砂の花 7
航海士の予測通り、タサラの大型砂船は陽が落ちる前に王都に到着した。
王都の大門は、砂船の入出港口を真ん中に、両側に巨大な砂防堤が造られている。
徒歩や荷車で出入りする者のために、砂防堤の内部には広々とした隧道が設けられていた。
大門を挟んだ手前には船だまりがあり、入りの順番を待つ大型砂船を牽引する曳航船が忙しなく碇泊場所とを行き来している。
待つこと数十分。二艘の曳航船がタサラの大型砂船に近付いて来、先の船と後の船が、それぞれ曳かれ碇泊場所へと着岸した。
港には、独特の縁巻きの付いた草色の布の帽子に、同色の長い上着を纏った、王宮警護兵隊長と一個小隊がイルシンダの一行を待ち受けていた。
「タサラの長のご令嬢イルシンダ様。ようこそアンダルートへお越し下さいました」
警護隊長は、シェナに付き添われて下船したイルシンダに、恭しく頭を下げた。
「王宮まで、我ら警護隊がご案内いたしますゆえ、どうぞこちらの馬車へ」
イルシンダは警護隊長に導かれるまま、用意されていた馬車へと乗り込む。 扉が閉められる寸前、ちらり、と深緑色の目を奇花に向けて来た。
不安そうな表情の横顔に、奇花は「大丈夫だ」という意味を込めて、ゆっくりと頷いてみせた。
イルシンダとシェナ、他二人の侍女の四人が乗り込むと、馬車は静かに動き出した。
馬車に付き添う形で、長代理のハリルも騎馬で進む。
残された船員達と奇花達傭兵は、船からイルシンダの荷を下ろし、これも王家で用意してくれた荷馬車に載せ替える。
副船長と一部の船員達に船を頼み、奇花達と主だったタサラ族の船乗りは、護衛用の馬で荷馬車を守るように王宮へと向かった。
ファド王家の宮殿は正四角形の回廊型の建物が、外通路を挟んでいくつも入れ子状になっている。
東側に向いた第一の正門を馬車で潜ると、左右に広い玉砂利の通路が現れる。
イルシンダを乗せた馬車と長代理のハリルは、警護隊長に先導されそのまま第二の門を潜る。
荷馬車と護衛の傭兵、船乗り達は、警護兵の案内で右へと曲がった。
途中で荷馬車と馬を警護兵と王宮厩舎係に預け、奇花達は、侍従に今夜宿泊する部屋へと案内された。
部屋の間仕切りは全て厚手の布と薄い紗を重ねた両開きの帳である。
部屋の中はタサラの部落のものと同じ、床に何枚もの毛織の絨毯を敷き、絹織りのクッションが一人につき二〜三個ずつ使用出来るように配置されていた。
絨毯の上には、座った高さに合わせた木製の卓が三脚あり、卓上には飲み物と、砂漠では貴重な果物がふんだんに乗せてある。
「おー。さすがファド王家。下級兵士の待機室とはいえ、豪華じゃねえか」
「寝室は、向かって右が大部屋、左が鍵付きの中部屋でございます。それぞれの部屋に湯浴みのご仕度があります。ご夕食は、この後、こちらにお持ちいたします」
侍従は軽く会釈して出て行った。
「んじゃ、メシが来る前にひとっ風呂だな」
風路の言葉に「そうだな」と答えて、傭兵と船乗りがぞろぞろと右の大部屋へと入って行く。
奇花は、鍵付きの左の部屋を、一人で使わせて貰った。
皆が湯浴みを終えた頃を見計らって、王家の給仕が夕食を並べてくれた。
先に卓にあった果物に加え、羊肉の料理や野菜の和え物、パン、酒類が豪勢に出された。
共に身体が資本の傭兵や船乗りは、食べるのも仕事のうちである。早速次々と手が出て、瞬く間に料理が消えて行った。
散々食べて飲んだ奇花達は、旅の疲れもあり、普段より浅い時刻で皆就寝した。
中部屋、といっても、タサラの商隊が持ち歩く十五人用のテントより広い。
最初から女性が使用するのを想定して敷かれた絨毯の緋色が、ランプの灯りに仄かに揺らめく。
横になり、羊の皮の掛物を首元まで引き上げ暖を取りながら、奇花はぼんやりと揺らめく緋色を眺めていた。
——玄鵬は、何故自分に話しかけて来たのだろう?
