砂の花 1
草地に、砂丘からの砂嵐が吹き付ける。
大陸の西の大国ファサールは、春の嵐の季節だった。
羊や牛の餌となる牧草のルカリが、砂嵐に振り回されながらも、元気に赤ん坊の拳大の、鞠のような八重の花を咲かせている。
湿地のそこここに群生する薄紅色のルカリを、じっと見詰めている少女がいた。
名はイルシンダ。
十四歳になったばかりの彼女は、明日、花嫁となってこの地を去る。
「もう、戻った方がいいんじゃないのか?」
重ね着した寸胴の青いワンピースの上から、白地に青い小鳥の模様のチャディールを、頭から肩まですっぽりと巻き付けた、タサラ族特有の装いの少女に、奇花は声を掛けた。
「ねえ奇花。私……、どうしても、王太子様にお嫁入りしなければならないのかなあ?」
イルシンダは、揺れるルカリの群れから目を離さず訊いて来た。
イルシンダの部族、タサラ族は、ファサール国でも最南端の、湿地と砂漠が入り混じる、ラッカという土地に暮らしていた。
ラッカ周辺には他にも、クダニ族、タール族という、有力部族が居住している。
ファサール王国は、ファド王家と、主に遊牧や行商を生業とする10の部族が、砂の神サードとの契約の元、主従関係を結んだ合衆国だ。
ファド王はファサール国のおおまかな政を中心となって執り行うが、多部族にまたがる細かなルールなどは、その都度各部族の長か、長が動けぬ場合は副族長が王都アンダルートに集まり、王の側近も交えて数日掛けて話し合う。
先月の謝礼の月——奇花の国では麒麟月だが——に、王都で長の会議が急遽あり、王太子とタサラ族の長の娘イルシンダの婚礼が決まった。
「イルシンダは、王太子様に嫁ぐのが嫌なのか?」
己の背の三分の一ほど上にある奇花の顔を、困った、という表情で見上げた少女は、再びルカリの群生に目を移すと、頷いた。
「私、待っている人が、居るの」
イルシンダはゆっくりと側のルカリの株に近づくと、薄紅の花をひとつ、手折った。
「ほんとはね、ダメだって分かってる。きっと忘れてる。子供の時の約束だもの。でも……」
強い風が、イルシンダのチャディールを舞い上げる。内側から、細く長く編まれた金髪が、するり、と一房風に乗った。
「奇花は、言い交わした男はいないの?」
真っ直ぐな質問に、奇花は少し驚く。
真面目な顔で「いない」と答えた。
「私は傭兵だ。夫を持つ気は無い」
「じゃあ、恋した人も、いない?」
「そうだな……」奇花はイルシンダの隣に、ゆっくりとしゃがんだ。
自分の過去について、奇花は後悔しなかった時は無い。だが、その出来事は奇花一人の力でどうなるものではなかった。
その出来事を契機に、奇花は生まれた国を離れ、傭兵としてファサール王国やその周辺の国々で雇い主や荷を守るために盗賊たちと命のやり取りをしている。
「恋をして居る暇は、無かった」
「そう……」
イルシンダは、悲哀とも憐憫とも掴めぬ目で、奇花を見下ろす。
長の娘である彼女の瞳は、深緑色だ。
金の髪といい、イルシンダは西の大陸出身の母親の血を濃く継いだ。
母と、母似の娘を陰で悪し様に言う部族の者も過去にはいたようだ。が、長は陰口など歯牙にも掛けなかった、と聞く。
長の父に愛されて育ったイルシンダは、長ずるに従って、部族の誰からも好かれる強く優しい少女になった。
しかし、そのイルシンダが今、苦しそうにルカリの花群れを見詰めている。
「——もう、5年も前になるの」イルシンダは続けた。
「春先に嵐が多くあって、旅人が何人もタサラに助けを求めて来たの。父さんは、大勢の旅人を部落に入れた。その中に、アリハが居たの。
アリハはお母さんとサードの巡礼地ニヤに行く途中だった。でも嵐のせいで、お母さんの具合が悪くなって……」
「ニアまで、行けなくなった?」
奇花の言葉に、イルシンダは「そう」と頷いた。
「身体の弱い方だったの。それで、ニヤの導師に身体を診てもらうため、向かう途中だった。嵐で咳が酷くなって、私達の部落で倒れたの。 他の旅人は、嵐が収まるとそれぞれの行き先に出て行ったわ。でも、アリハとお母さんは、出て行けなかった。お母さんの病気が、良くならなかったの。
