砂の花 3
「奇花」
甲板に上がった奇花を、船長のハリルが呼び止めた。
ハリルはタサラの長の三番目の弟、イルシンダの叔父になる。
「助かったよ。よく、カカルヤーナの毒と分かったな?」
「特徴的な発疹が出ていたから。私は戦さ場で、幾度もカカルヤーナの毒で殺される捕虜を見て来た」
そうか、とハリルは呟く。
「誰かに……、飲まされたのか、それとも」
「その辺りは、イルシンダが目を覚まさなければ分からないだろう。けれど、少なくとも船員にも私ら傭兵にも、イルシンダを殺す動機がある者はいないと思う」
「と、すれば、イルシンダは自分で毒を飲んだのか——」
困った、というように、ハリルは太い眉を寄せ、腕を組んだ。
奇花は、船長の様子から、思い当たる節があるのだろうと推測する。
「どうするんだ? 船長。イルシンダの具合が良くなったら、予定通り王都へ行くのか?」
「うむ……。長には、そう、言われているんだがな。一応、伝言はしておく」
ハリルの話から、長は娘が自死を図るかもしれない、と予測していたのでは、と奇花は思った。
羅針士が都合よくカカルヤーナの毒消しを持っていたのも、長があらかじめ持たせておいたとすれば、筋が通る。
しかし、奇花が知っている限り、長は愛娘が自殺するのを見過ごすような人物ではない。
なのに、敢えて娘を失い兼ねない婚姻を承諾したのか。
——王都に、何が待っているんだ?
タサラとファド王家の間で、どんな話が決められたのか?
奇花は、この先もっと用心深くイルシンダの警護をしなければ危ない、と思った。
******
イルシンダが倒れた、という話は、乗組員や傭兵達にあっという間に広がった。
後船の、甲板の中央の釣り灯の下で、傭兵仲間達が奇花の戻りを待ち構えていた。
「どうなんだ? イルシンダの具合は?」
心配そうな顔で訊いてきたのは、奇花同様イルシンダと懇意である傭兵の風路だった。
二メートルに届くだろう大柄な戦斧使いは、厳つい外見に似合わず心根は優しい。奇花が姉なら、風路はイルシンダにとっては兄だろう。
奇花と同じく東方の国の出の風路は、真っ直ぐな黒髪を肩あたりまで伸ばし、後ろで一まとめにしている。
奇花は、風路と、彼の背後に居並んだ傭兵仲間を見渡し、努めて平静な声で説明した。
「カカルヤーナの毒だ。幸い、羅針士が解毒剤を持っていた。少しでも飲めば効果があるという」
不安げな表情で奇花の言葉を聞いていた傭兵達の顔に、みるみる険しさが広がって行く。
「毒だって? 誰かがイルシンダを殺そうとしやがったのかっ?」
「カカルヤーナの根は、干してすり潰さなきゃ毒素は出ないぜっ。やったのは呪術師かっ!?」
風路と傭兵達が、口々に騒ぎ出した。長くタサラの商隊や長の護衛をしている仲間だ、皆、イルシンダとも親しい。
心配するのは分かるが。
「容体は回復に向かっている」奇花は声を張り上げた。
「イルシンダの身体が元に戻り次第、王都に出発する」
「けどよ、」風路が、奇花に詰め寄って来た。
「犯人を探さなくていいのか? でないとまた——」
真実を告げるか、どうか。
奇花は束の間迷い、決断した。
「その必要はない。……イルシンダは、恐らく自分で毒を飲んだんだ」
「じっ、自殺——?」
奇花の言葉に、風路も他の傭兵達も驚く。
「冗談じゃねえぞ奇花っ!! イルシンダはまだ十四だぞっ!? これから王太子の妃になるってのに、どうして自殺なんかしなきゃなんねえんだっ!?」
風路が奇花の首巻きを掴む。
巨漢を、奇花は睨み上げた。
「イルシンダは、今回の婚姻を自ら望んではいない。——待ち人が来なかったのに落胆したんだ」
「待ち人……?」訝しげな表情になった風路の手が、奇花の首巻きを放す。
驚愕と困惑の表情をそれぞれ浮かべる傭兵達に、奇花はさらに続ける。
「イルシンダには、幼い時に長も認めた許嫁がいた。その少年をイルシンダが待っているのを知っていながら、長は王太子との結婚を決めた。長はイルシンダに今回の婚姻の理由を教えていない。直接長に聞かない限り、イルシンダはまた、自らの命を捨てようとするだろう」
