ウォンツトゥー・ビヨンド
第5話 2/3
ついに例の、おやっさん登場! ただし彼は、過去すべてのおやっさんを(ある意味)超える。
「――――というわけで、どうしたものかな。おやっさん」
「うーん。難しいからといって、なんでもかんでも精神鑑定でどうこうできるものではないのだけれどねぇ、ビヨンド。他人を頼れるようになったというのは、成長したということかもしれないが」
薄く微笑む普段通りのビヨンド。その対面に座る男性も、同様にほほ笑んでいた。ただ目が細められている分、ビヨンドよりもより表情が柔和に思えるかもしれない。
まどかはひそかに戦慄していた。目の前でおやっさんと呼ばれた男性。事前に婦警から聞いている話からして、彼女らよりも当然のごとく大人というか。もっと中年というか、下手すると老人をイメージしていたのだが。
しかし目の前にいる男性は、まどかの予想を大いに裏切っていた。
笑顔皺、ほうれい線については多少目につくものの、顔、首、手の肌の張り具合、物腰、わずかなしぐさなどの微細な運動性能。なにより声の張りも含め、明らかに二十代後半から三十代前半ごろの男性のそれにしか見えない。髪や眉毛などが真っ白という特徴こそあれど、それさえ除けば完全に若造で通じるレベルの容姿だった。
なお服装も素通りを許さない。白衣、病院職員であることを示すネームプレートはともかくとして、その下に着こんでいるものは、どう見ても和装のそれである。
ともかくつっこみどころ満載の様子であるが、そんな彼に明らかにビヨンドは信頼を示している。まどかとしては困惑すること必須である。
病室、対面するような位置関係にいる二人と、その後ろに座っているまどか。
何度目か、月城中央病院に来客していたビヨンドとまどかであり、そして今回の依頼人たる花子(仮)氏に健康診断をかけたビヨンド。それと並行して精神科の方の予約を入れていたビヨンドに、不可思議な表情を浮かべたまどかであったが、この状況を見ればよくわかる。
これがおやっさんか、と。しかして違和感もぬぐえないというか、しかしある意味では現実でありながらフィクショナルな世界に喧嘩売ってるビヨンドらしいともいえなくもないのかもしれない。
さて。顎に手を当て、不可思議そうに頭をかしげるおやっさん。
「で、一応、外科とかの方で体調については調べてるみたいだけど、たぶん問題ないんじゃないかな? あの感じだと、私のところに精神鑑定でもかけに来たかな」
「いえ、それも多少は欲しいところかな? うん。でも、どっちかといえば欲しいのはこの写真についてかな」
トレンチコートの懐から写真を一枚取り出すビヨンド。ちなみに当然のように、室内だろうがどこだろうがコートを脱がないビヨンド。もはや何かの主義がそこに存在するのかもしれないが、それはさておき。写真そのものは、依頼人の女性から手渡された一枚である。
何を求めているのか、というまどかの視線を見てか、おやっさんとやらがこちらに視線をよこしてくる。
「そういえば、まどかちゃんだっけ? 軽くはビヨンドから聞いているが、はじめましてだね。
私は、戦馬冬至という。察しの通りこのビヨンドの後見人をしている。
今は精神科医だが、大概なんでも診れるよ」
涼やかな笑顔だが、ビヨンドとちがいムカつかないのは人徳の差か。
つられるように名前を名乗るまどかだが、しかし「大概」のあたりに引っかかりを覚えたらしい。
「どういうことです?」
「言葉通りの意味だよ。何度か大学に入りなおしてね。大概の知見は持っている。
さて、それはともかくだね。この写真は……、下町のようだ」
「まぁ雷門ありますからね」
ビヨンドの言葉の通り、山田花子(仮)から渡された写真そのものは、昭和期っぽい写真に見える。だがそのものが本物なのかどうかといった知見もさっぱりないところであるからして、本当に昔のものなのかということがわからない。第一、背面にとくに年代が記載されているわけでもなかったりする。
だが、さすがにビヨンドの後見人を自称するだけあってか。この男性も明らかにスペックが常軌を逸していた。
