砂の花 5
長さ三尺八寸(約1m14㎝)。幅一寸。曲刀といっても、反りは僅かだ。先端は刺突出来るように、三日月型に削られている。
飛鰐の皮で作られた剣帯に背の中心で交差するように鞘を留め、左右両手で引き抜けるようにしている。
まずは一本、利き手の左に握り、砂の上を走る。長年ファサールで傭兵をやっているため、走りにくい砂漠でも、足を取られることはない。
奇花が向かって行くのに気が付いたかのように、大砂蜥蜴も速度を上げた。
魔物の赤い目が、一斉に月明かりを反射して不気味に光る。
目を数えただけでも、二十頭。しかし、奇花が臆することは無い。
先頭の、一際体格の大きな一匹が、太い尾を砂に打ち付け、奇花を嚙み殺そうと大口を開けて跳躍した。
巨体に似合わぬ大跳躍を、奇花は敢えて避けず、弧を描いて襲って来る魔物の速さに合わせ身を沈めていく。
毒のある牙と両前脚の鋭い爪が己に触れる寸前。奇花は右から左へ刃を大きく擦り上げた。
どすっ、という重い音がする。
大砂蜥蜴の右腕と嘴の半分以上が斬り飛ばされ、砂の上に落ちた。
腹から不気味な咆哮を上げ、斬られた魔物は奇花を飛び越えた場でもんどりうつ。
踵を返した奇花は、横様に転がって足掻いている魔物に素早くもう二太刀浴びせた。
首と胴を、いとも容易く斬り離す。ファサール国の一般的なダマスカス剛製の曲刀では、桁外れに鱗の硬い大砂蜥蜴を三太刀で殺すなど到底出来ない。
「相変わらず、すげえ切れ味だな。奇花の剣は」
自身も切れ味の鋭い半月刀で大砂蜥蜴の右前肢を斬り飛ばしながら、風路は感心したように笑う。
遅れてついて来た傭兵達も、次々と魔物の群れの中へと斬り込む。
三頭目を斬り倒したところで、奇花は大型砂船が野営地から無事脱出したのを確認した。
「ぐわっ!!」傭兵仲間の一人が、大砂蜥蜴の爪で脚を抉られた。
戦列から引き離すため、奇花は背負っていたもう一本の剣を右で引き抜く。
動けなくなった仲間と、今しも喰い付こうとしていた魔物との間に飛び込み、二本の剣を交差させる。
「——風神召喚」
二本の剣にはそれぞれ呪文字が刻まれている。
敵に近い方の剣の呪を奇花が静かに唱えた途端。
凄まじいつむじ風が起き、大砂蜥蜴を吹き飛ばした。
腹を見せて裏返った魔物が、背後の魔物とぶつかる。横から襲おうと跳躍して来たものも、巻き添えになり大きく飛ばされた。
奇花は、魔物達が混乱している隙に仲間を戦場から離れた場所へと運んだ。
風路が走って来た。
「傷薬は持ってるか?」
痛みに息を弾ませながら「無い」と答えた若い傭兵に、風路は懐から瓶を取り出して渡す。
「最初はかなり染みるが、我慢しろ。五分もすれば血も痛みも止まる」
頷いた傭兵は瓶のコルク栓を自分で開け、中身の液体を数滴、傷に振り掛けた。
相当痛かったのだろう。
見届けて戦列に戻る奇花の背後で、魔物よりも凄まじい咆哮が上がった。
「人間も、本気を出せば『恐慌』が使えるのかもな」
真顔で冗談を飛ばす風路に、「あんたが掛けてやればよかったんじゃ無いか?」と奇花は返した。
「それでもいいが、俺とおまえと、両方ともがこれ以上戦線離脱してたら、即座に大砂蜥蜴供に押し込まれるぞ」
風路が苦笑った矢先。
西方から砂煙が近付いているのに、仲間が気付いた。
「他の群れも来やがった!!」
「不味いぜ奇花っ!! 挟み撃ちだっ!!」
奇花は小さく舌打ちする。
大砂蜥蜴はすこぶる嗅覚が優れている。
砂漠の魔物や獣は、他の地域の生き物より総じて嗅覚はいいが、肉食、しかも大型の大砂蜥蜴はほんの少しの血臭でも、数キロ先から嗅ぎ付ける。
先の群れとの戦いで流れた血の臭いを嗅ぎつけて来たのだろう。
東から来た群れが二十頭程、西から来た群れはそれより多い。
大型砂船は北へと向かった。イルシンダの危険は回避されたはずだ。
傭兵は金のために働くが、義のために命を賭しはしない。
「逃げるぞ」短く言うと、奇花は右手の剣を背の鞘に素早く納めた。
「逃げるって、どっちへっ!?」風路が喚く。
「決まってるだろう? 南へだ」
「タサラへ、引き返すのかっ!?」
「途中で西か東へ曲がれっ」
二人がやり取りしている間にも、大砂蜥蜴が襲って来る。背後から噛み付こうとする魔物の顎を斬り飛ばし、奇花は砂地を走り出した。
先ほど怪我で離脱していた仲間を、風路が怪力で肩に担ぐ。二人分の体重で推進力が落ちた風路を狙って飛び掛かって来た魔物を、脇を走っていた仲間が尻尾と足を斬り転がした。
負傷した同族の血臭に、たちまち大砂蜥蜴が群がる。
共食いで魔物の一部が止まった。釣られた他の個体の足も鈍る。
その間に、奇花達は魔物と距離を取った。
ある程度仲間が南へ走ったところで、奇花は立ち止まる。風路や仲間達を更に南へと走るよう促し、剣を引き抜いた。
こんな場所で息絶えるつもりはさらさら無い。
出来る限り数を減らし、その間にまた逃げる。
奇花は再び二振りの剣を交差させた。
「——風神召喚」
剣に封じられた風の式神の魔力は、先刻と同じく猛烈なつむじ風を作り出す。
奇花が両腕を前へ倒す。つむじ風は迫っていた正面の群れへと、砂を巻き上げ走っていく。
一番近付いていた一頭から、後続の六、七頭までを吹き飛ばした。
さらに後方の魔物にまでぶつかり群れ全体の速度が鈍ったのを確認し、もう少し間合いを取ろうと奇花が踵を返したその時。
右横から回り込んで来ていた一頭が、奇花の頭上を前肢で急襲した。
間一髪。
奇花は砂上に転がり鋭い爪を躱す。しかし、次撃を避けるため立ち上がるには、砂が邪魔をして動作が遅れる。
つむじ風で倒した数頭の後ろの奴らも、もう眼前に迫っていた。
——思っていたより、速い。
横たわったまま避ける手立ては、無い。
「奇花っ!!」
風路が叫ぶ声が聞こえた。頭を南に上げようとしたその時。
ピタリ、と、大砂蜥蜴どもの動きが止まった。