ゆき先案内人 星の運命シリーズ(仮)番外篇
『星合の運命』から3年後、『すれちがい喫茶へようこそ―運命―』から2年後のお話。
サイドストーリーというより、続編にしたいと思っている作者です。
私は小さいころから、ことごとく動物に好かれる性格だった。
外に出れば道行くペットや野良の犬、猫が寄ってたかり、動物園に行っても檻に目を向ければ彼らとばっちり目が合う。保護者の父も「神那は動物に愛されているなぁ。うらやましいよ。」なんて言うのだ。
それだけならどれだけよかったことだろう。
声が聞こえる。言葉が伝わる。
これが現実だった。
動物たちの誰もが穏やかな生活を送っているわけではない。もちろんそういう類もいるが、中には苦しみや怒りを通り越して人への恨みをぶつけてくるものもいる。自分を縛るものからの解放を求めるものもいる。
彼らはわかっていた。私がそのような異能を持っていることを。
もう一つ、それは人間関係を壊すボタンのようなものだった。
小学校に上がると当番で小屋を掃除しながらニワトリと話していたのを見られ、男の子たちにからかわれた。その噂が広まって、だんだんと友達が減っていった。仲良くしていた近所の幼馴染も「気味が悪い」と言って私を避けるようになった。噂は飛び火して、可愛がってくれたご近所さんたちも遠くからヒソヒソ、コソコソばかりで近づかなくなった。
私の周りには誰もいなくなってしまった。
こんな異能を持ってしまった自分が憎かった。
ただ一人、父は私を可愛がってくれたし、出て行った母に変わって愛情を注いでくれていたと思う。だからこそ父には本当のことを言えなかった。いや、言いたくなかったのが本音だと思う。
父だけは、私を可愛い一人娘だと思っていてほしかったのだ。
異能を持った気味の悪い娘だと思われたくなかった。
その父が今年の夏、会社で昇進して海外の本社へ転勤になった。
私は自分のことのように嬉しかったし、これで私を冷たい目で見る街からおさらばできると思っていた。
だが父は、私を置いて行ってしまった。
幸い住む場所も学校も変えてくれたので、秋から新天地で新しい一歩というわけだが、それよりショックだったのは父が私を連れて行くという選択をしなかったことだった。
ああ、結局父も私から離れていくのだ。
もう私の周りには本当に誰もいなくなってしまった。
* * * * * * * * * * * *
「……な、かんな。ねえ神那ってば。」
はっと顔を上げれば、家主で私の今の保護者が食卓の向こう側から私をのぞき込んでいた。
「どうしたのよ、白米なんか見つめちゃって。もしかしてご飯硬かった? 」
どうやら私は夕食の最中に茶碗と箸片手に物思いにふけっていたようだった。ますますご飯の炊き具合を心配する彼女に慌てて返事をする。
「ううん、硬くない。おいしい。」
未だに自分でもうまく笑えているのかわからないが、とりあえず口角を上げる私に彼女は満足したようで、食事に手を付け始める。
季節が冬に近づいた今、私はここ――葉月村で生活している。
父は夏休みにとりあえず目的地と日付を指定して発ってしまった。新幹線と電車を乗り継いて降りると、彼女が私を待っていた。琴峰海優と名乗った彼女は村に住む大学二年生で、父から保護者の役目を引き受けたと言って、私を案内してくれた。そのときに彼女は村について詳しく説明してくれたが、要は異能を持つ者が集まり、年に一度だけ開かれる現世と天界とをつなぐ門を守るためだけに作られた村だそうだ。海辺に立つ大きな鳥居や門を守る意味も聞いたが、もう忘れてしまった。
最初はなんだか胡散臭い話だと思ったし、村の人が全員異能を持っているなんて、神様が通る門があるなんて、どこのファンタジー小説だと内心鼻で笑っていた。それに私が異能持ちなのを知っているようで何も聞いてこない彼女に当初全く心を開かなかった。