「そうだね。提灯の色味からすると……、おそらく1930年~1940年代くらいのものかな?」
「合成写真とかではないってことですか?」
「ん。見たまえ。提灯のサイズが、今年から新調されてるんだよ。このサイズ感からしてごく最近の写真というわけでもないだろう。合成写真にしてはフィルムの粗さからすると違うようだし、なにより写真そのものの劣化具合もだ。ヤニがついてるわけではないのだよ、こういう色の褪せ方は。白飛びも多いが。
加えて町の風景というか、ここだ」
指さす先は子供たち。ランドセルのない時代なのか、背中に風呂敷で勉強道具らしきものを包んでいるが、手には長い杖のようなものを持っているように、見える。色が飛んでいるのでシルエットでうっすら判断するしかないが、それに男性は微笑む。
「折れ曲がり具合と、状況からして竹槍かな? 懐かしいな……」
「いえ、あの、おやっさんでいいです? そのころ絶対生きてませんよね、あなた」
どう考えても妥当な判断だ。というか、どんなに若作りしたところで三十代は超えていないだろうというまどかの判断である。もっともビヨンドもおやっさんも、特にそのことに言及せず話を進める。
「人数の具合と、高台が見当たらない感じからして、おそらく東京大空襲よりは前だろう。開戦後という時点で考えるなら……、1942~1944年期間に絞り込めるかな」
「さすがですよね、うん。さすがにおやっさんです」
「まぁ君からすれば、苦手分野だろうからね。こういった、人の記憶に依存しがちな話は。
しかし、変わった依頼人さんだね。いわゆる、マニアかな?」
「そこまでは定かでは」
「ふむ。ちなみに、他に何か情報は?」
「『タビビトノウタ』ってご存知です? 彼女の知ってる音楽に、そういうのがあるそうですが」
「中島みゆきかな? んー、もしそうでないとすると……」
ふむ、と顎に手を当てるおやっさん。と、すぐさま。
「こういう字を当てるかな?」
とか言いつつ、手近な雑紙の裏にこう字を書いた。
――――旅人の唄――――
「昭和三年。彷徨い人の歌といった歌詞だ。悪い曲じゃないが、あまりなじみが薄い曲だろうねぇ。うん……。古いな。それ彼女、本当にマニアなのかい? 本当に昭和期の人間が、タイムスリップしてきたといわれても不思議じゃないくらいには、マニアックなところが来たよ」
というか、そんなものを言い当てるこの男こそ一体何なんだというレベルの話だ。しきりに、困惑しっぱなしのまどかと、薄い微笑みを崩さないビヨンド。
「なんにしても、一般的な客人ではないようだ。用心してかかりなさい」
「それは察してますよ。じゃ、ありがとうございました。おやっさん」
「待って行かないかい? あと何時間かすれば、十川ちゃんも来るが」
「そこまで僕も、時間的に余裕はないかな? うん。では、よろしくお願いします」
と、椅子から立つビヨンド。珍しく頭を下げる彼を見て、またもや驚愕するまどか。いや、実際のところビヨンドは依頼人とやりとりするときとかは普通に頭も下げるのだが、そのときとは違い明確な感謝の意志をもってこのおやっさんとやりとりしている、という状況が、あまりにもまどかにとって予想外すぎたというのもある。
慌てて彼の後を追いかけるまどかだが、しかして病室からある程度の距離を離れてから、彼は突然、足を止めた。
「わぶ。……、と、突然とまんないでよ、ぶつかるじゃないっ」
「ごめん、かな? うん。さて、マルメガネはどう考える」
ちなみにビヨンド、先ほどのやりとりにはなかったが、おやっさんの目の前でも彼女のことをマルメガネ呼ばわりしていたりもする。そしてまどかも、もはや半分以上諦めの境地なのか突っ込みをいれなくなっていた。
「どうって、何が……?」
「たいがいファンタジーなことを信じる人格にはできていなくてね。僕も。うん」
「いや、あんたの存在自体が私からしたら大概ファンタジーというか、現実に喧嘩売ってるフィクションの登場人物か何かみたいっていうか……」
「それは、少しだけ心外かな? うん。