だが、と奇花は続けた。
「私らには、タサラの長の決めた事に口出しする権利はない。長がイルシンダに何も知らせず送り出した以上、私らは無事にイルシンダを王都へ送り届けるだけだ」
むう、と、風路が唸る。
「……所詮俺らは、ただの雇われ兵だからな。請け負った仕事を完璧にこなすのが、一流の傭兵だ。けどなぁ……」
言い差した風路に、他の傭兵仲間も複雑な面持ちになる。
「私も、気分は晴れない」奇花は本音を語った。
「このまま王都まで進んでも、イルシンダが納得していない以上、またどこかで毒を飲むか、他の方法で死のうとするだろう。——本当は引き返し、長に真意を訊いた方がいいの
だが」
「出来ることを、するしかねえな」風路が厳しい顔を崩さないまま、言った。
「イルシンダの部屋に毒物が無いか、シャナと侍女達に探してもらって、見つけたら船長に預かってもらう。で、あとは、交代でみんながイルシンダを一人にしないようにする」
「私も、それしかないと思う」
風路の提案に、奇花が頷き、他の傭兵達も同意した。
******
イルシンダの容態が落ち着くと、予定通り二艘は王都アンダルート目指して再び帆を上げた。
奇花が提案した通り、なるべくイルシンダを一人にしないよう、少女の部屋には侍女が必ず一人は入っている。
三つ目の野営地に到着したその晩。
イルシンダは、篭っていた自室から久しぶりに甲板へと出て来た。
奇花の隣、甲板の手摺の前に置かれた樽に腰を下ろしたイルシンダの顔をそっと覗く。
「どうした?」釣り灯でも分かるほど、少女は窶れている。
「シャナが心配していたぞ。イルシンダがあまり食事をしないと——」
「どうして……、死なせてくれなかったの?」
ずっと恨んでいたのだろう。奇花を睨上げたイルシンダの深緑の目は、強烈な怒気を含んでいる。
「死んでどうする?」
奇花が問い返すと、イルシンダは憤然として立ち上がった。
「私はっ!! アリハ以外の人と添いたく無いっ!! どうしても王太子様の花嫁にならなきゃいけないのなら、死ぬ!!」
立ち去ろうとする少女の細い腕を、奇花は掴んだ。
「放してっ!!」
「聞きな、イルシンダ」
奇花は掴んだ腕を強く引き、元の樽へと座らせた。
「私の国は、私が十六の時に滅んだ。——私は、騎馬隊将軍として戦った。二年に渡って戦い、どうにか敵を退けた時、国土に残っていたのは、三分の一に減った兵士と指揮官、焼けて黒くなった草原と畑、崩れた人家が点在する風景だった」
奇花の黒い瞳が、釣り灯の薄明かりでも分かる程、イルシンダの深緑の目に映っている。
「焼けた民家の中には、子を庇って蹲ったまま焼死していた母親もいた。敵が来るので、焼ける家から出られなかったのだろう。子供も死んでいた。
いくつもの命が、自分の意思でなく屠られた。私は、将軍として戦っていたのに、結局殆どの民を守れなかった。……自分の力の無さに、これから先、どう生きていいのか分からなくなった。
だから、国を捨てた。
民への償いのために死ぬことも考えた。だが、私一人死んだところで、万という民の魂は戻らない。ならば生きて、戦い続けて、その果てに死のうと決めた」
「……私にも、そうしろって言うの?」イルシンダは硬い声で訊いて来た。
奇花は頷いた。
「イルシンダは誰の娘だ? タサラの長の娘が、ファド王家の王太子に嫁ぐのを嫌がって自殺したとなれば、ファサールの他の部族からもタサラの長に咎めが行こう。ファド王家は、タサラ族の国外追放を呼び掛けるかもしれない。——イルシンダの肩には、」
奇花は、少女の細い両肩を掴んだ。
「タサラの民の命が乗っている。私は自分の『責務』から逃げた人間だ。だから、偉そうなことは言えないが、イルシンダには、私のようにはなって欲しくない」
えー、タラタラ更新しております^^;;
すみません・・・