それでも彼女は私を気味悪がらなかった。
むしろやさしく微笑んでくれた。
なぜか指定されていた私の家の五角家屋敷(私の苗字は五角である)は中学一年の少女一人が管理できないほど大きな屋敷だからと、自分の家に一緒に住めるようにしてくれた。しかし彼女の家も家とは言えないほど大きかったのは、また別の話である。過去に私が学校になじめなかったのを知っているのか、学校でのふるまい方を教えてくれることもあったし、宿題を見てくれたり、家の面倒もすべてやってくれた。
何より帰ると家に誰かがいて、おかえりと言ってくれることがどんなに幸せなことか気づいた気がする。
それもあってか、今は少しだけ彼女と打ち解けるようになった。私は一人っ子だったので、姉に近い存在だと勝手に位置付けている。
でも、自分の異能についてはまだ言えない。過去の失敗が彼女に打ち明けることにブレーキをかけているのだ。
「そういえば神那、その長い前髪切らないの? 」
唐揚げをでかい口開けてほおばるちょっと残念な美少女、いや姉が私を見て言った。確かに私は古い言葉で言うなら黒髪のおかっぱ頭に目にかぶるかかぶらないかきわどい長さの前髪だが、他人の視線を避けるためにわざとその長さにしていたため、切ろうとなんて思ったこともなかった。
ちなみに彼女は黒髪のロングが女性にしては高めの背丈に合っているし、はたから見ても美少女。ちょっとレディらしからぬ一面があるのが玉に瑕といったところだが、彼女はどこまで完璧なのか彼氏持ちだった。ちょくちょくうちに来るので私も彼とは顔なじみである。
ところで返事には一応否と答えると、彼女は「ええ!? 切ったらかわいいと思うけどね。」とだけ言って、入れ忘れたお風呂の電源をつけに席を立ったのだった。
一人箸を進めているだけでちょっと寂しい気持ちがあふれてくるのだから、私も変わったのかもしれない。
少なくとも、自分の居場所がある。
それだけでここへ来た意味があるのかもしれない。
私はそれを胸に葉月村で生活しているのだった。
* * * * * * * * * * * *
「夜は魔物が出やすいから、外へ出ちゃだめよ。」
村へ来たころ、姉にそう言われたことがあったが、私はそんなオカルトじみた怪物がいるなんてと内心小馬鹿にしていた。夜は寝る時間。そんなことはお子ちゃまだって知っているのに、さらに念押ししたということは逆に何かあるのかもしれないと考えたが、言いつけを破るつもりはさらさらなかった。
ところが最近、夜中に妙な音が聞こえる。
廊下から足音がパタパタ……などという怪談ものではない。
あえて表現するならば、小さいころに見に行ったことがある夏の花火の音に似ている。間近で見ている音というよりも、ああどこか遠くでやっている花火大会の音だなという程度のお粗末で小さなもの。それが度々聞こえたかと思うと、ぱたりと止む。この冬入りごろに非常に不可解だ。
いつもは流して眠りの深淵に身を沈めていたのだが、今日に限っては隣の布団がいつの間にか空っぽになっており、それが何かあったのではないかという焦りの気持ちを高ぶらせた。
私は寝間着の上から厚手のダウンを羽織ると、下駄箱の上の鍵をポケットに忍ばせてスニーカーに足を入れた。
引き戸から外に出ると、途端に身が縮むような冷たい風が頬を刺す。
みな寝静まっている時間なのだから誰もいないのは当然だが、この時間に外へ出たことがなかった私にとっては少々気味の悪い静けさだ。
音は相変わらず不定期に聞こえてくる。
私はそれを頼りに海辺ではなく逆の山側に足を向けた。
大小様々な家が立ち並ぶ道や角を曲がり、気が付けば軽く整備されただけのあぜ道に入っている。両隣は村人が少しばかり耕している畑で、正面には村を隠す小高い山が立ちふさがり、先の道の先には神社の鳥居が見えるだけで道はなさそうだった。
あたりには誰もいなく、仕方なく引き返そうとしたその時だった。