これでもビヨンドを形成している大本になっているのは、葛城葵というリソースそのものだ。裏を返せば、葛城葵にはこれだけのことができたということでもある。純粋に、人間の精神と努力とが僕の現在のスペックの基礎になっているからね」
「……あ゛?」
反応のうろんさが婦警とどっこいどっこいになってきたまどかである。
「それは女の子が出す声じゃないから、意識的に止める習慣をつけよう。
それはともかく。直接関係はしてないけど、僕、これはギルティアがかかわってるんじゃないかと踏んでいるけれど、どうだね?」
「んー……、まぁ、その、タイムスリップ的な能力が発現しないとも限らないとは言い切れないけど……。っていうか、だいたい、あのおやっさんの言ってることって本気にしていいの? よくわかんないんだけど」
まどかの言葉に、ビヨンドは涼し気に笑いながら肩をすくめた。
「まあ、あれで歴史の生き証人だからね。全く調べようのないレベルの情報に対してなら、信用していいと思うよ」
「……生き証人?」
「あの人、生まれが確か芥川龍之介が『羅生門』書いた年ぐらいらしいから」
「……え?」
「第一次世界大戦中生まれ。
あの若々しい見た目だけど、おやっさんは御年八十……、何歳かな? もう九十歳近いはずだ。うん」
「…………は?」
まどかは、ビヨンドの言っている言葉が全く理解できなかった。というか思考が一瞬、完全に真っ白になった。
「いや、え? 冗談よね。え? え?」
「第二次世界大戦中は、スパイ養成学校に通ってたみたいな話も以前されたかな? そのときの写真も見せてもらったけど、頭が黒かったこと以外は大して違いがなかったし、まぁ、そういうものなんだろうね」
「妖怪か何かなんじゃないの? じゃなければ人魚の肉でも食ったか……」
「不死鳥の血を飲んだか、という感じだね。僕もいろいろ聞いたし確認したし、本人もいろいろ検査というか調査したけど、結論からいえば『なぜか若い』以上の情報はなかったらしいよ。
それに、大学に何度も入り直したって言っていたけれども。ここだけでも科の数は二十二か三はあったはずだし、全部網羅するんならそれくらいじゃ足りないレベルだと思うよ」
結論は簡単に出ないだろうから、いったん考えるのを止めた方が楽になれるよ。と。まさかビヨンド本人の口から、そんな諭され方をされるとはつゆとも思っていなかったので、まどかは辟易。
まさかビヨンドを超えるほどの、現実に喧嘩売ってるような存在を知ることになろうとは思ってもみなかったことも原因の一つではあるが。「あんたに施行放棄を促されるとか、正直ないわー」という感想である。
「まぁともあれ、まどかはその、ギルドライバーや君の姉妹の気配は感じ取ったりはしていない、ということかな?」
「これが本当にギルドライバに関係する話だっていうのならね……。二週間くらい音沙汰もなかった割にはって感じだけど」
「子供向けのああいうのと違って、地域が限定されているわけではないからかな? うん。大体ああいうのって、関東エリアどころか、東京近辺ってレベルに事件発生の範囲が定義されているからね。作劇場の都合と、予算の都合だろうけれども。
むしろ、二週間で2件とも東京都内ということを考えると、まだ密集している方ともいえるかもしれないね。うん」
頭を抱えて左右にふるまどか。この男がフィクションを分析している側に回っていることにもいろいろ突っ込みをいれたいまどかであったが、これ以上頭痛の種を抱えたくないのかそのことの掘り下げはしなかったようだ。
「そういえばだけれど――――ん、そうだね。そういえばだ」
「どうしたの?」
と、突然唐突に脈絡のないセリフを口走るビヨンド。まどかの疑問符に、彼はやはり涼やかな微笑みを浮かべて、こう答えた。
「事態があまりに特殊すぎるからね。――――――僕もちょっと、オカルティックな手段を試してみようかと思って」
正直に言えば、まどかは「コイツ、ついに完全にイカれてしまったのかしら」と、今の言葉をかなり深刻にとらえてしまった。
次回、「ホームレスの神様」登場!