砂の花 8
双児を『忌み児』とし、片方を里子に出したりする慣習は、古い時代にはどの国にも見受けられた。
が、近年では『忌み児』の感覚は薄れ、むしろ各国は戦に備え、大事な戦力として男児の双子は育てられる。
戦禍に長く巻き込まれて来なかったファド王家が古来の慣例を継承しているのは頷けるが、四歳の子供をいきなり家から追い出す、というのはあまりにも厳しい。
自分でも気付かぬまま、奇花は顔を顰めていた。
アフマド王子は、自嘲気味の笑みを浮かべた。
「……我が王家では、男児の双子が生まれると国に災いが起きる、との言い伝えがある。そのため、弟は必ず砂嵐の時期に、砂漠のしかるべき場所に置き去りにする。双子という『禍』を、サード神に差し出し浄化を願うためだ。神がその子の魂を召せば、浄化は成る。
……だが、アリハの場合は事情が違った。王妃であった母が、密かに王宮を出奔しアリハの後を追われた。
陛下——父上は、母上を連れ戻そうと密偵を送った。だが、母上とアリハは、しかるべき場所にも居らず、たった数日で砂のように消え去った。
アリハと母上の所在が分かったのは、十二年も経ってからだ。母上がお身体を壊し、サード神の聖地ニヤの聖殿にいらっしゃるという報せが入った。
しかも、その報せをもたらしたのは、玄鵬だった」
「玄鵬が?」
何故? と、奇花は目で問うた。 王子は僅かに眉を顰め、続けた。
「妖と言えど霊力は竜にも匹敵する玄鵬は、聞けば予見の技も持っているという。予見でアリハと母上が遠からず亡くなると知ったので、知らせに来たと言った。
——私は、母上とアリハをしかるべき場所からニヤへと運んだのは、その玄鵬ではないかと思っている」
「それは、違います」
イルシンダが口を開いた。アフマド王子は、驚いた様子で少女を見た。
「五年前、アリハ……王子と王妃様は、大きな砂嵐で先へ進めなくなった他の旅人と共にタサラの領内へいらっしゃいました。王妃様は、その時すでにお熱も高く、父は我が家にお招きし、薬師に容体を看させたのですがご快方にはなかなかならず……。それで、ニヤの導師のお弟子様の中で一番のお医者様を、我が家へお招きいたしました」
その後のアリハと王妃の様子を、イルシンダは掻い摘んで王子に話す。
聴き終えたアフマド王子は、目を閉じ大きく頷いた。
「そうだったのか。それで、玄鵬がイルシンダを私の花嫁に迎えろと、陛下に強く進言した理由が分かった。ルカリの花を送った人を置いて逝くのは、辛かったろう」
王子の言葉に、イルシンダの顔が青褪める。
「やはり……、アリハ王子は、お亡くなりになっていらっしゃる?」
奇花の問いに、アフマド王子は「残念だが」と答えた。
「玄鵬が王宮に来た翌月、ニヤで流行った病で、母上も弟もサード神に召された。……タサラの長は、そのことをとっくにご存知だったようだ」
ニヤには、導師の治療を受けるために身体を壊した者が多く集まる。国外からもやって来る病人の中には、ファサール国には無い病の者も、時折居た。
「やっぱり……」低く呟いたイルシンダの、深緑の瞳から涙が溢れた。
「長は、イルシンダに、話せなかったのだな」
遣る瀬無い思いで、奇花は呟いた。
イルシンダが大きく泣き崩れた。
身を波打たせ、椅子から倒れ落ちそうになる少女の肩を、王太子はそっと掴んだ。
「双子だと言っても、別々の人間。私ではアリハの代わりにはなれないかもしれないが……」
濡れた瞳で、イルシンダは王太子を見上げた。
「アリハは……、殿下と瓜二つでございます。当時はまだまだ幼い方でございましたが、ご成長されれば、きっと、殿下のように……」
言葉を詰まらせたイルシンダを、アフマド王子は抱き寄せた。
王子の肩に頭を預け静かに泣く少女と、無言で慰める皇太子に叩頭して、奇花は謁見の間を辞した。
******
自室へ戻ると、風路が待っていた。
「商隊の準備が出来たらしいぜ」