突然大きな唸り声のような悲鳴が聞こえたかと思うと、微弱な地面の揺れとともに山の方で大きなものが倒れるような音がした。
やがてあたりが静かになり、穏やかな夜が戻ってくる。
その夜空に一瞬だけ黒い線が描かれ、瞬きをすると消えていた。残像のように細い糸のようなものがゆらゆらと揺れている。
何が起きていたのか、まったくもってつかめない。
呆然とあぜ道の真ん中に立ち尽くしていた私であったが、鮮明に残っていたのは、あの悲鳴が人のものではなかったということだけだった。
あれは、私にしか聞こえない声。
私は山に引き付けられるように鳥居の方へ走り出していた。
山のふもとに木々に隠れるようにして立つ鳥居を抜けて古びた階段を上がると、申し訳ないほど小さい神社の建物があるだけで、何かが倒れたような形跡はない。
『……ぐっ、……ぜだ、なぜ……。』
微かだが風に乗って聞こえてくる苦しげな声が私を焦らせる。
何かに突き動かされるように私はパッと神社を見渡した後、近くの木々の間から山を登っていった。傾斜はそれほど急ではなかったが、なにせ人が通れるように整備されていないので足場が安定しない。多少よろめいたり、木々の枝に引っかかれたりしたせいでペースも上がらない。
少し上がると斜面が平らなところに着き、這いつくばる姿勢から解放されて気を抜いたのがいけなかった。
足元の何かにつまずき、盛大に転倒。
ダウンを着ていたせいで大事にはならなかったが額を打ったせいでたんこぶができているのではと思うほど痛かった。
そして私はつまずいた足元に目を向けた。
「ひっ!? 」
思わず口を押さえたが、端から悲鳴が漏れてしまった。
そこには、蛇の何倍も長く、太く、そして白銀のうろこを持った龍が横たわっていた。
しかし身体は傷だらけで綺麗であろううろこは赤く染まっている箇所がいくつもある。どこからどう見ても重傷だった。
強面の顔はこちらを向いていて、体につまずいた私には白々しいまなざしが全面的に注がれている。
私は初めてこの村の異質さに気づかされた。
まさか本物の龍とは。
私が彫刻のように固まっていると先に口を開いたのは龍だった。
『ここは人間が立ち入ってはならぬ場所だ。さっさと立ち去れ。』
龍は冷徹な声音で言うが、それとは裏腹に体からの流血が止まっていない。そうはいっても怪我人を置いていけるほど私は冷たくはない。
ゆっくりと体に手を伸ばしたが、よほど怒っているのか体を揺らされて威嚇される始末である。
このまま放っておけば死んでしまう。
どうしようかとしどろもどろになっているところで、ふと下の方から私を呼ぶ声がしたかと思うと、近くの木々が揺れて姉が這いつくばるように出てきた。
「神那!! 」
きっと私を探していたのだろう。私を抱きしめる彼女は見たことがないほど焦っていたようだが、足元に倒れる龍を見ると目を大きく見開いた。
「えっ、た、高龗!? 」
どうやら姉の知り合いのようだが、私が聞くに姉は龍が何を言っているのかわからないようであり、会話がかみ合っていない。それを理解したのか姉はポケットから携帯電話を取り出すとどこかへ電話をかけ、手短に話して切ってしまった。
するとふいに高龗と呼ばれた龍が私に声をかけてきた。
『そこの童、先ほどは失礼しました。あなたは聞く力と導く力を持っているようです。少し私に力を貸してくれませんか。』
異能をピタリと言い当てられた私はぎょっとして、体の芯から冷えていくのがわかった。だが、考えている暇はなかった。
私は龍の顔まで近づくと、きれいな白銀が赤く染まってしまっている鼻のあたりにそっと手を当てた。
『気づいていないでしょうが、あなたが秘めているのは導く力。念じてほしい。変化と。』
目を閉じて、神経を集中させる。
「変化。」
何かが自分の中から龍へ伝わっていく。
