砂の花 6
魔物達は一斉に夜空を見上げていた。 何があるのか、と、奇花も用心しながら上空を見上げる。
黒い雲が西から東へと、川の流れのごとくに進み、切れ切れの雲間から星の光が零れ落ちる。
まだらに光る星々を遮るように、黒雲の中から一羽の鳥らしき影が奇花や大砂蜥蜴達の上を通り過ぎた。
鳥の影が優雅な弧を描きながら降下を始めた途端。
大砂蜥蜴が奇声を上げた。
魔物は奇花達を無視し、頭を上下させながら右往左往する。
砂中に潜ろうとする個体もいる。
「どうしたっ!?」
負傷した仲間を誰かに預けたらしい風路が、息急き切って奇花のところへやって来た。
奇花は立ち上がり、「上を見ろ」と風路を促す。
「鳥か? でかいな。ルフか?」
「いや。ルフより更に大きい。あれは……」
奇花が鳥の名を言い掛けた時。
十五メートルはあるだろう巨大な翼が半ば折り畳まれ、一直線に大砂蜥蜴の群れを急襲する。 凄まじい咆哮と、砂塵が上がる。鳥が再び上空へと飛び上がった時には、両足の太い鉤爪に、五、六頭の大砂蜥蜴が掴まれていた。
その間、僅か十数秒。
鳥は遥かな高みから掴んだ獲物を放り出した。
ファサールの砂漠の砂は粒が細かく柔らかい。が、その下には何万億年と堆積し鉄よりも硬くなった砂岩の板が、幾層にも積み重なっている。
落下した大砂蜥蜴は、細粒の砂の中へ吸い込まれるかのように入ってしまった。先刻よりも猛烈な砂煙が上がり、奇花達は腕で顔を覆う。
「あいつぁ……、玄鵬か」風路が呟いた。
「多分。——早く退散した方が良さそうだな」
鳥の姿をした魔物で、神鳥鳳凰を除けば玄鵬より魔力の強いものはいない。
同族の酷い殺され方に大砂蜥蜴どもは、敵が強すぎると直感したらしく、三々五々敗走した。
奇花は、巨鳥玄鵬がこちらにも気づく前に南へ走り出そうとした。
その頭中に。
『あれだけの数の大砂蜥蜴を一人でどうにかしようなどとは。中々、人間の女にしてはいい度胸だな』
雲間に見え隠れする玄鵬からの声だった。
魔力の高い魔物は人語も解する上、他のものに化けたりもする。
「おまえ、何のつもりだ?」
不思議と威圧感は無かった。奇花は遥か上空を舞う鳥に向かって問い掛ける。
『助勢してやったのだ。何のつもりとは大した礼だ』
笑いを含んだ『声』。
揶揄っているな、と感じた奇花は、ふん、と鼻を鳴らし、手にした剣を鞘へ戻した。
「何で私に手助けしたのかは、分からんが。非礼は詫びる。とにかく助かった」
クルルっ、と、今度は鳥らしい喉を鳴らす音が聞こえた。
『——折角の《獲物》が逃げる前に、喰いに行く。おまえたちは船と合流するがいい。船はここから北へ十キロ程度のところで停まっている』
玄鵬からの『声』が途絶える。
振り仰ぐと、切れ切れの黒い雲間から差す星明りに、漆黒の巨大な翼が煌めいていた。
わざと己の大きさを見せつけて遠ざかる玄鵬を、奇花は複雑な気持ちで見送った。
「あいつと話してたのか?」
「ああ。——私の度胸に感心して加勢してくれたらしい。本当かどうかは分からんが」
「……魔鳥にまで好かれるたぁな。さすが奇花だぜ」風路が奇花の背を拳で軽く小突く。
「どういう、意味だ?」
振り向いた奇花に、風路は太い肩を竦めておどけた。
******
北へと向かった大型砂船は、玄鵬が言った通り、戦場から十キロ程離れた場所で停泊していた。
明け方まで砂漠を歩き、奇花と傭兵達は船を見つけた。
