや、何でもない」

 ルーベンは何やら、歯切れ悪く言った。

「ティファさんか、よし覚えた。美人だったし、何より長い髪が素敵だったんスよね。夕陽みたいな色も、髪が風になびくのも綺麗だったッス」

「エミリオ、君は自分の立場を……」

「もしお会いできたら、絵のモデルになってほしいな~」

「……君は不健全なのか健全なのか、どっちなんだ」

 エミリオがうっとりと言うと、ルーベンは苦虫を噛み潰したつもりが歯を噛み砕いたような顔をした。

「はい?何がッスか?」

「いや、もういい」

「はぁ」

 ルーベンは眉間に皺を寄せて、首を振った。よく分からないが、この話はここまでのようだ。

「制服の大きさはちょうどよかったようだな」

「大きさはいいんスけど、オレには似合わないッスよ……」

 新品で糊の効いた制服は、どう見てもエミリオの方が着られてしまっている。ルーベンのように堂々と着こなせる日は遠そうだ。

「ふむ。それでも制服を着ていれば、自ずと奇跡認定人の自覚も出てくるだろう」

「そんなもんッスかね……。ところで、給料日っていつッスか?オレ、このままだと一日二食がギリギリなんスけど」

「一日二食……。君は本当に、どこまでも私の予想しないところを駆け抜けて行くな……」

 ルーベンは眉間の皺を一層深くした。おかげで、尚のこと老け顔に見えてしまう。

「給料日は二週間後だ。数日前に《情報端末》に通知が来るはずだから、よく確認したまえ」

「二週間後ッスか!なら何とかなりそうッス!」

 エミリオはほっと胸を撫で下ろした。給料が入ったら、収納家具と柔らかいベッドマットレスだけは欲しい。中古でいいので、目処を付けておかなければ。

「その分、しっかり仕事はするように」

「はいッス。って言っても、オレは具体的に何をしたらいいんスか?」

「まずは、過去の奇跡の事例を覚えることから始めるぞ。その奇跡が何故認定されたのか、を知ることが大切だからな」

 ルーベンは本棚から本を数冊抜き出し、テーブルの上に置いた。『奇跡年表』、『奇跡大辞典』、『奇跡規定大全』。どれも古めかしく分厚い。一冊開いてみたが、小難しい文章が並び挿絵もほぼ見当たらなかった。

「す、すいません……。オレ、ちょっとこれ読み切れる自信ないッス」

「安心したまえ、それは私も予測している。本の内容をなるべく君に分かるよう、私が説明する。しばらくの間は、学校の講義のようなものだ」

 そうは言われても、エミリオは学校に行ったことがない。読み書きと簡単な計算をトーマス神父に習ったくらいだ。

「筆記用具はこちらで用意した。きちんとメモを取るように」

 ルーベンが差し出してきたのは、青い表紙のノートと銀色の万年筆、ネイビーブルーのインクだった。ノートの中の紙は白ではなく、柔らかなクリーム色をしている。普段エミリオが使っている安物のメモ帳と違い、薄いのにしっかりとした紙質だ。

「先生!これ、サイプレイス社の最高級紙、カヤリ紙のノートじゃないッスか!」

「ああ、書き心地がよく私が長年愛用しているものだが……」

「オレ、こんないいノートもらっちゃっていいんスか!?インクも、アトラ社の『闇夜』だなんて!」

 興奮して食い気味になるエミリオに、

「……筆記用具ではなく、本の方に興味を持ってくれないか」

 ルーベンはインクの色よりも深いため息をついた。

「だって、どれも画材屋で昔から憧れてた物なんスよ!」

「……本題に入っていいだろうか」

「あ、どうぞッス!」

 わくわくとノートとインクを眺めるエミリオに、ルーベンは小さく咳ばらいをした。

「エミリオ、君は奇跡と一口に言っても、区分があることは知っているかね?」

「区分……ッスか?」

「そうだ。『奇蹟』、『準奇跡』、『小奇跡』の三つの区分がある」

 昔、工房の親方から奇跡画の話と共に聞いたような気がするが、記憶は朧気だ。

「え~と、滅多にない奇跡と、偶然の積み重なりの奇跡……みたいなのがあるって聞いたような」

「まぁ、間違ってはいない。『奇蹟』、これは創記師エリュオンの《理想郷》からの帰還のような人智を大きく超えるものだ。我が国の歴史でも、数も少ないまさに奇蹟そのものだな」

 ルーベンの説明に、エミリオはノートに奇跡の区分を書き込んだ。

「『準奇跡』は歴史的起点や、君が言ったような偶然の積み重なりのものだ。負けそうだった戦争で勝った、偶然で大災害を免れた、というようなものが多い」

「歴史的起点、ッスか」

「最後に『小奇跡』。これが一番数が多く判断の難しいものだ。同時に身近な奇跡でもある。昨日話した、花の咲く石膏像はこの『小奇跡』だな」

 エミリオは『小奇跡』と書いた横に、カリカリと石膏像の絵を添えた。

「『小奇跡』は、身近である故に人々の信仰心の支えになることもある。申請されるのも、ほとんどが『小奇跡』級のものだ」

「申請が多いのも『小奇跡』、っと……」

「そこでまず、君には『奇蹟』と『準奇跡』を全て覚えてもらいたい」

「ふぁっ!?」

 エミリオはメモを取っていた手を止め、勢いよく顔を上げた。ルーベンは別段からかっている様子はなく、どこまでも真顔だ。

「『小奇跡』は流石に数が多すぎるからな。『奇蹟』と『準奇跡』なら合わせても百四十件程だ」

「いやいやいや、待って欲しいッス!百四十って十分多いッスから!」

「何、奇跡認定人ならこれは最低限のことだぞ」

「先生にとって最低限でも、オレの頭じゃ無理ッス!その無茶振りも、皆が辞めていった理由の一つじゃないッスか!?」

「なん……だと……?」

 エミリオが必死に言い募ると、ルーベンは雷に打たれた後倒木に見舞われたような顔をした。十年もルーベン一人だったというのは、仕事内容以外にも問題があったと考えるべきだろう。

「昨日今日である程度分かったと思うッスけど、オレ馬鹿だし物覚えもそんなによくないッス!」

「そうだな」

 ルーベンは迷うことなく即答した。

「だから、先生と同じレベルはどう頑張っても無理ッス。そりゃ、やれるだけはやるようにするッスけど」

 主に、給料のために。

「本部のルールなんかも全然知らないんで、申し訳ないんスけど小さい子供に一から教えるつもりでお願いしたいッス」

 軟弱と言われようと、甘えと言われようと、全ての人が同じようにはいかない。一人一人違うからこそ得手不得手があり、『救いの手を差し伸べよ』という教えがあるのだとトーマス神父は話してくれた。

「……そうだな、私も君のようなタイプの人間を相手にするのは初めてだ。もう少し考えるべきだったな」

「先生……!」

「とりあえず、半分の七十件からにしよう」

「そうじゃないッス!先生は一体どんな子供だったんスか!」

 まだまだ、お互いの考えの溝を埋めるのは遠そうだ。


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