あっという姉の声で我に返り目を開くと、そこには龍の体はなくなっていた。代わりに私と同年代ほどの子供っぽさが残る白髪の少年が傷だらけで倒れていた。
「高龗、いったい何があったの!? 」
姉が手元にあったハンカチなどで患部を押さえながら言う。
「ああ大日女様、お久しぶりです。なに、大したことはありませんよ。」
とは言いながらも傷だらけで血まみれのどこが大したことないのだろうかというツッコミと姉の呼び方についての疑問は空前絶後でのみ込む。
すると彼が私の方に顔を向けた。
「先ほどはありがとう。僕は高龗神。この弥山と村を隠すための結界を管理している神の一人です。」
なんと、龍の姿をしていて今は子供だが神の一人らしい。
話には聞いていたもののあまり信用していなかった私には初めて見る神の姿だった。
ふいに山のふもとの方から強い風が巻き上がってくる。
本能的に目をつぶって開けてみればまた一人、人数が増えていた。
「董麻。遅かったのね。」
どこからともなく立っていたのは、例の姉の彼氏だった。風を司る鷲谷家の次男だというが、風を使って移動してきたというのならば神業である。
「おお、海原様までご足労させてしまうとは。かたじけない。」
無理して笑う彼を、彼氏はいささか乱暴に担ぎ上げる。
「ったく、その呼び方はいい加減よせ。海優、俺はこれと先に戻るから悪いが自力で降りてくれ。明日また連絡するから。」
姉がうなずくと、強い風が吹きつけるとともに二人の姿は消えていた。
「とりあえず帰ろうか、神那。」
何が何だか頭が混乱していた私は姉と徒歩で帰り、体をきれいにしたところで布団に入る。聞きたいことは山々あったのだが、夜も更けているということで明日にすることにした。
* * * * * * * * * * * *
翌日、二人して起きたのはもう昼前だった。幸い今日は土曜日なので学校の心配はない。
朝食を兼ねた昼食を済ませると、姉に連れられてさっそく鷲谷家にやってきた。姉は勝手知ったるかのように呼び鈴も鳴らさずに入っていくので少々失礼なのではという気もしないではなかったが、結局言わずじまいで部屋に通された。
畳敷きの八畳間に敷かれた布団に横たわる高龗の少年は元気はあるようで、既に姉の彼氏と何やら話している最中だった。
「海優、ちょうどよかった。神那もよく来たな。」
たかが数十メートルの近所に来ただけで労を労われた私は引きつり気味だったが、姉に倣って畳に腰を下ろす。
それが合図だったのか、部屋内に真剣な空気が流れる。
高龗が長ったらしい経緯を説明するが、私は半分聞いていなかった。
「それでその童がやってきたので追い払おうとしたら、大日女様が……。」
「ちょっとストップ、その呼び方やめてくれる? 」
「お前、そんなときまで追い払うって……。悪いな神那、これは極度の人間嫌いであの山が住処なんだ。俺らはちょっと特殊だから大丈夫だが。」
立て続けに恋人同士の二人がブーイングを入れるが、神を前にそんなことができるなんてあんたら何者か、それに人間の姿をしている神が人間嫌いって、とは口が裂けても言えない。
当の本人は苦笑いしながら白髪をポリポリと掻く。
「いやあ、まさか童が話せるやつとは思いもしなかったものでして。」
私はその意味ありげな言葉に心臓が飛び出そうになり、縮こまるように聞かなかったふりをしていることしかできなかった。それも八畳間の空間ではバレていると思うが。
ところが、だれもその話題には触れず、話が進んでいく。
途中途中リア充カップルが補足してくれたので、大体の話が読めた。
要は喧嘩するほど仲のいい兄の高龗神と弟の闇龗神が、昨日何かの儀式をするはずが弟の様子が変で襲われた、というのが真相らしい。
「そこでですよ、童。怪我人の私の代わりに闇龗を連れ出して、儀式を代行してくれませんか。」
何の前ぶりもなく話を振られた私は危うくすっとんな声を上げかける。隣では二人が、中学生にやらせるのはとか口々に非難しているが、当の私はまたしても困惑気味だった。