船員達は、怪我人が出たものの、一人も欠けずに戻って来た傭兵達を労い、すぐにテントと飲食を用意してくれた。
砂上に敷かれた旅用の敷物に座り飲み物と少量の干し肉を腹に入れた奇花のところへ、先の船からイルシンダが降りて来た。
「奇花!! 怪我はなかったっ!?」
「ああ。私は大丈夫だ。仲間も少しの怪我で済んだ」
「よかったっ!! もし、奇花が死んでしまったらと思って、私……」
薄く涙を浮かべた少女に、奇花は笑んだ。
「私は、死なない。戦いで死ぬようなことは、絶対に無い」
「強気だなぁ」風路が、疲れた顔で笑った。
「まあ、その奇花の強気が俺らを救ったんだけどな」
「何か、あったの?」
奇花と、向かいの敷物に座った風路を、イルシンダが不思議そうに交互に見る。
「……玄鵬と遭遇したんだ。奴が、大砂蜥蜴の群れの大半を、喰ってくれた」
一瞬、イルシンダの顔に恐怖が浮かぶ。が、奇花が笑むと、ほっとしたような表情に戻った。
「玄鵬に、襲われた訳じゃ無いのね?」
「ああ。——奴は、私が面白いから加勢したと、抜かした」
「らしいだろ? 玄鵬なんて飛んでもねえ魔物にまで好かれちまうなんて、さすが奇花だぜ」
うるさい、と奇花がわざと眉を吊り上げる。
風路はおどけて笑い、他の仲間も釣られて笑った。
イルシンダも、「よかった」と微笑んだ。
疲れていた奇花達は、ハリルの許可をもらって後の船の自分たちの部屋で昼まで休ませてもらった。
昼過ぎ。
風が良いので速力を上げる、と言った船長のハリルは、船員に目一杯帆を張らせた。
砂嵐は南風だが、これから吹く風は南西の風だ。ファサールでは商隊風と呼ぶ。
遊牧の他、大型砂船で荷を運び商売をするタサラ族の氏の由来である。
他の部族も商隊を組むが、タサラのそれよりも規模ははるかに小さい。
タサラ族は、生粋の砂漠の商人だ。
「この風じゃ、夕方前にはアンダルートに着くぜ」
後船の航海士が、嬉しそうに言う。
商隊風は砂嵐のように、強烈ではない。
上から吹き下ろすのは同じだが、砂塵を巻上げず、砂上を撫ででいくようだ。
湿度の低い風は、暑いがからりとしているので気持ちがいい。
が、砂嵐の終わりは本格的な夏の到来である。
ファサールの夏の真昼は、それこそ大砂蜥蜴でさえ焼け死ぬ、と言われる。
奇花は、普段は着けない黒いチャディールを被り甲板に上がると、陽光が容赦なく照り付ける砂の海を眺めた。
「あんまり出てるとぶっ倒れるぞ」
風路が、タサラの男達が頭に巻く茶褐色のクードゥラを被って寄って来た。
「砂漠は、いつ見ても飽きない」
「おまえ、そういうところが変わってるよなあ」風路は呆れた顔をした。
「砂嵐の後は、上と下の砂が入れ替わるから、砂山の色が変わる。商隊風は、砂嵐が作った砂の山を少しずつ削って、また色を変える。……面白い」
故郷では絶対に見ることが無い風景だ。
「朝晩でも、大気の具合でも、砂は様々な色と姿を見せてくれる」
「……俺には、ずうっとおんなじ景色が続いてるふうにしか見えんがな」
口をへの字に曲げた大男に、奇花は苦笑した。
「おーっ!! 神殿の大ドームが見えたぞーっ!!」
アンダルートのサード神神殿は、小高い丘に建てられており、象徴である中央の大ドームは、王都へ向かう者達の目印である。
ハリルが、乗組員にタサラの旗を上げるよう命令する。
「やっと着いたな」
風路は奇花の肩をぽんっ、と叩いて、居住用楼に入って行った。
奇花も、下船の準備のために自分の部屋へと戻った。




