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異玄記  作者: 林来栖
第一章
2/18

砂の花 2

 翌日の出立は、日の出と共に始まった。


 ファサールの王都アンダルートまでは、大型砂船(バグラ)で一月は掛かる。

 大型砂船は二本マストに大きな三角帆をそれぞれ張っている。

 二隻の大型砂船の船底部、荷物室に、部族の男達が総出で嫁入り道具や旅の装備を、次々と運び入れている。

 慌ただしくイルシンダの旅支度に動き回るタサラの人々を、奇花は他の傭兵達と共に自分達の荷の点検をしながら、何気なく見ていた。


「奇花」


 人々の間から、イルシンダが走り寄って来た。


「神様の祠の布を取って来たいの。一緒に来て」


 ファサール国の各部族は、それぞれ部族の域内にサード神の祠を置いている。

 大概が泉の近くに祀られている。タサラ族の祠も、ルカリの群生する草地の奥、湿地を抜けたところの湧き水の池の側に置かれていた。


 奇花は荷物を後の船の自室へ投げ込み、二本の剣だけを背負ってイルシンダと共に祠へ向かった。

 ルカリの多い牧草地を抜け、さらに東へ進む。

 ここ一年はタサラ族の商隊の護衛の仕事をしていたので、祠への道には奇花も慣れていた。

 湿地に入ると、ルカリに変わり、カカルヤーナという水草が多くなる。カカルヤーナもルカリと同じ頃に、白く小さな五片の花を咲かせる。

 二種の花は似ている。ただ、カカルヤーナは根に猛毒を持つ。


 先を行くイルシンダが湿地の中に置かれた飛び石を軽々と飛んで行く。

 奇花は、長い足で、まるで普通の土の道を歩くように飛び石の上を歩いた。

 コポコポという、湧き水の小さな音が聞こえて来た。祠に着くと、イルシンダは手前の石の上で膝をついて拝礼する。

 奇花は、イルシンダの背後で胸に手を当て会釈した。奇花の国では、国津神以外には拝礼はしない。

 東の者達が己の国津神にしか拝跪しないことは、ファサール国を含む西の国の全てが知っている。


 祠は石造りで、男の背丈ほどの細長い形をしている。三方に柱上の石板を立て、その上に四角錐の屋根を乗せている。

 屋根にはルカリの葉と花のレリーフが施されていた。

 石板に囲われた中には、色とりどりの布が幾重にも巻かれた棒が安置されている。

 強い砂嵐(シム)にも飛ばされないよう、しっかりと紐で括られた布の一枚を、イルシンダは器用に棒から抜き取った。


「おととい、サナヘバ叔母さんが、私の花嫁衣装の余り布を祠にお祀りしたからって、言ってくれたの」


 イルシンダは、薄桃色の透けるようなシルクの小布を、大事そうに手の中に包む。

 タサラ族は、旅に出る時にはサード神の祠の布を一切れ貰い、お守りにするのだ。 

 イルシンダのように、予め自分の衣服の端切れを祀り、それを貰って行く者もあれば、元から巻いてある布を切り取って持って行く者もいる。


「これがあれば、砂の神様のご加護があるから」イルシンダは少し寂しげに笑んだ。


 アリハのことは諦めたのか、と、奇花は王太子に嫁ぐ覚悟を決めたらしい少女を哀れに思った。


 ******


 大型沙船(バグラ)に荷の積み込みが終わったのは、丁度日が地平から40度ほどになった頃だった。

 二隻のうち、先の一隻に乗ったイルシンダの為に、タサラ族の舞手達が、旅の安全と神の加護を乞う舞を行った。

 鳴り物がけたたましく牧草地に鳴り響き、大型沙船がゆっくりと帆を上げる。

 砂の神の御技なのか、ファサールの砂漠の砂は非常に細かくて軽い。水よりも滑る均一な砂の海は、大型の動物に牽かせなくとも帆で船を十分に走らせる。

 後の船に乗った奇花は、甲板で長がイルシンダを抱き締めて別れを惜しんでいる姿をじっと見ていた。

 長が降りると、船員が石柱に繋いでいた舟留めの綱を解く。


「アフラーダ、サード!!」


『砂の神のご加護を』という見送りの言葉を部族の者達から受け、二隻の船は動き出した。

 大型沙船は、砂嵐(シム)を帆に受け順調に砂漠を走る。

 夕暮れには、予定していた最初の野営地に到着した。

 ファサール国では、砂漠に幾つもの共同野営地がある。国内で遊牧をする各部族が誰でも自由に使える場所だ。

 野営地には必ず、サード神の祠に見立てた石が立てられてあり、側に井戸が掘られている。