「では、失礼ながらお二人にはできますか。結界の持続と葉月村に冬を呼ぶ儀式の代行が。」
にこやかに言われて黙り込む二人。
「お二人の力を侮っているわけではありませんが、ここは適材適所。幸い五角家の童の導く力は大したものです。任せてはみませんか。」
軽々しく言うが、引き受けるか否かを決めるのは私で、やるのも私。ここは私に聞くべきではなかろうか。くしくも彼は保護者の姉に了承を求めているようだった。
しばらく押し黙っていた姉であったが、おもむろに私に体を向けた。
「高龗もこんなんだし……。神那、やってくれないかな。村の結界も大事だし、冬を呼んで木の葉を森に隠すのも大事なの。儀式は闇龗がいないとできないから、彼のところには私たちも行くから、ね、お願い? 」
冬を呼ぶーー、というのがいまいち理解できなかったが、姉がここまで頼んでいるのだし、私に断る理由はなかった。
それに、誰かに頼られたのが少し嬉しかった。
「そうとなれば、今から闇龗のところに行ってきてください。夜には儀式をしないといけませんからね。」
お願いされたはいいものの、今からという急な話に三人で白々しい目を向けたが、本人はまるで気づいていないようだった。
「あ、ついでにバカでアホな弟に伝言をお願いします。『見舞いに来いよ、次会ったら首絞めだゴラァ。』と兄から。」
寝床から笑顔でヘッドロックのポーズをとる彼は本当に神なのかと首を傾げた私の隣で、大人の二人は思いっきり溜息を吐いていた。
* * * * * * * * * * * *
姉の彼氏の神業で鷲谷家の玄関から一飛び、というか一瞬で富士の樹海のような深い森の中に立っていた私は、闇龗とも知り合いで住処も知っているという異次元なカップルの後を無言でついていった。
あの兄弟はこの時期になると決まって喧嘩しているそうなのだが、たかが取っ組み合いの喧嘩程度で今回のような片方に一方的に大けがを負わせるようなことはなかったらしい。それに様子がおかしかったという兄の証言も気になっているようで、二人の顔は険しかった。
「確かに妙な空気が漂っている。これはなにかいるかもしれないな。」
姉も変なお札の束を握りしめながら頷いている。一方彼は見た目わかりやすい刀を手に歩いていた。
すると、突然視界が明るくなったかと思うと木々が消え、代わりに地獄への入り口のような洞窟がぽっかりと姿を現した。
どうやらここが例の住処のようだ。
あたりを見渡したが、特に不審なものはなく、闇龗もいないのかそれとも穴の中で息を潜めているのか、怖いくらいの静けさが漂っている。
そのとき、背後から悪寒が走る冷たい声が聞こえてきた。
『おや、お客さんのようですねぇ。しかも歓迎したくない姉弟と五角のお嬢さんが一人。』
バッと思いきり振り返ってみるが、だれもいない。
ただ、一つ違ったのは、通ってきた木々の間が無数の白い糸で埋め尽くされていたことだった。まさかとは思って正面に向き直る。
洞窟の岩が、周りの木々が、すべてが霞んでいた。
糸の霧が辺り一面を覆いつくしていたのだ。
「どうしたの、神那。何かいるの? 」
目を見開いたまま震える私を姉が怪訝そうにのぞき込む。
二人はまだ気づいていない。というより、見えていないのだ。
「糸が、糸が見える……。」
二人の顔が険しさを増す。そして互いに顔を見合わせる。
「糸!? 」「まさか―――。土蜘蛛か!? 」
その瞬間、二人にもその光景が移ったのか彼が刀を抜き、姉がお札の束から一枚を抜く。
『ちっ、せっかくの隠し術が破られましたか。声から導くとは厄介な力のお嬢さんだ。』
あの冷たい声とともに、暗がりの奥から気持ち悪いを通り越して怪物級の大きな蜘蛛がのっそりと出てきたのだ。
『おっとこれでは二人には聞こえませんね。』「こほん、いらっしゃい。太陽神、海原神、そして五角のお嬢さん。お茶は出ませんよ。」