タサラに雇われている傭兵の本来の仕事は商隊の護衛だ。 今回のアンダルートへの旅も、イルシンダを無事に送り届けるだけでなく、首都から他国へ行く商隊の護衛が目的だった。
それにしても。
「随分と早いな。イルシンダの婚礼の後の出立と聞いていたが?」
「先方が荷を早く欲しがってるんだってよ。……商隊の親方のシャウドはイルシンダの叔父貴だから、婚礼も見たかろうによ」
商売人にとって客の注文は絶対。応えられなければ信用を失うことにもなる。
「出発は明後日だとよ」僅かに口を尖らせる風路に、奇花は軽く笑う。
分かった、と手で合図をすると、風路は部屋を出て行った。
朝昼兼用になってしまった食事を済ませ、一眠りした奇花は、己の荷を点検した。
一日の猶予があるので、明日にでも少なくなっているものを補充しようと考えていた時。 侍女の触れと共に、イルシンダが入って来た。
「奇花が、明後日にはアンダルートを発つって、今ハリル叔父さまが……」
今にも泣き出しそうな表情で側にしゃがみ込んだイルシンダに、奇花は笑んだ。
「ああ。シャウドの商隊の護衛で、北の小国群にまで行く」
「私の婚礼を見てからではないの?」泣き出しそうな顔が、拗ねた表情になる。
奇花は、幼女のようなイルシンダの様子に、笑みを苦笑に変えた。
「済まない。イルシンダの花嫁姿は見たかったんだが」
「……嘘つき」
可愛らしい一言に、奇花は吹き出してしまった。
笑うな、とイルシンダは半泣きで怒った。
「もし私が逃げ出す時には、何があっても私の傭兵として一緒に逃げてくれるんじゃあなかったのっ?」
「イルシンダは、今でも逃げ出すつもりなのか?」
笑いを収め、奇花は真面目に少女の深緑の目を見詰める。
一泊置いて。
「いいえ」と、イルシンダは首を振った。
「逃げないわ。私、アリハのためにも……、ううん、アフマド王太子のために、ちゃんとした王妃になる」
「そうか」奇花は、イルシンダの、ルカリの花柄のチャディールに覆われた頭をそっと肩へと引き寄せた。
「王妃になったら、もう傭兵は必要ないかもしれないが。——私はいつまでもイルシンダの傭兵だ」
肩に乗った小さな頭が縦に動く。
奇花は、万感の思いを込めて、妹も同然のイルシンダの頭をそっと撫でた。
******
夜明けにあと少しという時刻。
奇花がアンダールートに乗って来た砂船より一回り以上大きな砂船が、出発の帆を上げた。
濃紺の砂漠の空に消え残る星々に淡く照らされた巨大な帆は、商隊風を腹に受け、一杯に膨らむ。
奇花は、甲板から後方を振り返った。
既にアンダルートの門は過ぎ、王城は少しずつ遠ざかって行く。
「出て行く前に一言、言っておいたほうが良かあなかったのか?」
砂上に黒く浮かび上がる門を感慨深く眺めていた奇花に、風路が声をかけて来た。
「後で、イルシンダから文句の手紙がどっさり来ても知らねえぞ?」
大男の冗談に、奇花は「そうだな」と呟いた。
「手紙が来れば、会いに行く口実になる」
「おいおい。便りが無かったら、全然会いに行くつもりはなかったのかよ」
「イルシンダはもう、タサラの長の娘というだけじゃ無い。——ファサードの女主になる女性だ」
「王太子妃だもんな」
風路の、どこか嬉しげな声に、奇花も大きく頷いた。
「『金の羽』だ。良い女主になる」
東の地平線にうっすらと朝陽が昇り始めた。風の無いこの時刻、砂漠は黄金の粉をまぶしたように輝く。
すぐに、朝陽は波打つ砂の上に銀の花びらを撒き始める。
「砂の花だ」
砂のさざ波に細かく刻まれる明暗は、さながらタサラの女達が愛用するチャディールの小花柄のようだ。
花びらを分けて、砂船はゆっくりと大海原へ入って行く。
もう一度振り返った奇花の目に、サード神殿の大ドームが小さく白く光った。
第一章はひとまず完結です(^^)
第二章以降アップまで、ちょっとお時間を頂きます。すみません(汗)
また、他の消滅しかけの作品も、ただいま執筆中です。そちらも出来次第、上げていくつもりですのでよろしくお願い致しますm(__)m