『人間の女にしてはいい度胸』だったからか?
「……何か、引っ掛かる」
あの玄鵬は、自分に関係があるのか。それとも、イルシンダに、か。
どちらにしても、滅多に現れない玄鵬が、ファサールの砂漠地帯の真ん中を飛行していた、というのは異常だ。
化鳥が、何か悪巧みを考えていなければいいが。
色々と脳裏に心配事が浮かび、寝付けない。
が、傭兵が寝不足で、いざという時依頼主を守れないなどという事態があってはならない。
奇花は、無理矢理思考を断ち切り、ランプの灯を落とすと目を閉じた。
******
翌日の早朝。
寝起きのところへハリルがやって来た。
「王太子殿下が奇花に聞きたいことがある、と仰っている」
急ぎだ、と言われ、奇花は手早く身支度を整え、ハリルに付いて王宮の奥へと向かった。
着いた先は内殿の、王族の私的な謁見の間だった。
深紫に金糸で細かな花模様を刺繍した帳を開けると、イルシンダが一人、部屋の奥の椅子に腰掛けていた。
「イルシンダ?」
「奇花っ!!」イルシンダは今にも泣き出しそうな顔で奇花に飛びついて来た。
受け止めて、奇花は「どうした?」と、自分の肩に埋めた少女の顔を上げさせる。
「ごめんなさい……。あまりにも不思議な出来事ばかりで、気が動転してしまって……」
長身の奇花の首に両腕を回したイルシンダは、深緑色の瞳を潤ませる。
奇花はイルシンダを落ち着かせようと、座っていた椅子に少女を誘った。
「私は、王太子殿下に呼ばれて来たのだが」
まだ、お出ましではないようだな、と、奇花は左右の帳に目を走らせた。
「で? 不思議なこととは?」膝を折り、座ったイルシンダと目線を合わせた。
イルシンダが、奇花の目を見返した時。
不意に左手の帳が上がった。
「王太子殿下が、お見えだ」背後に立っていたハリルが、奇花の肩を軽く叩いた。
奇花はイルシンダの側を離れ下座へ動くと、ハリルと共に跪礼する。
「頭を上げなさい」王太子の、若々しく柔らかい声がした。
奇花とハリルは、命に従って顔を上げる。
薄青の絹のシャツとズボン、共布の長着を肩に羽織った王太子は、軽く笑む。
中々の男前だ、と奇花は思った。
王太子は、イルシンダの右隣に着席した。
「突然の呼び出し、申し訳ない。私はアフマザール・アジーズ。昨晩の夕食の席でイルシンダ嬢から聞かされた旅の話の中に、どうしても気になったところがあった。で、警護をしていた奇花殿からも今一度、話を聞きたいと思ったのだ」
——もしかして、玄鵬のことか?
一呼吸置いた王太子、アフマザールを、奇花は窺った。
「イルシンダ嬢から、旅の途中で玄鵬に出会った、と聞いたのだが。本当か?」
「はい」やはり、と内心で頷きつつ、奇花は続ける。
「大砂蜥蜴の大群に襲撃された時に、何故か私達に加勢してくれました」
話し掛けられた事は、伏せた。
王太子は、端正な顔にやや困惑したような表情を浮かべた。
「……イルシンダにも話したのだが、実は、私には双子の弟がいたのだ。名はアリハザード・ハジャル。弟はファド王家の慣例に従って、四歳の誕生日に王族の籍を剥奪され、王宮を追われた」
え、と、奇花は目を見開いた。
月曜日投稿が間に合いませんでした(: :)
すみません。
次回、第一章最終話は間に合わせます。