さほど歓迎していない呆れた声音が、神経を逆なでされるようで気に食わない。刀を握っていた姉の彼氏がその先を蜘蛛に向けた。
「やはり土蜘蛛、貴様か。高龗を襲わせたのもお前だろう。」
土蜘蛛はそれを聞いてくっくっく、と人間らしく押し笑う。
ちなみに姉が、土蜘蛛は昔妖怪退治の話にもなった妖怪だと耳打ちしてくれる。神様に妖怪とは、もうなんでもありかと思ったのは心の内に秘めておくことにする。
「そうですよ。困るのです、あの儀式が行われると。それにお嬢さん、あなたの力もね。」
その言葉を聞いた途端、体が宙に浮いて洞窟の方へ引き込まれていた。
「神那!! 」
姉の声が遠くなり、視界が暗くなった。
* * * * * * * * * * * *
気が付くとほぼ光のない場所へほっぽり出されていた。
打ち付けられた体がズキズキと痛むし、手をついた地面も氷のごとく冷たく、濡れていた。
『お前も囚われたのか、糸の牢獄に。』
目を凝らせば、隣に黒い龍が身を寄せるように丸くなっていた。
その口元は幾分赤く黒ずんでいるようにも見えた。
彼が、闇龗神だ。
『少しだけ欲にかられたのが運の尽き。蜘蛛の糸にからめとられ、知らないうちに兄を傷つけてしまった。』
嘆く彼の声はひどく沈んでいた。
『もう会ってもくれないだろうな。元々ちょっかいばかり出して兄を怒らせていたのだし。儀式もできない。ああ、なんてことだ。』
漆黒の体とともに、今にも闇の一角に溶け込んでしまいそうな彼は、なぜか数か月前までの自分に似ているような気がした。
一人ぼっちで、自分を責め続ける。
やがて自分を恨む。
でもそれは、今の私ではない。
私は確かにそうだったけれど、村に来て人の温かみを感じた。
それを教えてくれたのは、琴峰海優という、姉だった。
少しずつ自分を受け入れること。
今の私はそれがあるから、あの時よりは前向きになれる。
「見舞いに来いよ、次会ったら首絞めだゴラァ。」
棒読みでつぶやいた言葉に、闇龗がえっ、と絶句する。
私は彼を見上げた。
「あなたのお兄さんからの伝言です。ここにいてじっとしていても、逆に怒られてしまいます。」
私が手を伸ばすと、彼は怖いのか半身引くために体を揺らした。
それに構わず私はそっと黒いうろこに触れる。
「大丈夫。私があなたを案内します。この暗がりから外に。」
目を閉じると、私の中の力が彼へと流れ始める。
私が導く力を持つというのならば、彼をもう一度明るい世界へ導いてみせる。
『兄は、許してくれるだろうか。』
彼は私の方へ顔を突き出したようで、目を開けると顔が間近に迫っていた。私は彼の鼻に手を当て、再び目を閉じた。
「許してくれます。あなたが望むなら、私が導きます。」
『そうか。頼む、五角の申し子よ。』
私は心から願い、言葉を紡いだ。
「出して。この、冷たい牢獄から、私たちを。」
冷たさがなくなって目を開けると、先ほどまで立っていた場所に戻っていた。取り残された二人も何をしていたのか同じ場所にいた。
ただ、土蜘蛛だけが苦虫をかみつぶしたようなうめき声をあげて後退している。どうやら逃げ腰になっているようだ。
「まさか私のとっておきが……。くそ、小娘が。再び会うことがあれば間違いなく返り討ちにしましょう。では。」
姉の彼氏が刀から暴風を吹き付けさせたが、あと一歩のところで仕留められなかったようだ。
覆っていた霧が晴れた。
姉は周辺を念入りにお祓いした後、ほっとした顔で私を抱きしめた。
「よかった、無事で。一回り強くなったみたいね。」
意味ありげな言葉に、あなたのおかげですと言いかけて慌てて口をつぐむ。それを言うのはちょっと恥ずかしかった。
そして隣にいた龍は、いつの間にか高龗とそっくりの黒髪の少年の姿になっていた。
「ありがとう。導きの力を持つ子――五角神那。」
私は精いっぱいの笑顔を浮かべ、それに頷いた。