 船を降りた奇花達傭兵は、タサル族の船員らと一緒に井戸水を汲んだ。

 南の国と言っても、ファサールは昼と夜の温度差が激しい。陽が落ちると、毛皮の外套無しにはいられないほどの寒さとなる。

 所定の位置で薪を燃やし、持参した大鍋でまずは湯を沸かす。

 イルシンダの侍女が、手桶に沸いたばかりの湯を入れ、井戸水を混ぜて温度を整えると、船の後方の居住用楼へと運んで行く。


 その他の四ヶ所で一斉に炊かれた鍋には、それぞれ干し肉や野菜を入れスープを作る。

 奇花達傭兵も自分専用の容器にスープをもらい、携帯パンと合わせて食べた。


 二隻目の大型沙船の甲板で夕飯を採っていた奇花のところへ、先程イルシンダへ身支度用の湯を運んで行った侍女が来た。

 シャナという中年の侍女とは、奇花はイルシンダと親しくなった頃からの馴染みである。


「どうした?」


 釣り灯に照らされたシャナの表情が暗いのに気づき、奇花は訊いた。


「イルシンダさまが……、夕餉をお召し上がりにならないんですよ」


 まだ、アリハのことを気に病んでいるのか。

 奇花は食べ掛けのパンを皿へ戻し、立ち上がった。


「湯浴みはしたんだろう?」


 船に向かいながら、奇花はシャナに訊いた。


「はい。お湯をお持ちしましたら、ご自分でされるからと」


「じゃあ、シャナは手伝ってはいないのか。その後は?」


「夕餉をお召し上がりになる時にお湯を下げて欲しいと仰られたので、そのようにしましたのですけれど……。お食事をお持ちしたので、戸をお開け下さるようにお願いしたのですが、お答えがなくて」


 嫌な予感がした。奇花は走り出す。

 甲板に一飛びで飛び乗り、驚いている船乗りと護衛達をすり抜けて住居用楼の一番奥のイルシンダの部屋へと入った。


「イルシンダっ!! 開けろっ!!」戸を乱暴に叩く。が、応えは無い。


 奇花は、何事かと集まって来た人々も気にせず、戦闘用ブーツの硬い靴底で思い切り木製の戸を蹴飛ばした。

 板戸が内側へと音を立てて倒れる。奇花は急いで中へ入った。


 イルシンダは寝台の上で倒れていた。

 奇花はすぐにイルシンダの胸に触れ、息を確かめる。


「イルシンダさまっ!!」まろぶように寝台に取り縋ったシャナに、奇花は「まだ死んではいない」と短く告げた。


「毒を飲んだのだろう。顔色が青い」


「そんな……っ!!」


 おろおろと涙ぐむ侍女に、すぐに手桶いっぱいの水を汲んでくるように言う。

 シャナが動けないのを見て、護衛の若者が手桶を持って井戸へと走った。

 奇花は、イルシンダの顔色と首の下、両腕の内側と掌を丹念に調べた。

 ファサール国には幾つか猛毒の植物がある。どれを口にしたのかは、身体に出る色や吹き出物、文様によって解る。


「……カカルヤーナの根か」


 イルシンダの掌に赤い斑紋が出ていたのを見つけ、奇花はそう判断する。

 水底に棲むドロムシや巻き貝の仲間の幼生に齧られないよう、毒を持っているのだが、水溶性ではないため、人間がカカルヤーナの生えている場所の水を飲んでも差し支えはない。

 ただし、根を口にすれば虫たちと同じように死に至る。


「おい、誰かカカルヤーナの毒消しを持っている者はいないか?」


 奇花の問いに、医者も兼ねている羅針士が、ある、と頷いた。彼は手早く自室から薬箱を持って来ると、古い小瓶に入った粉薬を、手近の碗に少量入れた。

 そこへ、手桶を持って行った若者が戻ってくる。

 奇花は手桶の水を手で掬って碗に入れ薬を溶かすと、イルシンダの頭を腕に抱えて口を開けさせた。

 そっと、薬を紫色になった愛らしい口へ流し込む。

 初めは飲まずに口から溢れた。それでも奇花は二度、三度とイルシンダの口へ薬を入れた。


 ごくっ、と、イルシンダの喉が動いた。


「飲んだっ!!」羅針士が、飛び上がらんばかりに喜ぶ。


「一口でも飲めば、すぐに毒が引いていきますっ!!」


 羅針士の言葉を聞いて、奇花はほっと息を吐いた。

 毒が消え始めたら、水分が急速に減るのでその都度水を飲ませればいい。

 後の処理をシャナに託し、奇花はイルシンダの部屋を出た。

3は来週にアップ予定です。

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