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異玄記  作者: 林来栖
第一章
4/18

砂の花 4

 奇花が身の上を話した翌日から、イルシンダはきちんと食事を摂るようになった。

 大型砂船(バグラ)の甲板にも、時折出てくるようにもなり、侍女のシャナもほっとしているようだった。


 ただ。

 野営地に着く度に様子をそれとなく見ていた奇花は、イルシンダの顔に笑みが無いのが引っ掛かっていた。

 

 ラッカの地を出てから、6回目の野営地に着いた。

 ここが最後の野営地になる。

 奇花は、後船からいち早く飛び降り、先船の甲板へと上がる。


「イルシンダはどうだ?」


 侍女のシャナを捕まえ、訊いた。


「奇花さん。——嬢様は大分落ち着かれて。もう大丈夫だと思いますよ、あと少しでアンダルートですし」


 にこやかに伝えるシャナに、「そうか」と奇花は内心の不安を隠して頷いた。


 本当に、イルシンダは奇花の説得だけで翻意したのか?

 あれだけ頑なな少女が簡単に意思を曲げるとは思えない。

 ずっと沈んだ様子のまま、王都に近付いて行くのを何も言わずに受け入れているのが、奇花には逆に怖い。


「イルシンダは、部屋か?」


「はい。たった今、夕食をお持ちしましたから」


 足早に住居用楼に向かう奇花に、シャナは「大丈夫ですよっ」ともう一度言った。


「イルシンダ、私だ、奇花だ」


 扉を叩く。

 暫くして、扉が開いた。奇花は、イルシンダの顔を見て胸を撫で下ろす。


「済まない。休んでいたのか?」


「ううん。……考え事を、してたの」


 イルシンダが、奇花を中へと誘う。

 勧められるまま、奇花はチェストへ腰掛けた。


「まだ、王都へ行くのを納得出来ないか?」


 問いに、イルシンダは金の髪を振った。


「初め、アンダルートに嫁げって、父さんは言ったの。王太子様に、じゃあなくて。私が「誰に?」って聞き返したら、王太子様にだって教えてくれて。——自殺出来なかった後、冷静になって、ふっとその時の父さんとの話を思い出して」


 アンダルートに嫁げ——


 長は、部族長会議で何を言われたのか? タサラ族に不利な何かがあり、イルシンダをファド王家へ嫁入りさせなければならなくなったのか。

 奇花は、イルシンダの深緑の瞳をじっと見詰めた。


「で? イルシンダはどう思っているんだ?」


「分からない……。でも、冷静になって考えてみると、父さんが私の気持ちを無視して物事を決めてしまうようなことって、今まで一度も無かったから、きっと、何か特別な問題が王都にあるんだと思うの」


 奇花は、同意の意味を持って頷いた。


「でね」と、イルシンダは続ける。


「アリハがタサラへ戻って来なかったことと、私のお嫁入りのことを並べて考えていて、ちょっと突飛なんだけど、もしかしたら、アリハが王都にいるんじゃないかなって、思って」


「アリハが、王太子かもしれない、と?」


「そこまでは……、どうかな。でも、無いことでも、無いの、かな」


 アリハが王太子だった。とすれば、長がイルシンダを嫁がせるのに同意した道理は通る。

 ルカリの婚約は、タサラ族にとっては絶対だ。

 長自らが、タサラの伝統を破るとは思えない。


「もし、本当にアリハが王太子だったら……」呟いた奇花を、イルシンダが見る。


「そう信じたい。でも、本当にアリハが王太子様なら、父さんは先に教えてくれていたはずだもの。……分からない、やっぱり」


 ひとつ息をつくと、イルシンダは顔を上げた。


「もう、考え込むのは止めようかな。奇花が言った通りだもの。私個人のことより、私の肩にはタサラの人達の運命が乗ってる。私が自殺したり、逃げ出したりしたら、困るのは王太子様だけじゃない。ファサード王国全ての人が困るんだもの」