父さんはニヤに使いを出して、導師のお弟子さんに部落に来て頂いて、アリハのお母さんを診て頂くように計らったの。1年間、家でアリハのお母さんは導師のお弟子さんにお薬を作って頂いてた。その間、私はアリハの身の回りの世話や、お母さんの看病のお手伝いをして……」
奇花は、なるほど、と頷いた。
アリハは心優しい少年だったのだろう。病弱な母を気遣い、何とかニヤにまで連れて行こうと、幼いながらに頑張ったのだから、気骨もあったのだ。
イルシンダが好きになるのは、十分に理解出来た。
「アリハは、お母さんの病気が大分良くなった頃に、私にルカリの花をくれたの。「もし、僕が無事にニヤまで母を送り届けたら、絶対、イルシンダのところへ戻って来るから」って。
父さんも、私がどうしても好きなら、アリハと結婚してもいいって言ってくれたのに……」
ルカリの花を握り締めて、きゅうっ、と少女は目を閉じる。
イルシンダの、悲しみと寂しさと、諦めの入り混じった嗚咽が、奇花の耳に染みた。
奇花は立ち上がると、少女の細い肩を抱き締めた。
「アリハは、結局戻って来なかった……」涙声でイルシンダが言う。
「私のこと、きっと忘れてしまったんだわ」
「それは、無いと思う」奇花は、慰めでなく告げた。
「今でもイルシンダのことを想っているはずだ。だって、ルカリを渡してくれたんだろう? いくら子供の時とはいえ、ルカリを渡した女を忘れる男は居ないんじゃないかな」
ルカリは、ファサールでは求婚の証の花。
花嫁になってもらいたい女に、男が渡す。女が受け取れば婚約成立である。
年齢は関係ない。ルカリによる求婚は、女が花を受け取った時点で、確実に近い未来、二人は夫婦とならねばならない。
覚悟を持ってルカリを渡した女を、幼かったから忘れたなどということは、許されない。
他所者の奇花でも知っている。
「覚えているのなら、どうして来ないの?」涙声で、イルシンダは不安と怒りを奇花にぶつけてくる。
「戻って来られなくなった何かが、あったのだろう」
「……長の父さんが、アリハの掟破りに何にも言わないの。何故?」
「来ない者は裁けないからだろう」
ただ、と奇花はイルシンダを見下ろした。
「もし、本当にアリハが心変わりしてイルシンダを迎えに来なかったのなら、長はとっくの昔にアリハを罰しているだろう」
奇花を見上げたイルシンダの目に、驚愕と恐怖の色が走る。
「暗殺者に、アリハを探させた?」
震える少女に、奇花は「ひとつの可能性だ」と笑んだ。
「けれど、長がアリハの消息をご存知なのは確実だろう。でなければ、イルシンダを王太子の妃に、と請われて承諾するはずがない」
大丈夫だ、と安心させるのは簡単だ。
しかし、求婚者が居る娘を全く違う相手へ嫁がせると決めた父親の決断を前に、気休めを言っても仕方がない。
「体調の良くなかった母上を、未だにニアで看ているのかもしれないし、あるいは、旅の途中で事故に遭ったかもしれない」
イルシンダは胸元で握った手にきゅうっ、と力を込めた。
「そう、なのかも。でも、父さんは、知っていても私にアリハの話はきっとしてくれないと思う」
「——悪い結果だったのでなければ良いのだがな」
「……もう、どうしようも、ないのかな……」
イルシンダの涙と諦念の呟きが、砂嵐に乗って砂丘の彼方に消える。
奇花は黙って、イルシンダの肩を抱き続けた。
再び丘を駆け下りてきた砂塵が、奇花の、男のように短く切った黒髪を掻き回して行った。
新作です^^;;
転移も転生もない、フツーに異世界の戦記モノ、になる予定ですー。
魔物っぽいヤツや、魔法使いっぽいヤツは登場します。魔法もあり。
……おいっ、書き掛けのはどーするつもりだっ!! というお声もありましょうが……
ここはひとつ、大目に見ていただいて(汗)
週一ペースくらいでアップします(直しながら)第1章全8話です。
よろしくお願いいたしますm(__)m