* * * * * * * * * * * *
その夜。一日遅れで結界の持続と冬を呼ぶ儀式が行われた。
肝心の儀式の詳細については、ここでは語れない。
この役目を請け負ってきた兄弟にきつく口止めされたのだから仕方がないけれど、神秘的な経験を語れないのは少々もどかしいものだ。
村の結界が保持されたどうかは私にはわからない。
だが、それよりも印象的だったのはもう一つの方だった。
本当に、空から冬がやってきた。
ちらちらと白い綿帽子たちが地面に降り立っていく。
「雪やこんこ 霰やこんこ 降っては降っては ずんずん積もる」
姉がふと歌いだす。
どこかで聞いたことがある、懐かしい童謡だった。
手のひらを出すと綿帽子が落ちては消えていく。
視線の先では、高龗が宣言通り首絞めという名の頭絞めのヘッドロックを弟にかましている。それを何がおかしいのか姉の彼氏がツボにはまって笑い、泣きそうになっている。
つられて姉も笑い出した。
なんだかわからないけれど、私も笑い出す。
ああ、楽しい。そう思える日が来ることを予想だにしなかった。
雪が大降りになってくる。
「帰ろう、神那。」
片手に白い息を吹きかけながら、姉がもう片方を私に差し出す。
ここで暮らしていこう。
私が自分の異能に向き合える、一度は不信になりかけた人間と向き合える、この葉月村で。
知らないうちに自分が自分をこのちょっと変わった村へ導いたのかもしれない。
そしてこれからも、自分の力が明るみを導くことを信じて。
「うん、帰ろう。お姉ちゃん。」
私はその手をとり、和解した兄弟に別れを告げた。
雲の隙間から、御者座カペラがそのゆき先を見守っているようだった。
FIN.
この度は「ゆき先案内人」をお読みいただきありがとうございます。
作者の前野巫琴です。
すっかり久しぶりの投稿となってしまいました。
何しろ学生ですので、長期休み以外はてんてこまいな日々です。
まあこんな話はどうでもいいですね。
さて、今回のお話ですが私の過去作「星合の運命」「すれちがい喫茶へようこそ―運命―」の続編のような形になっております。無論、それらをお読みいただかなくてもお楽しみいただけますが、これを機会に過去作を読んでいただけると幸いです。
私はこの関連の作品には星を使っているのですが、今回は冬の星座、ぎょしゃ座です。ぎょしゃ座一等星のカペラは別名五角星とも呼ばれています。五角星、お分かりですか。主人公の神那の苗字は五角です。葉月村の人は何かしら異能を持っていなければならないので、どうしようかと思いましたが、これもぎょしゃという言葉から導く者、ということで導く力としています。ちなみに彼女の性格は、最近ハマってしまった某魔法使いアニメからいただきました。ごっつあんです(おい)。
そしてわき役の二人は過去作にも出てきた二人です。二人は実は前世は神様で姉弟だったという異質な設定。どうして姉弟がカップルかは触れないでいただくか「すれちがい喫茶へ――」をお読みください。あ、海優を「大日女」「太陽神」の表現の通り、彼女は天照大御神。「父上」「海原神」と呼ばれている董麻は素戔嗚尊です。
最後にタイトルの由来を。「ゆき先案内人」の「ゆき」は「行き先」と「雪先」を導いた神那からとったものです。
ざっとネタバレでしたが、いかがだったでしょうか。
どうも秘密を隠すのが苦手なようで、伏線を張ってもこうしてあとがきで語りたくなってしまう作者でした。小説を書く方は皆そうなんでしょうか、気になるところです。
まだシリーズ名を考えていないのですが、『星合の運命』『ゆき先案内人』はシリーズものにしたいという作者の野望が頭にありまして、また続編を執筆中です。
楽しみにしている方がいたら、嬉しい限りでございます。
改めまして、前野巫琴の稚拙な作品をお読みいただきありがとうございました。
また、お目にかかれる日まで。