 無理に笑んだ少女の頭を、奇花は抱き寄せた。


「万が一。本当にどうしてもイルシンダが逃げ出したくなった時は、私はイルシンダの傭兵として同行しよう。たった一人でも必ず、追っ手からイルシンダを守り通してみせる」


 奇花の肩に頭を乗せたイルシンダが、クスッ、と、いつものように明るい笑いを漏らした。


「その時は、私も奇花もお尋ね者ね。——ありがとう。でも大丈夫。私、もう逃げようなんて思わないから」


 甲板でみんなと夕食を食べたいと言ったイルシンダに、奇花は彼女の食事を運んでやった。

 西の夜風が緩やかに吹く甲板に現れたイルシンダに、タサラの砂船(ふな)乗り達は満面の笑みを浮かべた。


「久しぶりに嬢様と食事が出来るぜ!!」


「歌おうぜっ!! イルシンダっ!!」


 陽気な砂船乗り達の歌声に合わせ、イルシンダも笑顔で歌い出す。

 側で見ていた奇花は、もう大丈夫だ、と口角を上げた。


 ******


 イルシンダの回復祝いを理由に砂船乗りや傭兵達までが酒を浴びている中、ふと、奇花は東の方角から微かに魔物特有の臭気が流れてくるのに気付いた。

 つん、と鼻を突く、酸のような臭い。


「風路」奇花は、傭兵仲間の大男の腕を掴む。


「何だ? 奇花。さてはとうとう、俺の女になる気になったか?」


「馬鹿は後にしろ。——東から何か来そうだ」


「ん?」夜目の効く風路は、真顔で奇花が見ている方向へ顔を向ける。


「ありゃあ……!! 不味いっ!! 大砂蜥蜴(キビーラサハダップ)の群れだっ!!」


 風路は立ち上がると素早く舳先へ上がる。奇花も続いた。

 月明かりに、微かだが砂煙が見える。

 大砂蜥蜴は、成体で体長約6メートル。背に翼があるが、飛行は出来ず、水かきのようなヒレのある四足で、砂に埋まることなくかなりな速さで砂上を走る。

 目視で十キロ以上の距離があるにも関わらず進行して来るのが確認出来るということは、かなりの数が纏まっている可能性がある。


「おいっ!! 強い魔物が来るぞっ!! 酔いを冷まして武器を持てっ!!」


 風路の警告に、祝い気分が吹っ飛ぶ。傭兵達と、腕に覚えのある砂船(ふな)乗り達は、酒杯を武器に持ち替えた。

 シャナがイルシンダを連れ住居楼へと戻る。

 入れ違いに船長のハリルが舳先へ上がって来た。


「大砂蜥蜴だっ、船長っ」


 奇花の指摘に、ハリルは「ちっ」と舌打ちした。


砂嵐(シム)がそろそろ終わる頃だから、奴ら動き出したんだ。——警戒はしてたんだが」


大型砂船(バクラ)がやられると厄介だ。私ら傭兵が切り込むから、その間に野営地から船を出せ」


 提案した奇花に、ハリルは「そりゃ出来ない相談だな」と、真顔で返した。


「あの数じゃあ、傭兵だけじゃ太刀打ち出来ねえよ。俺達も戦わなきゃ、どっちにしろ船ごと襲われる」


「だが……」イルシンダを死なせるわけにはいかない。


「どーするんだっ!! ハリルっ!! 奇花っ!!」風路が、桁外れに太い半月刀(シャムシール)を肩に乗せ、怒鳴る。


 戦斧使いだが、砂漠では重い戦斧は一度落とすと砂に埋まって探せなくなる、と、砂船に乗っている時は半月刀を使っている。


「ハリル、ここは私らが引き受ける。とにかくイルシンダを守ってくれ」


 奇花は先の船の舳先から、背負った曲刀を引き抜きつつ飛び降りた。

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